ARIA The PIACERE 2 そのシンデレラの行く先は・・・ 作:neo venetiatti
アリスはゴンドラを係留している船着き場まで歩いていた。
街はすっかり夜の顔に変わっていた。
観光客の姿も少しずつ見かける数を減らしていた。
サン・マルコ広場のような観光の中心部からは離れているところでもあり、昼間のざわめきは影を潜めていた。
足早に歩みを進める足音が、後ろから少しずつ近づいてくるのがわかった。
アリスは振り返らずに、そのまま少しずつ歩く速度を早めていった。
〈いざとなったら、近くのお店に駆け込めば・・・〉
そんな考えが脳裏をかすめていた。
しかし、背後の足音がさっきよりもうんと近くまで来ている。
アリスが思いきって走り出そうとしたその時だった。
「ウンディーネさん!アリスさん!」
アリスは自分の名前を呼ぶ声に驚いただけでなく、その声に聞き覚えがあったことに驚きを隠せないでいた。
立ち止まり、振り返った先にはアローナが立っていた。
「やっぱりウンディーネさんだった」
少し息を弾ませ、真剣な表情でそこに立っていた。
「ア、アローナさん?どうしたんですか?」
「ごめんなさい。驚かすつもりはなかったんだけど、姿が遠くから見えた時、間違いなくウンディーネさんだと思って。それに」
アローナは言いかけて言葉を続けるのを少しためらった。
「それにね、この辺を歩いているウンディーネさんて、心当たりがある人、あなたしかいなかったから」
「アローナさん」
あの明るいアローナとはまったく印象の違う、真剣な表情にアリスは戸惑いを隠せなかった。
「ウンディーネさん、わたし、謝らなければならないの」
「どうしてですか?」
「私の渡した住所を頼りに、この先のガラス工房に行ったんでしょ?」
「そうだったんですが、ありませんでした。前のお店の方はもういなくて、別のお店になっていたようでした」
「そうね。私も今行ってきた」
「そうだったんですか?それじゃあ一足違いでしたね」
「あとの二軒もなかったでしょ?」
「ええ、そうでした。もしかしてアローナさんも行かれたんですか?」
「気になって・・・」
そう言ってアローナはうつむいた。罪悪感が顔に滲んでいた。
「アローナさん、仕方ないですよ。古いタイプのヴェネツィアン・グラスを扱っているのなら、そのお店もきっと古いんですよ」
「そうじゃないの」
アローナはアリスの言葉を遮るように強い口調で言った。
「え、アローナさん・・・」
「あなたに渡したメモね、あれ、もう五年も前のものなの」
「え?」
「あちこち回ってネオ・ヴェネツィアの事情通を自慢してたころの記憶だってこと」
アリスはアローナの口調が変わったことに不安を感じた。
「すみません。話が飲み込めなくて。もう少しわかるように」
「あなたが謝ることじゃないでしょ?」
「は、はい。でも・・・」
「私があなたにウソの情報を教えたということ。それが真実よ」
アリスは何も言葉にできなかった。
アローナの怖い表情とこれまで聞いたことがない声。そして彼女の口から語られたウソという言葉。
「なんでほんとかどうかもわからない話を真に受けて来たの?バカ正直にも程があるじゃない?」
「でもさっき、アローナさんも確かめに行ったって言ってましたよ?他の二軒も確かめに行ったんですよね?」
「そ、それはたまたま・・・」
「だってさっき、私を必死になって追いかけてくれたんですよね?それって気になっていたからじゃないんですか?」
アリスも口調が強くなっていた。
「でも、うそには変わりない」
「なんでそんな、そんな寂しいこと言うんですか?」
アリスの目に涙が溢れていた。
アローナはアリスの反応に驚かずにいれなかった。
「どうして、あなたがそんな・・・」
「アローナさんに何があったのか知りません。でも、あの時、お客様とガラス細工を探している時、お店で出会ったあなたは私の変わりに親身になって話をきいてくれて、その上心当たりのあるお店まで教えてくれて、本当に嬉しかったんです」
「ただの偶然・・・」
