大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
「なかなかエキセントリックなお姉さまじゃないか」
一連の様子を見て、細川が苦笑いする。エキセントリックの意味がわからないけど、たぶん褒められてないことは確かだ。
「いーなー、お前はねーちゃんがいて」
と幸田からは皮肉なのかマジなのかわらかない発言。今の光景見てどうしたらそういう感想が出てくるんだ?
残るひとり。エロえもんは何も言わずに姉ちゃんが上がっていった先の階段をじっと見て、おもむろに目を見開く。
「ありゃあ……Cだな」
「……あのさぁ」
初対面で人の姉のカップ数を目測してんじゃないよ。お前の目は写輪眼か。
「スーツのお姉さんってのもなかなかどうして……悪くない。就職活動中か?」
「まあ……そうだけど」
前半のセクハラ面接染みた発言はスルーして、エロえもんの質問には不満気に答えた。
姉ちゃんはもともと人の形をした『どくさいスイッチ』みたいなもんだけど、最近は就職活動という『悪魔のパスポート』を携え、ますます僕に対するあたりが強くなっている。ストレスのせいか最近話題のキレる若者の体現者みたいだ。昔、親の本棚でキレる若者にしないための子育てみたいなハウツー本を見つけたけど、残念ながらあまり学習成果をあげられなかったらしい。この前、僕も幸田と喧嘩しちゃったし。
「だけど……姉ちゃんが焦るのも仕方ないと思う」
「失われた二十年」なんて呼ぶらしいけど、バブル崩壊から続く不況もあってか、来年専門学校を卒業する姉ちゃんは就職活動に苦戦しているようだった。
それに、なんかよく知らないけど法律が改正されて、会社で人を雇う時に派遣っていう働き方が多くなって、正社員の雇用が減っているらしい。少し前、すごいハイスペックな派遣の女の人がかっこよく活躍するドラマがあって「私も派遣でいいかなぁ」なんて姉ちゃんは言っていたけれど、それを聞いた親は「真剣に考えなさい!」と猛反発していた。
最近ニュースでも就職していない人のことが「ニート」なんて取りざたされているし、うちの親はけっこう世間体を気にするタイプだから、僕が知らないところで姉ちゃんもいろいろ言われているであろうことは想像に難くなかった。
僕のそんな話を聞くと、先ほどまでアホ面でセックスを見る方法を議論していた三人はうんうんと頷いていた。
「こんな閉塞感に満ちた社会じゃ、そりゃあ小学生の将来なりたい職業ランキングで公務員が一位になるよ」
とは細川の談だ。
「漫画の主人公とかも、お前みたいな自分からは何もしないで『やれやれ』とか言いながら巻き込まれるやつが増えそうだよな」
とは幸田の談だ。
やれやれ。こいつは相変わらず僕をけなしてくるな。やれやれ。
僕は女子高生のデコ電並みにやれやれを特盛にしつつ、後が怖いのでそこらへんに散らばっている少女漫画を回収していく。
「ほい」
「ありがとう」
エロえもんが近くに置いてあるコミックを渡してくれたので受け取ろうとした時、僕はそれを手を滑らせて落としてしまう。「やべっ」と折り目がつかないうちに拾い――
「あっ……」
床に落ちた拍子にたまたま開いたページを見て、ハッとした。
そのページは最悪の出会いから始まり、反目しあったり、すれ違ったり……その他諸々の少女漫画的困難を乗り越えて、主人公であるヒロインと男の子が結ばれる場面だった。
そう。文字通りベッドの中で結ばれる。
そう。つまり、セックスだ。セックスである。セックスなのだ。
少女漫画は少年漫画に比べて直接おっぱいとか乳首が出るわけではないけれど、けっこうこういう直接的な描写が多くて、僕も初めて読んだ時は思わず「Oh……!」とアメリカ感な反応をしてしまったものだ。まったく最近の女学生ってえのは、こんなハレンチなもの読んでやがったのかい。男子に比べてオマセになるはずでぃ!
