ARIA The PIACERE 2 そのシンデレラの行く先は・・・ 作:neo venetiatti
アリスは今日も朝から予約が一杯だった。
アリスのプリマ姿は日をおうごとに注目の的となり、どこの水路、運河でもカメラを構える人が増えていた。
だが当の本人はできるだけ関心がないように振る舞おうとしていた。
プリマになって一年余り、さすがに注目されることに慣れたとはいえ、どこか意識してしまうのは仕方がなかった。
「私って、そんなに珍しいでしょうか?」
いつしか、ウンディーネ界のアイドル、またはアイドル・ウンディーネと称されるようになり、中にはオレ・プリ(通り名のオレンジ・プリンセスを略して)や、ぷら・プリ(オレンジぷらねっとのオレンジプリンセスなので)とかいう人まで出てくるようになっていた。
次の日のスケジュールには、雑誌「月刊ウンディーネ」の取材が入っていた。
ここ最近の、ウンディーネをアイドル視する感覚は、明らかにアリスの登場が大きく影響していた。そして、そのきっかけを作ったのは、その月刊ウンディーネだった。
そもそもは、アリスのミドルスクール時代のボート部での活躍ぶりを記事にしたことが始まりで、その後も期待の新人として幾度となく記事にしていた。その後、ペアからプリマへの飛び級昇格。話題には事欠かない状況だった。
月刊ウンディーネの取材は、オレンジぷらねっとの社屋や船着き場、お客様を乗せての観光案内の様子、じゃがバターを頬ばるシーンに至るまで、多岐にわたっていた。
さながらそれは、アイドル雑誌のグラビアのようだった。
ウンディーネとしての質問はただひとつ。
「プリマになられての感想を一言」
これまで何度も答えてきた一言をアリスは答えた。
「でっかい忙しいです」
「本日は誠にありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
アリスは笑顔でゴンドラを降りるお客様の姿を見る度に、ほっとした安堵と喜びを感じていた。
見送っていると、振り返って手を振ってくれるお客様もいる。そんなとき、自然と笑顔がこぼれてくる。
アリスは、サン・マルコ広場に程近い船着き場で、次のお客様を迎えに行くため、再びゴンドラを出そうとした。
「ウンディーネさん、よろしいかしら?」
ひとりの女性が声を掛けてきた。少し日焼けした顔につばの広い帽子をかぶり、半袖のシャツにジーンズ、肩からポーチを掛けていた。白いサンダルがやけに印象的だった。
「あの、申し訳ありませんが、予約のお客様にお待ち頂いておりますので、ここでお乗せするわけにはいかないんです」
アリスのその言葉にその女性はニッコリほほえんだ。
「わたしがそのお客様なんですけど」
「えっ?」
アリスは思わずその女性をまじまじと見つめてしまった。
「午後から予約を取っていたアローナ・エスティーナです。確か間違いないはずなんだけど」
アローナは風で飛びそうになる帽子を片手で押さえながら、不思議そうな顔で呟いた。
「この後ご予約を頂いてるアローナ様は、約30分後に当店にてご乗船頂くことになっているはずなんですけど・・・」
アリスはちょっと不信感を漂わせながら答えてみた。
「確かにそうなんだけど、久し振りのネオ・ヴェネツィアだったから、色々見すぎちゃって時間が過ぎるのに気付かなくって。そしたらもうこんな時間でしょ?間に合いそうにないなって思って、どうしよかと考えてたら、なんと、目の前にあなたがいるじゃない?」
アローナはパッと目を見開て、思いっきりの笑顔でアリスを見た。
アリスはその屈託のない、明るい笑顔にポカンと口を開けて見とれてしまった。
「こんなタイミング、普通じゃ考えられない。これはきっと、ネオ・ヴェネツィアの女神様がくれた奇跡に違いないわ!」
アリスは心の中で〈はあ?〉とつぶやいていた。
「こんなセリフを言う人が他にもいたんだ・・・」
「えっ、なに?」
「いえ、何でもないです」
アローナは嬉しそうに笑いっぱなしだった。
でもアリスはどうもスッキリしない表情のままだった。
「お客様、何か証明するものはございますか?」
「証明するものかぁ」
「例えばスマートカードとか」
アリスの言うスマートカードとは、個人を証明するID、決済を行えるクレジット、ホテルの予約やチケットの確認などに使える機能などを一枚に凝縮した旅行者には必需品といえるカードだった。
