大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
『ゲッツ!』、『残念!』、『ヒロシです……』、『すみこだよぉ~』、『どけどけ~、どけどけ~』、『んー! んー!』、『グ~』、『どーでもいーいですよ―』
その夜、僕はリビングの低いテーブルの前に座りスイカをかじりながら、何年か前に地デジ化でブラウン管から買い替えた薄型テレビを見ていた。
その画面の中では芸人さんが入れ替わり立ち代わりネタを披露し、台所前のダイニングテーブルで肘を付いてチ〇リーのタバコを吸っていたお父さんが時折「ぶっ」と吹き出していた。
「お父さん、煙草吸うならベランダに行くって、前言わなかった?」
だが、そうしていると、台所で洗い物をしているお母さんから鋭い声が飛んだ。
それを聞いたお父さんは嫌な顔をしつつも、「はい……」と灰皿を持ち、ソソクサと階段を上がっていく。最近は世の中は「分煙」なんてものがブームらしく、お父さんの会社でも室内にあった喫煙スペースがビル裏に移動になったようで「21世紀は厳しいなぁ……」とぼやいていた。
もっとも、うちの分煙ルールはわりかしお母さんの機嫌に左右される。
そして、その日の機嫌は冷蔵庫の開け閉めする音や調理器具の取り扱い方でなんとなくわかる。
今日はどちかというと機嫌が悪い。おそらく昨日、お父さんの携帯に設定されている着メロが、お母さんだけダー〇ベイダー襲来のテーマになっていたことが発覚したからだろう。
『あなたと……合体したい……!』
お父さんが二階のベランダを開ける音と同じタイミングで番組が終わり、パチンコのCMが入った。アニソンと共にロボットの映像が流れると、別にエッチな単語があるわけでもないのに僕はちょっと恥ずかしくなって「興味なんてございませんよ~」という顔をして、スイカにかぶりつく。
そして、勢い余ってスイカの種を飲み込んでしまった。昔はよくやってたけど、久々にやっちゃったなぁと思う。たぶん消化しきれないで明日のうんこで出てくるだろう。
そういえば小さい頃、僕はスイカの種を飲み込んでしまった時、胃の中で発芽して、やがて図書館で読んだ『ブラックジャック』の植物人間のように、体中からスイカの蔦が生えてきて死んでしまうんじゃないかと思った。若さゆえの過ち、というやつだ。
確かその時も夏休みで、こっちの方に帰省中だった。僕は「どうしよう! ボク明日死んじゃう!」とじいちゃんに泣きついて、家族みんなに笑われた。あの時は、「死ぬ」ということがどういうことかわからなくて、ただひたすら不安で仕方なかったのだ。
だけど……自分のためには泣いたくせに、じいちゃんが死んだ時、僕は泣かなかった。泣けなかった。
告別式や葬式では、親戚の人ではあるけど知らない大人たちがみんな「久しぶり~」と笑っていたかと思えば、出棺の時に急に泣き出して、お昼ご飯で寿司を食べる時になったらケロっと忘れたようにまた談笑して――僕にはなんだかそれがすごくおかしく見えて、ちょっと不気味だったから。どういうテンションでいればいいのかよくわからなかったのだ。
ただ……棺桶に入っているマネキンみたいなじいちゃんの顔だけが、記憶に残っていた。
もうじいちゃんは、僕とこの世界にある不思議な事について話すことも、ドラえもんのビデオを一緒に観てくれることもない。
もうじいちゃんはこの世にいないから。僕が死んだら、じいちゃんとのそういう思い出も、きっとこの世界から一緒に消えてしまう。僕には人が死ぬということがどういうことかわかっていなかった――今でもよくわかっていない――けど、それだけは、とても恐ろしいことのように思えた。
その時の感情を思い出しながらスイカの種を口から皿に飛ばしていると、今まで考えてもみなかったことが頭によぎった。
僕が死んだら……僕はどこにいくのだろう。
科学的な観点からすると、脳みそが死ねば、眠ってる時と同じように何も考えられないし、気になる漫画の続きを読むことも、こうやってテレビを見ることもできないだろう。天国や地獄なんてものは宗教上の観念で、実在は誰も証明できていないし、生きている間はきっとわからないだろう。
じゃあ、僕以外の世界はどうだろう?
