セカンドールマスターー育成者とドールのイロモノシリーズー 作:御舘雅盛
「そうか。ブリザーエーデルがのう。……いまのうちじゃな」
「ヨッピガルムとブリザーエーデル。次、――」
「ふ~ん。私の相方はヨッピガルム、3万の男か。……ちょうどいい機会ね、私の実力見せつけてあげるわ」
その館の一画。
「……し、しかし……主の許しなく、そのような事は……」
「お主の意見は聞いておらぬ。……お主も妻子が居ろう。良いのか? 妻子がどのようになっても。……もう一度だけ訊ねる。やるのか、やらないのか?」
「……承知いたしました。……お館様、申し訳ございません」
血に染まり倒れ伏す男の肉隗。それを見下ろしつつ――。
「……覚悟するがいい。この迷宮がお主の墓場じゃ」
血に染まった短剣を拭い歩き出す男。
迷宮に仕掛けられた悪意ある無数の罠の存在を、迷宮に挑む者達は知らなかった。
迷宮にて
迷宮にて:1
何となく嫌な予感はしていたのだ。
いつの間にか分岐路がなくなっていつまでも単調な通路が続いていたことも、両脇の石壁に何かが擦れたような痕があったことも、通路が微妙に傾斜していることも、もっとも注意しなくてはならないものは何なのかということも、彼女は全て解っていた。
『彼女は』解っていたのだ。そう、『彼女は』解っていた。
彼女は注意していた。壁に、地面にどこか様子の違うところはないか。
注意していたから、見つけることができた。わずかに変色した地面の四角い部分を。埃に隠されたそのまわりの継ぎ目を。
しかし、次の瞬間、彼女の物でない足がそれを踏んでいた。変色した四角は足にかけられた体重によって、まわりの地面よりも拳一つ沈み――。
通路の向こうで、何かが外れるような音がした。次いで、遠雷のようなかすかな音。遠雷はやがて迅雷へと変わり、その音の主は巨大な姿を現していた。
――そのときは既に、彼女は逆方向へと全力疾走していたが。
「信じられない! どうしてあんな見え見えの罠に引っかかるのよ!?」
「……そんなこと言われても俺に魔術適性はない」
「魔術適性云々の問題じゃないわよ!」
罠発動の契機を作った張本人である少年へと怒鳴り散らしてみるが、それで背後から転がってくる大岩が止まってくれるわけでもない。それだけのエネルギーがあるのなら足にまわした方がいいとは理解している。理解しているが、怒鳴らずにはいられない。
全力で走りながらも、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。もう一度怒鳴ろうとしたが、それをぐっとこらえた。大岩との距離は徐々に詰まってきている。このままでは分岐路につく前に潰されてしまう可能性が高い。
走る速さは緩めずに、口の中で呪文を唱え始めた。当然だが、ものすごく苦しい。基礎体力の訓練は怠っていないとはいえ、既に大分息も上がっている。
――ええい、苦しくない! 息ぐらいできなくても死なない!
無茶苦茶な論理で自分自身を押さえ込んで、何とか呪文を完成させた。
振り向くと、既に大岩はすぐそこまで肉薄している。全力で回転させていた足を止めると、大岩へと向き直り、両手を突き出した。その両手が転がってくる大岩に触れる直前、呪文を発動させる。
視界が白く染まり、身体全体に爆風と衝撃を感じた。一瞬重力から解放され、再びそれに捕らわれて地面へと墜落する。なぜか痛みはそれほどなかった。
閉じていた目を開けると、そこには黒こげになった通路、そして粉々に砕けた大岩の欠片が無数に転がっていた。
「ふう……何とか助かったわ。しのぶさんの特別授業が役に立つとは思わなかったわ……」
やや呆然とした表情で呟く。命が助かると、こんな危険な――一歩間違えば死につながるような罠を設置した主への怒りが湧いてくる。しかし、その怒りをぶつけるべき相手は今は近くにいない。とりあえず手頃なところで済ませようと辺りを見回す。
しかし、彼女の求める少年の姿は見つからなかった。
「あれ? 死んじゃったのかな、ヨッピガルム」
