セカンドールマスターー育成者とドールのイロモノシリーズー 作:御舘雅盛
「そうか。……ここまでだな、俺達」
そう呟くと男は女を残し扉を開けた。
その場に残された女性の眼から滴が一つ、また一つと頬を伝わっていったことに気付かず。
(どうしてこんな事になったんだ……)
その言葉だけが男の脳裏を駆け巡る。
駆け巡る言葉を振り払うように男は杯を重ねる。
『エドゥアルトさん、もうお止めになったほうが』
何件目かで馴染みのマスターに言われた言葉。
その言葉を背中で振り払い扉を開き外に出る。
店に入る前に降り始めた雨はますます強まって、心と身体を打ちのめす。
傘は持っているが、差す心境にはなれなかった。
降り続く雨がエドゥアルトと呼ばれた男の顔を、身体を、全身を容赦なく濡らしていく。
ふと我に返った男が顔を上げる。
そこにある一軒の店。
古めかしい木製の扉には、何の表示もなかった。
「どこだ、ここは……?」
アルコールに濁った口調で、エドゥアルトは呟く。
こんな場所には用はない、とすぐに立ち去ろうと思った。だが、どうしてだかその扉の前から離れられなかった。
暫しの躊躇いの後、その手は扉を押していた。
軽やかなベルの音が、扉のきしみに被さる。
「いらっしゃいませ」
その空間に足を踏み入れたエドゥアルトに声がかけられ、初めて彼はそこがバーであることに気付いた。
壁に備え付けられた棚に並ぶ洋酒の瓶やグラスが、目に飛び込んで来る。
タバコと、花の香りが、エドゥアルトの鼻先に漂う。
客は誰もいない。
カウンターの奥では、バーテンがグラスを磨いていた。彼はグラスを置くと、穏やかな歓迎の笑みを浮かべてカウンターを指し示す。
「どうぞ」
エドゥアルトは促されるままカウンターに腰掛け、戸惑いげに周りを見回した。
薄暗い店内、落ち着いた照明が、磨き抜かれたグラスやカウンターに反射して上品な雰囲気を醸し出している。
エドゥアルトは余り、こういった雰囲気に慣れていない。
カウンターの奥から、その青年がエドゥアルトに向けて穏やかな笑みを投げかけている。
(何だ、この男は。俺に気でもあるのか?)
だが、エドゥアルトがそう思ったのは一瞬だった。
背の高い、黒いスラックスと同色のベストが良く似合うその青年バーテンダーを、エドゥアルトは知っていた。
無意識に、彼の名前を口にしていた。
「……何だ、バルドゥイーンじゃないか。久し振りだな」
「久し振りだね、……表彰式以来かな」
懐かしそうに言いながら、てきぱきと冷たいお絞りとミネラルウォーターのグラスを出す旧友を、エドゥアルトは驚きの視線で見つめた。
意外だった。
(あのバルドゥイーンが、客商売なんかやっているとはな)
バルドゥイーンとは闘技場で知り合った。性格はかけ離れていたが、すぐに気が合い、気の置けない親友付き合いをしてきた。
それでもバルドゥイーンについては、その魔術師たる性格ゆえか、他人と接するのが苦手な様子で、他人の目を気にした行動と同じ家門の女の子に振り回されていた印象が強い。
そんな彼が門家となって僅か2年でその地位を去った事は風の噂に聞いていた。
その後、彼の消息も途絶えていたが、そんな彼が酒を扱う仕事をしているのは、エドゥアルトにとっては驚きだった。
「最後のラグナロク以来10年か。お互い歳を重ねたものだな」
「まったく」
口元に微かに笑みを湛えると、バルドゥイーンは「さあ、何を飲む?」という感じにエドゥアルトを見やる。
「水割りでも貰おうか」
「かしこまりました」
バルドゥイーンは軽く頷いて、戸棚からバーボンウイスキーの瓶と、グラスを取り出した。手際よく水割りを作り始める親友の様子を見ながら、ふと、その左手の薬指に銀色に輝く指輪があるのにエドゥアルトは気付く。
「結婚していたんだな?」
エドゥアルトは問いかけていた。
「うん、もう5年になるのかな」
「5年前か。相手はメヒティルトか?」
「うん」
「そうか、おめでとう」
「ありがとう、エドゥアルト」
