ARIA The PIACERE 2 そのシンデレラの行く先は・・・ 作:neo venetiatti
アリスは楽屋として用意された部屋の前で立ち止まった。
ドアの横の壁に〈アリス・キャロル〉と書かれた紙が貼ってあった。
自分の部屋が用意されている。
だが、その余韻に浸る時間もないまま、スタッフに促されるように部屋に入って行った。
中では先ほど別れた会社のスタッフが待ち構えていた。
心配した様子のスタッフに、
「緊張しました」
と洩らした。
着替えを済ませた方がいいのかどうか勝手がわからずにいると、最初に会った事務局のスタッフがやってきた。
「時間には多少余裕があるように思えるかもしれませんが、ご自身の出演時間はすぐやって来ると思っていて下さい」
冷静でありながら、しっかりとしたスタッフの口調に、アリスは緊張が一層増してゆく気分だった。
そのスタッフが楽屋から出ていった後、すぐにメイクを開始した。
そして、会社が用意したオレンジ色のドレスの着付けを終えると、スタイリストに預けていた銀色のブローチを胸元に着けた。
その時ドアをノックする音がした。
スタッフが対応に出ると、お届けものですという声が聞こえた。
大きな花の贈り物だった。
すると、次々と花の配達が続き、楽屋は一気に花で埋め尽くされた。
「なんか、私が受賞でもしたみたい。プレゼンターなんですけど」
アリスは嬉しそうに見渡していた。
その中のひとつにカードが差し込まれていることに気づいた。
カードはアテナからのものだった。
〈アリスちゃん プレゼンターの大役おめでとう。あなたはすべてのウンディーネの誇りです。胸を張って、そして自身をもって、この大役を勤めてください。 アテナ〉
「アテナ先輩」
アリスの目に涙が溢れていた。
「アリスさん、もうすぐ本番ですよ!」
メイク担当のスタッフから思わず声が飛んだ。
「す、すみません」
アリスはそのスタッフから手渡されたハンカチを目の縁に当てた。
すると、忙しそうにドアをノックする音がした。
「アリスさん、本番です!お願いします!」
アリスは、こわばった表情のまま、呼びに来たスタッフの後を追うように、足早に楽屋を出て行った。
ネオ・ヴェネチア国際映画祭は、最終日の授賞式を迎え、会場の熱気は最高潮に達しようとしていた。
アリスがプレゼンターとして登場するのは、その年もっとも顕著な活躍を示した新人俳優に贈られる新人賞だった。
今年大いに注目を集めたウンディーネのアリスが、新人賞のプレゼンターを務めることに関心が高まっていた。
アリスが舞台袖に到着したとき、次のプレゼンターと思われる男性がスタンバイしていた。
会場のざわめきや拍手、そして喝采。受賞者だろうか、会場に響く声に続いて、一層の拍手喝采が鳴り響いた。
そして、司会者が再び登場し、話し始めた。
アリスは会場の様子から、事前のリハーサルの通り進行されていることに安堵していた。
これで自分の出番がやって来たときには、予定通り進めればいいだけだった。
その時だった。
焦った様子でスタッフがやって来て、インカムを着けたスタッフと話始めた。
明らかに表情は固く、困っている様子だった。
すると、そのインカムのスタッフがアリスの方に目線を向けた。
アリスは目線が合ってしまい、驚いて目を背けた。
不安な気持ちが一気に押し寄せて来た。
すると、スタッフが話かけてきた。
「アリスさん、すみません。実は、急遽順番が変更されることになりました」
アリスは思っても見ない展開に言葉を失っていた。
「機材トラブルが起こりまして、スクリーンを使った演出ができなくなったんです」
アリスは、自分の出番の少し前の部門からの演出を、ある程度把握していた。
このあと、ネオ・ヴェネチアとこの映画祭の歴史を紹介するコーナーが行われる手筈だったが、映像でそれらを紹介することが主体となっていた。
「ですので、先に新人賞の発表を行います。急なことで申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
