大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
第1話:コエカタマリンと空気砲
200×年 5月
この世界のどこかには、エロマンガ島という島があるらしい。
確か最初は『トリビアの泉』で聞いたんだと思う。自分で色々調べていくとエロマンガとは現地語で「人間です」という意味らしく、オーストラリアにも同じようにエロマンガ盆地という名前の地名があるそうだ。
漫湖。キンタマーニ高原。スケベニンゲン。オマーン国際空港。ボイン川。ヤキマンコ通り。チンコ川。マタモラス自治区。マンビラ高原。
それを知ってからというもの、僕は社会の授業中ずっと地図帳を広げて、なんだかエッチな気がする地名を見つけては、〇をつけている。ちなみに今は歴史の単元のはずなので地図帳を広げているのはおかしいのだが、まあ、算数の授業中に広げるよりはマシだろう。
「じゃあ、今日は12日だから出席番号12番……と見せかけて、21番! 日野、ここの行読め」
と、そんなことをしていたら、担任の田中先生が僕を当ててきた。くそっ。一昨日、国語の授業で指されたばっかりだからないと思ってたのに。
「あっ、はい」
僕は慌てて教科書を持って立ち上がった。
そして、指定された段落を目で追い、そこに「
「どうした?」
「あっ、はい」
急かすような田中先生の声に押され、僕は仕方なくその段落を読み始めた。
別に普段からおしゃべりでも、クラスのムードメーカーというわけでもない僕の音読を、クラスのほとんどが興味なさそうに聞いていた。だから、僕もあまり緊張せずに淡々と読むことができて、もしかしたら「イケる」かもしれないと淡い期待が浮かんだ。
「第五代――」
だけど、やっぱり……ダメだった。
「将軍」の前で、僕の口は止まる。口に蓋をされ、舌がうまく動かない。まるで『コエカタマリン』を飲んだみたいに言葉が形を持って喉につっかえて、時間だけがいたずらに過ぎていく。
「第五代……っ……し……将軍徳川綱吉は、……ぅ……生類憐れみの令を――」
田中先生の怪訝そうな視線や周囲の「何やってんだあいつ」という雰囲気を肌で感じながら、僕はなんとかその段落を読み切った。
「じゃあ、次の段落」
「あっ、はい」
そんな僕を待っていたのは、さらりと追い打ちをかけてくる田中先生の言葉だった。
今まで音読は段落一つで回していたはずなのに、自分だけ段落二つ分。たぶん先ほど詰まって焦ったので授業を聞いていないと思われているのだろう……実際、半分くらいは聞いてなかったんだけど。
「……日野」
そして、焦燥にかられながら次の段落をチェックする僕に、どこか呆れた調子を含む田中先生の声がかかる。
「前から言ってるだろ? 返事の前に『あっ』って付けるな。癖になっているのかもしれないけど、目上の人に対しては失礼だぞ」
その言葉に、僕は思わず顔を上げた。上げてしまった。
瞬間、飛び込んでくるのは、教室にいる33人、66の瞳。眼鏡で大人しいやつが怒られているのがよっぽど珍しいのか。この時ばかりとこちらへ視線が集中する。
「あっ――」
その視線に気圧されて、先ほどとは違う緊張が僕の喉を締め付ける。声を出すためにお腹に溜め込んでいたものが漏れ出ていき、穴の空いた風船のように意味を成さない『空気砲』だけが口から吐き出される。
「……は、は、は、ははははい」
直後、教室中に痛いくらいの沈黙が広がる。シンとした空気が針のごとく僕の顔に、肺の中に、突き刺さっていく。
呼吸を落ち着かせやっとのことで出た「はい」は、前のめりのフライングスタートみたいに、最初の「は」だけが勝手に何度も繰り返されたものだった。
「そんなに緊張しなくてもいいだろ~~」
うって変わって明るく言い放たれた先生の言葉。教室は笑い声に包まれる。普段笑いの中心にいることなど皆無なのでばつの悪さに苦笑いしながら、僕はそのまま次の段落を読み始めた。
次の段落に小さい「ょ」はなかった。なんとか事なきを得て、ようやく義務教育の責務から解放された僕の視界にちらりと隣の席に座る女子の表情が映り込む。
先ほどの余波でみんながまだクスクスと笑う中――「彼女」だけが、笑わないで無表情を貫いていた。
吃音。またの名をどもり。
親や教師、そして、僕自身も。それが障害であるとは、全く思っていなかった。
当時は吃音が脳機能の障害であると知っている人も少なく、そもそも「どもる」という行動自体ただ活舌が悪かったり、緊張しがちな性格に問題があると認知している人の方が多かったように思う。
