大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
「いいか、お前らの考えていることなどスルッとマルっとわかってんだ! 準備体操前に飛び込みなど絶対に考えるなよ!」
大量の蝉しぐれの中、千条先生のがなり声と容赦ない日差しが、頭の上から僕らを押さえつける。先週やっと梅雨が明けたばかりだというのに、七月中旬の太陽はもうすっかり夏の装いだった。
空の上から降り注ぐ日差しは、プールサイドを火であぶった鉄板のように変え、プールの水面をきらきらと反射させている。まるで『
夏にプール入らなかったらいつ入るんだよ、などと思ったりしつつも、僕はアツアツのタイルの上で焼き土下座のような柔軟体操に耐えている。
いや……僕だけじゃない。たぶん、今年はクラスの男子全身そうだろう。その証拠に普段は体育の授業中ずっと猿みたいにうるさくしているクラスメイトたちも、茹だるような暑さの中、粛々と準備体操をこなしている。
もちろん、余計な説教をくらえばプールで泳ぐ時間が少なくなるという理由もある。
だが、それ以上に――
「よーし! 準備体操終わったら、男子は俺に、女子は
「はい。じゃあ、女子はこっちで整列してくださーい」
もっと大きな理由が、男子たちにはあった。
黒の下地に緑の線が入った競泳水着に身を包んだ女性――
「じゃあ、お腹に水かけてゆっくり足から入ってー。飛び込み禁止ねー」
舞子先生がそう言ってプールに入り胸が揺れた瞬間、男子たちが思わず顔ごとそちらへ向ける。女子たちから「ヤバっ……」と嫌悪を含んだ視線が向けられる。
「……お前ら! 授業をなんだと思ってんだ! 最後の自由時間なくすぞ! ああ!?」
と、そこで千条先生の雷が落ちた。「さっさとしろ!」と鳴り響くホイッスルに背を押され、僕らは渋々プールに入って一列に整列。プールサイドを掴み、「バタ足始め!」という先生の号令と共に生ぬるい水中へ顔を沈め、大きく水面を蹴り始める。
塩素のツーンとした匂いと共に、ところ天の助みたいな色をした長方形の水面の両辺に白い滝のような水柱が上がった。
「おいっ! そこ! 男のシンクロは禁止だ!」
陽光を弾く白い水しぶきに混じり、本日何度目になるかわからない千条先生のホイッスルが鳴った。どうやらお調子者軍団が『ウォーターボーイズ』のマネをして、水中倒立でもやっているらしい。水中にいるのでその怒号も聞こえないらしく、先生は「お前らいい加減にしろー!」と水面から両足だけ出しているスケキヨ軍団にざぶざぶと向かっていく。
しかし……この短時間にあれだけ怒ってよく疲れないな。二酸化炭素の排出量すごそうだし、わりとあの人ひとりで地球温暖化に貢献してるんじゃなかろうか。
などと僕はその光景を尻目に見ながら、プールの端っこで幸田、細川と並んで何をするでもなく立っている。
水泳の授業では、毎回、最後の十分間好きに過ごしていい自由時間というものが与えられている。みんな適当に競争したり、潜水対決や宝探しゲームをしたり、思い思いにプールの時間を満喫しているが、僕らだってただぼーっと突っ立ているわけじゃない。この貴重な時間を無駄にするほど馬鹿ではなかった。
「僕、最近思っていることがあるんだけど……」
僕はある一点――具体的には、舞子先生とその周りで楽しそうに談笑している女子たちを見て、思わずつぶやくと「あん?」と同じ方を見ていた幸田が怪訝そうな声を上げる。
「水泳の時だけ、じ……っ……じょ、女子になれないかなってさ」
「……お前、らんまじゃねえんだから」
小さい「ょ」が入る単語であることも忘れ、自分でも思ったより切実な声が出てしまい、幸田からは気色悪いこと言うなよという目つきで見られる。
「いや、でも気持ちはわかる。君は裸眼だしな」
