大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島――   作:ぽんこっこ

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第10話:坊やだからね

 

 

 本日二度目の来訪に、養護の先生は驚きと同時に呆れを含んだ表情をした。右頬と左手にガーゼを貼られている間、養護の先生と田中先生は僕のことについていろいろと話をしていたみたいだけど、頭上で飛び交う会話を僕は一切聞いていなかった。

 

 少し離れたところで丸椅子に座っている幸田とふいに目が合い、互いに気まずくなって視線をそらす。喧嘩している間は不思議と痛みを感じなかったのに、その瞬間、殴られた頬や拳が熱を帯びてズキズキと痛み出す。

 幸田を殴った時の感触。驚愕に歪んでいた細川の顔。そして、少し――涙ぐんでいたような気がするエロえもんの目。それらが心と体の間をぐるぐると回り、やがて重い後悔へと姿を変えていった。

 

「立てるか?」

 

 やがて、養護の先生が少し離れたところにいる幸田の治療に向かうと、田中先生は僕を職員室の自分のデスクまで連れ出した。

 

「まったく、今日の日野には驚かされっぱなしだぞ」

 

 廊下で高木先生と少し話した後、田中先生は先ほどまでの様子が嘘のように笑った。

 誰かが用意してくれたのか。机上には僕と幸田のランドセルと体操着袋が置いてある。僕は冗談めかした先生の言葉にも、ただ視線を落とし、足元を見ているだけだった。

 

「……悪かったな」

 

 田中先生は、低いトーンの声でぼそりと呟いた。

 そう言って、僕の頭をぐりぐりと撫でた。

 

 それはあまりに予想外の出来事で――この人は、そういうことをする人じゃないと思っていたから。僕は驚いて、恥ずかしくて、どうすればいいかわからずにただ下を向き続けていた。

 

「先生、今まで、お前が大人しいやつだって思ってから。そうだよな、色々あるよな。十二歳だもんな」

 

 まだ十一歳なんですけど……とは思ったけど、なんだかこの場で言うの違う気がして。代わりに、僕はゆっくりと顔を上げて先生の方を見た。

 

「お前ら、漫画描いてるんだって?」

 

 ようやく視線が合った僕に先生が尋ねた。

 僕は最初驚いたけど、そもそもの喧嘩の原因を思い出して、一人納得する。たぶん、僕らが保健室で手当てを受けている間に事情聴取され、誰かが洗いざらい吐いたのだろう。僕は観念して「……はい」と少しふてぶてしく答える。

 

「漫画かぁ……先生も、お前らくらいの時観てたよ。ガンダムとかヤマトとか。最近の子は知らないだろうけど」

 

 だけど、先生の声は咎めるでもなく、ただ少し笑いを含んだ平坦な声だった。

 

「それって、漫画じゃなくてアニメですよね」

「……そう言われると、そうだな」

 

 今度は思わずツッコンでしまい、それを聞いた田中先生はへっへっへっと気が抜けた笑い声を上げた。

 

 なんでだろう。

 今は、教師の顔なんて1ミリも見たくないのに。職員室なんて1秒でも早く出たいのに。

 

「……ヤ、ヤマトは観たことあります」

 

 理由はわからない。だけど、僕は――自分でも意図せず田中先生にそう告げていた。

 

「おっ、マジか?」

「その、じいちゃんが好きで、どっかの再放送録画してて」

 

 僕は先生も「マジか」なんて使うんだなと思いつつ、しどろもどろに答える。

 

「どこまで観た?」

「最後までです。その、地球を見た艦長さんが亡くなるところまで」

「沖田艦長か……すべてが懐かしい。あれ? ちょっと違うか?」

 

 先生が全然似てないモノマネをするので、僕は笑っていいのか、またツッコンでいいのかわからず、ただ少しだけ口の端を上げた。いつもとは少し違う苦笑が、切れた口元に痛かった。

 

「今日のことは……先生にも責任があると思う。だから、親御さんには俺から説明するけど、漫画のことは内緒にする。今日はまっすぐ帰れよ。あと、学校で漫画を描くのはいいけど、持ってくるのはダメだぞ。いいな?」

 