「私ね、古いタイプの人間だから、あんまりそういうの使いなれてなくて」
「それでは予約の手続きはどのようにして行われたのでしょう?」
「予約の手続きは、駅のチケットボックスから買ったんだよね。あれ、ピッピッって簡単でしょ?」
「だとすると、領収書とか控えとかお持ちではないですか?」
「あぁ、控えか。そうだ、控えだ!」
アローナはポーチの中に手を突っ込んでガサゴソとやり始めた。そして、くしゃくしゃになった控えの紙を取り出した。
腕をまっすぐに伸ばして突き出してきた手に握られた紙を、アリスは受け取って確かめた。
日付や時間、店名、乗船場所、そして希望ウンディーネ名のところには確かにアリス・キャロルの名前が印字されていて、間違いはなかった。
「確かに」
「でしょ?」
まだスッキリしない感じのアリスとは対照的に、アローナはものすごくスッキリした顔になっていた。
「ウンディーネさんて用心深い方ね。でもさすがそこはプロよね」
アローナはウィンクしてみせた。
「す、すみません。不快な思いをさせてしまったことお詫びします。申し訳ありません」
「いいのいいの、気にしないで。突然予定を変更させてしまったのは、こちらの方なんだから」
アローナはそう言ってゴンドラの横に立ってニッコリ笑うと、何かを待つかのようにじっとしていた。
「あの~」
アリスはアローナのその姿が理解できずにいた。
「お客様、急にどうされたので・・・しょう・・・か?」
「えっ、何が?」
「いえ、あの~、その~」
どうもアローナが何かを期待しているらしいのは、なんとなく感じとれたのだが、それがなんなのか、やはりアリスには理解できなかった。
「ウンディーネさん、いつものあれよ、あれ」
「いつもの、あれ・・・」
アローナはまたもやウィンクをしてくる。
「私の勘違いかもしれませんが、お客様とは初対面だと思いますが・・・」
「そうよ、初対面よ」
「だったら、あれというのは一体どのようなもので・・・」
「ウンディーネさん、マジ?」
アリスは口をポカンと開けて、当然のことのはずだと言いたげなアローナを見た。
「あれよ、あれ。お手をどうのこうのっていうやつ」
「ああ、はい。そういうことで」
アリスにようやく伝わったことがわかって、アローナはニッコリと笑い返してきた。
「それではお客様、お手をどうぞ」
「ありがとう、ウンディーネさん!」
アローナは、差し出されたアリスの手の上に手を重ねてゴンドラに乗り込んだ。
「少し揺れます。お気をつけください」
そう言うとアリスは、片足で桟橋をぐっと押した。
ゴンドラは静かに船着き場を離れていった。
「ところでお客様、本日のご予定はどのようにお考えでしょうか?」
海の先を眩しそうにじっと見ていたアローナは、少し考えるように間をおいて答えた。
「そうね。適当に」
「はあ?」
アリスは思わず反応してしまった。
「失礼しました。適当でよろしいでしょうか?」
「ハハハハ、それじゃあ困るわよね」
アローナは前方を見たまま楽しそうに笑った。
「もしよろしければ、私の方でネオ・ヴェネツィアの見所といえる場所をセレクトさせて頂くということで、どうでしょうか?」
「セレクト?いいわね、それ。是非それでお願いします。今日はウンディーネさんにおまかせだ!」
アローナの無邪気な反応に、アリスはニコッと微笑んだ。
「お客様、こちらは幅48メートルの大運河をアーチひとつでまたぐリヤルト橋です。このあたりはサン・マルコ広場周辺と違って・・・」
「そうねぇ、また違った味わいがあっていいわねぇ。酒場や市場、商店に住居まで混在していて、ネオ・ヴェネツィアのもうひとつの顔と言えるわよねぇ」
「はい。そうです・・・ね」
アリスは大事なセリフを先に言われてしまった。
今度は細い運河を進んでいた。
「前方に見えてきたのが、ため息橋です。この橋の名前の由来は・・・」
「そうよねぇ、よく間違えてる人が多いのよねぇ。本当は、判決を言い渡された罪人が、この橋を渡って刑務所に連れていかれる時に、橋の窓からネオ・ヴェネツィアの素晴らしい風景を見て、思わずため息を漏らすのよねぇ」
「ええ。確かそんなことだったような・・・」
またもや肝心なところをアローナに言われてしまった。
「その先に見えますのが、サンジョルジョ・マッジョーレ島です」