まあそれならそれでいいか、などと思いながら軽く呟くと、不意に腰の下で何かが動いた。
そういえば、なんだか先ほどからうめき声が聞こえていたような気もする。何となく石の天井を見上げ、そこに規則正しく並べられた石煉瓦しか見えないのを確認すると、それから下へと視線を向けた。
「……重い。どいてくれ」
「……何やってんの? そんなとこで」
「……お前のクッション代わり」
爆風で飛ばされた際に下敷きにしてしまったらしい。立ち上がると、なぜかより爆心地に近かったはずの彼女よりもぼろぼろになっている少年も、よろよろと立ち上がった。
「……随分と荒っぽいことするよなぁ」
その声には、多分に非難の調子も含まれていた。だが、彼女に言わせればそもそもあんな罠を発動させたのはこの少年なのだ。自分が非難されるいわれはない。それをこの少年に思い知らせてやろうと思い、とりあえず蹴り飛ばす。
顔面から地面と仲良くなった少年が起こしかけた頭を上から踏みつけ言い聞かせる。
「い・い? そもそもあなたが、あんな子供だましの罠に引っかかるからいけないのよ。余分な精神力使わせて! おまけに命まで助けてもらって、何よその言いぐさは! 感謝するのならともかく、文句を言おうなんて500兆億万年早いのよ! 解った!?」
「そ、そんな数字はないだろ……」
反論しかけた少年の頭を踏みつける。
「わ・か・っ・た!?」
「解った……」
少年が諦念を交え呟くと、ようやく彼女は満足したように足を離した。
「まったく……いつもこうなんだから。どうしてこんなにくじ運が悪いんだろう……」
先を急ぐ彼女。
●○●○●
ドールを目指す者は必ずどこかの育成者の下に所属しなければならない。大陸中から帝都に集ったドール達は入家試験を受ける。
入家試験自体はそれほど難しくはない。基礎的な筆記試験と実技試験のみである。筆記試験は基礎知識を問う物であり、実技試験に至っては、落ちるぐらいなら何年修行しようとドールになるのは無理だという位のレベルである。
そのため入家だけならば、誰でもできる。
だが、そこからは容易ではない。その証拠として、毎年のように育成者の下を去るドールがいる。育成者の下を門家という形で去ることのできるのは毎年ごく僅かである。
終身保証という制度はないため、一定の基準を満たさない者は、いかなる理由があろうとも育成者の下を去らなくてはならない。
当然育成者は自らのドールを鍛えようと様々な訓練を行う。
ある育成者は毎年変わらない訓練を行っていた。
『二人一組となって迷宮へと入り、その最深部にある証を取って戻ってこなければならない』
という、二人のドールを同時に鍛える事が出来、尚且つシンプルといえばシンプルな訓練方法である。この訓練は他の訓練に比べればさほど経費もかからなかった。
その育成者の家の地下に作られた巨大な迷宮に、今ブリザーエーデルはいるのだった。
その隣で今まで通ってきた道をわざわざマッピングしているのは、くじで決められた彼女より1期上のパートナー、ヨッピガルムである。
1期上とはいってもデビューは彼女の方が早い。だが、目付け額は彼の方が遥かに上だった。そんな少年が相手だと知って、自分の実力を見せつけてやろうかという子供じみた顕示欲もあった。
しかし、実際に共に行動してみて、そんな思いは微塵にうち砕かれた。
――見せつける必要もない程であったのだ。
まったく魔術適性のないヨッピガルムにさんざん足を引っ張られながらも、なんとか地下12階まで降りてきた。たしか証は地下15階にあるはずである。
「もう少しだな」
「そうね。これでやっとあなたとも縁が切れるかと思うとせいせいするわ。大会では無差別戦以外顔を合わせないし」
ブリザーエーデルとしてはかなり本気で言ったのだが、ヨッピガルムは少し苦笑しただけだった。ただの冗談だとでも思っているのかも知れない。