アリスは頭が真っ白になっていた。
「それは、いつからですか?」
「このあとすぐです。司会者より説明が行われます。そのあと、アリスさんに出ていただきます」
心臓の鼓動が高まるのが、はっきりわかった。
しかし、それだけでは収まりそうになかった。
また走り込んできたスタッフの言葉が、今度はしっかり聞こえた。
「新人賞の女優さんが、まだスタンバイできません」
「しかし、これ以上は引き伸ばせない」
インカムでどこかとやり取りしていたスタッフが何回か頷いた後、了解しましたという言葉を言うのが聞こえた。
「アリスさん、司会者が呼び込みますので、こちらの合図で出てください。あとはリハーサル通り、アリスさんのコメントがあって、指示を出したら発表してください」
スタッフはそう言うと、受賞者の名前が書かれた紙の入った封筒をアリスに手渡した。
だが、気持ちを切り替える時間もなく、アリスは司会者によって名前を呼ばれることとなる。
「関係者の皆様には大変ご迷惑をお掛け致します。機材の故障が治り次第、ご覧いただきたいと思います。それでは、予定を変更して、先に新人賞の発表に参りたいと思います」
司会者のその言葉を合図に舞台を照らす照明が変わった。
「一生に一度しかない、映えある新人賞を発表していただくプレゼンターは、このネオ・ヴェネチアで憧れの存在であり、ゴンドラで日々観光案内をする水先案内界の華であるウンディーネです。彼女は、ウンディーネの中でも最高位のプリマに史上初の飛び級昇格を果たした逸材で、いま最も人気のある人物です。この賞のプレゼンターとして最もふさわしいと言えるでしょう。アリス・キャロルです!」
アリスの側でインカムを着けたスタッフがアリスに合図を出した。
アリスは緊張のあまり目を大きく見開いたまま、固い表情で一歩踏み出した。
すると、会場から割れんばかりの歓声と拍手が鳴り響いた。
しかしアリスは、その歓声が耳に入っていないかのように、決められていた舞台中央の位置まで真っ直ぐ一直線に進んでいった。
スタッフから受け取った封筒を胸の前で、しっかりと両手で握りしめていた。
そして、スタンドマイクの前でくるりと会場の方に向きを変えた。
その瞬間、ハッと息を飲んだ。
満員の会場を目の前にして、動きが止まってしまった。
だがそこで、舞台の前にいるスタッフの、両手を左右に広げる動きが目に入った。
〈あれって、確か時間を伸ばせってことのはず・・・えっ、ええ~!〉
舞台に登場して、まだ一言も発していないのに、いきなり時間を伸ばせという合図。
アリスは自分でもわかるくらい、顔をひきつらせていた。
「アリス・キャロルです。えっと、私は、ゴンドラで日々観光案内を行っているウンディーネです。ウンディーネという名前を初めて聞いたという方もいらっしゃるでしょう。是非、ネオ・ヴェネチアへおいでください。そして、ゴンドラに乗って、この街の素晴らしさを体験してみてはいかがでしょうか」
そこで言葉が途切れると、拍手が鳴った。
〈やっぱり観光大使みたい・・・〉
アメリア部長と考えた内容だったが、アリスは危惧した通りだと感じていた。
「それでは・・・」
舞台前のスタッフがものすごい勢いで、左右に大きく手を広げていた。
チラッと舞台袖に目をやると、先ほどのスタッフも必死の形相で左右に手を広げていた。
だが、アリスの用意したコメントは、すでに終わっていた。
アリスは舞台袖に顔を向けたまま頭が真っ白になり、何も言葉が浮かばないでいた。
〈やっぱり断るべきだった・・・〉
今さら考えてもどうしようもないことだったが、アリスはその思いでいっぱいだった。
恐る恐る顔を会場へ向けた。
会場の様子は、静けさからざわめきへと変わりつつあった。
その時、アリスの目にキラキラ輝く光が飛び込んできた。
それは胸元に着けたブローチの輝きだった。
〈アテナ先輩〉
心の中でひとつの思いが芽生えていた。
私は今、一人じゃない。
ブローチを託してくれたアテナ、必死になって一緒に探してくれた藍華や灯里、自分のことのように心配してくれた杏、アトラ、あゆみ。そして自分のことを夢だといってくれたアローナ。
