ARIA The PIACERE 2 そのシンデレラの行く先は・・・ 作:neo venetiatti
「あれ?あの人確か・・・」
眼鏡のズレを直しながら、オレンジぷらねっとのアトラ・モンテヴェルディは、ゴンドラの上から市場の近くを歩いているアローナを見つけてつぶやいた。
「どうしたの、アトラ?」
同乗している先輩のウンディーネがアトラに声をかけた。
「知っている人に似てたもので・・・」
「アトラ、集中してよ。これからお客様をお乗せするんだからね」
「は、はい。すみません」
アトラはプリマへの昇格試験へ向けて、遠ざかっていた先輩ウンディーネを乗せての営業に出ていた。
ARIAカンパニーの水無灯里がまだシングルの頃に、トラゲットで一緒になって以来、灯里との出会いがきっかけとなって、杏とともにプリマ昇格試験の再挑戦を心に決めていた。その後、勇気を出して試験に挑戦したものの、敢えなく不合格となっていた。
ただ、その時先輩から掛けられた言葉が、心の支えとなっていた。
「アトラ、何があったか知らないけど、あなたの気持ちに火が着いたことはわかった。私はあなたの可能性を信じてるから」
これまで何も評価をしてくれない、プリマに昇格できないのも先輩が試験管だからと、諦めていたアトラには、先輩からのその言葉にしばらく涙が止まらなかった。
そしてそれは、何も気づかなかった、浅はかだった自分を知る機会でもあった。
その後、杏とあゆみと三人で、ピザ食べ放題のお店で豪遊したことは、忘れられない思い出となった。
三人で五枚が限界だった。
「アローナ?聞いたことのある名前だなぁ」
あゆみ・K・ジャスミンは少し上空を見上げながらつぶやいた。
「やっぱりそう?」
アトラは乗り出すように聞き返した。
「私もなんとなく覚えがあります」
杏も同意した。
「それにしても」
「なに?」
「このクレープうまいなぁ」
「あのねぇ、あゆみ」
「そうでしょ、今ちょっとした話題になってるの」
「何よ、杏まで」
三人は以前、杏とアリスが行ったクレープの屋台に来ていた。
おじさんの髭の話でひと盛り上がりした後、やって来た訳だった。
「でもさぁ、杏。おじさん、髭なんか生やしてないぞ」
「確かにそうですね。こないだは、生やしてたんだけど。右側だけ短いの」
そう言って杏は、クスッと笑った。
「それを見たかったのになぁ」
クレープ屋のおじさんは、髭をすっかり剃ってしまっていた。
「ちょっと二人とも、ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるよ」
あゆみはクレープをパクりと食べた。
「でも姫屋にはそんな名前の人、いなかったと思うけどなぁ。古くからいる人に聞いてみたら何かわかるかもしれないけど」
「最近のオレンジぷらねっとには、間違いなくいないはずです」
「それは私もわかるんだけど」
「この業界は結構出入りがあるっしょ?どこかの水先案内店にいたのかもしれないし、そうなるともう把握するのはむずかしいんじゃない?」
「確かにそうね」
「でもアトラ、なんでそんなに気になるわけ?」
「ハッキリと何かあるというわけじゃないんだけど、なぜか引っ掛かるというか・・・」
アトラもなぜなのか判然としない様子だった。
アリスは今日も朝から予約が入っていて、忙しい一日が始まろうとしていた。
オレンジぷらねっとの船着き場には、すでに待ちわびた客がアリスの登場を心待ちにしていた。
その日の一組目のお客様は年配のご夫婦だった。
「お客様、お手をどうぞ」
その老夫婦が席に着くと、アリスはオールを手にして話しかけた。
「本日のご案内を務めますアリス・キャロルと申します。よろしくお願いします」
「そうね、アリスさん。こちらこそよろしくね」
婦人の方が確かめるように答えた。
「ご希望のコースなど御座いましたらお申し付け下さい」
「そうね。ウンディーネさんにおまかせしようかしら」
「それでしたら今の時期に最適な場所をご案内しようと思いますが、それでよろしいでしょうか?」
「それでお願いするわ」
