セカンドールマスターー育成者とドールのイロモノシリーズー 作:御舘雅盛
幾つもの別荘が立ち並ぶ湖。
その湖に面したアトリエで一人の老人が、筆をとっていた。
「……フム。今日は湖の機嫌が良いわい。いつになく華やいでおる」
そう目を細める老人。
日が南中を過ぎた頃、一人の少女が部屋のドアを開け、食事を届ける。
「おじいちゃん、調子はどう?」
そう言う孫娘の声に目を細め答える老人。
「おぉ、今日は良いのう。わしが初めてここを描いた頃のようじゃ」
「ね、おじいちゃん。おじいちゃんは若い頃、ドールだったって本当?」
「そうじゃよ。嘘は言わぬよ」
「でも、ちっともそんな風に見えないけどな。パレスのお爺さんはあの歳で未だ熊と戦おうとしているし、ストッパーのお爺さんはいつも怖いし。ドールの人って引退しても顔が厳しいって聞いているけど、レイナードおじいちゃんそうは見えないもん。絵を描いているときなんか、優しい顔してるもん」
「ウ~ン、おじいちゃんも最初から絵を描いていた訳じゃないぞ。絵を描くようになったのは、門家になって暫くしてからじゃからのう」
「えぇ、嘘! だって、おじいちゃん、そんな事言わなかったじゃない」
「そうだったかの? まぁ、良い機会じゃ。時間があったら聞いていくか?」
そう尋ねる祖父の言葉に孫娘は身を乗り出して来る。
「そう、あれはわしが現役を引退して、暫く経った時の事じゃ。わしは、当時、紫燕様の門家に招かれてのう」
そこまで話した時、孫娘が
「紫燕様って、あの選帝公の紫燕様!? おじいちゃん、そこの門家に招かれたの!? すごい!」
驚きを露わにする。
「当時は選帝公ではなかったからのう」
孫娘の言に苦笑をこぼす老人。
「選帝公ではなかったが、あの方は、美しく聡明で慈愛に満ちた、わし等ドールにとって女神のような方であった……。その方の影響じゃよ」
かつてを思い出すかのように、老人が目を閉じ、語り出す。
「レイナード。レイナードはいませんか?」
そう館を訪ね歩く紫燕。
「レイナードを見ませんでしたか?」
通路で出会ったメイド達にレイナードの消息について尋ねる。
「いえ。この時刻なら訓練場で子供達と一緒では?」
「それが何処にもいないのです。全く、子供達が私のところに『レイナード様が未だ見えません』と来なければ無駄な時間を過ごさせるところでしたわ。子供達には読書をさせてありますので、貴方たちもレイナードを見かけたら直ぐに私の執務室に来るように伝えなさい」
「畏まりました」
再び歩み始める紫燕。
長い通路を過ぎ、中庭に向かいかけた紫燕の耳にレイナードの歌うような声が聞こえてきた。
その声をたどり中庭に出る紫燕。
中庭の庭園の一角に腰掛け、リュートを片手にレイナードが口ずさんでいた。
夕べの森を
現の森をさまようとき
いつも我が身に寄り添う
愛しい人の姿
同じこのような幸福の夢を
我は見たことが無かったろうか
木も花も接吻も愛のまなざしも
同じものではなかったろうか
ああ 我は知っている
甘美な夢は移ろいやすく
冷たい雲の衣に心も樹々も覆われることを
その様子を石柱から見つめる女性の姿。
主の気配に気づくことなくレイナードを見つめるその姿。
「……ミュウクッキ、どうしました?」
静かにその背後に回り声をかける紫燕。
その声に振り向き、そこに主の姿があるを見つけ一礼をするミュウクッキ。
「紫燕様……」
「レイナードが訓練の時間になっても子供達のところにこないので様子を見にきましたが……何か悩みがあるようですね」
穏やかな視線がミュウクッキに向けられる。
「……いえ……」
「本当ですか? 何か心配事があるなら相談に乗りますよ? 門家が悩むと子供達にも影響が出ますからね」
主のその言葉に
「……実は夕べから、夫の、レイナードの様子がおかしいのです」
意を決したような視線で主を見つめるミュウクッキ。
「レイナードが? 詳しく話してもらえませんか」
「はい。……すでにご存知かもしれませんが、今回の検診でレイナードの子供を身篭ったことが分りました」
主とともに執務室に向かいながら話し始めるミュウクッキ。
「そうでしたね。あなたとレイナードの子供なら、いい子が育つでしょう。そのことはレイナードに?」
