セカンドールマスターー育成者とドールのイロモノシリーズー 作:御舘雅盛
あれから4日が過ぎた。
朝から、昨日までの陽気が嘘のように冷え込み、この地に住む人々に例年より一足早い秋の訪れを予感させたその日、ネイシングルの手術が始まった。
医療院では神官長を始めとした此処の魔術医達と補助医として加わっているサイレントアイさんが準備に追われていた。
僕はネイシングルの手を握っていた。
「……いよいよ、だね」
僕に向けられたネイシングルの顔は心なしか蒼ざめている。
しかし、彼女は笑みを浮かべ……。むしろ僕を励まそうとしているように見えた。
「うん、いよいよだね、ネイシングル」
「しっかり見て勉強しないとね。せっかくこれだけの魔術医がいるんだから」
「解っているよ」
「……血とか見て気絶なんてしないでよ」
「ネイシングルこそ手術中に夢見て泣き出さないようにね」
「さぁ……わからないわよ?」
「ま、その時は耳元であやしてあげるから」
「あぁ、酷い! 子ども扱いしてぇ。……でもそれくらいしか仕事ないか、ピッコニードには」
「……言ってくれるなぁ」
「お互い様」
二人で顔を見合わせ笑う。
準備が整い、手術の時間が近付いてきた。
魔術医の一人が麻酔香を炊き込めた香炉をネイシングルに嗅がせる。
ネイシングルが何度か深呼吸をし、ゆっくりと瞬きをした。
「そろそろだよ……」
「ピッコニード……」
ネイシングルの手に力が入る。
その手をしっかりと握りなおした。
穏やかに笑うネイシングルに言葉を続ける。
「麻酔香が効いたら後は寝ているだけだから……。目が覚めたら手術は終わっているよ」
「うん。……夢か……。どんな夢、見よう……か………な…………」
眠りに落ちるネイシングル。
「始めよう」
ネイシングルの呼吸が穏やかになるのを確認し、神官長が宣告する。
皆が頷くのを確認し、呪を唱える神官長。
その指先から、髪の毛よりも細い一筋の光が発せられる。
完斬刃――五感で捉えられない振動を発生させ、あらゆる物の繋がりを解いてしまう光の刃。その呪を維持するには並みの精神力では不可能とされる。
ネイシングルの脊髄を傷付けないように『因子』だけを取り出す事は、これ以外の呪では不可能だった。
神官長が右手の人差し指のみに正確にそれを現す。
透身鏡で『因子』の位置を確認し、指を突き立てる神官長。
神官長の指が正確にそれを探り当てたのだろう、指の動きがより慎重になった。
このまますぐにでも終わる。
そう予感させる程、神官長の腕は鮮やかだった。
しかし、突如、ネイシングルの呼吸が乱れはじめた。
「ネイシングル!?」
意識のないまま、苦しそうに喘ぐネイシングル。
「神官長! ネイシングルが!」
そう神官長を振り返ると、神官長の顔面が蒼白になっている。
「くっ! まさか……!」
「神官長! 『枯死の因子』が活性化しつつあります!」
焦りの声があがる。
「なんだと!」
周囲が喧騒に包まれた。
「キュレイア草を早く焚け!」
「アマゾナイトと金緑石の宝珠を持って来い! 急げ!」
怒号と焦りの声がその場を支配する。
何があったんだ………?
「ピッコニード! なにぼんやりしてるの! 早く彼女の手を握って!」
怒号に混じって、血走った目をしていたパラレナンバさんの声が聞こえる。
それと同時に彼女に手を強く掴まれ、ネイシングルの脇に引き寄せられる。
「彼女に声を掛け続けなさい! その手を握って離さないで! 良いわね!?」
魔術医が慌しく動いている中で、僕は、ただ言われた通りに、ネイシングルの手を握り声を掛け続ける事しか出来なかった。
「ネイシングル、ネイシングル、しっかりしろ!」
しかし彼女に僕の声は届いていない。
ネイシングルの傍で、蒼白になっている神官長に彼女の具合を聞いてみるが、しかし神官長ですらはっきりした事は断言できないでいる。
ステンキル辺境伯閣下も断言は出来ないらしかった。
ただ、心当たりはあると……。
まったく聞いた事のない病名だった。
神官長が彼に食って掛かっているが、よく聞き取れなかった。
ただ、彼女の母親も同じ症状だったらしい。
「神官長! ネイシングルを……彼女を何とかしてください!」
蒼白になりながらも治療に当たる神官長に嘆願する。
「……黙ってろ!」
魔術医の一人が声を荒げる。
「このままじゃ、ネイシングルが、ネイシングルが……」
「喧しい! 我々だって全力なんだ。恋人の前だろ、お前がこんな時にうろたえるんじゃない!」
「でも、でもネイシングルがこんなに苦しそうに………このままじゃネイシングルが、ネイシングルが……」
僕の言っている事は無茶苦茶な事だとはわかっていた……。
でもこのままじゃ、ネイシングルが、ネイシングルが……。
「くそ! あと一人……あと一人魔術医がいれば…………畜生!」
魔術医の一人が、やり切れなさを声に出した。
あと一人………。
僕が……僕がもう少し術を使えれば……。
僕が魔術医だったら、すぐにでもネイシングルを……。
……何故、もっと真剣に学んでこなかった。もう少し真面目に術の取得に取り組んでいれば、或はネイシングルの治療の一助を担えたかもしれないのに!