と左隣にいる細川からは援護が入る。まったく持ってその通りで、学年でもトップクラスに近視の僕は、眼鏡を外した今の状態では、10メートルも離れていないこの距離でも舞子先生の姿はぼんやりとしてしまう。
この時ばかりは、楽しいゲームの時間と等価交換で視力を持っていかれた過去の自分を恨んだ。クソ、この借りは高くつくぜ任〇堂。子どもを夢中にさせる面白いゲームばっかり作りやがって。
舞子先生の周りには級長の御木本を始めとした数人……エロえもんもいる。ただ、あの女子の輪に入る勇気など僕らには到底なく。なんとか脳内にこの夏のセーブデータを作ろうと、ピンホール効果に一縷の望みを託し目を細め続けた。
舞子先生は、うちの学校の卒業生で、同じ県内にある国立大学から来た教育実習生だ。
そう。つまり、正確に言うと、教師ではなく大学生。女子大生なのである。
女子大生……何度聞いても、素晴らしい響きだ。
クラスの女子たちとは違うスラリとした体。初夏の日差しを反射する長い髪の毛。親しみやすい笑顔を振りまきながらも、やっぱりちょっと子供とは違う仕草。
そして、おっぱい。
舞子先生が初めての挨拶で教卓の壇上に上がった時、僕らクラスの男子はすぐに騒然となり、すぐにチキンレースが始まった。
男子はみんな舞子先生のおっぱいやらパンツやら太ももやらを凝視したくて仕方ないのだが、あんまりじろじろ見ているとクラスで「エロエロの実の能力者」と吊し上げをくらうので、最初のうちは、皆こそこそとお互いにばれないように見ていた。
ただ、その中で僕と幸田、細川の3人はもともとちょっとクラスから浮いていたこともあり、そのチキンレースには参加していなかった。まあ、つまり、けっこう堂々と見て、水泳の時間なんかではプールサイドに座り小声で感想を言い合っていた。
すると、「まあ、水泳はしょうがない」、「不可抗力だよな」という暗黙の了解が生まれ、この時間だけはチキンレースの対象外となった。僕はそこに日本社会に未だ強くはびこる談合の萌芽を見たような気がした。
あと、おっぱい以外にも、幸田と細川はなんとか合法的な手段で先生のパンツを見ることができないかと必死に……いや、訂正しよう。僕も「やれやれ」と言いながら、二人に混じって必死になっていた。
ちなみに先生が履いているパンツに関しては、100%いちご柄であるという説がまことしやかにささやかれたが、真相は定かではない。結局、誰も見ることはできなかったのだ。
「君らもよくやるなぁ……あきれ果てたぞ」
その時、背後からかかった声に、僕らは振り向く。
見上げた先にあったのは、失礼ながら、舞子先生のおっぱいとは比較対象にならないドラえもんみたいな寸胴体型。さっきまで舞子先生の近くにいたエロえもんが、いつの間にか僕らの真後ろのプールサイドに立っていた。
「少なくとも、お前には言われたかねえよ」
「確かに。君、最初にやった水泳の授業での言動、ちゃんと覚えてる?」
この1か月近くですっかりエロえもんの言動に馴染んだ幸田と細川から手厳しいツッコミが入るが、僕も同意見だ。しかし、当の本人は「ああ、そんなこともあったねえ」とどこ吹く風だった。
細川が言っている今年最初の水泳でのできごとは、僕もよく覚えている。
おっぱい以外にはあまり興味がないエロえもんは、僕らのパンツ作戦には参加しておらず、舞子先生のおっぱいに関しても「あれくらいの大きさじゃあ、私は揺るがないよ。プロの目は厳しいんだ」とお前はいったい何のプロなんだよ言いたくなる見解を示していた。
しかし、舞子先生は……かなり着やせするタイプだったようで。今年最初の水泳の授業でその豊かなおっぱいが本性を現した時、男子だけではなく女子からもざわ…ざわ…と声にならない驚きが漏れていた。
「なんだあの化物は……!?」