顔を赤らめ、恥ずかしそうに頷く旧友に、エドゥアルトは軽く笑いかける。
そんな彼の前に、水割りのグラスが置かれた。
エドゥアルトはグラスを取り上げ、軽くバルドゥイーンに向けてかざしてから一口、飲んだ。
苦みのある冷たい酒が、ゆっくりと喉を通り過ぎていく。
「……美味いな。こんな酒、久し振りだ」
「別に、普通のバーボンだけど?」
「そういう意味じゃない。俺にとって、美味い酒だということだ」
自嘲げにエドゥアルトは笑って、もう一口飲む。
「そう言えば、エドゥアルトも結婚したんだったね、マティルデと」
ふと、バルドゥイーンは思いだしたように問いかける。エドゥアルトは目だけを動かし、バルドゥイーンを見上げた。
「どこで聞いた?」
「随分前にライムントに会ってね」
現役時代のもう1人の親友の名前を、バルドゥイーンは挙げる。
「そのときに教えてくれたんだ。『エドゥアルトとマティルデが結婚したらしい』って」
「2年ほど前だ」
グラスに澄み切った音色を奏でさせながら、エドゥアルトが応える。
「仲良くしてるの?」
「……まあ、ぼちぼちだな」
そう言うエドゥアルトの顔に、暗い色が浮かんでいるのにバルドゥイーンは気付いた。 だが、自分から質問するのはためらわれて、自分のための水割りをもう一つ、作り始める。
お互い無言だった。
マドラーでグラスの中をかき回すと、氷と触れ合って軽やかな音を立てる。その音がかすかに耳に届いてきたとき、エドゥアルトは知らず、問いかけていた。
「なあバルドゥイーン。巧いこといっているか?」
「ぼちぼちかな」
自分の台詞を真似たバルドゥイーンの回答に、エドゥアルトは苦笑いした。
「……ぼちぼちか。いい事だ」
そう言うと、残っていた水割りを一気に飲み干す。
「もう一杯、飲むかい?」
「ああ、頼む」
バルドゥイーンは氷だけになったグラスを取り上げ、新しい水割りを作り始める。
作りながら、唐突に言った。
「……エドゥアルト。何を悩んでいるんだい?」
「……何だ、気づかれていたのか」
エドゥアルトは苦笑した。
「当たり前だよ、エドゥアルト。僕もこういう仕事をするようになって様々な生き方を見て来たからね、すぐにエドゥアルトが何かに悩んでいるって分かったさ」
「そうか」
「こうして久し振りに会えたのも何かの縁じゃないか。僕に話してみる気はない?」
エドゥアルトの目の前に水割りのグラスが置かれる。
それはさっきのよりも水の割合が多いのか、幾分色が薄かった。その色を見ながらエドゥアルトが呟いた。
「最近は自棄酒ばかりでな。正直、味なんかどうでも良かったのさ。ただ、酔うことが出来たらな」
グラスを取り上げ、ゆっくりと飲む。
「……別れ話が出ていてな」
バルドゥイーンは何も言わない。驚いた様子もない。もちろん、その目に責めるような色もない。
彼の顔にあったのは、ただ、落ち着いた穏やかな表情だけ。その顔を見ていると、不思議と、エドゥアルトは素直に全てを打ち明けよう、そんな気分になって来る。
それだけの力が、バルドゥイーンの顔にはあった。
彼は昔から、こんな男だった。
(変わらんな、この表情は)
そんなことを考えながら、木の実の皿に手を伸ばし、適当に口の中に放り込む。
ガリガリと勢いよくかみ砕き、水割りで喉の奥へ流し込んでから、エドゥアルトは再び話し始めた。
「……マティルデも承知している。家門の当主には明後日申し出るつもりだ。……話しに話しあった結果だ」
「マティルデとは、現役の頃からの付き合いだろ?」
「そうだな。バルドゥイーンとメヒティルトと同じくらいか。魔王退治や迷宮探検に良く一緒に出かけたもんだ。闘技場でも背中を預けあって……それで結婚したんだ。長過ぎた春だったのかも知れんな」
「何があったの?」
バルドゥイーンは自分のグラスを手にしたまま、落ち着いた口調を崩さず訊ねた。
「家門で門家の仕事をやっているんだがな。この前、先輩門家が相次いで辞めて現役の指導を一手に任される事になったんだ」
「へえ、すごいじゃないか。その若さで」