僕の場合、症状は続けざまに言葉を発してしまう連続性と何も言えなくなってしまう難発性が組み合わさっていた。
周囲に認知されなかった要因でもあるのだが――唯一の救いは、症状が限定的で軽いことだった。
「は」がつく単語からしゃべり始めるとき、特に返事をするときの「はい」は必ずどもってしまうため、そういう場合は「あっ」をクッションとしてつけるようにしていた。
「しょ、りゅ」といった小さい「ょ」と「ゅ」がある単語も舌がうまく回らず、それらの単語が出てきそうなときは頭の中で言い換える言葉を探したり、どうしても見つからなければ詰まらせながらも、なんとか言い切るようにしていた(なぜか同じ「ヤ」行でも小さい「ゃ」に関しては問題なく発声することができた)。
転入や学年が上がる際の自己紹介、クラスでの出し物や音読、好きなものについて喋る時――そういう緊張や興奮する時は特に症状がひどく、幼いながらも自分が周囲の「みんな」とは少し違うことをいやがおうにも実感させられた。そして、周囲も、やはりちょっと変な奴だと思っていたのだろう。
にわとりが先か卵が先か。内向的な性格と父の仕事の都合で転勤が多かった環境もあり、小学校に入ると、クラスから孤立するという特技を身に着けるのにたいして時間はかからなかった。
そして、それは――小学六年生の五月――「彼女」たちと同じクラスになったあの年も、同じだった。
「よっしゃ! 50ダメージ!」
「くっそ! キャップずりぃんだよ!」
「ちょっと男子! そういうエンピツ、学校に持ってきちゃいけないんだけど!」
「お前らだって雑誌とか持ってきてるだろ?」
「はあ? そういうゲームみたいなやつと雑誌は別だし。ちょーガキなんですけど」
「そういや、2組のやつ学校にアドバンスだかDSだか持ってきて
「バカじゃね? くそウケル」
僕の後ろでは、クラスのムードメーカ担当の男子たちがバトルえんぴつ――通称バトエンを机に転がして騒ぎ、それを嗅ぎつけたこれまたクラスの中心である女子グループがやっかみをつけていた。
バトエンは、ドラクエやポケモンのキャラクターをモチーフにした鉛筆だ。それぞれの面にダメージとか特殊攻撃が割り振られていて、それを転がしてバトルする。一時期全国的に流行って、僕の学校でもあまりにも男子が休み時間に熱中するので、校長から直々に持ち込み禁止のお達しが出たほどである。
僕ら――後年、ミレニアル世代なんて呼ばれる世代層が子どもだった頃、ゲームだけではなく、割とそういうアナログな遊びも多く流行ったと思う。あとから思えば、僕が小学生時代を過ごした2000年代は、古い時代と新しい時代の過渡期にあったのかもしれない。
スマホのような常時ネットと繋がる移動通信媒体は普及していなかったし、物好きな父親か大学生の
そんなわけで。マスなメディアに翻弄されがちなかわいらしいお子様であった当時の子供たちは、大人たちの思惑通り次々と現れては消えていくコンテンツを順当に消費していった。少し背伸びしがちな女子たちは集団洗脳にかかってるかのようにこぞって『恋空』やセカチューの原作、SEVENTEENを読んでいたし、たいした精神的成長がない男子たちは集団洗脳にかかっているかのように『千年殺し』をケツにぶちこみ、「そんなの関係ねぇ!!!」と叫びながら拳を振り下げていた。
そんなふうに思い思いの時間を過ごす15分休みの喧噪の中で、僕はひとり机に視線を落とし、定規を片手に自由帳に線を引いていた。図書室に避難できる昼休みはまだよかったが、授業の合間にある中途半端な休み時間はいつも机にかじりつき、教室の風景の一部と化している。
僕のようなクラスに馴染めていない人間にとって、学校生活の中で何よりきついのは、授業中よりもこういう休み時間だった。
『自由にできる時間というのは、集団において孤立する人間にとって拷問に等しいものである』
とはよく言ったものだ。
ちなみに偉人とかの名言じゃない。僕が勝手に作った。
そんでもって、そういうひとりの時間、僕がやることは決まっていた。
右手にはえんぴつ。広げた自由帳。真っ白な紙の上。そこにいくつもの枠を作り、フキだしを入れ込み、つたない絵を描き込んでいく。
それは、去年の夏頃から始めたマンガ作りだった。友達がいない点と吃音を除けば、まあ平均的に普通の男子小学生だった僕は、ご多分に漏れずアニメやホビー、ゲーム、そして特にマンガが大好きだった。
だけど、ただ大好きなだけで。そういうものを自分で作ろうなんてことは、一切思っていなかったし、考えもしなかった。
