いつもの設定で影だけ見えてた「オルトの姉」の話(と言いつつやっぱりいつもの人外シュラウド兄の話ではある)。タグ付けたけどオルトは最後のちょっとだけでオリキャラの方がまだ喋る。※ツイステ受動喫煙
まだ年若いその娘は、炎に包まれている。この世ならざるその青炎が、まさに今このときに彼女の腹から出ようという幼子に由来するものだと、理解できないものは室内にはいなかった。尋常な神経では聞くに堪えない悲痛な叫びが充満する部屋の中で、しかし助産師は冷静だった。冷徹と言うこともできたかもしれない。
「……奥方は諦めろ。『炎の遺児』だ」
これだから
炎の遺児とは、平たく言えばこの地の王の巫覡としてこの上もない素質を持つ存在のことである。彼らは冥界に灯る癒魂の火を纏って生まれる。それを宿すことの叶わない母を焼きながら。この時も、記録されているそれまでの「炎の遺児」がそうであったように、魔力と殆ど同質である炎は母胎を焼き尽くした後、宿主が完全にこの世に生まれ落ちるのと殆ど同時に消失した。
柔らかな黒灰色の髪と、地下の冷暗を思わせる金の瞳の息子に、シュラウドの当主は「
理想、あるいは霊魂の見る形態。そのような音形の名前を、まだ歯も生えない息子に与えた彼は、それからすぐに後妻について考えなくてはならなかった。炎の遺児は一般にその身の内に魔力を多く宿し、そしてその故に地上になじめず急逝することが多いからだ。亡き妻(灰だけが残されたのでは中々信じがたい話だったが)をどれだけ愛していたのだとしても、この青い血(本当に青いわけではない、勿論。だが冥府の石榴を食べ続ければあるいは──いや、よそう。五十に成れるかも怪しい自分には関係のない話だ)を絶やすことも、冥府から離れることも、シュラウドにはできない。契約が違えられることがあってはいけない。そう言い聞かせながら、当主は寝室に戻り、主人の帰らないもう一つの寝台を見て少し泣いた。
あの子を愛せる気がしない、と彼は嘆いた。悲しみと憎しみとを癒せるのは忘却だけだと知っている。妻は特段美しくも優しくもない女だったけれど、彼には世界で一番輝いて見えた。彼女が焼けてしまわなければ、イデア・シュラウドも同じように見えたはずだった。
イデアは輝石の国の宝石商の娘だったというその女性を、自分の母だと思っていた。女は柔らかなアッシュブラウンの髪をしていて、イデアの髪ほど色濃くはなかったが、少なくとも父と違って燃えてはいない。だからイデアは自分が、母方の祖父あたりの髪と、父の眼を持って生まれてきたのだろうと思っていた。イデアが生まれてから三回目の冬までは、そう思っていた。
「奥様に近付いてはなりませんよ。大事な時期なのですから」
乳母はそう言って、絵本を抱えたイデアを止めた。まだ二歳のイデアにはその言葉の意味がわからなかったが、ともかく頷いた。
ヘーゼルの瞳のその娘に近寄らないようにとイデアが言われてから一月半ほど過ぎた頃には、一昨年シュラウド家へと嫁いできた娘の腹は目に見えて膨らんでいた。最近の彼女は「おかあさま」と呼ぶと少し困ったような顔をするので、イデアは離れがちになっている。
「イデア様、奥様のお腹の赤ん坊は確かにイデア様の弟君か妹君ですが、奥様にとっては初めての御子でございますよ。あまり困らせないよう」
いかにイデア・シュラウドに尋常ならざる天賦の才があったとしても彼はようやっと二歳半になろうかといったところだったので、その言葉を咀嚼するのには暫く時間がかかった。つまり、自分は母の──母だと思っていた女性の──子供ではなかったのだ。混乱したイデアは、頷いたのだと思う。乳母はイデアが頻繁に妊婦と会ってはならない理由を伝えはしなかったが、ゴーストや
それから彼女の腹が膨らむ間、イデアは週に一回か二回だけしか顔を合わせることを許されなかった。イデアはアッシュブラウンの髪の彼女と、魂の青さ以外にはまだ見目の分からない兄弟とに会うたび、「早くこの子と一緒に遊べますように」とお祈りをした。
その日の朝イデアは悲鳴のようなものを聞いたような感覚を覚えて目を醒ました。それは悲鳴ではなくて、矢継ぎ早に指示を飛ばす産科医(彼は妊婦と同じく輝石の国の出で、人間だった)と助産師(無性の
イデアが起きてから何時間も経ってようやく通された部屋の中、ゆりかごに横たえられたその赤子は、母の目にはよく眠っているように見えた。
「……あのこは、ぼくのきょうだいはどこ?」
