大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
そうして、『ルールを守って正しくオ〇ニー!』とデカデカとポスターが貼られた本棚に来た時、僕らは何かを察した。
ここは……今までと明らかに違う。
その本棚から先にある一区画は、特に立ち入り禁止となっているわけではないが……なんというか、ちょっと周囲と雰囲気が違った。店内に流れる音楽は先ほどと同じなのに、まるでラスボスがいるフロアに足を踏み込んでBGMが変わったような――そんな警告染みた心臓の高鳴りが耳元で響く。
本能が告げていた。ここからは……戦場なのだと。
「……どうする?」
ここが、僕らが足を踏み入れられるぎりぎりの範囲(つーか、限界!)である。
個人的には、ここは一番身長も体格も大きい幸田に期待したいところだが――
「……お前ら先に入れよ……! 男だろ……?」
「いや、女だけど」
僕らが彼に視線を集めると、幸田は言い出しっぺだからという理由で僕とエロえもんを先に行かせようと背中を押してきた。
そうやって少しわちゃわちゃと口論をしていると、近くにいたおじさんからちらりと視線を向けられたので、僕らは少し離れた本棚の陰に移動し、四人で円陣を組むように向かい合った。
そうしてあれこれ理由をつけ、普段は絶対に言わないような歯の浮く台詞でお互いを先発メンバーとして推薦しあうこと十数分。
多国間貿易交渉並みの平行線の話し合いを経て、結局ジャンケン勝ち抜きで最下位のやつが先頭を切るという無難な結論に至った。途中ここまで来てひよった細川が「僕ちょっとトイレに……」と逃げ出しそうになったが、幸田に襟首を掴まれてシブシブその場に留まる。
だけど……実を言うと、僕も細川にならって逃げ出したい気分だった。なんせ僕はすこぶる運が悪い。
「最初はグー! じゃんけん――」
だいたいこういう話し合いの末でジャンケンする時、結果は――
「ポン!」
……僕の一人負けなのだ。
「では、日野クン。君が名誉ある我々の先発メンバーだ」
すっかり喜色満面の細川が僕の肩を叩いた。
それぞれ出された手は、チョキ、チョキ、チョキ、パー。もちろん、パーは僕だ。幸田はなぜか神妙な面持ちをしてうんうんと頷き、エロえもんはあたたか~い目で僕を見守っている。
だいたいエロえもん、君、そのあだ名のくせにグー以外の手を出すってのは、どういう了見なんだよ。
僕はやれやれとため息をつく余裕もなく、心臓をバクバクとさせながら再びあの本棚が並ぶ――成人漫画の区画へと向かう。『石ころぼうし』か『透明マント』が切実にほしかった。
そうやって、先ほど雲を霞と逃げ出した位置に戻り、ごくりと唾を飲み込む。少し後ろでは「私たちもついて行くから心配するな」とエロえもんたちが待機するが、僕は一向に足を踏み出せない。
落ち着け、落ち着くんだ、僕。こういう時は、あれだ。漫画の名言を思い出せ。大切なことはだいたい全て漫画が教えてくれるのだ。
『目が前向きについているのはなぜだと思う? 前へ前へと進むためだ』
『道を選ぶということは、必ずしも歩きやすい安全な道を選ぶってことじゃないんだぞ』
『欲しいものは手に入れるのが俺のやり方さ』
……よし、こんなところだろう。使いどころが圧倒的に間違っている気がするが。
藤子先生、ごめんなさい。
さあ、行こう! 僕は勇気を振り絞り、その一歩を踏み出した。これは人類にとって小さな一歩だが、僕にとってはアームストロング顔負けの偉大な一歩なのである。
だが、踏み出した瞬間――僕の視界を構成する世界は、大きくその様相を変えた。
肌色。肌色。肌色。肌色。肌色――肌色の洪水が目の前に現れた。僕は思わず足を止めて、周囲を見渡す
「え?」
その時、ふと平積みにされている漫画を見た。普通の漫画と比べて大判だけど、たぶん、単行本だろう。表紙を飾っているのは、はだけたおっぱい丸出しの高校生っぽい制服を着たパンツ丸見えの女の子で、こちらを見て顔を赤らめている。
え? 見……てる? 表紙絵の女の子が僕を見てる? 表紙絵の美少女が僕を見てるぞ!