しばらくは周りの人たちが僕のことを覚えていてくれるかもしれなけど、家族や親戚の人、同級生がみんな死んだら、きっと僕がいた証拠ですら、この世界から消えてなくなってしまう。
今思えば、直接的なきっかけは藤子先生の伝記だけど、僕が漫画を描き始めた一番のきっかけは、じいちゃんの葬式なのかもしれない。
僕の気持ちや感じたことや思い出、好きなこと。
それを残しておけば、きっと僕や僕を直接知っている人が消えた後も、僕は僕の漫画を読んだ誰かの中に、この世界の欠片として残り続ける。たぶんそういう思いが、心のどこかであったのかもしれない。
「こら。食べ終わったらお皿くらい下げなさい。もう六年生でしょ? 言われなきゃできない?」
そうやって僕がぼっーとしていると、背後から声がかかった。お母さんだ。僕は「そんな言い方しなくてもいいじゃないか」と少しイラっとしながらも、表情からお母さんのイライラ指数を観測し、ここは大人しく従って風呂か自分の部屋へと即時撤退が吉と判断する。
「そういえば……お昼、お友達来てたみたいだけど」
台所のシンクに皿を置いたと同時にかけられた声に思わず動きが止まる。夕方、家を出る前の玄関でパートから帰ってきたお母さんといつものメンバーがニアミスしたのだ。
僕はどう答えるべきか少しだけ黙考し、結局「うん」と日本語会話講座初級レッスン1で習うような返事をする。
「あの体の大きな子って……幸田くん? この前喧嘩した。それに細川くんって親御さんPTA会長よね?」
僕はそれに「そうだね」と少しレベルアップした日本語で答える。おめでとう、これでレッスン1は終了。道行く日本人に道を聞かれても、完璧に答えられるぜ。
僕の完璧な日本語力に恐れを成したのか。
お母さんは何も言わず「そう」とだけ言う。僕は今すぐこの場を立ち去りたかったが、お母さんが台所の出口を塞ぐように立っているので、どうすることもできない。手持ち無沙汰に冷蔵庫を物色し、食べたくもないヨーグルトをひとつ開けて、スプーンで口に運ぶ。
さっきスイカ食べたばっかりなのにこんなに腸をゆるゆるにするものばっかり食べれば、明日はゲリ便ハイドロポンプ確実だな。
お母さんは……たぶん僕が幸田と遊ぶことをこころよく思っていない。細川についても親御さんがPTAで属するグループが違うようで、あまりいい顔をしない。エロえもん曰く「そりゃあ、派閥ってやつだね」とのことだ。そういうのがあるのは国会だけだと思ってたけど、PTAでもあるらしい。
PTAみたいな小さな集まりで、そんなもん作って面白いんだろうか。つくづく人間というのは争いが好きな生き物なのだ。3万年前ぐらいのアダムとイヴの時代に行って、神様に競争本能を取り除いてもらった方がいいんじゃないか。
「他に、仲のいい友達はいないの?」
「……」
僕はその問いに対し黙秘権を行使する。
あのできごと以来、クラスで会話をするやつくらいはできたけど、一緒に遊ぶくらいの関係性なのはあの三人くらいだ。まあ、これでも数か月前よりはマシになったのだから勘弁してもらいたいものである。
「何だお前? クラスで他に友達いないのか?」
と思い取調室と化した台所から逃げようとした時、新たな刑事が二階から降りてきた。お父さんだった。なんじゃこりゃあ……多勢に無勢。僕はこれ以上の黙秘は不可能と判断した。
「いや……いるけど」
まあ、嘘なんですけどね。
もし仮に言ったとしたら、この場がどうなるかくらいわかる。さすがに僕だって、それくらい空気は読むさ。
僕はそれ以上は何も言わずヨーグルト口にかき込む。「何か食べている時に喋るな」という教えをこの時ばかりと忠実に守っているのに、両親はどこか不満げだった。