青い
父は──つまりはその妻もという意味だが──イデアの妹に名前を付けなかった。彼女はただ最新の
イデアの従兄弟になること叶わなかった胎児たちと同じように彼女の肉はそうして滅び、彼女の魂は地下の深く冥界にて死者の国の王に百年の間仕えることになる。
イデア・シュラウドは地下の暗がりにこそ安堵する子供だった。今でもそうだ。嘆きの島ではそのような子供は早逝するのが常であったが、イデアは周囲の懸念を振り切って意外なほど健康に育った。外観の話ではなく実際の病歴の問題として、少なくともベッドから離れて駆け回ったり夜遅くまで勉学に励んだり(あるいは電子ゲームに勤しんだり)することを滅多に止められることがない程度には健康に育った。
そんなイデアが、では炎の遺児らしくなかったのかと問えば、実のところはそうでもない。かの少年は時折、使用人が目を離した訳でもないのに姿を消した。そんな時のイデアは決まって、半日か、遅ければ三日も空いてから、銀の髪飾りを黒い長髪に乗せた男に連れられて地下洞窟から現れた。
男が何者なのか、イデアが何処へ行っていたのか、問うものは島に一人とていなかった。男が持つ銀の短剣だけで、証明には十分すぎたからだ。
その日もきっと、憤怒の山は空に煙を吐いていたのだと思う。書庫から持ち出した魔法医学の本のページをめくった瞬間、本に落ちる光の色が変わったことに気付いてイデアは顔を上げた。中空に浮かぶ青い炎の松明だけを光源とする、曇り空さえ見えないその場所を、当然イデアは知っていた。
「またか……。ここどの辺なんだろ。河も見えないし……誰かいないかな」
タナトス様でないと嫌だとは言わないけど、できればディモスやセイレーンたちじゃなくて
「……キミ、生者?」
背後から掛けられた声の主を振り返って仰ぎ見る。肩口までの青い炎髪に赤銅の瞳の女性がそこに立っていた。年の頃は二十ほどに見えるが、冥界で働くのに一番適した姿を取っているだけの死者の年齢など、数えるだけ無駄だ。
炎が。炎の形の魂が、彼女にも確かに青く燃えている。イデアの知る青が、彼女の首のあたりで煌々と輝いている。生者と同じように灯る彼女の魂は、もう何年も前のイデアが恐々と撫でた腹の中で燃えていたのと同じ色をしていた。
自分よりもずっと年上に見える妹を呆然として見上げながら、イデアは緩慢に頷いた。溜息を吐いた女は名乗ることなく、迷い込んだ生者の処遇を彼女の権限では決めきれないと、有翼なるタナトスの館へ向かうようイデアに指示した。
「道はわか……らなそうね。仕方ない。付いてきなさい」
こくりともう一つ頷いて、無言のままに薄曇りの夜の荒野にも似た地下を二人歩く。かの神自ら死にゆく人を迎えに行くこともこの頃では少ないが、それでも全てを忘却の水に流してしまってすら何か感じるものがあるのだろう。辺りを行き交う炎、中空に灯る青い篝火で休む魂はタナトスの館に近づくほどに少なくなった。
その音をイデアは初め呪文の一節だと思い、そして言葉に応えて妹だった女性が頭を下げたところでようやく、それが彼女を示す名前なのだと気がついた。
「ご苦労。あとは私が済ませておこう」
どこからともなく現れた長い黒髪の男はそう言った。薄ぼんやりと霧と闇の向こうに見えたのと、どちらが先だったのかも怪しい距離だけ離れているはずの館の主であることを、二人のシュラウドは共に知っている。
彼は濃灰の亜麻を色濃い
「将来有望なのはいいが、私の仕事を増やさないでくれ」
呆れたようにそう言う
「ごめんなさい……」
こうして何度目か冥府の地下深くへと迷い込み、そのたびに繰り返されてきた謝罪。それが言葉だけであること(何分イデアには迷い込むそもそもの理由がわからないものだから改善のしようもなかった)を自覚しているイデアがそのことに一層申し訳なくなって身を縮みこまらせると、短剣を携えた青年はくつくつと笑って、何十年か後には自身と同じく冥府の王に仕えるのだろう少年に手を差し出した。
「なに、この手間はお前が正式に
青き魂持つ
イデア・シュラウドが、この千年で最も良質の「器」であることは、ほとんど疑いようがなかった。まだ世界のすべてが神々のものであった頃、物理法則に優越するものが神に連なる奇跡と加護だけだった頃にいたような子供。夜空の星々の運行が、まだ神の手の内にあった時代のような──語弊を恐れないのであれば、かの夜天にて輝ける英雄にも近しい存在。何かがいいように(あるいは悪い方に)転べば、いつの日か自分たちと並びうる最新の──もしかしたら最後の、いきものがイデア・シュラウドという少年だった。もしもこの五百年かそこらで