 淡々としたその言葉に、僕は黙ってうなずいた。そうするしか、なかった。

 職員室を出て靴を履き替えた後、僕は久しぶりに一人で、帰り道をトボトボ歩いて帰った。言われた通り、まっすぐ自分の家に向かって歩きながら思った。

 

 大人ってのは――本当によくわからない。

 いつもは僕らのことを否定するくせに、こういう時は肯定したりする。

 いつもは面倒ごとを避けたがるくせに、こういう時は責任を取ろうとしたりする。

 

 本当に、本当に……よくわからないけど、でも、僕は今日初めて、田中先生とちゃんと「会話」をしたような気がした。

 

「……よっ」

 

 そんなことを考えている時、ふと背後から声をかけられた。

 この1か月で慣れ親しんだ、女子にしては低い声。振り向いた先。曲がり角の陰から出てきたのは、やっぱりエロえもんだった。

 

 僕はなんだか探偵みたいだなと思いつつ、立ち止まる。夕日を背に立つエロえもんにどうしていいかわからず、ただ「ど、どうも」と挙動不審な笑みを浮かべる。エロえもんの表情は逆光でよく見えない。

 エロえもんは何も言わずに、僕の横に小走りで駆け寄ってくる。僕もそれ以上何も言えず、ランドセルで蒸れる背中を並べて、どちらともなく歩き始めた。

 

「……ごめん、あんなことして。ひいたよね」

 

 僕がそう言うと、エロえもんはこちらをちらりと見たが、再び前を向く。

 

「ああ。私がいうのもなんだけど、正直ドン引きだ。なんであんなことしたんだよ……手は漫画家の命だぞ? つまんないことに使うなよ」

 

 僕はその返答に自分でも予想外にショックを受けながら――それでも、エロえもんがこうやって昨日までと同じように話してくれていることが、嬉しかった。

 

 そして、ふと考えた。

 

 自慢じゃないが、内弁慶の僕は、学校であんな大喧嘩などしたことがない。嫌がらせや暴言を吐かれても、たいてい苦笑するか、聞こえなかったフリをしてやり過ごしているだけだった。それなのに、あの時、なぜ――あんなにも、怒りが込み上げてきたのだろう。

 

 僕は幸田を殴り、今はガーゼが貼られている右手を見た。そして、エロえもんの先ほどの言葉を思い出す。その時――少しだけ、答えがわかった気がした。

 

「つまんなくないよ」

 

 僕は足を止めた。少し前を歩くエロえもんが振り向く。

 その顔を見て、僕はまっすぐに言葉を吐き出す。

 

「僕にとっては……その、つまんないことじゃなかったから。君の漫画のこと、馬鹿にされたくなかった」

 

 僕や他のことは、いくら馬鹿にされても構わない。

 でも、こいつは、本気で漫画に取り組んでいる。本気で漫画について考えている。

 だから、こいつの漫画をあんなふうに馬鹿にされたことだけは、どうしても許せなかったんんだ。

 

 先ほどとは逆の順光の立ち位置で、今度はエロえもんの表情がよく見えた。だけど、その表情が持つ意味はわからなかった。驚いているようにも、怒っているようにも……泣いているようにも見えた。

 

「私さ」

 

 エロえもんは一度下を向き、ランドセルの肩ひもをぎゅっと握り締める。

 

「もうちょっと……うまくやれると思ったんだ。その、クラスの立ち位置とか。君と一緒に帰っていることとか、漫画描いていることとか、バレても……でも、全然ダメだ。私、自分が思っているより弱い人間なんだなって、思ったよ」

 

 そんなことない――そう言おうとした瞬間、エロえもんが顔を上げた。

 そこには、今までとは違う――見たことのない満面の笑みがあった。

 

「……ありがとな」

 

 その時、エロえもんから出た言葉は、今までのどの言葉よりも小学生らしく聞こえた。

 だから、僕は何も言えず「うん」としか言えなくなってしまう。

 

 後から思えば、あの時、初めて僕らは脅迫するされるといった関係でも、姉弟や師弟のような教える側と教わる側といった関係でもない――本当に対等な友達になったのかもしれない。

 

 

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