たぶん自分でマンガを作るようになったきっかけの一つは、小学四年生の冬に両親から通達されたゲームの新規購入禁止法案のせいだと思う。
幼稚園から小学校低学年にかけて、ひらがなはポケモンで覚えたくらいゲームボーイをやり込んでいた僕は、みるみるうちに視力が下がった。そうして、けっこう度が強いメガネをかけることになると、これを深刻視した両親はこれ以上の視力悪化を防ぐため、日野家の家族会議にて「今後一切のゲーム購入及びプレイを禁ずる」という法案を可決してしまったのだ。
僕に友達がいなくなった原因も、吃音と小学五年生の時の転校。そして、このゲーム禁止法案がわりと大きな要素を占めていると思う。
人によって程度の差はあると思うが、小学五年生というのは高学年に入り、ベイブレードやビーダマンといったホビーを卒業し始める頃だ。
そんな子供たち――特に僕のようなクラスの中心から外れたナード系のやつらが行きつく先は、遊戯王やデュエマといったカードやゲームだった。特にゲームボーイから始まった小型ゲーム機は、小学生にとって主力のコミュニケーションツールだ。これを失うと、話題の幅は一気に狭まってしまう。
実際、僕は四年生までいた前の学校では自分と似た者どうしのゲームが好きな友達がいたけれど、この学校に来てからはなんとなく話題に入りづらく、結局どのグループにも入れなかった。
ゲーム以外で友達を作れなんて親には言われたけど、ゲームソフトは彼ら世代で言うところの『8時だョ! 全員集合』や女子が熱を上げるアイドルであるわけで。最初は転校生ということで珍しがられたが、勉強も運動もテンでダメ、それに加えうまく自分のことを話せない僕からはどんどん人が離れていき、今やまるでハチ公像のように教室の置物と化しているのである。
だけど……不思議とそのことになんの悔しさも、悲しさも感じていなかった。
なんとなく周りより冷めた子供である自覚はあったし、年一度のペースで繰り返してきた転校で孤立するのにも慣れている。
そうやって、土地と環境に突き放された人生経験で学んだのは、世界は僕と無関係のところで動いていて、どんなにあがいてもそこに僕が介入できる余地はない、ということだった。
それから、僕の日常はすごく単純なものになった。
家、教室、塾、時々図書室。友達と遊びに行くなどというイベントと無縁だった僕にとって、この四つを行き来するのが日課で、世界の全部だった。
まさかこの年でホームレス小学生になるわけにはいかないので家にはいなくちゃいけないし、義務教育をぶん投げるほどロックな性格でもなかったので教室も同じく。通わされていた塾も、同小のやつが多かったので学校の延長線上みたいなもんだった。僕はメガネで素行も大人しい優等生タイプだと思われがちだったけど、自分の頭の悪さを自覚させられる勉強など本当は大っ嫌いで、塾の課題も適当にこなしていた。
だけど、図書室だけは……他の三つと違い、自分で行くことを選んでいたと思う。
最初は昼休みに教室から、塾がない放課後まっすぐ家に帰り「友達と遊ばないの?」という親の追求から逃れるための場所だった。勉強と同じように名作文学やら将来の役に立つといった類の――「大人が子どもに読ませたい本」が嫌いだった僕は、図書室に居座りながらも、分厚いちゃんとした本を読むことはなかった。
ただ、うちの学校には、数は少ないものの『キノの旅』シリーズのようなラノベから『時をかける少女』、『ぼくらの七日間戦争』といったヤングアダルト小説に『デルトラ・クエスト』みたいなファンタジー小説、星新一のショートショート集……そういう僕にとっては面白そうで、興味をひかれる本も置いてあった。最初は暇つぶしで仕方なく来ていたはずなのに、いつの間にか僕は湿っぽくて陰鬱なあの空間で、自然と本を手に取るようになっていた。
そして、意外なことに図書室には小説や本以外にも、僕が好きな漫画も置いてあった。
といっても、当然ながらジャンプやサンデーで連載している流行りの漫画ではなく。『ブラック・ジャック』といった手塚治虫の名作、「マンガでわかる」でお馴染みの日本・世界の歴史シリーズや偉人伝といった学習漫画の類だ。
勉強は嫌いだったけど、それ以上にマンガが好きだった僕は、おこづかいがなくて新しい漫画を買えない時なんかは、暇つぶしも兼ねてそれらの漫画を読み漁っていたのだ。
そんな日々を過ごしていた小学五年生のある日。出会ったのが、ドラえもんの作者――藤子・F・不二雄先生の伝記漫画だった。
正直なところドラえもんをはじめとした漫画自体は好きだけど、それを描いている人なんかに興味がなかった僕はいつもと同じように「暇つぶしにはなるか」と思い、それを手に取り、読み始めた。