アリスは、街並みの風景や花や木々の様子などを思い返し、おおよそのルートを決めて出発した。
大運河カナル・グランデを進み、サンマルコ広場周辺を横目に眺め、ネオ・ヴェネツィアの生活が垣間見える細い運河も進んだ。
その途中で婦人が尋ねてきた。
「すみません、ウンディーネさん。思い出したことがあるんだけど、いいかしら?」
「はい。何なりとお申し付けください」
「実は以前友人からいただいた、きれいなガラス細工があったのだけど、どこかに無くしちゃったのね。それをどうしても手に入れたかったのだけど、どこのお店のものかわからなくて。ただ、ヴェネツィアという言葉だけは思い出したの」
おそらく話の内容から察するに、ヴェネツィアン・グラスのことだろうとアリスは考えた。
「お客様、そのガラス細工の特徴をもう少し教えて頂けないでしょうか?それがわかれば、お探しすることも可能かもしれません」
「特徴ねぇ・・・」
実際あたりをつけてからいくつかの工房をまわって、探しだせばいいと思っていた。
だが、アリスの意に反して、婦人から聞いた特徴だけではハッキリせず、それは掴み所のない話だった。
それに、特徴のあるヴェネツィアン・グラスの工房を何軒か知っていたが、そのどれもに当てはまらない感じがした。
「お客様、お探しのガラス細工になるかどうかわかりませんが、一度お店に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?」
「そうね。そうしてくれるかしら」
アリスはイメージに近いと思われるガラス細工を置いている店に向かった。
ゴンドラを降りて老夫婦共々店内に入った。
狭い店内にところ畝ましとガラス細工が並んでいた。しかし、そのどれもお目当てのものとは違っていた。
諦めて他の店に行こうと老夫婦に話そうとした時だった。
「あら、ウンディーネさん。お久し振り」
アローナだった。
先日の観光案内の時のように軽快な出で立ちだった。
「お客様、先日はどうもありがとうございました」
「こちらこそ。楽しかったわ」
そう言いながら、アリスのそばに立っている老夫婦をチラッと見た。
「もしかしてお客様?」
アローナはアリスに近寄って小声でたずねた。
「はい」
「ガラス細工を探してるのね?」
アローナは、老夫婦が目をこらしている姿を見て、アリスにたずねてきた。
「実はお探しのものがあるようなのですが、それが見つからなくて」
「ウンディーネさん、私が聞いてみてもいい?」
「どういうことですか?」
「もしかしたら、と思うことがあるの」
アローナは老夫婦のそばに近寄って話しかけた。
婦人の話を頷きながら聞き、時折アローナからも何かたずねているようだった。
そしてアリスのそばに戻ってきた。
「もしかしたらなんだけど、最近は見かけなくなった、少し古いタイプのヴェネツィアン・グラスかもしれない」
そう言ってポーチの中を探り始めた。
「あの、ウンディーネさん。紙とペンある?」
「あ、はい。ありますよ」
アリスはポケットからメモとペンを出してアローナに渡した。
アローナはそこにささっとペンを走らせた。
「私の思い当たる店を書き出してみたわ。良かったら参考にしてみて」
「ありがとうございます」
受け取ったメモには、三軒の店の名前と住所が書いてあった。
「お客様」
「アローナでいいわ」
「あ、はい。ではアローナさん、なぜこんなお店をご存知なんですか?」
「昔ね、色々と見て回ったことがあったもんだから」
「でっかい物知りさんですね」
「で、でっかい?」
アリスはそこでアローナと別れた。
老夫婦には後日、それらしき店が見つかったら連絡すると伝えた。
アリスがオレンジぷらねっとの船着き場に戻ったときにはすでに辺りは暗くなってた。
明日のスケジュールを確認するために事務所に向かっているときだった。
「アリスちゃん」
アリスの姿を見つけて杏が声をかけてきた。そばにはアトラも一緒だった。
「杏、そんな馴れ馴れしい言い方よくないんじゃない?」
「いいのよねぇ、私達は友だちだから」
