ARIA The PIACERE 2 そのシンデレラの行く先は・・・ 作:neo venetiatti
翌日、アリスの件はどこにも報道されていなかった。
アローナ自身も関わっていたこともあり、この件に関しては自分から記事にはしないと約束していた。
だが、それも時間の問題だろうと思われた。
今回の件をオレンジぷらねっとが黙っているはずがなかった。
オレンジぷらねっとの稼ぎ頭であり、今や水先案内業界を代表するウンディーネであるアリスがケガをする自体になった。しかも、ネオ・ヴェネツィア国際映画祭のプレゼンターを直前に控えたこの時期に、である。
この件はすぐにゴンドラ協会にも伝えられた。
いずれ見解を求められることになるだろうし、今後の対策を講じる必要に迫られることは必至だった。少しでも早く問題を終息させる必要を感じたゴンドラ協会は、とりあえず協会預かりとし、オレンジぷらねっとには、ひとまず静観するよう協力を求めた。
「というわけなの」
ゴンドラ協会の理事として多忙な日々を送っていたアリシア・フローレンスは、久しぶりにARIAカンパニーに来ていた。
もちろんその理由は、アリスの件があったからだった。
「ただ、協会の中には、なぜ先に関係者に連絡をとらなかったのか、なぜARIAカンパニーが関わってくるのかと疑問を持つ人もいたり・・・」
「それはアリスちゃんのケガの治療が先だと判断したからで」
「それは私にもわかるわ、灯里ちゃん。だけどそこがどういった経緯でそうなったのかが問題になってるの」
「アリシアさん・・・」
灯里は困った様子でうつむいてしまった。
「何か言いにくい事情があるのね?」
「そうなんです」
「灯里ちゃん?後から問題になるよりも、先に話してしまった方が対策も考えられると思うの」
「私もアリシアさんの言う通りだと思います」
灯里はそう言って目線をテーブルに落として話を続けた。
「実はあの時、アリスちゃんが自分でやって来たわけではないんです」
「ケガをしてたんだもんね?なんとなく察しはついていたわ」
「はい。アリスちゃんと、あとアイちゃんとアリア社長、そしてもうひとり・・・アローナさん」
「アローナさん?」
「はい。アローナさんは、以前オレンジぷらねっとに所属していたウンディーネだったんです。今はルポ・ライターのお仕事をされているんですけど、アリスちゃんのゴンドラにお客様として乗ったことがきっかけで、アリスちゃんと知り合いになったらしくて。その後、アリスちゃんがネオ・ヴェネツィア国際映画祭のプレゼンターになってからライターさんとして私にも取材に来られて、それでアイちゃんとも知り合いになって・・・」
灯里は自分が知っている限りのいきさつをアリシアに全て話した。
「そういう経緯があったのね」
「アリスちゃんが取材と言って近づいてきた人に腕をつかまれたとき、近くにアイちゃんとアリア社長とアローナさんがいて、みんなでアリスちゃんを助けてくれたんです。その時に手首を痛めて、ゴンドラを自分で漕いで帰れなくなってしまって・・・」
「それでそのアローナさんがゴンドラを漕ぐことになったというわけね」
「どこかで早く治療した方がいいんじゃないかとなって、そしたらARIAカンパニーが一番近いということがわかって」
「ここまでやって来たということね」
「はい」
「みんなアリスちゃんのためにがんばってくれたのね」
「そうなんです、アリシアさん!」
アリシアは少し考えるようにカウンターから外の方を見た。そして目線をおろすと軽く微笑んだ。
「うん、わかったわ。灯里ちゃんの今の話を聞いて大体のことは理解できた。ただ、その場にいた人たちにも話をきかないと・・・」
「アイちゃんはアリア社長とアリスちゃんのお見舞いに行ってるところです」
「もうひとりの一番大事な人の話も聞かないとね」
アリシアがそう言ったとき、ドアをノックする音が聞こえた。
灯里は返事をしてドアの方に向かった。
ドアを開けるとそこには、今では余り見かけなくなっていた普段着姿のアテナが立っていた。
「アテナさん!」
