「あー、そういや鄧艾に一つ相談……いや、尋ねたい事があったんだった」
話し合いがひと段落し、皆がお茶を口にするなどして一息ついた所で。
李厳が徐に話を切り出し、鄧艾に視線を向けた。
「はい、なんでしょうか?」
小首を傾げて応じる鄧艾。
李厳は首の裏を片手でさすりながら、しかめっ面で言う。
「いやな、先日お前から話を聞いた後、冷静になって色々考えてみたんだが……一点だけ、どーも腑におちねェ事があってなァ」
「と申されますと?」
「劉表の野郎が鄧家を追い打ちした動機だよ。奴が豪族を抑圧したり粛清したりしてンのは、己の権力基盤を強化する為だ。で、その点から考えれば、鄧家を南陽から追い出した時点で奴の目的は達成されてる。わざわざ謀を巡らせてまで鄧家を滅ぼす必要なんてなかった筈だ。なのに奴はそれをした。その理由、いや動機か? がどんだけ考えても解らなくてよ。鄧艾の嬢ちゃんなら、その辺りの事を何か知ってるかと思ってな」
「なるほど、その事ですか……」
心当たりのある表情で答える鄧艾。
李厳はニヤッと笑い、姿勢をやや前のめりにして尋ねる。
「おっ、その反応は何か知ってるな? ぜひ聞かせてくれや」
「それは構いませんが、今から申し上げる事はあくまで私の想像、推測でしかない事を留意しておいてください」
「ああ」
「では申し上げますが……劉表が鄧家を滅ぼそうとしたのは、私がいたからです、李厳おじさま」
「……はァ? 何でそこにお前が絡む?」
李厳は心底意外そうな顔をして問うた。
鄧艾は意味ありげにちらりと黄忠に視線を向けてから答える。
「李厳おじさまが抱いた疑問は、私も気になってました。なので劉表について情報を集めてみたんです。そしてさらに一昨日、黄忠さまのご息女の誘拐事件があった事で私は一つの答えを得ました」
先ほど向けられた鄧艾の視線の意味を悟った黄忠の眼差しが鋭くなる。
しかし鄧艾は意に介する事なく淡々とした口調で結論を述べる。
「劉表は、幼女趣味の性的倒錯者なんです」
シーン、と室内に沈黙が降りる。
鄧艾が答えを告げても、しばらく誰も口を開かなかった。
なぜなら鄧艾以外の誰にとっても想定の斜め上な内容だった為に。
最初に再起動を果たした李厳が片手で顔を覆い、頭痛を堪えるような表情で口を開く。
「あー……って事はつまり何か? 劉表は
「はい、その通りです」
「……だがなァ……疑うようで悪いが俄かには信じられん。年端もいかねェ女一人を攫うためって動機もそうだが、鄧家襲撃は皆殺しを徹底した有様だったんだろ? 人攫いが目的だったならもっと別の……ちッ、なるほど内通者か。クソッタレの劉表め」
喋っている途中でハッと何かに気づいた素振りを見せた李厳は、表情を歪めて毒づいた。
「お察しの通りです。恐らく家人に内通者がおり、鄧家の動向が漏れていたのでしょう。私が籠に入れられて移動している事情も同様に襲撃側に伝わっていたと思います。あとは鄧家の一行を皆殺しにし、荷物に隠れた私だけを生かしたまま攫う計画だったのでしょう。そしてその全てが上手くいった場合、私という存在は表沙汰になる事なく劉表の手中に収まったはずです」
「ああ。獲物が荷物の中に隔離されてるなら、誤って殺しちまう可能性は低い。気兼ねなく襲えただろう。で、鄧家が全滅すれば、鄧艾の消息を知る者や探す者は俺みたいな極一部を除いていなくなるって寸法か。よく出来てやがる」
李厳は吐き捨てるように言って、忌々しげにギリッと歯ぎしりする。
しかしすぐに肩の力を抜いてフゥ、と深く息を吐き、怒気と表情を緩める。
「だがそれは、劉表が幼女趣味の変態野郎だという前提あっての話だ。確かな根拠があるのか?」
鄧艾はふるふると首を横に振った。
「いえ、情報の確度としては噂話程度のものです。ただ、先ほど述べた黄忠さまのご息女の誘拐事件を契機に調べてみたところ、ここ数ヶ月、南陽で幼年女子の行方不明が頻発しているのが解ったんです」
「なんだと? 俺はそんな報告は受けてないぞ!」
血相を変えた李厳が黄忠へと顔を向ける。
黄忠は青ざめた顔で首を横に振る。
「いえ、私の所にもそんな報告は……大河は?」
水を向けられた文聘もまた首を横に振った。そして人差し指をおとがいに当て、小首を傾げながらうーんと唸る。
「わたしも聞いた覚えはないかな。ただ、貧しい家だと口減らしに子供を売ったりするし、農村部だと人攫いはままある事だから……特筆して報告を上げるほどじゃないって見做された可能性はある、かも?」
文聘の推測を、鄧艾が口を挟んで否定する。
「いえ、私が集めた情報では、宛でも何件か行方不明者が出ています。そしてその全てが容姿が良いと噂される十歳前後の女子でした。裏に劉表がいるかどうかはともかく、明確な動機を持った組織的な犯行と見て間違いないかと」
「という事は、まさか璃々も……」
「はい。そのうちの一件だった可能性が高いと思われます」
「そんな……あの子が狙われてるだなんて……」
愛娘が事件の渦中にいると知り、青を通り越して白くなった顔色で身震いする黄忠。