「はい、杏さんとは友だち付き合いさせていただいています」
「どっちが先輩なんだか・・・」
それぞれ明日のスケジュールを確認して、後で食堂に集合することにした。
アリスは先に風呂で今日一日の汗を流した。湯船に浸かりながら、ふと今日の出来事を思い返していた。
「そうだ。明日は仕事の合間にヴェネツィアン・グラスのお店に寄ってみよう」
部屋に戻ったアリスは、アローナに書いてもらったメモを出して、テーブルの上に置いた。
「まぁ~」
まぁ社長がその様子を見ていた。
「危険な胸騒ぎがします」
アリスはそのメモをもう一度ポケットに戻した。
「明日私と杏は営業にでるんです」
アトラはプリマ昇格試験に改めてチャレンジするために、先輩との営業に取り組む機会を増やしていた。
「でもちょっと頭が痛いのよね」
「どうしてですか?」
「アトラちゃん、地理が得意じゃないの」
「杏、言わないで。気にしてるんだから」
アトラは恥ずかしそうに顔をあからめた。
「アリスちゃん、なんか覚えるコツみたいなものってない?」
「コツ、ですか?」
杏とアトラはじっとアリスの方を見た。
いいアイデアが聞けるのではないかと見つめる二人にアリスは戸惑ってしまう。
「私の場合は・・・」
「うん、アリスちゃんの場合は?」
「とにかく」
「とにかく?」
「ぐるぐる回りました」
「ぐるぐる・・・」
「回ったのね」
「そう、ぐるぐるです」
杏とアトラは、ちょっとどや顔で話すアリスに呆気にとられていた。
「つまりそれは、とにかく練習しかないということね」
「まぁ、そうともいいますね」
「アトラちゃんて、お客様を覚えるのは得意なんだけどね」
「そうね」
「トラゲットを利用するお客様は一日トータルだとかなりの人数じゃない?それでも一年前に観光に来られたお客様を覚えていたものね」
「そうなんですか?」
「観光に来られたお客様がトラゲットを利用されることってあまりないことだからだと思う」
「それにしたって、この間ゴンドラで市場の近くを通ったときに、昔仕事で一緒になったことがあるかもしれない人をすぐに見分けられたって言ってたじゃない?」
「あの人は、確かにトラゲットで一緒になったことがあるはずなのよ。たぶんだけど・・・」
「誰なのか、思い出せないのですか?」
「確か名前はアローナっていってた思うのだけど」
「アローナ?」
アリスは思わず声が大きくなっていた。
「アリスちゃん、どうしたの?もしかして、知ってる人?」
「先日お乗せしたお客様のお名前と同じです」
「そうなの?」
アローナを下ろしたのも確か市場の近くの船着き場だった。
もしアローナがウンディーネだったとしたら、ネオ・ヴェネツィアの街のことについて詳しいのもうなずける。観光案内のセリフを先回りして言えるのも当然だった。
「あの、そのアローナさんてオレンジぷらねっとの方なんですか?」
「ううん、違うと思うの。それだったら杏も私も何か手がかりがあったと思うのだけど」
「でも、そんなに詳しく調べたわけじゃないけどね」
アトラは少し考えていたかと思うと、思い出したように話始めた。
「トラゲットで一緒だったのは確かだと思う。でもその時、変な違和感があったのよ。あまり乗り気じゃないというか、進んで来た訳じゃないというのか」
「あまり前向きじゃなかった?」
「そういうことね」
「でもネオ・ヴェネツィアのことをすごく詳しかったのは覚えてる。どこにどんなお店があって、ここへはいつ頃行くと風景がすばらしいとか」
「へえ~そうなんだ。でも、プリマとしては活躍してなかったのね。名前に記憶がなかったもの」
「確かにそうだったかもしれない」
アリスは二人の会話を聞いていて、先日会ったアローナとは別人のように思えた。
あの屈託のない明るい笑顔のアローナしかイメージできない。
もしアトラの見た女性が彼女のいうアローナなら、アリスの会ったアローナとはなぜそこまで印象が違うのか。
アリスは、アローナの笑顔の向こう側に、ネオ・ヴェネツィアへの、何か思いがあるのだろうかと、一緒にゴンドラで過ごした時間を思い返していた。