「その分責任も増えたけど、やりがいもあってな。つい闘技場に入り浸る日が続いたのさ。それをマティルデは寂しい、寂しいってな。そりゃマティルデの言う通りとは思ったけど、お互いにドールだ、門家の重要性は理解しているじゃないかって意識があったんだ。それでつい、言い争いになって。それから毎日顔合わせたら喧嘩さ。……ま、よくある話だがな?」
自嘲気味た笑いを浮かべてエドゥアルトが言うと、バルドゥイーンは肩をすくめて見せる。
「俺もマティルデもこんな生活が続くのはもう嫌になってな。もう別れようって事になったのさ。門家の意義の一つは守れなくなるが、そのうち解決するだろうしな」
しばらく、沈黙がバルドゥイーンとエドゥアルトを包む。
グラスと氷が奏でる音だけが店内に響いた。
ふと、エドゥアルトの脳裏に当主に対しての陳情書に署名した時の妻の様子が浮かび上がる。
涙をいっぱいにためながらうつむき、それきりエドゥアルトの方を見ようともしなかったマティルデ。彼女の肩が小さく震えて、テーブルの上に落ちていた涙。そんな妻から目を背けた自分。
いつもの言い争いは全くなかった、その日の夜。
(別れ話を切り出したのはどちらだったかな……)
エドゥアルトは思い出そうとする。だが、それをどちらが先に口にしたのか、いまではもう忘れてしまっていた。自分だったかもしれないし、妻だったかもしれない。
ただ、既にマティルデが用意した陳情書が用意されており、もう署名をすればいいだけになっていた。
『ほら、書いたわよ。これで満足なんでしょう?』
『ああ。済まなかった』
マティルデも意地を張っていた。そして自分自身も、意地を張っていたと思う。
それはエドゥアルトには分かっていた。もしかしたら、まだ危機を乗り越える手段は残っているかもしれない、とも思った。
だが、素直になれなかった。
いまではもう、どうでもいいという気持ちになっている。そして全てを忘れるために、連日、飲み歩いている。
「エドゥアルト、本当に離婚したいのかい?」
物思いに沈んでいたエドゥアルトに、バルドゥイーンは声をかけた。
「……仕方ないさ」
「仕方ないじゃないだろう。エドゥアルトの本心はどうなんだよ?」
真摯なバルドゥイーンの問いかけに、口から出たのはただ一言だった。
「……分からん」
「そう」
そしてバルドゥイーンも、それだけしか言わなかった。
唐突にバルドゥイーンはグラス一つと酒瓶を2本取り出すと、何かカクテルらしきものを作り始める。
ほどなくして、琥珀色の液体が入ったグラスがエドゥアルトの前に差し出された。タンブラーではなく、背が低くて底が広いロックグラス。そのグラスの真ん中より少し下のところまで、見たこともない色の酒が注がれていた。
普通のウイスキーよりやや赤みがかっているだろうか。表面に大きなロック氷が涼しげに浮かんでいる。
「……これは?」
「飲んでみなよ」
訝しげにエドゥアルトが訊ねると、バルドゥイーンは微笑んで、勧めた。
エドゥアルトはグラスを取り上げて香りを確かめる。何かの香草の香りが、鼻先に漂う。
舌先で舐めてみた。
とたんに強烈な甘さが全身を突き抜けて、エドゥアルトは思わず顔をしかめる。
「な、何だ、これは」
エドゥアルトにとっては経験したことのない甘さだった。
砂糖の甘さとは違う、舌が痺れるような、鈍い甘み。
エドゥアルトのその反応が予想通りだったのか、バルドゥイーンは笑いながら説明した。
「そのカクテルはラスティ・ネールっていう名前でね、ウイスキーと、ドランブイを混ぜ合わせてるんだ。ドランブイってのは峻険な山地と谷が連なるロンダルキアで15年以上熟成したハイランドモルトと40種類のスコッチ、それにヒースの花の香りや蜂蜜から作られるリキュールのこと。だからすごく甘いんだよ。おまけに普通はスコッチ2にドランブイ1なんだけど、これは割合を1対1にしているからね」
「ろくでもない酒を飲ませるな」
