セカンドールマスターー育成者とドールのイロモノシリーズー 作:御舘雅盛
夕暮れの噴水。
そこに彼女は佇んでいた。
しなやかそうな手足を伸ばし、いかにも勝気そうな彼女。
けれど……その横顔には寂しげな表情が揺れて……。
「……ネイシングル」
こちらを向く彼女。だが、その顔からその表情は消えていない……。
「……あっ……」
「……ひょっとして」
何も言わずただ此方を見つめる彼女。
「……待っていた?」
「……うん」
噴水を見下ろすベンチに腰を下ろす。
ゆっくりと流れる時間。
「……謝ろうと思って」
彼女がポツリと話す。
「……」
「この前の事」
ネイシングルは、ベンチに座ったままじっと下を向いて話していた……。
「うん……」
「でも…………行けなかった。あなたの所」
「うん……」
「だから……ずっと待ってた。…………きっと来てくれるような気がしていたから」
「そうか……」
二人は此処で出会った。
アルティシアさんに言われ、真っ先に考えた場所がここだった。
だから……。
……そんなことは言う必要がない、言わないでもわかる筈だから……黙って彼女の隣に腰を下ろした。
「……ネイシングル」
彼女は膝を抱え、背中を丸めている。
夕日に照らされたその姿はいつもより一回りも二回りも小さく見えた。
「……怪我したの……黙っていてごめんなさい」
「いいよ。もう、気にしてないから」
「でも、ごめんなさい。言わないと気が済まないから」
微かに震える声。
「ごめんなさい……ピッコニード」
重ねられる謝罪の言葉。
しかし、ネイシングルの目は伏せられたままで、此方を見ようとはしなかった。
「……ネイシングル」
そのまま暫らく時が流れた。
「……逃げてきたんだ」
唐突にネイシングルが話し始めた。
「……いつか言ったよね。超刃拳になるのが夢だって」
「うん……」
「……9月の三力祭」
「うん」
「あそこの格闘部門で優勝すれば、11月の武闘大賞典と次大会期の闘神列伝前哨戦に出して貰えるの。今期の闘神列伝とオーディン記念で優勝できたから。……11月の武闘大賞典、そして闘神列伝前哨戦で優勝して、そしてオーディン記念と闘神列伝でもう一度優勝する……目標に一歩近づける好機だった。……でも聖母神伝で私は大きな怪我をした……」
目を閉じるネイシングル。
その時の光景を思い出しているのだろうか。
「必死に戦って、何とか優勝できた。……でもその時には私はもう……戦えなかった」
「……」
「他の怪我が治っても、足が思うように動かなかった。……悔しかった、ここまで来てって」
俯くネイシングル。
「何度も何度も自分の足を叩いたわ。動け、動け……ここまで来たのにって」
膝を抱え込む腕が震える。
「ここにはね、逃げてきたんだ。……あそこには居られなかった。皆が気を遣って腫れ物を扱うみたいに心配するの。……それが辛かった。戦えない私には、何もなかったから」
「……ネイシングル」
ネイシングルがゆっくりと首を振り、僕を見た。
「でも、今はもう、平気……。思い出したから、最初の気持ち」
「最初の気持ち……」
「うん。一番最初の……入家したときの気持ち」
そういって僕を見つめるネイシングル。
「見よう見まねで刃引きした剣を構えて、皆で……。それだけで楽しかったあの頃の気持ち。……あなたのおかげよ」
「僕の……?」
「うん。……本当に楽しかった。最後は喧嘩になっちゃったけど、……でもおかげで決心がついたわ」
「決心……?」
「うん。やっぱり逃げてても駄目だって。言ったわよね、私。誰にも何もして欲しくないって。……その通りだと思う。そうじゃないといけないと思う」
自分に言い聞かせるように、ネイシングルは自らの決心を話しつづける。
「私の夢なんだもの。誰かを頼りにしていちゃ駄目だよね、甘えていちゃ……ひとりで頑張らなくちゃ」
決意を固めるように一言、一言、ゆっくりと……。
「ピッコニード……私、帝都に帰るわ」
「ネイシングル……」
「うん……」
小さく頷くネイシングル。
その口元には決意がある。
「ここに来て良かった。あなたに会えてよかった……。いい休暇だったわ………」
「……」