読み始めて、驚いた。
そこには、僕が今まで知らなかったドラえもんの秘密がいくつも記されていたからだ。
のび太は、少年時代の藤子先生ご自身がモデルになっていること。ドラえもんは、連載開始の予告時点ではデザインも設定も何も決まっていなかったこと。藤子先生は、お亡くなりになるその日もえんぴつを握り、机に向かっていたこと。
読み終わった時、僕は初めて誰かの人生を見聞きして感動するという経験をした。
何かを作るという情熱。面白さ。そして、何よりあのドラえもんを作った人が、僕と似たような境遇――どちらかというナード側で、いじめられっ子だったことに親しみを覚えずにはいられなかった。
僕も、何かをしなくちゃ。
図書室を出る頃には漠然としたそんな思いが満ち溢れ、こんな僕でも思わず叫んで走りたくなるほどだった。
だけど、僕には……なんの取柄もない。勉強も運動もダメだし、藤子先生のように絵もうまくないし、のび太のように射撃やあやとり、昼寝の才能もない。先ほどまで膨れ上がっていたやる気はシュルシュルとしぼみ、家に帰る頃にはいつも通り無気力にベッドに横になって漫画を読んでいた。
だけど、その時――本当に唐突に――ふと、ある考えが降りてきた。
そうだ。描けばいい。僕も、漫画を描けばいいのだ、と。
センスはないかもしれないけど、絵は、きっと練習すればどうにかなる。こういっちゃ失礼だけど、絵は下手糞でもアニメになるような面白い漫画があるということは知っていたし、一度も描いたことはないけれど、僕はこんなにも漫画が好きなのだ。幸い(?)にも、他の小学生と違って友達と遊ぶのに使わない分、時間はたっぷりあった。
それからというもの、僕は自分の部屋、休み時間、授業の合間、暇を見つけては漫画を描いた。もしかしたら、本来は反抗期に差し掛かって発露すべき感情をどこに向けていいかわからなかった僕にとって、その行為自体が両親や学校という自分を取り巻く世界に対する小さな反抗だったのかもしれない。
漫画の中の世界は、自由だった。
マンガのキャラクターたちには「は」から始まる言葉をどもらせずに言わせることができたし、「ゅ」や「ょ」がつっかえることもない。えんぴつと定規を片手に自由帳に描き込む度に、この現実という水中から浮かび上がって、息をしている気分になる。僕は、実は陸生成物じゃなかったのかもしれない。
そんなふうに――僕にとっては、漫画だけが自分と向き合ってくれる世界で、その中で生きているキャラクターたちだけが唯一対等に付き合える友達だった。
だけど、案の定、そんなことをして勉強はろくすっぽしなかったので成績はますます下がり、六年生に上がった今ではクラス内でのポジションはなんとなく浮いているやつではなく、変わり者になってしまった。
でも、それでも構わなかった。
今、僕には漫画があった。難しく考えなくてもストーリーは次々にできたし、それに合わせた最適なコマ割りやセリフ回しが流れるように頭に浮かんだ。漫画を描くのが楽しくて、周囲がどう思おうが関係なかった。僕はきっと社会不適合者ってやつなのかもしれない。
そんなことを考えながら、自由帳に描き込んでいると、あっという間に予鈴が鳴った。
僕は自由帳を脇に片付け、机の引き出しの中から教科書を取り出す。そして、教室の端から三十三人の同級生が敷き詰められたクラスを見渡し、ふと考えた。
僕がいるこの教室は――先週道徳の教科書で見た奴隷船みたいだと。
こんなふうに、自分の思いを込める先がない毎日を、みんなはどう生きているのだろう。大人たちはどうやってあの年まで生きてきたのだろう。そんなことを思いつく嫌な子供だった僕にとって、学校は、クラスというあの空間は、やっぱりただひどく息が詰まる場所だった。
でも、きっとこれでいいんだと思う。そんなことを言ったら、ますます変なやつだと思われるだろう。無理に仲良くなろうと調子を合わせてももうまく喋れないし、相手を困らせるだけだ。僕は、そう自分に言い聞かせひとり苦笑する。
だけど、少しだけ――ほんの少しだけ、思った。
僕はなんで周りの「みんな」みたいに笑えないんだろう。なんでちゃんとしゃべれないんだろう。例え変わり者のレッテルを貼られて、クラスに馴染めなくても、漫画があればいいはずなのに……それなのに、なんでこんなに普通と違うことが、苦しいんだろう。
でも、いくら自分で考えも答えはでなかったし、疑問をぶつけることはできなかった。なんたって、友達が一人もいないのだから。