迷宮は主に、いくつかの部屋とそれを結ぶ通路で構成されているようだった。壁と天井は石だが、床だけは土になっている。おそらくは外から運び込まれたものだろう土の感触を足の裏に感じながら、ブリザーエーデルは軽く歩いていた。
大岩のトラップで死にかけて以来、特にこれといった罠もなく、行く手を阻む魔法生物も出てこない。適度な緊張感は保ちつつも、やはり多少は気も緩む。そうなると、無駄口を叩きたくもなった。
「それにしても、なんで貴方みたいなのと組になっちゃったのかしら……私一人だったら簡単だったのに……」
「……俺も一人の方が良かったよ。こき使われないもの……な」
呟くヨッピガルムを睨みつけるブリザーエーデル。
「だいたい貴方は、自惚れ過ぎるのよ。もっと謙虚になればいいのに」
ブリザーエーデルは嘆息した。
人差し指を立ててなおも説教を続けようとした瞬間、ヨッピガルムの姿がかき消えていた。思わず周囲を見回すが、ヨッピガルムはおろか生物の気配すらない。
「ヨッピガルム……?」
小さな声で名前を呼びながらも、ブリザーエーデルはやや身を沈めて臨戦態勢をとる。頭の中で幾つかの呪文が思い浮かぶ。状況に合わせて最も的確な呪文を選べるように集中しながら、彼女は慎重に気配を探った。
背後でかすかな音がする。そちらに向き直ろうとした時、本能的に危険を察知し、ブリザーエーデルは倒れ込むように身をかわした。その頬をかすかな衝撃がかする。
『矢……!?』
それは音がした方とは反対から飛んできた。ブリザーエーデルは地面に伏せたまま、矢の飛んできた方へと狙いを定めて呪文を唱えた。
「光よ 集え 光塊となり 我が指し示す方位を駆逐せよ」
ほとんど時間もかけずに<雷鋼弾>の呪文が完成する。彼女の手から放たれた光弾は、真っ直ぐに闇へと吸い込まれていった。光弾が目標に命中し、炸裂した瞬間、膨れ上がった光に目標の姿が映し出された。
『ヨッピガルム!?』
闇の中、一瞬浮かび上がったその姿はヨッピガルムだった。
『どういうこと……?』
考える暇もなく、体勢を立て直したのか二発目の矢が飛んでくる。ブリザーエーデルは手の中に光球を作り出すと、矢をよけながらそれであたりを照らした。弓と矢をその手に持ったヨッピガルムの姿が、光の中に晒される。
自分の姿が見えていることなど気にした様子もなく、ヨッピガルムは次の矢を弓につがえていた。濁った瞳からはいかなる感情の色も読みとれない。どうやら、何者かに操られているようである。
次々と飛んでくる矢を軽い身のこなしでかわしながら、ブリザーエーデルはこの状況の打開案を考えていた。ヨッピガルムの体を可能な限り傷つけずに、戦闘能力を奪う方法。
それを必死に考えていると、唐突に胸中に怒りがこみ上げてきた。
冷静に考えてみれば、捕まったのも操られたのもヨッピガルム自身の責任である。なにも彼女が尻拭いをしてやることはない。しかも、ヨッピガルムにはこの迷宮に入ってからというもの迷惑のかけられ通しである。
「そうよ……別に手加減してやる必要はないわよね。……そっちがその気なら、思い切りぶっ飛ばしてやるから!」
ブリザーエーデルは再び呪文を唱えだした。先ほどの<雷鋼弾>よりもレベルも高く、威力もはるかに高い魔法である。
「光よ 力を解放せよ 永久の闇を切り裂き 我を妨げる陰を飲み込む光となり 彼の敵を滅すべし <閃光矢>」
ヨッピガルムが次の攻撃のために矢を弓につがえた瞬間、彼女の声に応えるように、燦然たる輝きを持つ光が彼女の目の前に降り注ぐ。死なないぐらいには威力をセーブしてあるため、普段よりもかなり小さめの閃光である。それでも、破壊の魔法であることに変わりはない。
閃光を放ち終えたブリザーエーデルは光が和らぐのを待ち、ぼろぼろになって倒れているはずのヨッピガルムを回収するために足を前に進めた。
だが、ヨッピガルムの立っていたあたりに行っても何も見当たらない。まさかあの攻撃をかわせたとも思えない。確かに手応えはあった。それにもかかわらず、そこに転がっているはずのヨッピガルムの姿がない。
「……どういうこと……?」