「灯里ちゃん、突然ごめんね。アリシアちゃんがここにいるって聞いたもんだから」
アリシアがその言葉に反応するように椅子から立ち上がった。
「アテナちゃん」
「良かった。アリシアちゃんに会えて」
灯里はアテナを招き入れ、キッチンへと向かった。
「とにかくかけて」
「ありがとう、アリシアちゃん」
アテナは椅子に腰かけると、ふぅーとため息をひとつついた。
「大丈夫?」
「うん。少しでも早くアリシアちゃんに会っておいた方がいいと思ったの」
「じゃあ急いで来たの?」
「うん」
カップをワンセット、トレイに乗せて戻ってきた灯里は、そこに紅茶を注いでアテナの前に置いた。
「それでは私は二階にいますので、用があれば・・・」
「ううん、灯里ちゃんも一緒にいてちょうだい」
アテナはそう言って、座るよう促した。
「アテナちゃんが私に会うためにここまで来た理由は、もちろん察しがついてるけど」
「そうね。今回のアリスちゃんの件、私からもアリシアちゃんに話をしたかったから」
「いいわ。なんでも言って」
アテナは紅茶の入ったカップに口をつけ、皿の上に戻した。
「とにかく、誰も悪くないということを話したかったの」
「私も先ほど灯里ちゃんから大体のいきさつを聞いたから理解できているつもり」
「わかってる、アリシアちゃんが言いたいこと」
「私の言いたいこと?」
「うん。いくらケガをしたからと言って、アリスちゃんはもう立派なプリマ・ウンディーネ。人にゴンドラを任せることが判断としてどうだったのかは、避難されても仕方ないと思うの。それにアローナのことも・・・」
「アテナちゃんは、そのアローナさんのこと、よく知っているのよね?」
「アローナは私が指導に当たっていたシングルの中のひとりだった。会社から言われて特別に指導に当たることになったんだけど、結局それがきっかけで彼女はウンディーネを辞めることになった。そんな彼女と再会したとき、アリスちゃんのことでキツく当たってしまったの。ちゃんと話を聞かなかった私が悪かったのに。もしかしたら、その事がアローナにとって負い目になっていたとしたら、そしてそのことがあったからこんな結果になったとしたら、それは私のせいなの」
「アテナちゃん」
アテナは目を潤ませていた。
「だから誰も悪くないの、アリシアちゃん」
「わかったわ、アテナちゃん。みんな誰かのことを思って行動した。そういうことよね?」
「みんな誰かのことを思って・・・」
灯里がポツリと呟いた。
「そう思わない?」
アリシアは上着のポケットから白いハンカチを出すと、アテナにそれを渡した。
「ありがとう」
アテナはそのハンカチで目元を押さえた。
その様子を見ながらアリシアは言葉を続けた。
「アリスちゃんを心配してアローナさんはそうしようと判断した。もちろんアイちゃんもアリア社長もね。そしてそのことを知ったアテナちゃんは心配して私に話に来てくれた。そして、アリスちゃんも」
「えっ、アリスちゃんもってどういうことですか?」
灯里の問いかけに反応するように、アテナも顔を上げた。
「実はここへ来る前に、アリスちゃんから電話をもらっていたの」
「そうだったんですか?」
「そうなの。今度のことは全て自分の責任だって」
「アリスちゃんがそんなことを・・・」
「自分のうかつな行動が招いた結果であり、プリマとしての自覚に欠けていたことが原因だってね。アテナちゃんが思うほど、プリマであることを自覚してない訳じゃないと思うの、アリスちゃんは」
「アリシアちゃん」
「だから今回の事は、みんなの思いがひとつに繋がって起こった出来事だと言えるんじゃないかしら」
「わたしもそう思います。悪いのは誰でもなく、取材と言ってアリスちゃんに近づいた、その人です!」
「そうね。そのことも今後の課題といえるわね」
アリシアはそう言ってカップを手に取った。そしてひとくち飲むと言葉を続けた。
「それともうひとり、肝心な人に私だけまだ会ってないしね」
「それについても、お手柔らかにお願いします、アリシアちゃん」
アテナはそう言うと、アリシアから受け取ったハンカチで思いっきり鼻をかんだ。