「ありがとう、ピッコニード」
微かな笑みを彼女は浮かべた。
「……ネイシングル」
「もう行かなきゃ」
夕陽の色に染まるネイシングルの横顔。
そこには決意があった。
しかし、そこにはそれと同じくらい、彼女の決意と同じくらいの……。
「待てよ。ネイシングル」
決意と同じだけの寂しさが溢れていた。
「え?」
その言葉に、ネイシングルが振り向く。
「待てよ」
その言葉を繰り返した。
思わず口をついて出た言葉だった。普段なら言わない言葉だった。
何故そんなことを言ったのか、自分でもわからない。
「本当にいいのか?」
「……何が?」
ネイシングルが僕を見つめる。
何を言いたいのかわからない。といった様子だった。
自分自身、何を言おうとしているのか、解らないまま話し続ける。
「それで、構わないのか?」
今もネイシングルの横顔に湛えられ、彼女が決意を語った時ですら消える事のなかった寂しさが、何かを訴えかけているような気がした。
――ネイシングルをこのまま行かせてはならない。
そんな言葉が脳裏にうかぶ。
「何で……そんな事言うの?」
ネイシングルはその『何か』を飲み込もうとしている。
その『何か』を押し殺したまま行こうとしている。
『……ひとりで頑張らなくちゃ』
ネイシングルはそう言った。
今、このまま行かせたら、ネイシングルは、彼女は本当に『独り』になってしまう。家門に帰って、育成者と一緒に、執事と一緒に、門家と、仲間達と一緒にいても、彼女は『独り』になってしまう……。
「ネイシングル……」
「なに、よ……」
「行くなよ、ネイシングル」
「えっ……」
「行っちゃ駄目だ」
「どうして……?」
ネイシングルが訝しげに見据える。
「何言ってるの? ピッコニード……」
「なぁ……。ここに逃げてきたって言ってたよな……」
「うん……」
彼女は言っていた。
ここには逃げてきたと。
そして逃げては駄目だと気付いたと。
しかし……。
「僕には……ネイシングルが、今ここから逃げ出しているように見える……」
「……っ!」
目を見開いて言葉を失うネイシングルに、続けた。
「ここから、じゃないかもしれない。……もしかしたら、君は、君は自分自身から逃げ出そうとしているんじゃないか?」
「……っ!」
こちらを睨む様に彼女が振り向いてくる。
「そんな気がするんだ……」
ネイシングルの眼に力が篭る。
でも僕には……幼子が道に迷って泣いていて、でも無理をして強がっている。そんな眼にしか見えなかった。
「何よ……」
「ネイシングル……」
「何よ、勝手に……解ったような事言って……私は、戦わなきゃいけないの……こんな所で時間を無駄になんか出来ないの」
搾り出すように呟くネイシングルの声が、少しづつ大きなものになっていく。
「こんな所で暇を持て余しているあなたと……あなたと遊んでいる時間なんてないの!」
「……やっぱり、君は……」
そうやって、一人で抱え込んで、自分を鎧って、今まで生きて来たのか……?
……弦を張りっぱなしの楽器はいつか壊れる。ネイシングル……無理しすぎだよ。
「何がやっぱりよ。もうたくさん! 関係ないでしょ、あなたなんかに!」
ネイシングルは怒りに任せ、この前と同じように尖った言葉をぶつけて来る。
……不思議なほど冷静だった。冷静に、今の自分が彼女に出来る事を探していた。
今、僕にできること……。
「放っといてよ、邪魔しないで! 私は戦わなきゃいけないの。戦って、優勝して……。それ以外は要らないの! そのために私は戦ってきたの。……これからだって!」
「……だったら……」
「……何よ?」
「だったら仕合ってみろよ、ネイシングル。ここで仕合ってみろよ」
「え……?」
「賭けているんだろ? 三力祭に。……仕合ってみろよ、俺と。見せてくれよ、君の戦いを。……俺と仕合って勝てたら、俺はここから消える。……さぁ、仕合ってみろよ」
「……」
ネイシングルは頭を巡らし、足元の石畳を見やった。
「……戦えるんだろ? 立って、俺と仕合えよ」
その言葉に押されるように、ネイシングルが身を乗り出す。
身体を起こし、ゆっくりと立ち上がろうとする。
「……あ……ぁ……」
