大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島――   作:ぽんこっこ

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第6巻 My Favorite
第25話:漫画男


 

 おじさんの後ろを歩いている時、僕は何週間か前にばあちゃんが見ていたテレビのニュース特集を思い出していた。

 

 画面では万引きGメンと名乗る中年のおじさんが目を光らせていて、スーパーで万引きしたおばさんを捕まえ、警察へ自首するように説教をする場面が映っていたのだ。「夫と子供には言わないで……」と懇願するおばさんに対し、万引きGメンは冷たい言葉をいくつも重ねて断罪していた。

 

 悪いのは100%おばさんで、被害者はスーパーの人たちの方で、正義の味方は万引きGメンなのだけど。なんだかその絵面は拷問ショー染みた演出で、ちらりと観ただけなのに僕はひどく不快な気分になったのだ。

 

 そんなこと思い出している間に僕らが通されたのは、店員さんたちの控室のような無機質な部屋だった。

 

 壁際には古びたロッカーと事務机があり、その上には勤務表が映し出されたパソコンが置いてある。部屋の三分の一を占める大きなラックには書類が詰め込まれた段ボール、アニメ調の絵柄のゲームやフィギュアが入った箱、漫画やライトノベルの束……色々なものが積まれ、溢れかえっている。

 

 ビニールでパッケージングされた商品の在庫だけではなく、店員さんの私物も置かれているようだ。僕は現実逃避するようにオタクのサクラダファミリア、あるいはシュヴァルの理想宮のようなその前衛的構築物を眺め、ふとあることに気づいた。

 

 その奥隅に紛れ込むように見えたもの――インク瓶にホワイトの修正液、アクリル製の定規やら筆ペン、ブラシ……そして、ペン軸と原稿用紙。乱雑にプラスチックケースに入れられたそれらは全て、僕がお盆玉で買おうとしていた漫画を描くための道具だ。

 

 誰か……店員さんの中に漫画を描いている人がいるのだろうか?

 こういう店だから、店員さんが漫画好きのオタクであっても不思議じゃないけど。

 

「なあ? 僕らどうなっちゃうんだよ……警察とかに突き出されるのかな……」

「うっせなぁ、お前ちょっと黙ってろ」

 

 ぼうっとそんなことを考えていたら、隣から聞こえてきた細川と幸田のひそひそ声に僕は現実へと意識を引き戻された。

 

 そうだ。これはテレビの向こうで起こっていることじゃない。

 

 事件は現場で起こっていて、自分たちは当事者。僕らはこれからあの万引き特集みたく、小学生なのにエロ漫画を買おうとした罪で断罪され、学校や家に連絡を入れられるのだ。

 そう思い恐る恐るあのおじさんの方を見るが、当の本人は相変わらずの表情――くたびれて感情が抜け落ちた顔のまま、部屋の隅に置いてあったパイプ椅子を抱えていた。

 

「これ、座って」

 

 折り畳んであったパイプ椅子を開き、部屋の真ん中に置いてある細長い机を前にして、僕ら四人は指示通り横一列に並んで座る。それを見たおじさんも反対側にキャスター付きの椅子を持ってきて、僕とおじさんは真正面から対峙した。

 

 よく見ると、おじさんの胸元には「七梨(ななし)」と名字が刻まれたネームプレートがあって、上には店の名前と「店舗責任者代理」と役職が刻まれている。店舗責任者代理……つまり、おじさんはここの店長代理というわけだ。

 

「これ、君たちが買っちゃいけないものだということはわかるよね?」

 

 そう言って乱暴に置かれた机に置かれたのは二冊のエロ漫画――僕らが買おうとしていた単行本だ。とてもじゃないが、「わかりませんでした」とは言わせない雰囲気があった。

 

 僕らは互いに目を合わせず、押し黙った。店長さんも何も言わなかった。

 壁掛け時計が時を刻む音だけが流れ続け、店長さんの正面に座っている僕はいたたまれなくなり、顔を伏せて足元をじっと見ていた。

 

「俺が……責任取ります」

 

 その時、隣から思いがけない言葉が耳に入り、僕は顔をあげた。

 

 僕らの中で「俺」なんていうのは、一人しかない。幸田だ。僕はこいつが敬語を使っているのを初めて聞いた。

 

 その言葉を聞いて、僕の中に驚きと同時に不安が生まれた。田舎の情報網は時によってインターネットより早く悪評が広まることがある。サラリーマン家庭の僕らと違って、幸田の家は自営業だ。そこの息子がエロ漫画を買って警察にしょっ引かれたことが知られたら……店の経営にも影響があるではないかと思ったからだ。