「あらあら」
「洗濯して返すわ」
「いいえ、もうアテナちゃんにあげる」
「えぇ~アリシアちゃ~ん」
「う~ん。どうしたもんか・・・」
アローナは両手を頭の後ろで組んで、空を見上げた。
海に面したカフェのオープンテラスで、ひとり座っていた。
平日の午後ということもあって、アローナの他にはあまり客の姿はなかった。
アローナが頭を悩ませるのも無理はなかった。
アローナ自身が月刊ウンディーネに持ち込んだ企画〈憧れのウンディーネたち〉は、今や完全に行き詰まっていた。
それというのも、その内容のほとんどをアリスのことで埋めるつもりだからだった。
しかし、先日の一件があって以来、オレンジぷらねっとのみならず、ARIAカンパニーにも顔を出せずにいた。
それに、アリス共々警察に事情説明に行ったこともあり、ゴンドラ協会やオレンジぷらねっとの知るところとなった。
その上、出版社からは原稿の遅れを指摘され、企画そのものが中止になりそうな雲行きだった。
「あぁあ~、やっぱり向いてないのかなぁ、この仕事」
そう言ってアローナは腕を下ろしつつ、前方に視線を移した。
その瞬間、アローナは固まってしまった。
丸いテーブルがたくさん並んだオープンテラスの中で、アローナの向かいのテーブルに、いつの間にか座っている人物の姿に目が釘付けになってしまった。
「あら、休憩の時間だったかしら。それとも原稿の内容を考えていたのかしら。それだったらごめんなさいね」
「ア、ア、ア、アリシアさん・・・ですか?」
アローナの驚きとは逆に、アリシアは穏やかな笑みを浮かべていた。
「そっちに行ってもいい?」
「ええ、もちろん、どうぞ」
アリシアは同じテーブルのアローナの向かい側に座った。
「はじめまして。アリシア・フローレンスと申します」
「は、はじめまして。アローナと申します」
「やっぱりそうだったのね?あなたがアローナさん?」
「あ、はい。私がアローナですけど・・・」
「やっぱり。そうだと思った」
アリシアは無邪気に微笑んだ。
「えーと、どこかでお会いしたこと、ありましたでしょうか?」
「いいえ。初めてよ」
「はぁ、そうですか・・・」
アローナは、アリシアのどこまでも穏やかで美しい微笑みに見とれてしまった。
〈いや、待てよ。なんで初めて会う人の目の前のテーブルに座って微笑んでいられるんだ?もしかして、本当は恐ろしい人なんじゃないか・・・〉
「アローナさん、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。私、そんなに恐ろしい人間じゃないつもり」
アローナはギクッと身体を震わせた。そして、こめかみからじんわりと汗が滲み出ていた。
〈この人に逆らってはいけない気がする〉
「あら、今日はそんなに暑かったかしら」
アローナはすっと空を見上げたアリシアに、恐る恐る話しかけた。
「あの~、私に何かご用でもありますのでしょうか?」
アローナの変な言葉遣いに、アリシアはニッコリ微笑んで見せた。
「アローナさん、あなたに一度ちゃんとお会いしないといけないと思ってました」
「わ、わたしにですか?」
アローナは、きっと先日のアリスの一件で自分を捜しに来たんだと、直感的に思った。
そしてそれは、何かペナルティを課される宣告なんだとも。
「私はどんな処分でも受けるつもり・・・」
「アローナさん、ゴンドラ協会を代表してお礼を言います。この度はアリス・キャロルを助けていただいて本当にありがとうございます」
「あ、ありがとう・・・ございます?」
アローナは拍子抜けしていた。
だがアリシアは、いたって真剣な表情だった。
「アローナさんのおかげで、アリスちゃんは軽いケガですんだんだと思います」
「私はたまたま、あそこに居合わせただけで、特に何をしたというわけでも・・・ないようなあるような・・・」
アローナ自身、何もなかったとは、ウンディーネの経験があるものとして言い切ることはできなかった。
「その後のことも聞いています。それも含めてあなたには感謝したいと思っています」