ネイシングルの肩が小さく震えだした。
目を閉じ、何度も首を振る。
「早く仕合えよ、でなきゃ君はずっとこのままだ。……戦いたいんだろ? 俺に勝てないようじゃ向こうでも勝てない。……だから、仕合って見せろよ、俺と! ネイシングル!」
「あ……あぁ……あ……」
中腰になったままの姿勢で、ネイシングルは凍りついたように動かない。
「ネイシングルっ!!」
「いっ……いやぁぁっ!」
悲鳴をあげ、その場に蹲る。
「ああ……ああ……ああぁっ……!」
そして、彼女は子供のように泣き出した。
「……戦えない……戦えないのよぉ……。私、戦えない。戦えなくなっちゃった……」
嗚咽混じりのネイシングルの声。
「………自分しか頼れないのに、頼っちゃいけないのに………わからないよ。………私、どうすればいいの? わからない、わからないよぉ……!」
「……ネイシングル……」
「わからない……よ……」
僕は泣き崩れるネイシングルの肩に手を置いた。
「ピッコニード……ピッコニード……ピッコニードぉぉぉ……」
泣きじゃくりながら、ネイシングルが僕の名を呼び続けた……。
「人前で涙見せて泣いたの、久しぶり……」
ひとしきり泣き腫らした後、ネイシングルはポツリポツリと話し始めた。
「……この間喧嘩した時も、ちょっと涙出たけど……」
「うん。見えてたよ」
「うそ。……二度ともなのよね、よく考えたら」
ネイシングルが振り向く。
「そうなるのかな」
「……私、泣かされたんじゃない。よく考えたら、どっちもあなたに。……ヤダな」
そう言うネイシングルの頬には笑みがあった。
「……泣くだけ泣いたら機嫌が直ってるよ……」
そう言うとネイシングルの頬に朱が差す。
「……さっきはごめん……」
「ううん……私こそ、ごめん……酷い事、言っちゃって。………ごめんね……ピッコニード」
「……泣いたら、しおらしくなっちゃってるよ……」
苦笑する僕を、ネイシングルが上目遣いに睨みつける。
しかしそれは一瞬だけで、またもとの笑顔に戻っていた。
「怖かったんだ……戦えないのもだけど……それより」
「それより?」
「何とかしないといけないのに、どうしたら良いか解らなくて……でも誰にも言えなくて……」
「一人で抱えすぎなんだよ……ネイシングル」
「うん……」
頷くネイシングル。
「あなたに関係ないって言った時、放っといてって言った時、ああ、これで本当に独りになっちゃうんだなって思った。……そうしたらそれが恐くって……戦えなくなる事より、そのことが恐かった。もう誰も私を助けてくれる人はいなくなったって思った。ここにも居られないって……でも、ピッコニード、あなたは……」
「……」
「あなたは……それでも……」
ネイシングルの瞳から幾筋も涙が流れる。
「……泣くなよ……」
「ん……それでもあなたは私の側にいてくれて……ありがとう、見捨てないでくれて……」
「……仲間だから」
「ありがとう、側にいてくれて……」
「側に、か……」
「うん……」
「安心するのは早いと思うけどね。一番の問題が全く手付かずで残っているんだから」
「……そうね」
「……大変だよ、これから……」
「でも……」
ネイシングルが柔らかな笑みを浮かべる。
「でも、何か考えているんでしょ?」
「え?」
「あれだけ芝居がかった事して……私を泣かせた責任、とってくれるんでしょ?」
「え……。そ、そんな。考えなんて……。それに、ぼ、僕が責任? ……と、取り敢えず、頑張ろう、二人で。……これじゃダメ?」
ネイシングルの思いがけない言葉に、しどろもどろになってしまった。
……突然そんな事言われても、いい考えなんて浮かばないし……。
それを見て、ネイシングルが目を細めて笑う。
「ひどいわねぇ……女の子泣かせて責任取らないなんて。……でも、まぁ……何とかなるかな」
微笑むネイシングル。
「……だいぶ、吹っ切れたみたいだね」
「おかげ様で。……取り敢えず頑張ろう。か。……うん、それで良いわ。気に入ったわ」
力強く頷くネイシングルに、頷きを返す。
夕陽のせいか、泣き腫らしたせいか、彼女の頬に薄らと朱が差していた。
「……気に入ったわ。……特に、二人で、って所が。ね……」