「はい、昨夜知らせました。そのすぐ後からです、あの人の様子がおかしくなったのは」
表情を曇らせるミュウクッキ。
「……紫燕様の計らいで夫婦になりましたが、あの人は、レイナードは本当は私といっしょになるのが嫌なのではないでしょうか。それで子供が生まれることが判ってから、あのようになってしまったのではないでしょうか」
ミュウクッキの瞳に透き通った薄い膜が張り詰めてくる。
その胸中に想い出が過ぎ――。
華燭の宴を挙げ、初めて二人だけで共に過ごした夜。
翌朝目覚めて隣にあった彼の姿、彼の笑顔。
ミュウクッキの中で、海竜が目覚めつつあった。
「あの人は、私の…憧れでした。同じ天照帝様の門家に育ち、魔王退治や迷宮探索に共に連れて行って貰った頃から、いつか一緒になりたいと、そう思っていました。あの人が魔術の道を選んだとき……私は途方にくれました。私には魔術適性は無かったのですから。それでもあの人に認められるように……格闘の道を歩き始めました。……私の祖父は帝王杯や天覇大集会、ゲヘナロードで優勝したこともありましたから……教えを請いに何……度も訪れました。……全ては……あの人に認めて……もらい……たかっ……たから……です。魔……王退治……に失敗し……て大怪……我を……負ったこともあり……ましたが……あの人を……守れたことが……誇りでした」
紫燕がミュウクッキを抱き寄せ、その髪を撫でる。
「……わた……には、あの人が……全てな……です。あ……人に嫌わ……たら……私……どう……し……いい……か……嫌わ……たくあ……ません、どう……れば……」
ミュウクッキは紫燕の胸にしがみつき同じ言葉を繰り返しながら泣き出していた。
時間が経過し、ミュウクッキが顔を上げた。
「……取り乱してしまって申し訳ありません。ほかに相談できる方もいませんでした。……ありがとうございます」
幾分腫れた目元をこすりながらミュウクッキが顔を上げる。
「……紫燕様のご子息は幸せですね」
いぶかしむ紫燕に、
「紫燕様の腕の中って泣き易いです。素直になれそうですから」
紫燕がミュウクッキを抱き寄せ、その髪を撫でる。
ミュウクッキの双眸から再び涙が零れ落ち――。
「わかりました。……レイナードには私から訊ねておきます。だから、もう泣かないで」
夜の訓練も終わり、自室に引き上げようとするレイナード。
その後姿に声がかかる。
「レイナード。話があります、執務室まで来なさい」
紫燕のその声に振り向くレイナード。
主の視線が厳しいものになっていた。
昼の訓練の一件だろうと主の後に従うレイナード。
その少し後を一つの影がつけてきていた。
執務室に入り、主の机の前に直立不動で臨む。
「子供達には水分を摂らせましたか?」
「はい。いつものように梅の塩漬けを湯に落としたものを飲ませました」
「そうですか。ところで……」
身を硬くするレイナード。
「何故、昼課訓練の指導を怠ったのですか」
紫燕が目を見据える。
「それは……」
言いよどむレイナード。
「……あなたが指導を理由もなく放棄したとは考えません。そのような身勝手なドールなら私は我が邦へ招きません。何か悩みがあるのではありませんか」
「なぜそうお考えに?」
その問いかけに答えることなく
「……ミュウクッキが身篭っているそうですね」
「……はい」
一瞬の遅れ。その遅れから、悩みが察せられ――。
『……レイナードの悩みはミュウクッキの事ですね。昼間の件もありますから併せて聞いておきましょう』
紫燕が訊ねる。
「悩みはミュウクッキのことですか?」
「……何故それを?」
「あなたの態度を見ていれば子供達でも判りますよ」
「そうですね……指導に身が入らないで子供達にこれ以上不安を持たせるわけにも行きませんね」
レイナードが頭を振る。そして主の目を見つめ。
「紫燕様、相談に乗っていただけますか?」
頷く紫燕。その頷きを確認しレイナードが語り始める。
「……彼女とは子供の頃からの付き合いでした。彼女は格闘の道に進み、私は魔術の道を選びましたが、同じ天照帝一門として魔王退治や迷宮探索に行ったものです」
昔を懐かしむかのようなその視線。
「私達はいつも同じ時を過ごしていました。あの頃の私は彼女を妹と捉えていました。そんな関係でしたが、あるとき私の油断から魔王退治に失敗してしまいました。魔王の手から逃れられたのは彼女のおかげです」