「そうなんですか?」
「ええ。ただ、あなたが何も知らない通りがかりの人だったら、改めて考えることもなかったのだけど・・・」
アリシアは少し言葉につまってしまった。
「アリシアさん、いいんです。こんな私にそんなに気を使っていただかなくても。わかっています、アリシアさんが言いたいことくらい。だって、ウンディーネの世界に一度は身を置いていたわけですから」
「アローナさん」
笑顔で応えるアローナに、アリシアはすまなさそうな表情になっていた。
「未練がないと言えば嘘になるけど、私が取った行動が誰かの役にたったのだとしたら、それはそれで満足しています。実際、ウンディーネをやってる時には味わえなかったことですから」
アリシアは爽やかに微笑むアローナに真剣な表情で言った。
「アローナさんに聞いておきたいことがあるの」
「何ですか?」
「このネオ・ヴェネツィアのこと、今はどんなふうに思ってる?」
「どんなふうに・・・」
アローナは少しテーブルに視線を落とし考えていたが、顔を上げ、まっすぐにアリシアを見てこう言った。
「好きです。前よりもますます好きになっちゃいました!」
アローナは満面の笑みで答えた。
アリシアは一瞬呆気にとらていたが、優しく微笑み返した。
「そう・・・そうなのね」
二人の間に優しく風が通り過ぎていった。
「気持ちいい」
アローナは風がやって来た海の方を見た。
前髪が目の前で乱れ、目を細めた。
アローナは視線を海に向けたまま、アリシアにたずねた。
「アリシアさん。私、いつまでこのネオ・ヴェネツィアにいられますか?」
「えっ、どういうこと?」
アリシアは思いもかけないアローナの問いかけに驚いた。
「やはり何かペナルティがあるんでしょ?今の私に課せられるペナルティがあるとすれば、それはネオ・ヴェネツィアへの立ち入り禁止命令とか・・・そういうのですか?」
「えっ?」
「いや、だからウンディーネの経験がある私が、勝手にアリスさんのゴンドラを漕いでしまったわけですから」
「ああ、そのこと?」
「違うんですか?」
「それは確かにその通りね」
「やっぱりか・・・」
アローナはガクッとうなだれた。
「でも、その立ち入り禁止って、どういうことかしら?」
「だからペナルティが・・・」
「アローナさん。いくらなんでもゴンドラ協会や水先案内業界が、一個人にそんな制限を課せられるわけ、ないじゃない?」
「はぁ?」
「アローナさん、それ、心配しすぎ」
「違うんですか?」
「違わないんだけど」
「じゃあなんなんですか?アリシアさんはそれを言うためにわざわざ出向いて来られたんじゃないんですか?」
「ちょっと落ち着いて、アローナさん」
「結果次第では、もうこの風景ともお別れなのかと・・・」
アローナは涙ぐんでしまった。
「アローナさん、そんなにもネオ・ヴェネツィアのことを・・・」
アリシアは上着のポケットを探った。
しかし、ハンカチはなかった。
「アローナさん、私も人のこと言えないんだけど、おっちょこちょいって言われない?」
「へぇ?」
アローナは涙を拭いながらアリシアの顔を見た。
「おっちょこちょい、ですか?・・・確かに言われますけど」
「やっぱりそうなのね」
アリシアはテーブルに肘をつき、顔を乗せて、まじまじとアローナの顔を見つめた。
「確かにゴンドラ協会の中には、今回のことを問題だとする意見もあった。だから、ちゃんと調べてみたの。あなたにペナルティを課すことが必要なのかどうかを」
「それって」
「あなたはもうすでにウンディーネとしての地位は、すべて抹消されています」
「地位が抹消って、どういうことですか?」
「つまり、ウンディーネとして何か責任を求められることはないということ。オレンジぷらねっとにも、在籍したことのある水先案内店にも、そしてゴンドラ協会にも。あなたがウンディーネだった記録はあっても、その権利や立場は、今はもうないということなの」
「そうなんだ。知らなかった・・・えっ、ということはなんの問題もなしということですか?」
「ううん、それが困ったことに何もないというわけにはいかないの」