とはいっても……具体的には、二人が何をしているのかまではわからない。
ただお互いに一糸まとわぬ姿になって、赤らんだ顔を含めた上半身のアップと繋いだ手のみが描かれていて、次のページになれば翌朝「脳みそフット―しそうだよぉ……!」とか言ってヒロインが顔を赤らめているのである。あらあら、カマトトぶっちゃって(死語)……かわいいじゃないの。
と僕が少女漫画ワールドに当てられてアメリカ人になったり、江戸っ子になったり、オネエになったりしていると、「お前、頭大丈夫か?」と心配そうな視線を三人から向けられた。どうやら情緒不安定な心が顔面にも表れていたようだ。恐ろしいね、ロマンチックってやつは。
僕は平静を取り戻し、改めてさっきのベッドシーンを眺めてみる。
そして、ふと考えた。
なんで……セックスっていうのは、少女漫画だと見てもいいけど、現実の写真とか動画だとダメなんだろう。少年漫画にも時々乳首が出ているものがあるけど、あれもやっぱり絵だからいいのだろうか。
そんなことを悶々と考えて、僕は机の上にほったらかしにしているプリントを裏返し、下手くそなおっぱい付きの女の人の上半身を描いてみた。細川は「君、何やってんだよ」と呆れ顔だったが、途中で投げ出すのもあれなので一応全身を完成をさせようとギャグ長の顔をつけ「あっはーん」という偏差値10くらいの台詞を言わせてみせる。
だけど、最後の仕上げに下半身――股の下を描こうとしたところで、ピタリと鉛筆を滑らせる手が止まった。
股の下。僕たち男子にはちんこがついているところ。そこに何があるかは、よく知らない。とりあえずちんこと金玉が女子にはついていないことは確かだし、確か赤ちゃんを産む時の子宮っていう臓器があるのは、知識として知っている。
だけど、そういう事実以上の「何か」が――なぜか、そこにはあるような気がするのだ。
「ん? なんだ?」
「いや、別に」
エロえもんの方をちらりと見て、なんとなく気まずくなって目をそらした。
こいつに聞いてもよかったけど、なんか気が引けた。おっぱいと違って、なんというか、下半身に関する話題はエロえもんとはやってはいけないような……僕の中には、理由がわからないそんな自制心がどこかにあったのだ。
「でもさ、お前ら漫画とか絵描いてるんだろ? いっそのこと自分たちで描けばいいんじゃねえの?」
と幸田からはぶっきらぼうに提案されるが、そもそも何をしているのか知らないから描けるわけないじゃん。というのが、僕とエロえもんの共通認識だ。
「なんか……もうだめそうだな」
再加熱しそうだった「どうやってセックスを見るか委員会」はそこで打ち切りとなり、僕らは再びダラダラモードに移行する。
「なんだかなぁ」
僕らには、予感があった。
このまま、こうやって夏休みが過ぎていって、後半は泣きべそ半分に宿題をやって、また二学期にこれまでと変わらない日常を繰り返して、卒業する。
そんな――すごくつまらないけど、確実な予感だ。
だから、何か僕らの毎日を変えるほんのちょっとしたきっかけが欲しかった。「セックスを見る」というのは、僕らにとってそれになり得る気がしたのに。お先は真っ暗だ。
そうやって、あーあ、セックスが何やってるかわかる漫画があればいいのに……などと考えている時だ。
――エ……ロ、マ……島
突然――本当に思いがけず、頭の中に閃くものがあった。
それは最初、はっきりと形を成してしなかった。
何か、どこかで聞いた。今、思い出さなければいけない。小さい「ゅ」や「ょ」が吃音で詰まる時のように、もう少しのところで言葉が引っ掛かって焦燥が積るけど、なんとか掴みかけたその単語を手放すまいと、必死にひねり出した。
――エロマンガ島
それは、以前テレビで聞いたことがあって、地図帳に印をつけていた世界のどこかにある島の名前。
エロマンガ島。えろまんがとう。エロ漫画島……そう、エロ漫画。エロ漫画だ。
「そうか……! エロ漫画だ!」
そうだ……その手があった。
リアルがだめでも、漫画ならいいんじゃないか。
きっと、少女漫画にセックスが描いてあるのだって、実在している人じゃなくて、キャラクターで、絵だからだろう。少年漫画にだって乳首が描いてあることあるし、きっとそういうのが買えるんだったら……エロ漫画だって、僕らでも買えるんじゃないだろうか。
もしかしたらさっきのプレステみたいに根本から方向性が間違っているかもしれないけど、僕はその思いつきを興奮に任せてみんなに発表する。
すると、僕の熱気にあてられたように――みんなの目の色が変わっていった。
「それ、コペルニクス的発想だな……!」
「なんだよ、それ」と聞こうとしたけど、エロえもんは興奮した様子で僕の肩をバシバシと叩く。こいつがこんなにテンション上がっているところを見るのは、舞子先生のおっぱいを鑑定している時以来だった。
「君の漫画を見てて、前から思ってたんだよ。君は確かに勉強も運動もまるでダメだけど、ひらめきというか……他の人ならスルーしてしまうようなところに気づく発想力があるんだ!」
エロえもんの言葉に「そういや」、「確かにそうかもな」と幸田と細川も同意する。
僕はまるでダメは言いすぎだろ……と思いつつも、そんなふうにべた褒めされることが滅多にないので少しくすぐったくなる。
「スケベの天才だな!」
「よっ! エロ日本一!」
「やはり天才か……」
……訂正。
なんだろうね。なぜか褒められているのに全然嬉しくない。
「よし! 決まりだな!」
幸田が自分の太ももをバシンと叩き、勢いよく立ち上がった。
「夏休みも、もうすぐ残り半分だ! 俺たちはなんとしてもこの夏休み中に……エロ漫画を手に入れるぞ!」
残り三人も幸田につられ柄でもなく立ち上がり「チームドスケベ、ファイヤー!」と声をあげ、「あんたらうっさい!」と二階の姉ちゃんに怒鳴り込まれた。
大人になって後から振り返ってみると、それはとんでもなく無理やりなこじつけで、馬鹿な間違いだった。
小学六年生のあの時でも、冷静に考えればエロ漫画を――成人向け漫画を子どもが買えるわけないってことは、みんな頭のどこかではわかっていたのかもしれない。
だけど、僕らはそれを――ようやく見つけた、何もない平面の夏休みを変えるきっかけを、まやかしだとは気づきたくなくて。誰も言わず、意識的に胸にしまいこんでいたのだと思う。
とにもかくにも。僕らの最低な夏休みは、八月も中旬に近づいた頃、何かが始まる予感と共にようやく動き出したのだ。
そして――これが、僕らが一緒に過ごした最後の夏休みでもあった。