表情を曇らせるレイナード。
「あの時、鮮血を撒き散らしながら倒れる彼女の姿を見たとき、自分の無力さを愚かさを呪いました……」
レイナードの口元に冷笑が浮かぶ。その対象はレイナード自身であろうと察する紫燕。
「そして、彼女は大怪我を負ってしまいその年の全大会への出場を見合わせる結果になってしまいました」
口元を引き締め、こみあげる感情を押さえ込むレイナード。
「怪我が治った彼女を見舞いましたが、大会欠場の衝撃から立ち直っていない姿を見たとき……。自分の失敗で人が傷つく事があれほど嫌なものだったとはじめて実感しました。正直、彼女を守りきれなかった自分を憎みました」
過去を見つめていた視線が紫燕に戻る。
「紫燕様の門家に招かれ、彼女と再会したとき、どう声をかけたものか悩みました。その彼女と華燭の宴を挙げられたことは、私にとって戸惑いと、あの時守りきれなかった彼女を生涯守りきることが出来る。と言う喜びが入り混じるものでした。ただ……」
言いよどむレイナード。
「ただ、彼女、ミュウクッキにとってはどうでしょうか。自分を連れまわし、大怪我を負わせた男と夫婦になりその子供を身篭る。……憎まれても仕方ありません、そう考えると昨夜から何も手がつけられなくなってしまいました」
その言に紫燕が大きく溜息をつく。
「判らないと言うのは時々罪になりますね……しかし、知ろうとしないのはもっと罪になりますよ……」
目の前のレイナードを見据え、
「レイナード、たまには他人を知ろうと努力しなさい。そうしないと何時か後悔しますよ」
自分の大切な存在。それを、失ってしまうことになるかもしれない。言外に紫燕がそう語る。
「……しかし私は……」
呟くレイナード。
「……レイナード、あなたは自分自身が好きですか?」
その予期せぬ言葉に戸惑うレイナード。
「あなたは本当に人を好きになったことがありますか?」
「……」
肯定の応えを返そうとするも、自身を真剣に見つめる若き当主の眼差しに、ふと過去を思い返す。
戦いに明け暮れた現役時代。血と汗に塗れ肉体の限界に挑み、相手を互いに傷つけ殺そうとさえした戦いの日々。勝利のみを追い求め、他に価値観の持ちようもなかった。そんな中で、人を愛する余裕は何時しか摩滅していた。
大会で勝つことだけが唯一の価値。
自らの不甲斐なさを嫌悪する日々が続き、自分の存在価値はないと思いつめた日々がそこにあった。
「自分を愛せなければ、人を本当に好きになることはできませんよ。自分を愛すると言うことは、私達が自身の価値を分かるようになることです。ありのままの自分を認めることで、自分自身に疑いを抱くことがなくなります。そして心自在に他人を愛する事ができるようになり、他人の価値が分かるようになります」
紫燕の言葉が紡がれる。
「そして、自分を愛すると言うことは自身の真の必要性が分かるようになるということです」
「私の必要性……」
私はいったい何のために招かれたのだろう。私自身の必要性とは……。
思考するレイナード。やがて導き出す一つの結論。それは当主の思惑とは懸離れていた。
「私が招かれたのは、子供たちの育成と血統の保持のためでしたね。余計な感情を持たず、子供たちの教育と、子作りに専念します。御心を煩わせ、申し訳ございません」
その瞬間、乾いた音がレイナードの頬を打った。
「まだ分らないのですか! 私が、それだけの理由であなたを門家として、邦の幹部として招くと思っているのですか! あなたの必要性がそれしかないと言うのならわざわざ招いたりはしません!」
激昂する紫燕。
沈黙がその場を支配する。
暫しの時が過ぎ、紫燕の声と表情が和らぐ。
「……レイナード、私があなたを必要とするのは、優秀な子供たちを得るためだけではありません。領邦を支える幹部として、私の片腕として……私のよき理解者となっていただくために、あなたを求めたのです。決して焦らないでください。あなたは……」
その歯切れの悪い言葉をいぶかしむレイナード。紫燕が凛とした表情――領邦君主としての表情――になる。
「レイナード、『愛縁奇縁』 この言葉を知っていますか?」
「……いえ、存じません」