「ピッコニード! 何考えてるの! 馬鹿! ≪四法陣≫なんか唱えないで! 『枯死の因子』も活性化させるつもり!?」
パラレナンバさんの一喝に、無意識のうちに唱えかけていた呪を解除する。
……何をやっているんだ、僕は。
回復系の呪を迂闊に使った場合、患者の体力ばかりでなく、弱らせてきた悪性微小生命体細菌やウィルスを回復させたり、より活性化させる危険性がある。
……こんな事は、魔術医として注意しなければならない、基礎中の基礎だ。それすら忘れているなんて!
その場に留まりたい。
そう思った。
しかし……いつの間にか、足が扉をくぐっていた。
いたたまれない気持ちになって、その場に留まることが出来なかった。
……否、わかっている。
……自分の無力さに耐え切れなくて、だから無意識の内に逃げたんだ。
俯く僕の足元に人影が見えた。
顔を上げると、そこにサイレントアイさんがいた……。
「何しているの? こんな所で」
氷のような冷たい視線。
こんな視線を前にも見た事がある……。
キャスバルさんが同じ目をしていた。
『もし、あの子を悲しませるような事があったら、俺はそいつを許さない』
そう言ったキャスバルさんと同じ視線……。
キャスバルさんの視線は押し潰されそうな印象だった。サイレントアイさんのそれは、氷の剣で切り刻まれるような、そんな冷たさを持った視線……。
「……逃げるの? あの子を苦しませたまま……」
「逃げるだなんて、そんな!」
「逃げているじゃない」
「あの場に居ても……あそこに居ても、僕は何もできない……ネイシングルが苦しんでいるのに、何も出来ない! ……情けないです。ネイシングルを支える力になる、そう誓ったのに…………。サイレントアイさん、教えてください……僕はどうすれば良いんですか!」
「……ピッコニード君。逃げて隠れて脅えていても、何も解決しないのよ。あなたにはあなたにしか出来ない事があるじゃない、他の誰にも……私達、魔術医にも出来ないことが」
「僕にしかできないこと……何なんですか、サイレントアイさん!」
「それは一概に教えられる事じゃないわ。私は戻るけど……よく考えなさい。あなたにはあなたにしか出来ないことがある。……もし貴方が本当に気づかないのなら……あの子は助からないかもしれないわね」
そう言ってサイレントアイさんは扉の向こうに姿を消した。
ネイシングルが助からない……。
僕にしかできない事……って何なんだよ!
考え込む僕の肩に力強い手が置かれる。
顔を上げると、そこにステンキル辺境伯閣下がいた。
「何故こんな所にいる……。ネイシングルを守ってくれるんじゃなかったのか?」
「……駄目なんですよ、僕は。力も何もない……ネイシングルに偉そうな事、散々言いました……。彼女は逃げなかった……。目標に向かって一歩一歩踏み出していった。でも僕は………彼女が苦しんでいるのに何も出来ない」
「……同情はしない。自己陶酔している馬鹿に同情する気はまったくないからな。……不服かね?」
厳しい目つきで僕を睨む、ステンキル辺境伯閣下がいる。
……力がない者を甚振いたぶってそんなに楽しいのか?
「ネイシングルが何故前に進めたのか考えた事があるのかね? 君がいたからだ。君にはそれだけの力がある、彼女の心を解かすだけの力がな」
それが何だと言うのだろう……。
「少し昔話をしてみようか」
そう言ってステンキル辺境伯閣下が一人ごちる様に言葉を紡ぎだした。