 

「あ、あ、あの!」

 

 その可能性を考えるに至り、僕は思わず立ち上がる。声はうわずっていたが、意を決して店長さんをまっすぐに見据える。

 

「僕が、その、言い出しっぺだから! その、僕が責任を――」

「へぇ、どうやって?」

「……それは、その……」

「俺には、君らみたいな子供が責任を取るって、どうするのかよくわからないな。まあ、大人になっても何が責任で、どうすればいいのかなんてわかんないけど。少なくとも、小学生の"すいませんでした"が"いいよ"で通る世界だったら、法律も警察もいらないと俺は思うけどね」

 

 なけなしの勇気と薄っぺらい決意は、店長さんの正しい意見にいとも容易く折られてしまう。

 僕がそうやって二の句が継げずに再び視線を落としていると、隣のパイプ椅子が音を立てて軋んだ。この部屋に入ってから何も言わずに沈黙を貫き通していたエロえもんだった。

 

 エロえもんはエロ漫画をちらりと一瞥すると、財布からお金を取り出し、それを机の上に叩きつけるように置いた。

 

「これ、売ってもらえませんか」

 

 そして、毅然とした態度でそう言い放った。

 

 その目は座っていて――職員室で千条先生に啖呵を切った時と同じ、大人に対する嫌悪と憎しみにも近い反抗心を込めた視線を、店長さんに向けていた。

 

「無理」

「なんでですか? お金はあります」

 

 大人相手になるとムキになる。エロえもんの悪い癖だ。

 

「自分たちが子供だからですか? 子供だから、いけないんですか? 買ったら犯罪になるんですか?」

 

 眉ひとつ動かすことなく自分を見てくる店長さんに対し、エロえもんはひるむことなく矢継ぎ早に問いを投げかけていく。特性『せいしんりょく』か? こいつ。

 

「いや、君たちは犯罪者にならないよ」

 

 だけど、それを聞いた店長さんの声色が少し変わった。

 これまでの「別にどうでもいいんだけど」というような感じとは違う――冷たく、平たい調子だった。

 

「なるのは……販売する俺たちの方だ」

 

 店長さんはそう言うと、僕らに淡々と事実だけを告げた。

 

 うちの県では「青少年保護育成条例」というものがあり、18歳以下の人に「有害図書」と分類されるものを売ってはいけないこと。

 

 成人向け漫画――エロ漫画は出版社側がゾーニングマークを付けたり、販売店がビニール包装や陳列棚を分けたりと有害図書指定を受ける前に「自主規制」をしていること。

 

 その規制の中には、18歳未満の人への販売禁止も含まれていること。

 

「この店には俺以外にも従業員はいるし、取引先だってある。条例に違反したら自治体にも目をつけられるし、地元のローカルニュースくらいにはなる。それでも……君が俺たちを犯罪者にしたいんだったら構わないよ。売っても」

 

 店長さんの話に――理路整然と均質的なトーンで語られる理由に、僕は本当に落ち込んでしまった。たぶん他のみんなも同じだったと思う。

 

 その説明は、親や教師が僕らを怒鳴りつけて叱るのとはまったく違った。怖さも、迫力もない。

 だけど、僕らの心に何かズシンと重くのしかかるものがあって、すごく正しいけれど厳しいことを言われている気がした。きっとそれは、この店長さんが僕らを「教育すべき子供」としてじゃなくて、「縁もゆかりもない他人」として諫めていたからかもしれない。

 

「わかってくれたかな?」

 

 最後にダメ押しで問われた言葉に、エロえもんは無言のまま珍しく引き下がった。

 たぶん店長さんが周囲の大人と違って……自分たちの正しさを押し付けて頭ごなしに否定するのではなく、きちんと理由を説明してくれたからだろう。

 

 再び僕らの間に沈黙が降りる。そんな中で店長さんは僕らの落ち込んだ顔を見渡して「まあ……でも、君たちくらいの時は、そうだよな。そういうの、興味が出る時期だよ」と薄く笑う。

 初めて見るその笑顔はどこか引きつったシニカルな笑みで――うっすらと髭が残る顎も皺を湛えた口元も全然違うのに、なぜかちょっとエロえもんが笑った時と似てるような気がした。

 

「俺もそうだったけどさ……周りの大人が言う『これをやるな』とか、学校の授業で習うような『みんな仲良くしましょう』なんていう綺麗事って、クソくだらなくて、嘘っぱちだってわかるようになってくるよな」

 