今、自分の胸にあるブローチには、たくさんの人の思いが込められている。
アリスはそう思うと、何を言うべきなのかをはっきりと理解することができた。
「会場へお越しのみなさん、今私は、とても幸せを感じています。このような輝かしい舞台に立つことができたのは、たくさんの人たちの思いによるものだと思っています。そのたくさんの思いが、繋がって繋がって、どこまでも繋がっていって、最後には思いもしなかった奇跡へと繋がってゆく。それをいま、この場所に立っていて、感じずにはいられません」
観客はアリスの言葉に聞き入るように静まり返っていた。
すると、舞台袖に真っ赤なドレス姿の女性が立っていた。
その女性は、アリスの話す姿を一瞬たりとも見逃すまいと、じっと見つめていた。
「私は、プリマ・ウンディーネになって、まだ一年余りです。新人だといってもいいくらいです。そんな私でも、これからウンディーネとして何か出来るのかもしれない。そう思えるようになりました。こんな思いを抱かせてくれた方々に、今は感謝しかありません」
そう言うと、会場から大きな拍手が沸き起こった。
アリスは舞台前で指示を出すスタッフが、次へ行くよう合図を出すのが目に入った。
「それでは皆様、お待たせいたしました。新人賞の発表です!」
アリスは持っていた封筒を開け、中に入っている一枚の紙を取り出した。
そしてそれに目を向けると、微かに笑みを洩らした。
「今年度のネオ・ヴェネチア国際映画祭の新人賞は・・・アレッサンドラ・テスタロッサさん!」
アリスは高らかにその名前を告げると、後ろを振り返った。
舞台の後方から登場するはずの受賞者が、出てこない。
アリスが一瞬呆気に取られているその時、舞台袖から真っ赤なドレスを身にまとったその女性は登場した。
その瞬間、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。
誰もが引き付けられるであろう美貌とオーラを持ったアレッサンドラは、新人とは思えない、堂々とした姿だった。
アリスの横には受賞トロフィーを持った女性いつの間にか立っていた。
読み上げた封筒と入れ替わりに、そのトロフィーを受け取ったアリスは、向きをもとに戻した。
目の前には、すでにアレッサンドラが立っていた。
圧倒される存在感とその美貌に目を奪われた。
アレッサンドラはアリスにほほえみかけた。
「お、おめでとうございます」
やっと出た言葉と同時にトロフィーを手渡した。
「ありがとう、アリスさん。あなたにお会いしたかったの」
「えっ、私にですか?」
そう聞き返したが、舞台の前にいるスタッフが、早く舞台袖に引っ込むよう合図を送っていた。
アリスは慌てて、出てきた方とは反対の袖に向かっていった。
「お疲れ様でした、アリスさん」
スタッフに声をかけられたアリスの背後では、舞台の真ん中で大輪の花を咲かせたようなアレッサンドラが、万雷の拍手を浴びていた。
控え室に戻ったアリスのところにアマンダ部長がやって来た。
「アリスさん、ご苦労様。大変だったわね」
「あ、いえ・・・そうですね」
「でも立派だった。あのコメントは事前に考えていたの?」
「いえ、あの場で思い付いたものです」
「そうなの?それにしては良かったわ」
「ありがとうございます」
そこでドアがノックされた。
外から顔を覗かせたスタッフがアマンダに何か話しかけた。
それにアマンダはうなずいた。
「アリスさん、お疲れのところ悪いんだけど、外で記者の人たちが待ってるの」
「はぁ、そうですか」
アリスはため息混じりの返事を返した。
テーブルの上にあったガラスコップの飲み物を、差してあるストローでチューっと吸って、ふぅ~と息を吐いた。
「では行ってきます」
ロビーにはたくさんの記者たちがアリスの登場を待ち構えていた。
その立ち並ぶ記者たちの正面まで行くと、ぐるっと記者たちがアリスを取り囲んだ。