その胸中は察するに余りある。
ロリコンの権力者とか性質が悪すぎるなと一刀は内心で呟いた。
なお数年後にはその評価が自分にも突き刺さる事になるのだが。
「こりゃ下の方で誰かが情報を止めてやがんな……だとしたら思ったより根が深ぇ。確かに劉表が関与してる可能性は高いな」
無意識にあごを撫でながら、考えを纏めるように言う李厳。
「鄧艾ちゃんだけじゃ飽き足らず、璃々ちゃんまで狙っただなんて許せない! ねーたいちょー、そんなド変態州牧はさっさとわたしたちで処しちゃいません? その方が世のため人のためですよう」
憤然としてから一転、すがるような口調で言う文聘。
しかし李厳は苦々しげな顔で首を横に振る。
「俺もそうしてェが無理だな。ただの州牧ならともかく、劉表の奴は皇族だ。たとえどんな悪事の証拠があったとしても断罪は不可能だろう。弾劾した所でまともに取り合うどころか、最悪さらった女児を闇に葬って証拠隠滅までやりかねん。取れる対策としては、せいぜい噂を立てて奴を動きにくくするか、地道に実行者共を取り締まるくらいが限界だな」
「そんなあ。何とかならないんですかたいちょー」
文聘が李厳の腕を掴んでがくがくと揺さぶる。
「揺すんな。無理なモンは無理だっつーの。それでもやろうとすんなら、機を見て暗殺するくらいしか手がねェ」
「うえー、暗殺ですか。それはちょっと武人的に遠慮したいってゆーか……」
「アホ、そんなん俺もだわ。とにかくそれだけ不可能事なんだ。どうにかしたい気持ちは解るが、今は堪えろ。紫苑もだ」
「はぁー、仕方ないか」
「……はい」
文聘がため息を吐き、紫苑は暗い表情で頷いた。
話に区切りがついたところで、李厳が鄧艾に向き直る。
「鄧艾、情報提供ありがとよ。劉表が幼女趣味の変態野郎だって話にも納得がいった。俺の方でもその辺りは調べてみるわ」
「いえ、李厳おじさまのお役に立てたのでしたら幸いです」
「カカカ、殊勝なこった。だが俺に対してはもっと肩の力を抜いて接してくれ。父親代わりとまでは言わんが、俺はお前の後見人なんだからよ」
「えっと……はい。わかりました」
「ま、無理に馴れろとは言わん。お前が一番気楽なやり方で接してくれればそれでいい。ただ公の場ではそれなりの振る舞いを求めるがな」
李厳は優しい眼差しで鄧艾を見据えながら言った。
「それでは李厳おじさま、私からもお尋ねしたい事があるのですが、よろしいですか?」
「お、早速か。なんだ?」
「一昨日に捕らえた人攫いの一党はどのような処遇をされているのです?」
ニヤニヤしていた李厳の顔が一瞬で引き締まる。
「今は牢に入れてあるだけだな。連中からは劉表や褚貢とどう繋がりがあるのか、少なくとも人攫い共の裏は吐かせるつもりだ。……あァ、劉表に口封じされる可能性を危惧してんのか、鄧艾」
「はい。ただこの場合、実際に何かするとしたら太守の方だと思います。劉表へはまだ話が伝わっていないでしょうし」
この時代というか世界には電話などないので、情報の伝達には相応の時間がかかる。
一刀たちが住む宛県と劉表がいる
もっとも伝書鳩を使えば1日で情報が届くが、だとしても劉表から宛に返信が届いてるかは微妙な所であった。
「そうだな、その恐れはあるか……わかった。帰ったら牢の警備を強化するように指示しておこう。それでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
「いや、礼を言うのはこっちだ。よく気がついてくれた」
バシッと音を立てて李厳が拱手した。
「いえ、この程度、何ほどの事でもありません。それに私が出しゃばらなくとも、李厳おじさまでしたらすぐに気が付かれたでしょうし」
阿るような言い回しだが、鄧艾にそのつもりはない。
李厳ならそのくらい普通に出来ると思っているからだ。
「ハハッ、買い被ってくれんのは嬉しいが、実際そこまで頭が回ったかは微妙なとこだな。こーゆー細かい気配りや手回しは鄧範に任せっぱなしだったしよ。これから県軍長官として鄧範の代わりが務まるのか、正直自分としても不安に思っている位だ、カカカ」
前任の死亡が正式に確認され、李厳は昨日付けで県軍長官に昇格している。
もっとも鄧範の横死で恩恵を受けたようで、本人としては不本意なのだが。
弱音を吐いて見せたのは、李厳なりの謙遜であり、言葉にできない詫びなのだろうと鄧艾は理解した。
その後、一刀が立ち上げる予定である商会の後援の打ち合わせと、軽い雑談を経て夜会は解散となった。
ブーメラン大好き一刀さん
劇中で語られてない部分の補足ですが、劉表に関する噂話を集めたのは陳震です
彼女は他人の信用を得やすい見た目と人柄で、警戒されずに市井で情報を集める草の根諜報のエキスパートです(ただし本人は無自覚で単に噂話程度に話を聞いてるだけ)。
何気に宛の知識層にも顔が広いため、陳震はたった1日で劉表の噂をかなり集めてしまいました。
ちなみに陳震も劉表のターゲットになってました。
鄧家について行かなかったため、二重の意味で難を逃れましたが。