「そういえば、あの女の子って○○さん?」
もうそろそろ潮時だろと思いヨーグルトを食べ終わった瞬間、お母さんから追加の質問が飛んできた。ぬかった。ヨーグルト残しておけばよかった。
「親御さんお会いしたことないけど、かわいらしい子ね。もしかして……ガールフレンド?」
圧迫感がにじみ出ていた先ほどとはうって変わった声の調子に――僕は、なぜかさっきより苛立ってしまった。
僕からすれば、エロえもんはジャニーズ系っていうのか……かわいいより、かっこいいという顔立ちのように思えるけど、大人からすればそう見えるのかもしれない。
でも、この人たちは……エロえもんのことを、僕らのことを、何も知らない。
僕はエロえもんに対して、うまく言えないけど、一緒に漫画という夢を共有する仲間であり、ライバルのような感情を抱いていた。だから、色眼鏡でしか見ない大人の定義で僕らの関係性を決められたくなかったし、実際にそんなふうになるのも御免だった。
僕は何も言わず両親の脇をすり抜け、そのまま少し不機嫌な態度のまま風呂場へと向かった。脱衣所のドアを閉め、洗面台のすぐ横にある洗濯機へ放り込む。
眼鏡をはずした時、ぼんやりとした視界の端に入る肌色に、ふと目を留めた。洗面台の鏡に映る全裸の自分だ。幸田のようなスポーツマンのクラスメイトと違うヒョロヒョロの体に我ながら嫌気がさしながら、ちらりと股間の方を見る。周りはまだ生えていないのに、僕だけ異様にちん毛が大量で、プールの着替えの時、幸田にボボボーボ・ボーボボとからかわれるのだ。
学習漫画シリーズの人体の不思議で見たけど……ちん毛というのは、赤ちゃんを作るために必要な金玉を守るためにあるらしい。金玉の中にはスイカの種と同じように子どもを作るための精子ってのがいるのだ。僕も昔、その目に見えない精子のうちの一匹だったのだ。
そして、理科の授業で習ったようにセックスをすると精子と卵子がひとつになって、赤ちゃんができる……らしい。
そう考えると、今、僕の金玉の中にいる彼らは、生きていると言えるのだろうか?
生まれるまでの間、人は死んでいるのと同じなんだろうか?
まえ『14才の母』というドラマでは中学生の女の子が妊娠してしまい、周りの人が激怒する場面があった。
そういえば、ドラえもんには『人間製造機』というひみつどうぐがあって、しずちゃんに赤ちゃんを一緒に作ろうと言ったのび太はめちゃくちゃに殴られていた。
ハガレンだと、エドたちの師匠が流産した子供を人体錬成で蘇らせようとしたら、失敗した挙句、対価として二度と子供が産めない体にされてしまった。
これらの知識から推測するに……どうやら赤ちゃんというのは大人になってから、しかも、ちゃんとしたセックスで作った子供ではないと、ダメなものらしい。
だけど、それがなぜダメなのかはわからない。
子供がセックスをしちゃいけない理由も、「ちゃんとした」方法以外で子供を作るのが喜ばれないわけも。きっと大人たちは質問しても、「そんなことを子供は知らなくていい」、「とにかく悪いことだから」と頭ごなしに否定するだけだろう。
「悪いこと……」
宿題でズルをする。友達が一人もいない。周りに合わせることができない。アニメとかゲームばっかり。真面目に勉強せずに漫画を描く。インターネットでエロ画像を見る。
子供だけで――エロ漫画を買いに行く。
大人から怒られることを並べてみたけれど、僕にはそのどれもが、そんなに悪いことだとは思えなかった。だって、無差別テロで民間人を傷つけたり、オレオレ詐欺で誰かをおとしめたり、ブラック企業が従業員を過労死させて殺したり……そういうのに比べれば、些細なことに思えたのだ。