「偶然でも出会ったのは事実です。私はアローナさんのような人と出会えたことが本当に嬉しくて・・・」
涙で続かなかった。
アローナはアリスの泣きじゃくる姿を茫然と見ていることしかできなかった。
「ごめんなさい。こんなこと言うつもりじゃ・・・」
「アリスちゃん!」
誰かがアリスの名を叫んだ。
アローナは街灯に浮かび上がったその姿に表情が一変した。
その人物は、勢いよくやって来てふたりの間に割って入ると、アリスを守るようにアローナの前に立ちはだかった。
アテナだった。
「アローナ、どういうつもりなの?」
「アテナさん、私は・・・」
アローナの言葉に驚いて顔をあげたアリスは、その後ろ姿から前に立ちはだかる横顔を見上げた。
「アリスちゃんがあなたに何かした?」
強く攻めるようなアテナの言葉にアローナは何も言えなかった。
「いくら私に恨みがあったとしても、アリスちゃんには全く関係がないでしょ?違う?」
アリスにとって、これまで聞いたことのない強い口調だった。アテナがここまで言う場面に遭遇したことはなかった。
ただもうひとつ、聞き逃せない言葉もあった。
「アテナ先輩。恨みって・・・」
「アリスちゃんは知らなくていい話よ。これはアローナと私のこと」
アテナはアローナを正面に見据えたままだった。
「あなたがオレンジぷらねっとを去った後、私心配になっていろんなところを探して回ったわ」
「アテナさんが・・・」
「でも他の水先案内店で働きだしたと知って、正直ほっとした。あなたを追い込んだのは私だったんじゃないかって思ってたから」
アリスはアテナが何を言っているのか理解できなかった。
「でもしばらくして、消息が途絶えた。ウンディーネは諦めた、プリマになることは諦めたんだと思った」
「私だって諦めたくて諦めたわけじゃありません」
アローナは先程とは違い、強い口調になっていた。
「でも辞めたんでしょ?」
「辞めたくて辞めたわけじゃありません!」
アローナは歯を食い縛るように振り絞って言い放った。
「プリマになりたくて、一人前のウンディーネになって、このネオ・ヴェネツィアで活躍したくて、そのために頑張ってきて。それなのに辞めたいなんて思うわけないじゃないですか!」
目からは涙が溢れていた。
「じゃあどうして、あなたはここにこうしているの?なんでアリスちゃんが泣かなければいけないの?」
アローナは言い返すことができなかった。
「アテナ先輩、違うんです」
アテナの背中に向かってアリスが声をかけた。
「アローナさんは私を助けようとしてくれたんです」
「それ、どういうことなの?」
アテナはハッと我に帰った。
「アローナさん、古いヴェネツィアン・グラスを探しているお客様のために私の代わりに相談に乗ってくれて、お店まで教えてくれたんです。でも教えてくれたどのお店ももう無くなっていて。アローナさんもきっと心配だったんですよね?古い情報だからご自身でも確かめに回られて」
「アリスさん」
「ですよね?心配で来てくれたんですよね?」
「アリスちゃん」
「わたし、ヴェネツィアン・グラスとっても好きなんです」
アローナは街灯の灯りが揺れる水面を見つめながらこう言った。
三人は、狭い運河を渡る小さな橋の上に並んで、欄干から水面を見下ろしていた。
真ん中に立っていたアテナはアローナの方に目線を向けた。
「珍しいものが見つかると必ずチェックしてたんです。だから、ついその時の感覚のままアリスさんに伝えてしまって。もうあれから何年もたっているのに」
アローナはそう言って少し笑みを浮かべた。
「後で気がついたんです。それで急いで見て回ったんですけど、どこも閉店でした。バカですよね、私って。調子に乗って、ウンディーネにでもなったつもりでお客様の相談に乗ったりして。その上、かわいいウンディーネさんの力になれたらってうれしくなっちゃって、確かめもしないで、知ったふりしてお店の場所まで教えたりして。もう昔とは違うのに」
「本当は続けていたかったんじゃないの?ウンディーネを」
アテナは問いかけてみた。
「未練がないといったらうそになると思うけど」
そう言ってアローナはアテナとアリスの方に顔を向けた。
