「――なるほど、話は大体わかった」
鄧艾の事情を聞き終えた一刀は、神妙な表情で頷いた。
なお年上の威厳を出そうと表面は澄まし顔で取り繕っているが、その胸中は大荒れである。
(荊州、州牧、劉表、皇族、清流派、宦官……聞き覚えがある単語だなと思ってたけど、これって三国志じゃないか? 偶然の一致で流すには、色々と符合しすぎてる……。もしそうだとしたら、ここは中国なのか? 異世界転移じゃなくてタイムスリップだった? だけど、萃香ははっきり異世界だって言ってたし……後で要相談だな。とりあえず今は鄧艾と話さないと)
「まずは鄧艾、辛い事を話させてしまってすまなかった。それと、俺たちを信用してくれてありがとう。鄧艾の事情については許可なく他言しない事を誓うよ。萃香もいいよな?」
同意を求めて萃香へと顔を向ける一刀。
「ん~いいよいいよどうでも~。人間の事情なんて元から興味ないし」
「興味ないって、それは流石にしつれ……」
放言を窘めようとした所で、一刀は萃香の異様な行動を目にして閉口した。
一刀の視線は萃香の口元に注がれている。
そこには小さな手に掴まれた大きな瓢箪があり、その先端は萃香の口元に咥えられていた。
一刀と鄧艾の見守る中、萃香はごっごっ、と嚥下の音を立てて瓢箪の中身を喉奥へ流し込む。
「……何してるんだ?」
「見てわかんない? 酒呑んでる」
瓢箪を口から放した萃香は答えて、プハァーと大きく息を吐いた。
「うっ、酒クサッ!?」
一歩後ずさって距離を取り、一刀は顔を顰めて片手で鼻を庇う。
その対面では鄧艾もまた手の袖で鼻先を遮り、臭気から身を守っている。
「あっはっは、だから酒だって言ったじゃん」
萃香は上機嫌でカラカラ笑い、再び瓢箪に口をつけて呷る。
そしてグビグビ、プハァーと酒精漂う息を吐くまでがセットだ。
非常に下品というかがさつな行為だが、萃香のそれは妙に様になっていた。
とはいえ、その乙女にあるまじき振る舞いに一刀の好感度はガタ落ちである。
「そうだけど、そうじゃなくて! なんでいま酒を飲み始めたんだ?」
「いやー長い話がまだ続きそうだからさぁ。私は特に言いたい事も聞きたい事もないから酒呑んでようかなって。あ、何なら一刀も呑む?」
どうぞとばかりに瓢箪の口を一刀に向けて突き出してくる萃香。
ぷん、と強いアルコールの匂いが漂い、一刀の嗅覚を刺激する。
一刀はうんざりした顔で手を横に振って申し出を断る。
「いや、いい……」
(なんというゴーイングマイウェイ。真面目な話をしてたのに雰囲気ぶち壊しだ。鄧艾が気を悪くしてないといいけど……)
恐る恐る一刀が顔を窺うと、鄧艾と目が合った。
鄧艾は一瞬、虚を突かれたように目を丸くし、微かに苦笑を浮かべる。
(良かった。とりあえず怒ってはいなさそうだな……)
と、一刀がひそかに安堵したのも束の間。
鄧艾は萃香へと向き直り、やや思い詰めたような顔で話しかける。
「あの、萃香さま。よろしければ一つお伺いしたい事があります」
萃香は一刀に相対したまま、顔だけ鄧艾へと向ける。
その表情は醒めており、やはり鄧艾に対して好意的でもなければ興味もさほど抱いてないように見えた。
「ふぅん? いいよ。言ってみなよ小娘」
「ありがとうございます。ではお尋ねしますが……萃香さまはなぜそんなにもお強いのですか?」
問われた萃香はピクリと一瞬動きを止め、僅かに目を細めた。
「また妙な事を知りたがるねぇ。もっと他に気にする事が色々あるだろうにさ。なぁ小娘……なぜ
質問に質問で返すのは無作法だが、萃香は自分に都合の悪い事は気にしない性格だ。
一刀もそこはスルーして、萃香の意見に同意する。
(そうだよな。俺たちの正体とか、どこから来たんだとか、まずはそういう話をするべきだと思うんだが。なぜ強いのかって、まあ子供らしい質問って言えばそうだけど……)