口元に指を当てて独りごちる。何かヨッピガルムのものでも残っていないかとあたりを探るが、何も出てこない。
眉間にしわを寄せて考え込んだ彼女は、やがて一つの結論に達した。
「幻覚、か……ずいぶんと手の込んだことしてくれるわね」
振り向いてみれば、先ほどまでヨッピガルムが乱射していたはずの矢も一本も残ってはいない。何らかの方法でヨッピガルムとブリザーエーデルを引き離し、作り出したヨッピガルムの幻影にブリザーエーデルを襲わせたのだ。そうなると、ヨッピガルムの方も幻影のブリザーエーデルに襲われている可能性が高い。
幻影といっても馬鹿にはできない。ブリザーエーデルに気配を感じさせるほどの高度な幻覚ともなれば、攻撃されたと思いこませるだけでも相手を死に至らしめる場合もある。そこまでいかなくても、斬りつける剣と流れ出る血の幻覚でも見せてやれば、それが幻覚だと気づかない限り大概の人間は自分が死んだと思いこみ、戦闘不能に陥るだろう。
「さて、と……」
ブリザーエーデルは服の埃を払い、あごに細い指先を添えた。
こうなったら、とりあえずはヨッピガルムを探さなくてはならない。別に見捨ててもいいのだが、試験前に『二人一緒に帰ってこないと保有称号を育成者連盟に返上させる』と念を押されているのだ。返上の挙句、門家にもなれず追放などという屈辱は何があっても避けなければならなかった。
「まったく猪突猛進の猪ヨッピは! 迷惑ばっかりかけるんだから!」
毒づきながら壁を蹴飛ばしたとき、どこからか視線を感じた。
慌てて辺りを見回すが、そこには何者の気配もない。視線を感じたと思ったのも一瞬のことで、あるいは単なる錯覚だったのかも知れない。
しかし、その錯覚のせいで、彼女は気づいてしまった。
ここが光の届かない暗闇であること。その暗闇にたった独りで取り残されてしまったこと。
『嫌だな……』
無意識のうちに自分の体に腕をまわす。寒いわけではないが、遠い記憶の底からわき出し続ける不安と恐怖がブリザーエーデルを苛んでいた。
ブリザーエーデルは舌打ちし、闇と一緒にそれを追い払ってしまおうとばかりに、手の中に必要以上に明るい光球を作り出した。あたりは光に照らし出されたが、そうすると余計に通路の先に見える暗闇と風の音すらしない静けさが染み込んでくる。
力無く首を振るブリザーエーデル。
この暗闇と静寂は嫌だったが、それ以上にそんなものに振り回されている自分が嫌だった。たかが、幼い頃の記憶に。
――たかが、母親の死の記憶に。
<
●○●○●
「やめろ、ブリザーエーデル!」
少年の制止の声もむなしく、少女は剣を振るい続ける。
その鋭い剣戟をどれも紙一重でかわしながら、ヨッピガルムは必至にブリザーエーデルに呼びかけている。
突然あたりの風景が変わり、ブリザーエーデルがいつの間にか手に持っていた長剣で斬りつけてきたのである。
事態が飲み込めず、とにかく次々と繰り出される剣から自らを守るため、必至に身をかわすヨッピガルム。目の前の少女の目には、明らかに尋常ではない光が宿っている。
『まさか……操られているのか!?』
そう考えている間も、ブリザーエーデルは剣を振るい続けている。耳元を掠る長剣の空を切る音に戦慄しながらも、ヨッピガルムは覚悟を決めた。
「済まん、ブリザーエーデル!」
鋭く喉を狙った彼女の剣をかわし、その腹の辺りに狙いを定め、沈墜勁――体全体の重心を落とした結果発生する、踏み込み時の加重で石畳をへこませるほどの力――を放つ。
次の瞬間ヨッピガルムの身体はブリザーエーデルをすり抜けていた。
「……幻覚か!?」
ようやくそこに考えが行き当たる。
彼女と剣の存在感はまさに現実のものであり、とても幻覚とは思えなかったが、ヨッピガルムの叫びと同時に形を崩し、空気にとけ込むように消えていった。幻覚と見破られた幻覚は消滅するしかない。
ヨッピガルムは呆然とした面持ちのまま立ち上がった。本物と全く見分けがつかないほど精巧な幻覚だった。あの幻の剣に斬られていれば、まず自分は戦闘不能に陥っていただろう。烈破以上の称号を持つ魔法使いならば幻覚で人を殺すこともできるという話を思い出した。