「あそこの鐘楼に登ると・・・」
「あそこの鐘楼からは海岸線が一望できるんです!」
アローナはアリスの強い口調に驚いて振り返った。
「どうしたの、ウンディーネさん?」
「い、いえ、失礼しました」
アリスは心の中で呟いていた。
〈私、なんでむきになったりして・・・〉
思わず落ち込んでしまった。
「お客様、このあたりはサン・マルコ広場のような賑やかな場所と異なり、田園風景が広がっていて、これまでとはまた違った雰囲気を楽しんで頂けます」
賑やかな中心街から少し離れて、緑の広がる陸橋水路を進んでいた。
先程までの明るいアローナとは違い、あまり喋ることさえしなくなっていた。
「お客様、どうかなさいましたか?」
アリスはその様子が心配になって声をかけた。
「えっ?」
アローナは不意をつかれた様子だった。
「ご気分でもお悪いのではないですか?」
「いえ、大丈夫よ」
「そうですか」
アリスはそう言うと、ゴンドラをその場にすっと止めた。
「どうしたの、ウンディーネさん?」
アローナは振り返った。
アリスは、緩やかに吹く風に長い髪を揺らしながら、遠くの景色に目を向けていた。
「お客様、この辺りに吹く風はとても気持ちがいいんです。街中の喧騒から離れて、のどかな風景が気持ちを癒してくれるようで」
そう語るアリスを、意外そうにアローナは見上げた。
「実はここ、私のお気に入りの場所なんです」
「ウンディーネさんのお気に入り・・・」
アローナもアリスの見つめる方向に目を向けた。
田園風景が広がり、緩やかな風が通り過ぎて行く。ゆっくりと流れる風と揺れる水面の音だけしか聞こえて来ない。
「確かに気持ちがいいわね」
「お客様もそう思われますか?」
「ええ。ここ、こんなにも気持ちのいい場所だったのね。でも、なんで気づかなかったんだろう・・・」
「え、と、おっしゃられますと?」
アローナはほほえむだけで、返事は返さななかった。
「じゃあそろそろ次行きますか?」
「あ、はい。かしこまりました」
アリスはアローナに促されると、ゴンドラを漕ぎ始めた。
しばらく進むと、先の方に水上エレベーターが見えてきた。
「この先にあります水上エレベーターで、ネオ・ヴェネツィアを一望できる高さまで登ることができます。それは素晴らしい風景を見ることができるんですよ」
「ウンディーネさん」
「はい、お客様」
「悪いけど、引き返してもらえないかしら」
「今から、ですか?」
「そう今から。やはりウンディーネさんのいう通り、気分がすぐれないみたい」
「わかりました。すぐに引き返します」
アリスはゴンドラを一旦止めると、するりと180度反転させた。
大きく揺れることもなく、なんの抵抗も感じないくらいスムーズな動きだった。
アローナは、ゴンドラの縁に手をついて身体を支えようとしたが、その心配は必要なかった。
そして、その信じられないゴンドラの動きに驚きを隠せなかった。
「お客様、本当にここでよろしいのですか?」
アリスは、市街地に少し入った市場の近くの船着き場にゴンドラを止めた。
「予定の時間までまだ少々ありますし、もう少しご案内をしても」
「いいのいいの。久し振りだったから、酔っちゃったのかもしれない。だから、ウンディーネさん気にしないで」
アリスの手につかまってゴンドラを降りたアローナは、最初に出会ったときのような笑顔に戻っていた。
「それにしてもウンディーネさんのセレクト、よかったわ。時には人の言うことも素直に聞くもんね」
アローナはまたウィンクしてみせた。
「あ、ありがとうございます」
アリスはどうしても照れて下を向いてしまう。
「さてと」
「あ、あの~」
「なに?」
「少しお聞きしてもよろしいですか?」
「いいわよ。年齢以外ならね」
アローナはニンマリ笑い返した。
「お客様は、このネオ・ヴェネツィアにかなりお詳しいように感じたましたが、それって・・・」
「そうね。しばらくここにいたことがあるわ。でも、もう何年も前の話。ただ、離れると恋しくなっちゃうのは、なんでなのかなぁ。ハハハハ」
アリスはそれ以上深く聞くことはしなかった。このネオ・ヴェネツィアに何か特別な思いがあることは、十分に感じられた。本当は色々聞いてみたい気持ちもあったが、今はそれで十分だった。
なぜだか、また会えるような気がしたからだった。