「皆さんお待たせいたしました。これより始めたいと思いますが、時間があまりありませんので、手短にお願いします」
オレンジぷらねっとの広報担当が始めに説明に立った。
「アリスさん、プレゼンターを務められて、まずは率直な感想を」
「はい、えっと」
アリスが話始めると、一斉にフラッシュの嵐となった。
「とにかく緊張しました。でも無事に終えられて、今はほっとしています」
「受賞者の発表まで少し時間がかかったように見えましたが、機材のトラブル以外にも何かあったんでしょうか?」
やはり、あそこで開いてしまった変な間と、そのあとのコメントには、少し違和感があってもおかしくないと思っていた。だから、その辺の質問があるだろうと予想はしていた。
しかし、新人賞受賞のアレッサンドラの準備も遅れていたと説明するのは、余計な話かもとアリスは考えていた。
「はい、少し進行状況が・・・」
アリスが話し始めたところで、ロビーにざわめきが起こった。
記者たちが、そのざわめきの方へと目を向き始めると、アリスもつられてその方向に目を向けた。
「なぜここに?」
記者の一人から思わず言葉がもれた。
深紅のドレスに身を包んだアレッサンドラ・テスタロッサだった。
彼女は舞台の衣装のまま、ロビーに姿を現した。そして躊躇することなく、真っ直ぐにアリスを目指してやってきた。
アレッサンドラが近づいてくると、自然と記者たちが左右に別れた。
アリスは左右に別れた記者たちの向こうに見える、自信に満ちたアレッサンドラと目が合った。手には先ほど舞台で渡したトロフィーがあった。
すると、アリスの目の前までやって来たアレッサンドラは、そのままアリスを抱きしめた。
その場にいた全員が驚きで目を見張った。
しかし、次の瞬間、フラッシュの嵐となった。
「えっ、な、なんですか?」
「アリスさんに会いたかった。もう帰ってしまったかと思って急いで来たの」
「ど、ど、どうしたんですか?」
アリスは何がどうしてこうなったのか、皆目見当がつかなかった。
「私、この賞をとることは目標ではあったけど、それをアリスさんから受けとることになるなんて、本当にうれしかった。諦めなくて本当に良かった」
アレッサンドラは目に涙を浮かべていた。
そして、記者たちの方へと向き直ると、毅然とした態度でこういった。
「発表まで少し遅れてしまったのは、私のせいでもあります」
記者の中からどよめきが起こった。
「アレッサンドラさん、どういう意味か、教えてもらえますか?」
記者から質問が飛んだ。
「私の準備が遅れたんです。それをアリスさんが咄嗟の判断で繋いでくださったんです」
アレッサンドラは、笑顔でアリスの方に振り返った。
アリスは少し照れたようにうつむいた。
「ところで、お二人はお知り合いだったんですか?」
記者の質問にアレッサンドラはアリスに話しを振るような仕草をした。
「いえ、初めてお会いします」
「一方的に私がアリスさんのファンなんです」
アレッサンドラは、すかさずアリスの後に言葉を続けた。
「これまでプロフィールには一切載せていませんでしたが、実は私、ウンディーネを目指していた過去があります」
その言葉にどよめきが起こった。
アレッサンドラが芸能一家に生まれたサラブレッドだということは、誰もが知っている話だった。
だから、アレッサンドラが芸能界とは全く違う職業を目指していたことは意外であり、にわかには信じがたい話だった。
「皆さんは信じていらっしゃらないと思いますが、これは本当の話です。調べていただければわかることです」
確かにそうだった。
「つまり、一度はどこかの水先案内店に所属していたことがある、ということですか?」
「その通り」
またまたざわめきが起こった。
「過去に所属していたことがある水先案内店は・・・」
アリスはごくりと唾を飲み込んだ。
まさか、そんなうまい話が次から次へと起こるわけが・・・
「姫屋です」
アリスは思わずガクッとなった。
「でも残念ながら才能はありませんでした。だからアリスさんとネオ・ヴェネチア国際映画祭の舞台でご一緒できたこと、本当に光栄に思います」