今更ながらに背筋を冷や汗がしたたり落ちる。思わず首をすくめると、本物のブリザーエーデルはどこに行ったのかということに気が付いた。
周囲を見回してみるが、見覚えのある風景ではない。迷宮の中の風景など、どこも同じようなものだが、それでも今まで通ってきた場所ではないように思えた。
「さて、どうするか……」
頭をかきながら独りごちた。はぐれたブリザーエーデルも心配だが、彼女ならば大抵の事態は独力で切り抜けられるだろうと思った。そうなると、向こうも自分のことを捜しているだろう。
自分も彼女を捜して動くべきか、彼女が見つけてくれるのをここで待つべきか、ヨッピガルムは悩んだ。
今までのブリザーエーデルの態度から考えれば探してくれない可能性も充分にあったが、二人一緒でないと称号を返上するという約定があるため、おそらく不承不承ながらも探してはくれるだろう。見つけてくれるかどうかは別として。
しばらく悩んでそこに立ち尽くしていると、目の前のT字路の右の方から、僅かに魔法による光が漏れて来た。
「ブリザーエーデルか?」
「あ、こんなところに居たの? もう置いてっちゃおうかと思ったわよ、ヨッピガルム」
角の向こうから、彼女の声が聞こえてくる。
少し安心したような声に聞こえるのは、はたして自惚れだろうか。
とにかくヨッピガルムは、安堵の息をつきながら彼女の見える位置まで移動した。
そして、眩いばかりの光の中にブリザーエーデルの姿を見いだした。
――その後ろで大剣を振りかぶる骸骨の姿も。
「危ない! ブリザー」
「え?」
叫んでブリザーエーデルの方へと踏み出すのと同時、骸骨から振り下ろされる大剣。
「――――!」
声にならない悲鳴を上げるブリザーエーデル。ヨッピガルムの声に反応して身を交した為、紙一重で剣をかわすことはできたが体を掠めていった死の気配に戦慄して、一瞬動きが止まる。
骸骨はその筋肉のない姿からは想像もつかないほどの速さで剣を振りかぶった。虚ろな眼窩の奥から、かすかな魔法の光がブリザーエーデルを見つめている。
「あ……」
逃げなくてはならない。それはわかっている。しかし、足が動かない。
懸命に自分を叱咤するが、それでも一度すくんだ足はなかなか動き出してはくれない。すぐ脇を通り抜けていった死が、再び引き返してくるのを感じた。
骸骨が再び剣を振り下ろそうとした瞬間、頭の中で死のイメージが爆発する。
暗くて狭い、牢獄のような部屋。天井からぶら下がる体。喜び。期待。驚愕。理解。悲しみ。絶望。消滅――
「――!」
少しでも死から遠ざかろうかとするように、両手で頭を守った。大剣の前にそれが全く意味を持たないことを知りながらも、必死に手をかざす。
死を受け入れるためではなく、死から逃避するために目をつぶる。闇に閉ざされた世界の中、全身を強張らせその気配に怯える。
――だが、死は彼女には訪れなかった。
恐る恐る目を開けると、目の前には背中があった。自分のものよりも少し大きく、やや鈍角的な背中。
前に立ちふさがって骸骨の大剣を両手ではさむように受け止めているヨッピガルムが振り向く。
「大丈夫か? ……危ないところだったな」
その場に座り込むブリザーエーデル。
頭が混乱から正常へと戻ってくると、たった今自分の見せた醜態に気が付く。死の恐怖に囚われて、あんな馬鹿馬鹿しい幻覚まで見てしまった自分の弱い心が心底恨めしかった。何よりも、それをこの少年に全部見られていたという事実に顔が熱くなる。
「ハッ!」
ヨッピガルムは大剣を両手に持ったまま、その手をひねるようにして骸骨を投げ飛ばす。それほど遠くに飛んだわけではないが、バランスを崩して地面に倒れたので、少しは時間を稼げるだろう。
「……立てるか?」
「大丈夫……」
口ではそういったものの、どうやら腰が抜けてしまったらしく立ち上がることができない。これ以上ヨッピガルムに屈辱的な姿を見られたくないと思い、必死に両手で地面を打つが、何の効果もない。
