大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
それから僕とエロえもんは、学校でもこそこそせず、普通に話すようになった。
エロえもんは、もう漫画を描いているのを隠すこともなく、時折からかい半分で見せてほしいと言われると、ためらいなくクラスメイトに見せるようになっていた。そして、彼女の漫画を読むと、バカにしていたやつらはたいてい「……へえ、お前、けっこう本格的じゃん」と目の色を変えていた。
ちなみに、そのまま話ついでに僕の漫画まで「読ませてくれよ」と言われることもあった。彼女の漫画を読んで期待値が上がったまま僕の漫画を読んだやつらはたいてい「……へえ、お前、けっこう馬鹿じゃん」と目の色を変えていた。もっぱら例の「ウンチンコ・ウンゲリラウンゴリラ!!!!!」のせいである。
……まあ、なんというか、世の中そんなもんなのだ。
でも、エロえもんの漫画がちゃんと評価されて、クラスの中でも堂々と話せるようになったことは、正直ちょっと嬉しかった。
あの喧嘩騒動の翌日から――僕を含めて――クラスの人間関係は、少しだけ変化した。
もともと透明人間兼クラスの置物だった僕は、完全にクラスという空間に現れるバグみたいな存在として扱われた。
自分がやったことだからある程度は覚悟していた。
だけど、翌日の朝、教室のドアを開けた時――みんな時が止まったようにお喋りをやめ、いっせいにこちらを見てきた光景は、きっとこの先、ずっと覚えていると思う。
めまいがして、呼吸が止まりかけた。痛いほどの静寂と容赦ない視線の海の中、僕は自分の席に座った。これまでも教室では一人だったけど、常に人に意識を向けられた一人というのがこんなにも違う――きついものだというのは、想像していなかった。
そんな中で、僕に話しかけてくれたのはエロえもんだけだった。
もともとクラスでの立ち回りが上手かったエロえもんの周りにはすぐ人が戻ってきたけど、「日野とは、話したいと思ってるから話してるだけだよ。男子とか女子とか関係なしに」という彼女に対し、冷ややかな視線を送る女子たち――特にトップカーストに所属しているような――もチラホラいた。
たぶん近いうちに僕らがあずかり知らぬところで、多数派によるクラスの勢力図に関するサミットが開かれるのであろう。
だって、みんな好きだろ? 民主主義が。
「よお」
だけど、そんな状況の中、僕らに話しかけてきたやつがいた。
そして、それは……思いがけない人物だった。
「幸田……?」
その日の昼休み。僕とエロえもんが話していたところにやってきたのは、昨日喧嘩したばかりの相手――幸田だった。その隣にはちょこんと従者みたいに細川も引っ付いている。
昨日の続きをしに来たのだろうか。それとも、先生や親に怒られた復讐でもしに来たのだろうか。僕とエロえもんは無言のまま身構える。教室全体にも緊張が走っていた。
「その……昨日は、悪かったな」
だけど、幸田の口から出てきたのは、予想外の言葉だった。
中学生みたいな体を縮こまると、気恥ずかしそうにそっぽを向き、頬をかく。それを隣で見ていた細川は、どこかキザっぽく歯を見せてほほ笑んだ。
「君らの描いた漫画、読ませてくれよ。こう見えて、僕、漫画にもけっこう造詣があるからさ」
幸田とは対照的な細川の高い声が、僕らにそう告げた。
僕とエロえもんは顔を見合わせて、どちらともなく自分たちのマンガノートを差し出した。
今思えば、それがきっかけだったと思う。
もともと小学生が興味を持つ対象の移り変わりなんて早いものだけど、徐々に僕を遠巻きにする雰囲気は薄れていき、ほんの少しの人間関係の変化を残して、クラスはいつも通りの空気へ戻っていた。
僕は相変わらずクラスでは浮いていたけど、エロえもんや漫画の話題を介して出久杉や安春、御木本といったお人よしや優等生が集まるグループ、オタク系のグループと少しだけ言葉を交わすようになった。