「互いに愛し合う様になるのも時の巡り合わせによる縁ということです。……あなたには、この言葉と、『愛出ずる者は愛返り、福往く者は福来たる』 この言葉を贈ります。人を愛すれば人もまた自分を愛し、人を幸福にするような善事を行えば、自分もまた幸福になる。という意味です。心のどこかに留めておいてください」
「……幸福、ですか……」
自嘲気味に呟くレイナード。
「……私のこの手は血に塗れています。そのようなものが幸せになることは許されているのでしょうか……?」
新たな疑問がレイナードに生じる。
「どういうことですか?」
「……今の私の地位は多くの仲間の犠牲で得た地位。仲間を傷つけ、殺すつもりで闘って得た地位です。人を傷つけること、それは罪深いことではありませんか」
レイナードが紫燕を見つめる。
「紫燕様に門家として招かれてから、昔の光景を思い出すことが多くなりました。帰ってくる子供たちを見ていると、疲れ果てているにも関わらず眼だけは、獲物を追う狩人の様です……。そんな光景を見ていると、あの戦闘前の緊張感を、敗者の凄惨な姿が自分の未来を暗示するようで、全身からどす黒い何かが吐き出された、あの緊張感を思い出します。そして、その感覚にある種の快楽を覚えている自分がいました。……戦場に臨む者が持つ、狂気と冷静さが入り混じる感覚。私は、それに溺れ、多くの仲間を傷つけました。そのような者が、幸せになることが許されるのでしょうか?」
紫燕に問い掛ける。
「確かに、あの世界は狂気が交錯する場だったかもしれません。しかし、この世に、罪にまみれていない人間なんていません」
紫燕がたしなめるも、レイナードの独白が続く。
「この腕で何人もの相手を傷つけ、再起不能にしてきました。その私が門家として招かれ、純粋な子供たちに人殺しの術を教えている……。私は門家として、このような破格の待遇を頂いております。素晴らしい屋敷、夢のような暮らし。そして、妻もいます。あのころから比べると夢のようです。しかし、それは全てあの闘技場で親しい友人を、ほかの仲間たちを踏み台にして得た生活です。他の仲間の犠牲の上で成り立った恵まれた生活……それを甘受していてもよいのでしょうか? それは罪深いことではないでしょうか……? あの子らは望んでこの世界へ身を投じました。私が出来ることは自らの経験を伝えることであの子らが傷つかぬ様育成すること。しかし……その一方で、生まれ来る我が子には、血生臭い世界に踏み込んで欲しくないと言う想いも確かにあるのです。……私は、どうすれば……」
「……レイナード。あなたの今を否定すること、それはあなたが生きてきた証を否定し、闘技場の仲間の生き方も否定するものですよ。あなたは、現実に門家として存在します。それはあなたが努力し、あの凄惨な世界を生き抜いてきたからではありませんか? あなたが努力し、生きてきた集大成、それが今の門家と言う存在です。楽しい思い出もたくさんあるでしょう、苦しく惨めな思い出もあるはずです。その思い出の一つ一つが、あなたと仲間の絆ではありませんか? あなたは今、ここに生きています。生きている、あなた自身の経験を子供たちに伝えること、それがあなたと仲間の生きてきた証を伝えることになるのです」
「生きてきた証……」
紫燕の言葉を反芻するレイナード。
「レイナード、あなたがいくら後悔しても最早過ぎ去った時は戻りません。答えにはなっていないかもしれませんが、あなたが仲間を犠牲にしたというのであれば、その犠牲を無駄にしないためにもあなたは彼らの分まで生きなければなりません。それがその地位を得たものの宿命です。そして、帝国を支える地位に生まれる者の義務がドール、すなわち帝国及び領邦幹部候補生の時期を過ごすことです。そして、子供の生き方はあなたではなく、生まれる子供が決めることです」
……犠牲を無駄にしないために、生きる。
紫燕のその言葉を反芻するレイナード。
ふと、わが身を振り返る。
自分は、いったいどれだけの命を奪ってきただろうか。どれだけの犠牲の上に、今の生活を築き上げているのだろうか。
戦いの中で、多くの仲間を傷つけた。それが当然の世界であっても。
それだけの犠牲の上に、今まで何を築いてきただろうか。
今までは生きるために、受動的に生きてきた。