 だけど、そこで店長さんの顔からは笑みが消えた。

 

「それでも……やっぱり、まだ君たちくらいの時には、たとえ嘘でも『それが正しい』んだって言っておいた方がいいこともあるんだ。

 

 俺個人は……こういうエロに興味を持ったり、好きなことは、何も悪いことじゃないと思っている。本当なら好きに見たり、読んだりしてもいいと思う。

 

 だけど、世の中にはね、君たちくらいの子を悪意を持って利用しようとする大人もいるし、大人でも思い至らないようなトラブルに巻き込まれたりもする。そういうのから守るためだったり、法律や性の問題にうるさい人たちの攻撃材料にされないためにも、作家さんや出版社の人たちは子どもに見せない努力をしてる。だから、販売している俺たちもそれに応えなきゃいけないんだ」

 

 店長さんは……たぶん僕らのことを、少しだけ慰めようとしてくれたのかもしれない。

 だけど、その話を聞いて僕らは自分たちがやろうとしていたことが、そんなに多くの人へ迷惑をかけることだったのかと思い、また後悔が重くのしかかってくる。

 

「まあ……そういうことだから、学校へも家へも連絡は入れないよ」

「えっ?」

「さっき言っただろう? 君らは別に犯罪者じゃないから。実際に買ったわけでもないし、ただ今後もそういうことされたら困るから注意というか……お願いをしただけだよ」

 

 その言葉に、僕はほっと胸をなでおろした。幸田と細川も同じ気持ちらしく、なんとなく僕らの間に流れる空気も少し軽くなった気がする。

 ただ、その中でもエロえもんの顔だけは相変わらず険しいままなのが不安だ。やっぱりまだ店長さんに不信感のようなものを抱いているのかもしれない。

 

「あの……」

「ん?」

 

 僕はエロえもんの不満が爆発しないようになんとか話題を切り替えたくて……ふと視界に入ったそれへと目を向ける。店長さんの後ろ側――先ほど見た漫画道具が詰め込まれているプラスチックケースを。

 

「それって、その、漫画を描く道具ですよね?」

 

 僕が店長さんの背後へと視線を向けると――なぜだろう。店長さんの薄い笑みが揺らいだ気がした。

 

「……ああ、うん。俺の私物だよ」

「おじさんも漫画描いてるんですか!? この二人も漫画描いてるんですよ」

 

 それを聞いた細川が目ざとく明るいよそ行きの声の後、僕らを見た。重苦しい空気の中、こういうふうに切り出せる細川に僕は驚いた。案外、一番勇気があるのはこいつかもしれない。

 

 だけど、細川の声とは裏腹に店長さんは僕とエロえもんを見て目を伏せた後、少し寂しそうに笑った。

 

「うん……そうだね。描いて"た"よ。週刊少年誌で……一度だけ連載をさせてもらったこともある」

「えっ……!?」

 

 困ったように笑う声で告げられた衝撃の事実に、僕は度肝を抜かれた。

 

 じゃあ、この人は……僕が人生で初めて実際に目にするプロの漫画家ということだ。こんなところで漫画家と話せる機会があるとは夢にも思わなかった僕は、ごくりと息を呑む。

 

 だけど――一つだけ、気になったことがある。今、この店の店長さんをやっているから当然といえば当然なのだけど、漫画を描いてい「た」ということは、今は……漫画家をやっていないということなのだろうか。

 

「何かアドバイスとかありませんか! こいつら今度賞に応募するんですよ!」

 

 だが、そんなことを気にも留めていなさそうな細川はご機嫌取りのつもりなのか、追加で質問する。店長さんは曖昧な笑みを浮かべ、「うん、そうだな……」と顎髭をさすった。

 

「まずはひとつでもいいから、作品を完成させることだと思う。ネームの段階でも、ペン入れ後でも、漫画はね、意外と何回でも修正できる……他のもっと大事なことと違ってね」

 

 その回答を――最後に付け加えられた一言を聞いた瞬間、僕は鳥肌が立つような感じを覚えた。

 店長さんの口調はなんともないふうだったのに、なぜかそれは焼け付いた喉から出る苛烈な声に聞こえて。痛烈な沈黙が、再び僕らの間に広がった。

 

「なんで……やめちゃったんですか?」

 

 そんな中、僕は覚悟を決めてゆっくりと尋ねた。

 

 予感がする。それを、この先を聞いたら、絶対に後悔する。

 まるで嫌いなホラー映画を指の隙間から覗き見ようとする気持ちが僕を支配する。だけど、聞かずにはいられなかった。

 

 

 

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