そして、一番大きな変化は、そういうグループに所属していない幸田と細川と、一番話すようになったことかもしれない。
幸田は無神経で、暴力的で、沸点も低いという良くも悪くもヤンキー気質なやつで、クラスの一部からは正直嫌われていた。だけど、本気でやっていることに対しては真摯で、例えオタク趣味でも馬鹿にしてくることは、あの相合傘騒動以来なかった。
細川も親がPTAの会長でゾイドのプラモとか最新のゲームとか携帯とか持ってるけど、「俺らとは違う」ぼっちゃんとして扱われ少し浮いていた。だけど、アニメとかゲームに関しては僕らより詳しくて、漫画を読んでくれる度に読者目線で的確なアドバイスをくれた。
別に『友情テレカ』を持つほど永久不滅の繋がりってわけではないけど、そうやってつるんでいくうちに、クラスの「普通」からちょっとずつズレている僕ら四人は、奇妙な連帯感を持って自然と一緒にいるようになった。
そうなると、当然猫をかぶっていたエロえもんの本性もあっさりバレて、彼女の方もすっかり隠すことなくインターネットを駆使して手に入れたゲームの裏技、強いキャラやカードの情報(そういう情報は、近所の兄ちゃん経由や口コミでしか知れなかったので貴重だった)……そして、エロ画像を二人に提供するようになり、仲間うちでいる時だけ、幸田と細川からも「エロえもん」と呼ばれるようになった。
一見、いじめられっ子のようなあだ名だが、僕らはある種の畏敬の念を込めて彼女をそう呼んでいたように思う。
それは……なんだか不思議な光景だった。
僕が描く漫画は、僕のために生まれた、僕だけの世界だったはずのに。
いつの間にか僕には、エロえもんや幸田との喧嘩を通して、漫画やインターネット、エロ画像、他のくだらない話題を共有する小さな繋がりが、いくつもできていた。
他の人や世界には、「それがどうした?」とでも言われてしまいそうな――取るに足らない小さなことだったかもしれないけど、僕にとっては、まるでネッシーやツチノコの実在が確認されたように、世界を少しだけ変えてしまう大きな出来事だったんだ。
エロえもんが千条先生に啖呵を切ったり、僕と幸田が喧嘩した事件も……梅雨が明ける頃になると、停滞していた梅雨前線と一緒にみんなの頭の中から消え去り、学校は日常へと戻っていった。
「何やってんだよ! ノロマ! さっさとしろよ!」
「そんなこと言われてもー」
「仕方ないよ。日野はメガネが本体なんだからさ」
頭上から、僕にイライラした声を投げる幸田と細川の小馬鹿にした笑いが降りかかった。
水泳の前はいつもそうだが、この日の二時間目――国語の授業も終わる間際からみんな落ち着かず、教室はいつにも増してそわそわとした気分に包まれている。
そうして、チャイムが鳴った直後。クラスの男子たちがビニールのプールバッグを肩にかけて教室の外へと飛び出していく中で、僕はランドセルの奥にしまったはずの眼鏡ケースをようやく探し当てたところだった。
「こらっ! 廊下走んな! 何組だお前ら!?」
その時、教室の外で怒鳴り声が響いた。この声は……確か教頭だ。校内の「捕まると説教が長いランキング」においては六年連続トップスリーに入る逸材である(自社調べ)。たぶん捕まったのはさっき教室を飛び出した先行組だろう。まあ、なんというか、ご愁傷様という感じである。
「見つかったら巻き込まれそうだから、西口の渡り廊下から行こうか」
僕がそう提案すると、幸田は「お前のノロマもたまには役に立つじゃねえか!」とうって変わって僕の背中を叩く。
「そんなことより早く行こうよ。いいポジションを確保しなくちゃ」
いつもより浮足立った細川の言葉だが、それには僕も同意だ。
僕ら三人は廊下の突き当りで説教を受けているクラスメイトを尻目に、反対側へと進み、教頭から見えない曲がり角に差し掛かると一気に駆け出した。