見かねたヨッピガルムが手を差し出すが、それを握ろうとはしない。意地でも自力で立ち上がらなくてはならない。力の入らない下半身を胸中で叱咤するが、それで動くわけでもない。
そうこうしている間にも骸骨は立ち上がったようだった。
ブリザーエーデルの心に焦りが生まれる。必死に何とか立ち上がろうと力を込めるが、まるで自分のものでなくなってしまったかのように腰から下が動かない。
「……」
突然、体が浮かび上がった。ヨッピガルムに抱きかかえられたのだと気づき、先ほどまでとは少し違った意味で顔が赤らむ。
「ちょっと! 何する……」
ブリザーエーデルの抗議は最後まで言い終わらなかった。
彼女の体を抱きかかえたまま、ヨッピガルムが跳躍する。その後を追いかけるように骸骨の剣が振り下ろされる。
標的を失った大剣は地面に穴を穿った。それでも再び淀みのない動作で持ち上がり、ブリザーエーデルを抱いたままのヨッピガルムに狙いを定める。
「呪文を!」
「……らめ」
腕の中から聞こえてきた意味不明な言葉に、思わずヨッピガルムが顔を覗き込む。ブリザーエーデルはその紫の瞳に涙をため、口元を押さえている。
「ひは、はんひゃ……あなはがひゅうにほぶふはら……」
「何ぃ!」
驚きの声を上げるのと同時、再度骸骨の剣戟が繰り出される。またもそれを何とかかわしながら、ヨッピガルムは必死に語りかけていた。
「舌噛んだって……どうにかならんのか!?」
もちろん、それが無理なことは日頃の訓練を見ているヨッピガルムにも解っている。全ての魔術流派における『力』の行使の中で最も重要なのは混沌言語による呪の詠唱である。この呪文をどれだけ正確に速く唱えられるかということが、最も解りやすい魔術ドールの実力のバロメータのひとつである。魔道伝説リィズと魔術王バリアイエローの実力の差もここにある。力ではバリアイエローが上回っていたが、呪文を速く正確に唱えるという点ではリィズに一日の長があったのだ。
舌を噛んだ状態で呪文詠唱などしようものなら、具現した力が暴走し、とんでもない結果となるのは火を見るより明らかであった。
「あなははなんほかひなはひよ……」
双眸に涙を浮かべたままブリザーエーデルが言う。
「……無理だ。俺の力では、魔法はまったく使えない」
「はほうははへはらほはほふゅひゃんほはんはへなふゃひ! あなはははんほはひなふゃ、ははひはひひんひゃうのほ! ほんなほひほほ、ひひんをほひなはひひょ!」
「あ、ああ……」
大剣を持ったままこちらに歩み寄ってくる骸骨を睨み、気を練る。焦りの為に気が集わない。
骸骨が目前に迫ったとき、気が練られた。迫っている骸骨に両手を向けて気を放つ。
「秘拳・刹活!」
……沈黙があたりを支配し、感情の宿らない瞳で見つめながら、骸骨が無慈悲に大剣を振りかぶる。
「やはり無理だったかぁぁ!」
「……ほのははぁぁ!」
間一髪でその一撃をかわし、ブリザーエーデルを抱きかかえたまま全力で走る。後ろでは、骸骨が地面にめり込んだ剣を力任せに引き抜く音が聞こえた。
そして、そのまま走って追いかけてくる。一歩歩くごとに骨がぶつかり合って奇妙な不協和音を奏でた。
背後を気にしながらも、迷宮の折れ曲がった通路を必死に走り続ける。途中に現れた分岐路は全て勘で進んだ。
しかし、いくら体重の軽い少女とはいえ、人一人を抱いているのではスピードも遅くなるし、体力の消耗も激しい。さすがにヨッピガルムも息が上がりつつあった。
「くそ!」
背後から聞こえる骸骨の歩く音は、徐々に距離を詰めてきている。止まるわけにはいかない。止まったら殺される……
「ヨッピ、降ろして!」
角を右折したとき、今まで沈黙を保っていたブリザーエーデルが不意に叫んだ。反射的にその命令に従い、彼女を床に降ろすヨッピガルム。ブリザーエーデルは床に片膝をつくと、右手を頭上に高く掲げた。そのまま、左手を右手に重ねる。頭上で組み合った両手を伸ばしたまま徐々に下ろし、顔の前で動作を止め、呪文の詠唱を始める。