地下の主人がこの迷い子を必ず地上に帰すのは、まさにそのことを期待してだった。一つこの地で息を吸うたび、青炎に身を寄せて生前の傷を癒す魂と触れ合うたび、僅かずつ、そして否応なしに、イデア・シュラウドはこの
いい具合に丸くて平たくて大きい石は見つけられなかったので、イデア・シュラウドは代わりに小さな石を魔法で溶かし固めて大きくすることにした。地下に魂が去ってから六年も過ぎた先日にやっと呼び名を知った、妹の墓石のことだ。イデアの心の隅の方には空っぽの赤ん坊の名前を呼んでやれなかったあの日から、アケローン河に浸された部分があって、だから妹として彼女の名を呼ぶ日が決して来ないのだとしても、名前も人数も知らない親族がほかに幾らもいるのだとしても、詣でる墓に名前がないと、イデアの方が先へ進めない。
嘆きの島の西側、ポプラの林を切り開いたところに島で一つだけの墓地があることを、二歳の時にはもう知っていた。イデアの生家は仮にも死者の国の王に仕える神官の家系で、島で誰かが死ぬたびに(あるいは島の外でも、殊更に死後の安息を願うものがいれば)イデアの父は地下の主人のもとで休まんとする魂へ祈りの言葉を捧げに出かける。あの小さな青が生まれなかった日──あるいは幾人かの従兄弟がそうなってしまった時も──イデアはシュラウドの現当主たる父に連れられて、この場所にやってきた。
並ぶ墓石から外れた隅の、糸杉の木が一本聳え立つそこを、イデアたちは「共同墓地」と呼んだ。女の腹から出た時には既に魂を失っていた幼子、地上において名前を持たない
毎年七月の十七日に兄が出掛ける先へ連れて行って貰えないのであればせめて、その行先が何なのか知りたい。オルト・シュラウドはそう考える。けれど直截に尋ねたとして、イデア・シュラウドが正直に答えることはないのだと予測することも容易だった。そもそも「どこかへ出かけている」ことすら、兄は隠そうとしているようだったので。
オルトはその日一日、メンテナンスと称して眠らされてしまうので、追跡することはできない。では誰かに聞こうとしても、イデアの(というのは「オルト」の、ということでもあるのだが)乳母も家庭教師もシュラウドの家令でさえ困ったような表情になって言葉を濁すので、オルトとしてもそれ以上食い下がる気にはなれなかった。どうしたものだろうかと考えているオルトの思考を、部屋に戻ったばかりの兄の言葉が遮った。
「共同墓地だよ」
「え?」
「昨日僕がどこ行ったか気になってたんでしょ」
「兄さんが言いたくないんだったら、無理しなくていいよ」
オルトのその言葉に、イデアは尚更迷いを強くしたようだった。なにもない(イデアが念入りに排除しているので余計な魂や情念の欠片がこの部屋に入り込むことはない)空中に目線を彷徨わせて、青い唇を薄く開いたと思えばまた閉じることを二、三度繰り返してからようやくイデアはそれを口にした。
「僕の妹……や、違うな。オルトの姉ちゃんの、なんだろ。誕生日というか……誕生日ではないんだけど……」
その、イデアの弟と自身を区別するような言い回しに、イデア・シュラウドが大層傷つくことを理解していないはずがなかったのにも関わらず、言い淀むイデアに対してオルトは思わず「『僕』の?」と聞いてしまった。
それに対してイデアは、「前の」オルト、血と肉と骨と内臓の詰まっていたイデアの弟の姉になりえた幼子が、そこに葬られたのだと、途切れ途切れに語った。憎悪も苦悩もないその声には、けれど忘却もまた存在しない。ようやくまみえた子どもの魂の不在と彼女になりえたものを包む青とは、オルト・シュラウドの死の光景と同様の強度を持ってイデアの脳裏に今も焼き付いている。
「……ねえ、オルト」
来年の七月はさ、とイデアはほとんど囁くようにして言った。
「二人で行こうか。……これじゃないな」
あの場所に誰も居ないことは、イデアが一番よく知っている。あの場所にさえ葬られることのなかった、
「オルト、来年……お参り、一緒に来てくれる?」
一度も生まれないまま、羊水の中浮かんでいたなけなしの記憶さえ冥界を取り巻く忘却に流したあの娘のことを、誰か覚えていてくれるのだとしたら、それはイデアの弟がよかった。必要なだけ幾らでも記憶領域を増設できるイデアの