セカンドールマスターー育成者とドールのイロモノシリーズー 作:御舘雅盛
雲ひとつない晴れ上がる空。
その空の下、屋敷の一つが慌しさを増していた。
「こら、トシゾウ。少しは落ち着かぬか」
半分以上呆れた声をかけられ、トシゾウと呼ばれた男が足を止める。
しかし、すぐに落ち着かぬ様子で再び室内を歩き回る。
闘技場では無敵を謳われた剣聖トシゾウがアポロン門家のリモダと華燭の宴を上げたのは1年前の事であった。
その後、リモダは懐妊し、臨月を間近に控えていた。
後進のドールの教育に見事な手腕を見せ、慕われているトシゾウだが、この場では無力な存在である。
「気持ちはわかるがな。焦った所でどうにもならんぞ」
アポロン侯国当主アル・スカールが重厚な声をかける。
「腰を据えてどっしりと構えんか。無敵を謳われた剣聖が子供が生まれる程度でうろたえるでない」
「はぁ……」
トシゾウが溜息を吐き椅子に腰をおろす。
「落ち着かんか。リモダには薬師もついておる。帝都でも1、2を争う名医じゃ」
無意識のうちに腰を浮かせるトシゾウに対し、諭すようにアル・スカールが声をかける。
「それに薬師以外にも腕のいい神聖魔術医が何人もついて居る。焦るでない」
「……」
眉を寄せ椅子に座り込むトシゾウ。だがその目は閉ざされた扉に注がれている。
「……遅い」
トシゾウの呻くような声が微かに室内に木霊した。
予告も無しに扉が開き、数名の薬師と魔術医が顔を出す。
反射的に立ち上がったトシゾウに対し、
「男の子ですぞ。母子ともに健やかで問題はありません。お入りいただいて結構です。ただし安静になさってください」
緊張した表情で部屋に入るトシゾウの肩を叩き、笑顔で見送るアル・スカール。
かなり消耗した表情で寝台に横になっていたリモダが、部屋に入ってきた夫を見て誇らしげに微笑する。
その傍らで医師達の助手を務めていたゼステプーが嬰児を抱いて立っている。
「良くやったな、リモダ」
嬰児の顔を覗き込むトシゾウ。
「あなた。名前を決めませんと」
ともすれば顔を緩めがちな夫にしっかりとした声をかけるリモダ。
「ふむ……」
途端に眉を寄せ沈黙するトシゾウ。
周囲の視線が集中する中、時が刻々と過ぎ去る。
あまりの沈黙に呆れたリモダが声を上げかける。
それを遮るように、
「よし。この子の名はオダノブだ」
「いい名前ね。オダノブ、か。オダノブ、あなたも将来はお父さんみたいになれるかしらね」
そう息子に語りかけるリモダとその胸に抱かれる息子を見つめるトシゾウ。
『息子よ。お前も何時の日か私の手を離れて旅立つときが来るだろう』
妻の胸で眠る息子を見つめ未来に思いを馳せ、胸中で語りかけるトシゾウ。
『その時が来たなら何者にも捕らわれることなく信じる道を進むが良い』
そっと手を伸ばし、息子に触れる。
『だが、私はおまえのためだけには生きられぬ。私は自分と愛する者のために生きているのだ。お前も傷つく事を恐れずに進んでおくれ。息子よ、私の想いはお前に理解されないかもしれない。だが何時かお前にも私と同じように愛する者が出来たら解るだろう』
ふと顔を上げるトシゾウ。妊婦に負担をかけぬように配慮された窓から柔らかな光が差し込んでいる。
「いい空だ」
トシゾウの顔に穏やかな笑みが浮ぶ。
「ええ。本当に」
そう答えるリモダとその胸に抱かれた息子に窓からの淡い光が映え、二人を包み込む。
――聖母子像――
自分が以前迷宮探索をしていた際、古老に見せられた古の宗教絵画。その中の一つにその名の絵があった。トシゾウの脳裏にその題名が浮かび上がる。
――この母子を守らねばな。
そう決意を新たにしたトシゾウの脳裏に閃くものがあった。
『そうか。父も私が生まれたとき、同じような光景を見たのか』
父を軽蔑し、旅立った日。音信を取ることなく、父の死を告げられたときも特に感慨を抱かなかった自分。そのような息子を見て父は何を思ったのか。
『父上……』
無意識のうちに涙が、光に包まれた二人を見つめるトシゾウの頬を伝わる。
その後姿をアル・スカールが見つめる。
『バクロゴ。お前の想い、今トシゾウに届いたぞ』
息子が去った後、陰からその行く末を見守りつづけた男の姿を思い浮かべつつ、そう胸中に語り掛け静かにその場を離れるアル・スカール。
何時しか部屋にはトシゾウとリモダ、オダノブの姿しかなかった。
「あなた。……泣いているの」
リモダが静かに声をかける。
その声に後ろを向き顔を背けるトシゾウ。
そのまま自らの過去を語る。
「そう。あなたも苦労していたのね」
話を聞き終わり、リモダが声をかける。
「でも。あなた、後悔しないで。あなたがそう思って頑張ったから、今のあなたがいるの。あなたが忘れたがっているその過去が今のあなたを育てたのよ」
「……リモダ」
「上手く言えないけど。あなたも何時までも思いつめないで。あなたがお父様の気持ちに気づいたなら、お父様も許してくださるわよ」
リモダが窓に映る空を見つめる。
その傍らにトシゾウが寄り添う。
「ありがとう、リモダ」
「どういたしまして」
すましたリモダのその声に一瞬の沈黙の後、笑いが室内に満ちる。
『息子よ、お前が生まれてよかった。お前が生まれたこの日を、この空の青さと部屋に映える光を私は忘れまい』
傍らに寄り添う妻と息子を抱き、空を見つめるトシゾウ。
やわらかい陽射と澄み渡る青空の下、親子を見守るように雲雀が舞っていた。
2002-07/11 脱稿