「風よ 大地の底へ誘う蒼き回廊を築け 冥界を支える冥鬼の剣と化し 滅びの刃を振るうべし!<蒼嵐地獄>」
ブリザーエーデルの手から放たれた蒼い突風が骸骨を襲う。かまわずこちらに進もうとする骸骨が少しづつ砕け始める。足から腰へ無数の罅割れが走る。罅割れていない腕を振り上げようとした瞬間、鈍い音とともに腕が中ほどで砕ける。やがて、ブリザーエーデルの唱えた<蒼嵐地獄>の呪文が完全に終わると、そこには無数の骨片と化した骸骨の残骸が残っていた。
「ふう……」
思わず安堵の息をもらすブリザーエーデル。
後ろを振り向くと、ヨッピガルムが壁にもたれるようにして立っていた。その顔には、惜しむことのない賞賛の色が浮かんでいる。
「さすが、ブリザーエーデル。凄い威力だな……」
「…………」
その問にブリザーエーデルは答えず、静かにその顔を見つめていた。
その様子を不自然に思ったのか、ヨッピガルムが不思議そうな表情で、
「……どうした?」
ブリザーエーデルはなおも無言だった。ただ、じっとヨッピガルムの顔を見つめている。その視線に居心地が悪そうに体をもじつかせるヨッピガルムを見つめて、ブリザーエーデルが静かに口を開く。
「あなたの方がすごいでしょ。……御父様の血を充分に受け継いでいるじゃない。貴方には勝てないわよ」
その言葉は、充分にヨッピガルムの虚を突いた。ヨッピガルムは少し虚空を眺めるようにし、思い出しながらブリザーエーデルに言う。
「……ブリザーエーデルは……がんばってるじゃないか。その姿勢は俺には真似できない」
今度は、ブリザーエーデルが虚を突かれた。はっと顔を上げ、まじまじとヨッピガルムを見つめる。その強い視線から逃げるように壁を見つめながら、ヨッピガルムは続けた。
「何時だったかな、寝苦しくなって夜中に起きた事があったんだ。窓から中庭を見たら、その片隅で、微かな光を見つけたんだ。瞬くように灯り、ふっとすぐ消える。そして、しばらくするとまた現れ、同じようにすぐ消えた。……てっきり侵入者だと思ってな。……それで、気配を消して近づいたんだ」
見えたのは、一人の少女だった。中庭の片隅で、人の目に触れないように深夜に独り魔法の練習を続ける、金髪の少女。
「……練習の時も一人でいたから気にはしていたんだ。街で色々と嫌な噂も聞いていたしな、ただ、それ以来噂で聞いたような才能の上にあぐらをかいてるような奴じゃないんだなって思った。……才能もすごいが他人より何倍も努力してるんだって解ったんだ。それ以来かな、正直、もう辞めようかと考えたときもブリザーエーデルの姿を見てると、頑張らないとな、なんてな……」
ヨッピガルムが次の言葉を探そうとしていると、ブリザーエーデルは無表情にうつむいた。
「……見ていたんだ……」
「悪かったな、覗きみたいな真似しちまって……」
「……気にしていないから。貴方が悪い訳じゃないから」
「え?」
予想外に穏やかなブリザーエーデルの反応に、困惑するヨッピガルム。そんな彼にはかまわず、ブリザーエーデルは立ち上がって歩き出す――その後ろ姿は、どこかひどく寂しげで、まるで傷ついているかのようにも見えたが。
慌てて後を追うヨッピガルムだが何も言うべき言葉が見つからない。
暫しの間、不自然な沈黙が流れた。
「…………済まん」
「なんで謝るの?」
「いや……なんか、元気ないから……悪いこと言ったかなって思ってな……」
ブリザーエーデルは呆れたような目でパートナーを見つめた。
「…………」
「な、なんだよ」
戸惑うヨッピガルム。それを見て微笑を漏らすブリザーエーデル。
「……別に。貴方らしいかなって」
「は?」
言ってることがよく理解できずに間抜けな声を上げるヨッピガルム。
ブリザーエーデルはそのまま歩を進める。
「何なんだ?」
釈然としないまま後を追うヨッピガルム。
「……悪いのは私だから……」
そう呟いたブリザーエーデルの姿をヨッピガルムは知る由もなかった。