「ラスティ・ネールの意味は≪錆びた釘≫。この赤茶色みたいな色から連想したのかもしれないね。なかなか洒落た名前だと思わない?」
「≪錆びた釘≫か。妙な名前だな。だが今の俺達夫婦には意外と合うのかも知れんな。錆びた釘は折れるだけ」
そう言いながらも、エドゥアルトは意を決して酒を口に含む。
相変わらず鈍い甘みが全身を駆け抜けていくが、何だか病みつきになるような甘さである。
飲み込んでも、まだ甘さの余韻が口腔内で残る。
「ドランブイにはね、精力剤や媚薬の役割もあるんだよ」
「何だと?」
「東方じゃ、新婚夫婦が夜にこのカクテルを交替で飲んで頑張ったんだってさ」
「な、何を言うんだ? 突然」
慌てるエドゥアルトに、バルドゥイーンが笑いかける。
「蜜月って言葉も、そこから来ているそうだよ。もちろん、伝説に過ぎないけどね」
「さすが本職。良く知っているな。だが何の関係があるんだ?」
どうしてそんな由来を説明するのか、エドゥアルトには理解出来なかった。
普通よりドランブイを多くし、余計に甘くした理由も分からない。
するとバルドゥイーンは、唐突に訊ねた。
「ねえエドゥアルト。新婚のころってどうだった?」
「何言うんだ、いきなり」
「新婚時代ってさ。マティルデと2人で幸せになってやるんだって、そんな気持ちにならなかったかい?」
「……そうだな」
言われて、エドゥアルトは2年前の新婚時代を思い出した。
何もかもが幸せに満ちていた新婚時代。式を挙げたとき、衣装に身を包んだマティルデが世界で一番美しく見えたことを、いまでもはっきりと覚えている。
『私を絶対に幸せにしてね』
『当たり前だ』
マティルデと2人で幸せな家庭を作る。
式で彼女に接吻しながら、硬派を気取るエドゥアルトらしくなく、そう誓った。
朝、役目とはいえ屋敷を出る時は寂しさを感じ、指導中は妻の笑顔を思い浮かべ疲れを忘れる。指導が終われば主や他の門家の誘いも断って帰ったものだった。
そんな幸せだった新婚時代がまざまざと甦って来て、エドゥアルトは呟くように言った。
「いままで生きて来た中で、一番幸せな時期だったかも知れんな」
「それが分かってるなら、大丈夫だよ」
バルドゥイーンは微笑む。
「……どういう意味だ?」
「僕はエドゥアルトに新婚時代の幸せな生活を思い出してもらいたくて、その酒を出したんだ。そのカクテルも甘かったけれど、エドゥアルトたちの新婚生活は、もっと甘かったんじゃないかな? そんな日々は、ラスティ・ネールみたいな作り物なんかとは比べものにならないよ?」
「何を言いたい、バルドゥイーン?」
「もう一度、ちゃんとマティルデと話し合ったらどうだってことさ」
きっぱりと、バルドゥイーンは言った。
「エドゥアルトは心の底では、マティルデと別れたくないって思ってる。エドゥアルトはそれを認めたくないだけなんだ」
「……」
全てを見透かしたようなバルドゥイーンの言葉に、エドゥアルトはぐっと唇を噛んだ。
「……そんなことが、どうして分かる?」
「これでも僕は魔術師の端くれなんだけどな。闘技場で学んだ事の他にも様々な悩みを抱えた客の話を聞いている事で、心もそれなりに読めるようになったんだ」
「そうか。大したものだな」
バルドゥイーンは軽く微笑むと、きっぱりとした口調で言った。
「エドゥアルトはいまでもマティルデのことを愛してる。ただ、プライドが邪魔をして、彼女を引き止めることが出来ない。そうなんだろ?」
その言葉に言い返すことが出来ず、代わりにエドゥアルトは赤茶色の液体が入ったグラスを傾ける。
氷の周りが、粘着質のものに覆われている。
(バルドゥイーンの言う通りかもな)
ふと、エドゥアルトはそんなことを考えた。
男としての面子にこだわって、マティルデに謝ることが出来なかった。いまも引き止めることが出来なかった。そんな自分が情けなくて、酒に溺れたのかもしれない、と思った。
「……まだ、遅くは無いだろうか」
ふと気付くと、そんな言葉がエドゥアルトの口をついて流れていた。
バルドゥイーンは穏やかな笑顔で、はっきりと頷く。