「なんだこのエロ漫画……エロ漫画すぎんだろ……!」
「物売るってレベルじゃねえぞ、これ」
「……おい、あんまりキョロキョロすんな」
やがて、数分もしないうちに後から来た3人も僕に合流し、こそこそとつぶやき合う。
まるで夏休みによくやっているホラー映画を観ている時と同じように。見ちゃいけない気がするのに、目が離せない。僕はそのうち一冊を手に取ってマジマジと見るが、きちんとビニールで包装がかかっているので開くことはできない。やはり中身を――セックスを鑑賞するには、購入するほか手立てがないようだ。
「こういうのってさ、ペンネーム? 本名?」
「ペンネームに決まってるだろ。実名でエロ漫画を描くやつがあるか」
先ほどから思考が機能していない僕が右横にある作者名を見てそんなことを聞くと、エロえもんが呆れたようにツッコミを入れる。冷静に考えればわかることだ。
しかし……もしそんな人がいるとしたら、とんでもなくかっこいいけど、めちゃくちゃロックな漫画を描きそうではある。ロックの本場ロンドンの市民をいきなり皆殺しにするとか。
僕らはとりあえずこのエリアの全貌を明らかにするため、未知の単語でジャンル分けされた本棚の奥へ奥へと足を進ませる。その中で視覚の次に僕らを戸惑わせたのは、匂いだった。
別に閉め切られている訳でもないのに、少し周りと違う……むわっとした空気が充満していた。どこかで嗅いだことのある匂いだと記憶の中を探り、それが時々連れて行ってもらう古本屋チェーン店だと気付いた。インクと人の体臭と熱気がこもって、醸成されて……そんな感じだ。
時折、本棚に向かい合っている人からちくりとした無言の視線を受ける。注意されるかと思ったが、たいていの人は何も言わずにまた本棚の物色に戻るだけで、何も言わない。それに他のエリアと比べて無言の人が多い気がする。
あと、僕が驚いたのは、けっこう女の人も多いということだった。ただ女の人たちは男の人たちとは別の棚に集まっていていることが多くて、『BL』やら『同人』とかいうコーナーの前であまり厚さがない本を手に取っていた。
「今の本さ」
「うん」
「……ナ〇トとサ〇ケが裸で抱き合ってたぞ」
「ど、どういうことなんだってばよ……」
僕と細川がひそひそと話していると、エロえもんが「二次創作の一種だろ」と補足を入れる。
あまりじっと見るのも悪い気がして、視線を絶えず動かしながらそんな人たちを見ていたけど……なんだか不思議な感じだった。なんというか、みんな、それぞれの距離感を持っていて――他人だから当たり前と言えば当たり前なのだけど――お互いの領域に踏み込んだり、干渉しないようにしている。そんな感じだ。
なんかどっかで見たことのあるような感じだな……と思い、記憶を探っていくうちに、僕はそれがなんなのかを思い出した。
そうだ。よくある名作アニメランキング~みたいな特番で見た『エヴァンゲリオン』ってアニメのATフィールドみたいな感じだ。
「なあ、そろそろ適当に見繕おうぜ? 買わなきゃ読めねえだろ」
そんなことを考えていると、横で痺れを切らしたように幸田がつぶやいた。
「そういえば……みんな今何円持ってる? 僕は820円」
僕は先週末に親戚の集まりで回収したお盆玉を確保してるけど……それは絶対に漫画の道具を買うのに使うと決めていたから、今回持ってきたのは普段月一でもらう小遣いをかき集めた小銭だけだ。途中の小池商店で誘惑に負けて使ってしまったから――今の手持ちは、820円だけ。それでも、普通のコミックス二冊は買える大金である。
だが、いくつか手に取ってみたエロ漫画はどれも1冊1000円以上するものばっかりで、急に財布に詰め込んだ小銭の重さに心細さを感じる。探せば820円以下のものもあると思いたいけど、みんなの財政状態が気になったのだ。
「私は1500円だな」
「僕、2300円」
「……200円」
「……」
しかし、どうやらそれは杞憂に終わったようだ。こういう時、日本の小学生に横たわる格差社会ってやつを実感するね。
僕らは相談を重ね、結局巨乳派の僕とエロえもん、普通及び貧乳派の幸田と細川に分かれてお金を出し合い、1冊ずつ購入する運びとなった。資金が不足している側の僕と幸田は、その対価としてレジに持っていく係を引き受けることになった。資本主義社会、ここに極まれり。神の見えざる手ってのはどうやらエロ漫画の購入にも適用されるらしい。