そんなことを考えていると、ふと雨宿りしていた時にチラリと見えたエロえもんの下着が脳裏をかすめた。
半透明になった服が貼りついた肌色の肩。背中にうっすら見えるエロえもんの下着。それを思い出そうとすると体の下のほうがこそばゆくなり、ムズムズする。エロ画像を見た時と似ているけど、少し、違う。今までに感じたことのない不思議な感覚だ。
そっか……今まで、あまり意識しないようにしてきたけど、あいつだって女子なのだ。
あんまり目立たないけどおっぱいだって一応ついてるし……下には、ちんちんの代わりに別のものがあるのだ。
だけど、さっきは親からエロえもんとの仲をそういうふうに言われたことに憤っていたのに、数分後の今、僕はこんなことを考えてしまっている。最低だ、僕って。
そうやって勝手に自己嫌悪に陥り、しばらく鏡の前でボケっと突っ立っていると、突然、乱暴な音が背後でした。脱衣所の扉を開ける音だ。
「……汚ねえもん見せんな! ボケ!」
姉ちゃんだった。
振り向いた僕と目があった瞬間、容赦なくケツを蹴られ「40秒で風呂出な! あとが詰まってんだから!」と続けざまに無理難題を押し付けられる。
いくら僕が烏の行水だとはいえ、40秒は無理があるだろう。ラピュタに行くわけでもあるまいし。しずちゃんなんて1日に3回も風呂に入ってるんだから、1日1回のバスタイムくらい好きにさせてほしいものである。
僕はケツをさすりながら軽くため息をついて、風呂場へと緊急避難した。
やれやれ。人が透けた下着とちんこの相関性という哲学的な思索に興じていたというのに。こいつが最近問題になっているドメスティックなバイオレンスってやつかい。すみやかに児童相談所に報告しなきゃ。
「あんたさ」
と僕がストップ! 児童虐待的なフレーズを頭に浮かべていると、脱衣所との仕切りドア越しに姉ちゃんの声が聞こえてきた。なんだろう? また嫌味のひとつでも言われるのだろうか。もう両親だけで間に合ってるのに。
「あいつらと遊ぶの、楽しい?」
と――思ったが、姉ちゃんからの質問は、予想外のものだった。
僕はそれにどう答えていいかわからず、少し考える。
「……嫌いじゃない、と思う」
そうやってやっとひねり出した答えに姉ちゃんは「ふーん」と一言だけ。まるで興味がなさそうな「ふーん」だったけど、「あのさ」といつもとは違う口調で話を続ける。
「……母さんと父さんの言う事、あんま気にしないでいいから。小学校の友達なんてそのうち付き合いなくなるし……好きなやつらと遊んどきな。あの人たち、価値観がバブル崩壊前で止まってる昭和人だから、私たちとは違う人種なんだよ」
姉ちゃんの思いがけない言葉に、僕はボディソープを取る手を止めた。どう返していいかわかんなくて。でも、なぜかちょっとだけ泣きたくなって――
「姉ちゃんも……し……しょ、昭和生まれじゃなかったっけ?」
と思わず上げ足をとってしまう。ついでに「あとバブル崩壊は確か平成に入ってからだったと思うけど」と付け加えると、仕切りドアをバンッと叩かれた。
「は? なんか言った? クソメガネ」
「なんでもないです」
「あんた、なんで学校の勉強はできないのにそういう妙なことは覚えてるのかなぁ」
姉ちゃんはそう言うと、脱衣所のドアを勢いよく閉め立ち去ってしまう。僕はそれを聞いて安心したような、少し寂しいような気持になる。
姉ちゃんは……まごうことなき女王様だけど、言ってることはだいたい筋が通っているし、時々ちょっとだけ優しい。だから、実はあんまり嫌いじゃなかった。
「……やれやれ」
民衆から強烈な支持を得る独裁者ってのは、こういうふうに生み出されるものなのか。勉強になったぜ。僕は鼻をすすりながら、風呂桶にすくったお湯をいっきに頭からかぶった。