今までの生き方をそのまま続けてよいのだろうか? それは仲間の犠牲の上に築くべき人生なのだろうか。
『……違うな』
明確な意思。
レイナードの眼に力が戻る。
『受動的な生き方は、仲間の犠牲の上に積むべきものではない。紫燕様の言われるように、過ぎ去った時はもう戻らない。しかし、自分が納得できるように、今まで、自分の行ってきた行為と釣り合うだけの結果を積み上げるために、これからの人生を生きることは出来る』
レイナードが顔をあげる。その視線が紫燕と交差する。
柔らかで、見守るような視線。
それに気づいたとき、レイナードは知らず知らずのうちに片膝を折っていた。
「もう大丈夫ですね」
穏やかな声が頭上からレイナードを包む。
「……さあ、何時までもそうしていないで、あなたの大切な人の下に行きなさい。先刻から、心配して扉の向こうで待っていますよ」
そう笑いを含んだ声をレイナードにかける。同時に扉の向こうから慌しく遠ざかる足音。
一瞬の静寂の後、笑い声が室内に満ちた。
「……そのようなことがあっての、それからはワシはひたすら絵をかいたのじゃ。紫燕さまが絵を描かれていたのは知っておったからの。少しでも紫燕様の心境に近づきたくてな」
隣の孫娘に視線を向ける。
「……退屈じゃったかの」
そう呟き傍らで眠ってしまった孫娘を目を細め見守るレイナード。
「もう少し大きくなったら、わかるじゃろう」
起こさぬ様に、その腕のなかに静かに孫娘を抱き部屋を出るレイナード。
その翌日。
「おじいちゃん、今日はお出かけするの?」
そう孫娘が問い掛ける。
「ああ、そうじゃよ」
「また、絵を描きにいくの?」
「いや、今日は違うところにの」
「ふ~ん。……ねえ、おじいちゃん。私も一緒に行っていい?」
そう問い掛ける孫娘の顔を見つめ、レイナードが徐にため息をつく。
「……そうじゃの。いっしょに行くか?」
「うん!」
雲ひとつない晴れ上がる空の下を孫娘とともに歩くレイナード。やがて、その足があるところに向かうことに気づく孫娘。
――ここって……――
その歩みが停まったところ、それは紫燕家門の墓所であった。
雲ひとつない青空のなか、一羽の雲雀が鳴いている。
『ここは死で満ちているのに。……雲雀の声は綺麗だけど、ここでは何か場違いね』
次第に祖父の傍らから、その斜め後ろへと場所を移動する孫娘。
『おじいちゃん、私がついてきたこと、本当は嫌がっているんじゃないのかな?』
そう思う孫娘。
紫燕家門の累代の墓石が並ぶその中でもその人の墓所はひときわ目を惹いていた。
レイナードは白い墓石に紫の燕があしらわれた墓標の前に跪いた。
彼が、この地へ参内する都度、欠かさずに書いている手紙をそっと添える。最初にその手紙を書いたことを鮮明に思い出す。
彼が敬愛し、ほのかな思慕を抱いていた当主が亡くなったと訃報を受けた夜、彼は亡き当主への最初で最後の手紙を声を押し殺して泣きながら何度も推敲を重ね書いていた。
その文章はその最初から今まで一度も変わらない。
敬愛する紫燕様
紫燕様、
はじめてお会いしたときから慕っておりました。
紫燕様は私のことをどう思っていますか?
忠実なる レイナード
『この返事が得られることはもうありえません。そして、そのことであなたの輝く笑顔が曇ることもなくなりました。だからこそあなたへの想いを何時までも響かせられるのです。妻を裏切らぬようにとあなたはおっしゃるかもしれません。しかし、ミュウクッキも紫燕様も私にとっては大切な存在なのです』
レイナードはその目の前に眠る主へと語りかける。
その姿を見つめていた孫娘は祖父が肩を震わせ、子供のように嗚咽する姿を見て、背をそむけ、その場から少し離れる。彼女の祖父の信条を知り尽くしていたゆえの行動であった。
祖父の信条――ドールであった男は決して人前では泣かない。たとえ愛する肉親や、仲睦まじい恋人を失おうとも――
雲雀の声は何時しか止んでいた。
暫しの時が過ぎ、背後に気配を感じる。
「待たせたの。帰るとしようか」
その祖父のたくましい腕に孫はそっと腕を絡める
『私もいつか、紫燕様のドールになりたいな』
その腕に触れ、孫娘はそう思った。
腕を互いに絡めた祖父と孫娘は長く続く墓地の歩道を歩き始めた。
FIN
2002-3公開