「私、嬉しかったんです。アリスさんとお客様の相談にのって、一緒に探し物をして、そしてまた別のお店を紹介する。プリマってこういう感じなのかなって。忘れていたはずなのに」
アテナとアリスは何も言わずアローナの話を聞いていた。かける言葉が見つからなかった訳ではなかった。アローナの気持ちが痛いほど伝わったからだった。
「本当はプリマとして働きたかった。そう、アテナさんの言う通り。多分、確かめたかったんだと思う。久し振りにネオ・ヴェネツィアに来てみてわかった。やっぱりそうだったって」
「アローナ」
「でも、さっぱりした部分もあった。このネオ・ヴェネツィアにもちゃんと時間が流れていた。もしかしたら、ここだけ時間が止まってたりしてないか、なんて思ってたから」
「アローナさん、それじゃあまた始めれば・・・」
「ううん、それはもう無理。一旦切れた糸を戻すのは、私には出来そうにない。それに会っちゃったしね、アリスさんに」
「私に?」
「そう、あなた。あなたが私の答え。久し振りに来たネオ・ヴェネツィアで、いきなりあなたのようなウンディーネに出会うなんて、罪よね」
アリスはどういうことを言われているか理解できなかった。
「私のことを知っていて指名してくれたんじゃないんですか?」
「偶然」
「偶然?」
「そう。予約する前に、たまたま通りかかった人に聞いてみたの。今一番人気のウンディーネって誰ですかって。そしたらその人がオレンジぷらねっとのアリス・キャロルだって教えてくれたの」
「アリスちゃんの予約ってなかなか取れないはずだけど」
「それが取れたんです。なぜだかわからないけど」
アローナはオーバーなジェスチャーをしてみせた。
「私の予約ってそんなに取るの難しいですか?」
「なんか、本当は大変みたいですよ。後で知ったんだけど」
「私ってそんな感じなんだ」
アリスは水面に目を向けるとポツリとつぶやいた。
「そうよ、アリスちゃん。今のあなたはそんな感じなのよ」
アテナのその台詞を聞いて、アローナがクスクス笑い出した。
「なに?何かおかしい?」
「いえ、おかしくはないですけど。お二人はそれで会話がちゃんと通じてるんですね」
「会話?」
「通じてますよね?」
「うん」
「そうなんだ。ちゃんと通じてるんだ」
またアローナが笑い出した。
「そんなにおかしいですか?」
「やっぱり天才にはかなわないなぁ」
「アテナ先輩は確かにゴンドラの上では天才といえると思います。他では違いますけど」
「何?ゴンドラの上ではって?」
「アリスちゃん。やめましょう、他の話は」
「もしかして皿割事件の話?」
「何ですか?皿割事件て」
「知らないの?アテナさんが樹立した記録の話」
「えっ、なんなんですか、それ?」
「アローナ、もういいわ。こんなところで恨みを晴らそうっていうの?」
「別にアテナさんを恨んだりしてません」
「ほんとに?」
「本当です」
アローナはアテナにやさしくほほえんだ。
「じゃあこの話はこれでおしまい」
「ええ~皿割事件はどうなったんですか?」
「さあ、なんのことだか」
アテナはわざとらしく口笛を吹き始めた。
「やっぱり来て正解だった」
アローナは手を組んで大きく背伸びした。
「アリスさんのようなウンディーネと出会えたし、それにアテナさんとこんなふうに話ができるなんて思ってもみなかった」
「私もよ、アローナ。再会できて本当によかった」
「アテナさんが覚えていてくれたこと、嬉しかったです」
「忘れたりしないわ」
アローナは微笑んでアテナを見たかと思うと、何か思い出したように言った。
「そうだ。これは恐らく、このネオ・ヴェネツィアのせいよ」
「は?」
アリスは感動から一気に嫌なムードになりつつあるのを感じた。
「ネオ・ヴェネツィアが私を引き寄せ、離さないせいに違いないわ。だって久し振りに来てみてわかった。ここ、やっぱりいいじゃん!」
「じゃん?」
「まるで人を惑わせる誘惑に心を奪われてしまった旅人と、その旅人を愛してしまった海の女神との、離れられない運命といったところね」
「ああ~~」
「アリスちゃん、大丈夫?」