と、その時、そんなざわざわとした空気をぶっ壊すつぶやき(大きめ)をして立ち上がったのが、エロえもんだ。しかも、腕をクロスさせて顔半分を覆うように掌をかざす妙なポーズをしていたので、クラスのみんなは「あいつ、どうしちゃったんだろう?」的な先ほどとは別の意味でざわざわしていた。
僕はこの時、共感性羞恥という単語を身を持って知ったような気がする。その後も、エロえもんは女子の集団の中でひとり真剣な目つきでガン見していて、こいつは将来大物になるに違いないと僕は思った。
つるみ始めてわかったことだが……エロえもんはけっこう直近観たアニメや漫画の影響を受けやすいやつなのだ。最近は『カードキャプターさくら』や『ツバサ・クロニクル』の作者がキャラクターデザインをやっているアニメを観てるそうで、時々言動がおかしくなっていた(ちなみにその話題になった時、僕はなんとなくさくらを観ているのがバレると恥ずかしかったので、ツバサだけ観たことあると答えたけど、誘導尋問されてわりとすぐにバレた)。
ついでに、僕がそれを見て「やれやれ」と右手を額に当て首を振っていると、「お前もけっこう痛々しいやつだよな」と幸田から真顔で、「いいコンビだよ、君ら」と細川から冷めた目を向けられた。納得いかない。
そんなこんなで、水面が真夏の輝きを反射してキラキラと光を放ち、みんながはしゃぎまくっている中、僕ら四人は今もこうして出張おっぱい鑑定団を続行中なわけである。
「き……っ……きょ、競泳水着の舞子先生……ち……ちょーいい……何も言えねえ」
「やっぱり、大きさも大事だけど――」
「形が大事だよな、形が」
と僕ら男子三人が月並みな鑑定結果を述べていく中、エロえもんは――
「私は……味だな」
と、頭上でとんでもないことを言いただした。
僕ら三人は顔を見合わせてとりあえず聞こえなかったことにしておいたけど、内心、こいつは将来犯罪者になるに違いないと僕は思った。
余談だが、授業終わり、冷たい洗浄シャワーをギャーギャー言いながら浴びて、目を洗浄している時にエロえもんと隣同士になったので「君、最近おっぱい好きが悪化してない?」とそれとなく自重の勧めをすると
「人は……おっぱい以外を好きになることはあっても、おっぱいを嫌いになることはない」
とまるでどっかの新興宗教の教祖みたいなことを言い始めたので、僕は戦慄した。
世界中が君レベルのおっぱい好きになったら人類社会の終わりだぞ。と思いつつも、それ以上は深追いせず、教室へと戻った。
次の社会の授業は体が気怠く、思わずあくびが出た。
机の横に引っ掛けた水着袋の中で、濡れてぐちゃぐちゃになった水着とマント式のバスタオルから、まだわずかに残る塩素消毒液と水の匂いがする。クーラーはなく、風は扇風機と自然風だけ。それに乗り、髪が乾ききってない長髪の女子からも同じような匂いが漂ってきて、まるで教室全体があの25メートルプールに浸かっているみたいだ。
授業に集中できずぼんやりと教室中を見ていると、幸田は爆睡。細川はこくり、こくりと首を前後に動かし、エロえもんはノートに何やら落書きしている。他のみんなも同じようもので、誰一人として授業に集中しているやつはいない。
田中先生もそれには気づいているはずだが、水泳の授業の後はこうなることをもうあきらめているのか、ワイシャツの背中に大きな汗染みを作りながら淡々と授業を進めている。
その平坦な声は、開け放たれた窓から聞こえてくる蝉の合唱と他の学年がやっているプールの歓声とないまぜになり、あまり理解できそうにない。その騒音に隠れ、斜め後方では、女子たちが学期の最後にやる「お楽しみ会」で何をするかというすごくどうでもいい話題をこそこそと話している。
彼女たちの話を聞き、ふと教室前方の掲示板にぶら下がっている7月のカレンダーと窓の向こう――殺人的な陽光で白く染まる校庭と天頂へと膨れ上がる入道雲を見て、ぼんやりとした頭でその事実に気づく。
夏休みは、もう目の前だった。