その笑顔を見ているうちに、自分の心に勇気が湧いて来るのを、エドゥアルトは感じていた。
離婚を決めたものの、エドゥアルトとマティルデはまだ一緒に住んでいる。それはマティルデが、エドゥアルトに家を出ていくのを引き止めるよう、待っているからではないのか。
そして今夜もきっと、エドゥアルトの帰りを寝台の中で待っているに違いない。先に寝台の中に入っていながらも、マティルデが眠っていないことにエドゥアルトは気付いていた。
(互いに意地を張ってただけだったんだな)
エドゥアルトは苦笑すると、残っていた液体を一息に飲み干した。
「なあバルドゥイーン」
「……何?」
「この酒、もう一杯作ってくれないか? もう一杯飲んでから、帰るとしよう」
「かしこまりました」
おどけたように言ってバルドゥイーンはグラスを取り上げると、エドゥアルトのためにもう一杯、ラスティ・ネールを作り始める。
その鮮やかな手さばきを見つめるエドゥアルトの脳裏には、妻の笑顔が浮かんでいた。
『どんなことがあっても別れない。この笑顔を守る』
そう誓ったときの、マティルデの笑顔が。
それから数日後の定休日。
客がいないはずの店内に、バーテンの正装したバルドゥイーンと、薄い青色の服の上に深紅の上衣を纏った彼の妻の姿があった。
「……で、それだけであの馬鹿を帰したの?」
「ほかにどうしろと?」
「友達ならあの馬鹿をもっと怒鳴りつけてやりなさいよ! 私の親友を悲しい目に遭わせて、私がその場にいたら有無を言わさず殴ってるところよ」
「相変わらず過激だね……」
乾いた布でグラスを拭きながら、バルドゥイーンはカウンターで不機嫌そうな表情を隠せない様子のメヒティルトに笑いかける。
「ま、カクテルで相手を悟らせるなんて、貴方らしいと言えばらしいけどね」
「メヒティルトに褒められるとは思ってもみなかったな」
「誰が褒めてんのよ。第一、ラスティ・ネールって言えば、あのとき貴方が作ってくれたカクテルじゃないの。芸がないわね!」
「エドゥアルトとマティルデも、あのときの僕とメヒティルトみたいだってピンと来たからね」
バルドゥイーンが言うと、メヒティルトはふふっと軽く笑う。
「……本当はお互い別れたくないのに意地を張って。仲直りしたいんだけど、なかなかきっかけが掴めなくて。あのときは私ももう終わりかなって思ったわ」
「そんなときは原点に戻るのが一番なんだよね。あの状況ではあのカクテルは最適だと思うよ。何てったって、ね」
「カクテルに使われたドランブイのもう一つの意味、ね」
「うん、忘れ去られた古の言葉で『心を癒す飲み物』……あの2人、今夜ここに来るってさ」
「何だ、だから私をここに連れてきたの?」
それにしても、とメヒティルトがその口元に微かに笑みを浮かべる。
「古風な男を悟らせるのに態々『古めかしい』カクテルを使うなんて、貴方も洒落がきいているわよね。ドランブイを使うんならムーニー・オ・レでも良かったんじゃない?」
悪戯っぽくバルドゥイーンに笑いかけたメヒティルトの耳に軽やかなベルの音が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ」
バルドゥイーンの穏やかな歓迎の笑みの先に、2人の男女が立っていた。
この前とは違い、青地の上衣に黒を基調としたマントを着こなしたエドゥアルトと、その妻のマティルデ。2人とも、明るい笑顔を浮かべて、幸せそうな雰囲気を振りまいている。
「済まなかったな、バルドゥイーン。わざわざ呼んでもらって」
「こんにちは、バルドゥイーン、メヒティルト」
「久し振りね、マティルデ。……ついでにバルドゥイーンも」
「俺は『ついで』か?」
そう言って、明るく笑い合う妻と、親友と、親友の妻。
彼ら3人を穏やかな瞳で見つめながら、バルドゥイーンの口にも自然と笑みがこぼれていた。
そんな彼の前のカウンターには、彼がメヒティルトのために作った、ラスティ・ネールのグラスが置かれてあった。