「さて、私たちはどうする?」
僕らは二手に分かれ、エロ漫画の選定を開始した。エロえもんと僕も横に並び、じっと無数のエロ漫画が差してある棚や平積みされているエロ漫画の表紙を吟味する。
だけど、表紙と裏表紙からわかるのはタイトルと出てくるであろう女の子、それに作者の名前くらいだ。区分けも会社の名前くらいでしかされていないので、決め手となる情報は限られている。僕らは結局表紙の絵の好みとおっぱいの大きさで決めていき、最終的に二冊まで候補を絞った。
その二冊を手に持って並べるエロえもんの眼差しは真剣そのもので――その横顔を見て、僕はふとこの状況を冷静に捉える時間を得た。
同級生の女子と近くの街まで来て、エロ漫画を選定している。客観的に考えると……かなり意味不明な状況である。
だけど――僕がそんな数か月前には思いもしなかった行動をして、今この場にいるのは、きっと、勇気を振り絞って僕に自作漫画とインターネットとエロ画像を見せてくれた――そんなふうに常識に捕らわれずいつも僕を引っ張って、傍にいてくれるこの友達のおかげなのだ。
「エロえもん、好きな方選びなよ」
そんなふうに思うと、やっぱり全てのきっかけとなったこいつが、僕らのエロ漫画を選ぶべきだと思った。
「いや、ここまで来たんだから。最後まで――」
「でも、僕はエロえもんに折半してもらってなかったら買えなかったし。それに――」
「やめろよ。そういうの」
エロえもんがぴしゃりと僕の言葉を遮った。
それは今までにない強い口調で、僕は少し戸惑う。
「あっ、ご、ごめん。だって、その――最初に私の部屋で言ったじゃないか」
「え?」
エロえもんはそこまで言うと、珍しくドギマギした様子で。一度開きかけた口を閉じると、僕に向き直ってまっすぐ目を見てきた。
「私たちは……共犯者だろ?」
エロえもんは笑っていたけど……なぜかその声は少し切羽詰まったように聞こえて、僕は困惑を隠せないでいる。
「……うん。ごめん、ちゃんと話し合って決めよう」
だけど、何かそこには切実なものがある気がして、僕はわざとらしく笑ってエロえもんの要求に応えた。
そうして、約30分後。議論に議論を重ねた結果、選んだ一冊がついに決まった。幸田・細川組と合流し、僕らは後ろ髪をひかれる思いをしつつエロ漫画コーナーを出る。
後は――最後の難関を突破するだけだった。
「よし……いくぜ」
「う、うん」
僕と幸田は緊張した面持ちでエロ漫画とお金を握りしめ、あまり顔を見られないように帽子を目深に被る。気休めだが、体が大きい幸田を半歩前にしてレジへと進む。
ターゲットのレジカウンター確認……ヨシ!
並んでいるお客さんがいないこと確認……ヨシ!
周囲に他の店員がいないこと確認……ヨシ!
その他障害となりそうなもの確認……ヨシ!
ヨシ! 今だ! 今日も一日ご安全に!
僕らはその瞬間、歩調を速めて一気にレジへと向かう。
あと、十歩……五歩……三歩……一……!
「失礼ですが、お客さん」
その時だった。
「何してんの?」
背後からかかったその声――まるで季節外れのシベリア寒気団みたいな冷気に足を絡み取られ、僕らは思わず動きを止める。
振り返った先には、ぼさぼさの髪の下に底が厚いメガネをかけた――入店した時、僕と目が合ったあの店員のおじさんの顔があった。
何してると聞かれても……エロ漫画を物色した後、購入しようとしてますとしか答えようがない。そして、おじさんのそれが問いかけではないことには、表情からすぐに気づいた。
何か、言わなくちゃいけない。何か。
だけど、口も体も動かない。『ゴルゴンの首』で石化させられたみたいに身じろぎひとつできなかった。実際には数秒のはずなのに。その人が次に口を開くまで、何時間もたった気がした。目の前が、真っ白になった。別に手持ちのポ〇モンが全滅したわけじゃない。
僕らは呆然として、「ちょっと来て。そこの二人も」と冷たく告げるおじさんの言葉に逆らえず、そのままエロえもんと細川も連れ立って、店の裏側のフロアに連れていかれた。
あまりにもあっけない幕切れだった。