「それは――萃香さまを
「へぇ……」
鄧艾の回答が琴線に触れたのか。萃香は表情を消し、鄧艾へと向き直る。
「まさか小娘風情が
「お、おい萃香……!」
萃香が醸し出す剣呑な空気に危うさを感じ、制止の声をかける一刀。
しかし萃香は意に介さず、徐々に顔を凶相へと歪めてゆく。
一方で鄧艾は萃香の鬼気を浴びているにも関わらず、平然としている。
鄧艾の恐れ知らずな態度を見て、萃香は唇の端を曲げて小さく笑い……やがて破顔し哄笑する。
「クッ――アッハハハハ!! 賢しいねぇ小娘! だがその鋭さ、度胸、気に入ったよ! もう一度名乗るがいい小娘! 今度はオマエの名、しかと覚えてやろう!」
「! ……はいっ!」
萃香の啖呵を叩きつけられた鄧艾は勢いよく返事をして笑顔を咲かせた。
そして地に左膝をつけ、胸の前で左拳を右掌で包み、萃香に頭を垂れる。
それは拱手、あるいは抱拳礼と呼ばれる中国の伝統的な挨拶であった。
しかも鄧艾が取ったポーズは拱手の中でも上位者に対する敬礼に当たるものだ。
つまり鄧艾は萃香の傘下に入るという意思を態度で示したのである。
「私の名は鄧艾。字が士載、真名を
跪いて言上する鄧艾を見下ろし、萃香が満足げな顔で頷く。
「鄧艾、ね。よし覚えた。じゃあこっちもちゃんと名乗ろうか。――私こそは伊吹山の鬼にして大江山百鬼夜行の主! 酒呑童子こと伊吹萃香様さ!!」
「え……酒呑童子!?」
萃香の名乗りに大きな衝撃を受ける一刀。
なにせ酒呑童子と言えば日本人の大多数が知っているビッグネーム。一刀が驚くのも無理からぬ事である。
「鄧艾! オマエは一刀に続いて二人目の私の舎弟だぞ、いいな!」
「はいっ、萃香さま!」
「あれ、俺も?」
鄧艾は立ち上がり、頬を紅潮させて百合百合しい眼差しを萃香に向ける。一刀は困惑顔だ。舎弟云々もそうだが、萃香と鄧艾の急激な接近に頭がついていかないのである。
「萃香さま、私のことはどうぞ竜胆とお呼び下さいませ。萃香さまはこちらの風習に馴染みがないご様子なので申し上げますが、真名を捧げられた場合はそちらで呼ぶのが通常でございますれば。一刀さまもできればそのように」
「わかった。それなら竜胆だからリンって呼ぶよ。いいよね?」
真名の風習については知らずとも、鄧艾の言動から軽く扱ってよいものではなさそうだと察した一刀も問い返す。
「俺も構わないが……いいのか?」
「はい、構いません」
薄く微笑を浮かべながらしっかりと頷く鄧艾。
一時の気の迷いではないようだ、と一刀は納得する。
なお真名については後日に鄧艾に詳しく説明してもらい、この世界の常識として把握する事になる。
「よし。じゃあ私からも一つ。リン、その堅っ苦しい喋り方はやめなよ。私はお前の姉貴分であって主じゃない。過剰な敬意はいらないよ。息苦しいし」
言って、萃香は瓢箪に口をつけてグビリと呷る。
そんな萃香の不謹慎な態度を、「少しは砕けろ」という遠回しな意思表示だと鄧艾は受け取った。
「わかりました。では、お姉さまとお呼びしても?」
「お姉さま、ねぇ……なんか微妙に背が寒くなる呼び方だなあ。でもまぁいいよ。どうせそのうち慣れるし」
「良かった。では、一刀さまの事もお兄さまとお呼びしますね」
「別にいいけど、俺には許可求めないのな……」
扱いに明確な上下差をつける辺り、実はかなり強かな少女なのではないか? 一刀は訝しんだ。
鄧艾は一刀の不平をにっこり笑ってスルー。
やはり一筋縄ではいかなさそうだと悟った一刀は嘆息して天を仰いだ。
林道で出会った竜胆……
ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル