大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島――   作:家計ぽんこつ

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第27話:名無しアルバム

 

 最初のうちは、看板漫画のチーフを務めているという自負も、十年近い年月を全て漫画に費やしてきたという自信もあった。自分が本気を出せば、すぐに連載企画も通る――十代の頃から業界に身を置いて現実をわかっていたはずなのに、なぜか俺はそんなふうに思っていた。

 

 だが、当然ながら、「漫画を作る技術力が高い」のと「面白い漫画を作る能力」は全く異なるものだ。俺が20代を費やして高めていたのは前者だ。後者の方は全く手つかずだった。

 

 それに気づいたのは、マヌケなことに父親に連載を取ると告げて1年以上たった頃だ。看板漫画のチーフアシという立場から期待もあったのだろう。最初の頃、新しい担当は「じゃんじゃん送ってください!」と明るい調子だった。

 

 その言葉通り十数作の読切、連載の企画書を送ったが、どれも新しい担当の反応は芳しくなく、やがて数を重ねるにつれ返答までの期間が開くようになった。だけど、それに気づいたところで現状は何も変わらなかった。

 

 焦りだけが、募っていた。時間が足りない。自分に欠けている能力を埋めるのには、もっと時間がいる。30というある種のボーダーラインが迫っているのも焦りに拍車をかけた。

 

 そんな折、仕事終わりに珍しく先生から俺に声をかけてきた。内容は最近(といっても1年近く前からだが)、俺がやっていることについてだ。

 

 先生からすればだが、うまく機能している職場のスケジュールに風穴を開けられるようなものだ。俺の担当と先生の担当は違っていたが、たぶん話が漏れたのだろう。

 

 だけど、これはチャンスでもあると思った。

 

 とにかく時間が欲しかった俺は、先生にアシスタントをやめたいと申し出た。貯金は十分すぎるくらいあったし、十年近い付き合いの中で先生とはそれなりの関係性は築いていたので応援してくれるのではないかという期待もあった。

 

「あっ、そう」

 

 だが、先生は難しい顔で黙りこくると、その数分後「後任と引継ぎ、ちゃんとしてくださいね。僕は関与しないから」と俺に条件を突きつけた。

 

「えっ? じゃないよ。社会人として当然だろ。七梨くんは立場だってあるんだから」

 

 言われてみれば、それは常識的な考え方だった。

 俺はこの世界しか知らないが、職場はすでに法人化していたし、普通の企業であれば退職に際して後任者に引継ぎを行うのは当然だろう。

 

 何よりこの人は、この雑誌の看板漫画家だ。もし遺恨を残せば、この先同じ雑誌での連載は難しくなるのではないか。そんな打算的な危惧もあり、俺は先生の条件を呑んだ。

 

 自分でも知り合いを通して依頼をかけてみたり、担当編集を通して探してもらったが、結局後任は来ることなく、なんとか少しずつ周囲へ作業を引き渡した。金銭的な余裕は十分あるはずなのに、先生は一向にアシスタントの人数を増やそうとはしなかった。

 その時になって俺はようやく自分をこの世界につなぎとめているものが、先生の職場と担当編集しかないことに気づいた。

 

 そんなふうに時間と手間はかかったが、俺はようやくあと腐れなく職場を辞めることができた。

 だが、時間は手に入っても、状況は一向に好転しなかった。俺はアシスタントからただの漫画家志望の無職になっていた。

 

 俺はこの業界に入る前、受賞さえすればトントン拍子で漫画家になれるものだと思っていた。時にはストーリー展開に行き詰まり、〆切に追われ、自分の思い描いたものと現実の差に苦悩する――作家というものは、そんな苦悩を抱きながら、それでも戦っているのだと思っていた。

 

 だけど、現実は違う。

 

 そもそも、読切も企画も通らなければ、苦悩する機会すらない。そして、多くの人は、そのチャンスも与えられない。漫画しか描けないのに、漫画を描く場所がないのだ。

 

「うーん」

 

 編集部のブース。そうやって何十回も繰り返された却下の後、担当編集は困ったように笑い、「これは七梨さん次第ですが――」と俺に向き直った。

 

「スポーツもの……野球でいきましょう!」

「えっ?」

 

 それは、青天の霹靂ともいえるような――思いがけない提案だった。

 

 スポーツものは当たればでかく、王道のストーリー運びが確立されているため、新人によくあてがわれるテーマだ。

 ただそういったテンプレートが確立されているということは、有象無象の作品となりやすいということでもある。間隔が小刻みな週刊連載においては1試合中に何度も引きを求められることがあり、ストーリー進行が他のジャンルと比べて遅くなりがちで、よほど読者を惹きつけるキャラを作るか現実でのスポーツイベントなどの時流に乗らなければ人気が出ず、ひどい時はまともな公式戦の描写すらなく打ち切られるケースも珍しくなかった。

 

 世界大会やオリンピックが開催される年でもなかったし、自分の持ち味はパース感覚を活かしたアクションシーンにあると思っていたので、平面的な絵が多い野球はどう考えてもそこまで相性が良くない。それに自分には野球の経験どころか運動部の経験もないし、ファンというわけでもなく、一回も企画を出したことがなかった。

 

「あー、ちょっと……上からの意向で。でも、このままだと、企画たぶん通りませんよ。ここは私を信じてください。イケたら儲けもんですし……先生の場合、年齢も年齢ですから。まずはいちはやく連載の実績と経験を作る必要があります」

 

 だけど、その言葉に――俺は提案を受け入れ、ネームと企画を練った。正直、落ちるだろうと思いかなり手を抜いたものだったが、それは今までの苦労が嘘だったようにあっさりと連載会議を通過した。

 

 正直やめようかと思った。でも、もうここで止めることはできない。それに俺はようやく、漫画家になったのだ。無職でも、アシスタントでもない――本物の漫画家に。

 

 

 

 

 

 連載に漕ぎつけた作品の内容は、ひどいものだった。

 どこかで見たことのある設定。過去無数にあったであろうストーリ展開。ツギハギのキメラみたいなキャラの性格と行動。よく創作者が「勝手に物語が動き出した」なんていうことがあるが、連載中そんなことは一切起こらなかった。

 

 なぜ俺は、こんなことをしている。なぜ、こんな誰にも望まれない化物を生み出している。そんな思いばかりが原稿の紙面に伝った。

 

 長いアシスタント経験で連載のペースに慣れていることだけが唯一の救いだったが、明らかな泥舟だ。アシスタントたちの士気も低く、職場の雰囲気は悪かった。だけど、そんなこと気にしている余裕もなかった。

 

 それは学生の頃、クラスのトップヒエラルキーを牛耳っていたやつらに教室の壇上で無理やりやらされたお笑い芸人のモノマネに似ていた。絶対に冷笑される、嘲笑される。そんなことはわかっているのに、逃げることはできない。唯一の違いは、その場に立つことを自分で選んだ――選んでしまったということだ。

 でも、うんこみたいな作品だとわかっていたとしても、俺はうんこ製造機として最後まで描き続けるしかなかった。なぜなら、それが出版社との契約で、俺はそれを請け負った個人事業主で、漫画家だからだ。

 

 

 打ち切りが通告されたのは、雑誌に7話目が載った直後だった。

 提示された全話数は12話。残り5話――すでにペン入れまで終えている翌週分を除けば、4話分を使いまとめきらないといけない。

 

 言い渡された直後は、頭が真っ白になった。こんなのでも自分の中の物語があったのに、それが突然プツリと途切れるのだ。だけど、数秒たって空白になった脳内を満たしたのは、安堵だった。悔しさや憤りよりも、生み出した作品から解放されることを喜んでいる自分がいた。

 

 漫画家は個人事業主だ。

 どんなことが起ころうと、それは自分の責任で、出版社はただの取引先だ。寄りかかる組織などなく、自分がやってきた仕事のツケは全て自分に返ってくる。

 

 この作品は、失敗だった。だけど、これでもう、俺は名無しじゃなくなった。これでようやく『漫画家』として連載、コミックスを出したという実績を残すことができる。国会図書館にだって俺の作品が保管されるのだ。

 

 単行本は1万もいかない……せいぜい数千部くらいだろうが、刷られさえすれば例え売れなくてもその時点で印税は入ってくる。それを合わせても仕事場の家賃やアシスタント代の支払いでかなりの赤字だが、アシ時代の貯金で相殺し、ぎりぎり借金は免れる。

 

 俺は、選択を迫られていた。年はすでに三十を超えていた。

 

 ここで業界から足を洗うか。新しくアシスタント先を見つけ、再び漫画家志望に戻るか。

 俺は後者を選択しようとしていた。性懲りもなく、この経験を肥やしにすれば、次はきっとうまくいくという無理やりな自信で自分を納得させようとしていた。

 

 そんな時、最近仕事用に買った携帯電話に担当編集からメールが来た。

 タイトルは『単行本の件につきまして』――部数が決定したのだろうか。あるいは、単行本作業のスケジュールを詰めるのかもしれない。俺は何も考えずにボタンを押して、メールの本文を表示した。

 

 

 

 

 

『申し訳ありません。

コミックス、出ません』

 

 

 

 

 

 そして、そこに表示された2文字にある乾いた笑いが漏れた。

 意外とショックはなく、たた他人事のように「ああ……そうか」と呟きが漏れただけだった。

 

 漫画雑誌というのは、多くは雑誌単体での損益というのは重要視されていない。雑誌の連載というのは、新人が作品を発表する機会を作ることとコミックスという商品を売るための宣伝という二つの目的が主だからだ。

 つまり、俺に通告されたのは、例えその宣伝費が埋没費用となっても、このコミックスを出すよりはマシという事実。それが企業としての判断だった。

 

 

 

 

 

 アシスタントたちも立ち退き、ガランとした仕事場で一人の夜に考えを巡らせた。

 

 俺は……どこで間違えたのだろう。

 先生のもとにプロアシとして残らず、独立した時。自分の意思を突き通さず、折れて担当の意向に従ってしまった時。職場の雰囲気が悪いのをわかっていながら、何もしなかった時。

 

 いや、違う。どれも違う。決定的なのは、そこじゃない。

 

 たぶん、この作品を……最初から失敗すると決めつけた時からだ。どんな題材でも、自分の持ち味を活かそうと思えばできたはずだし、野球以外のところで自分の描きたいものを入れることだってできた。何より……この雑誌を読んでいる読者――子供たちの中には、野球をしている子だっていたはずだ。俺は紙面の向こうにいるその子たちのことを考えたことが、一度たりともあっただろうか。

 

 スポーツものは取材を重ねて誠実に試合やそのスポーツに関わるキャラの内面を構築する人もいるし、現実にはあり得ない技やキャラクターでエンタメに振り切って読者を楽しませる。

例え自分の経験がなかったとしても、そんなのは些末事なのだ。いい作品を作ろうと思えば、努力のしようはいくらでもあった。

 

 ただ、俺が……最初からくだらない失敗作と決めつけて、いいものにする努力を放棄しただけで、そんな意思すら欠けていた。そうできる可能性だって0じゃなかったのだ。

 

「俺は……」

 

 ただの漫画家気どりだ。漫画など描いていなかった。漫画家になど、なっていなかったのだ。

 考えればわかる当たり前の結論にたどり着いたところで、再び携帯が震えた。ノロノロとした動作で握りしめ、送り主も見ずに反射的にメール本文を開いた。

 

 

 

『連載、お疲れ様でした。

 

 もしまだ新しい職場決まってないなら、どうですか?

 七梨くんの手がほしいです』

 

 

 

 送り主は――先生だった。

 

 

――後任と引き継ぎ、ちゃんとしてね。僕は関与しないから

――あー、ちょっと……上からの意向で

 

 先生の刺すような視線。編集の急な路線変更。煮え切らない態度と歯切れの悪い口元。

 

 まるで見たことのないグロテスクな画像をもとにしたパズルのピースがはまっていくように。俺の思考は、悪い方向へと舵を切っていく。

 

 まさか。そんなこと……そうだ。先生は純粋に俺を労って、アシとしての技術を買ってくれて、また戻ってきていいよと言ってくれているのだ。こんなのは実力でこの業界を勝ち進んでいる先生への逆恨みで、ただの被害妄想だ。俺が失敗したのは、ただ俺が無能だった。おもしろい漫画を描く能力がなかった。ただ、それだけの話なのだ。

 

 だけど――俺は急激に込み上げてきたものを抑えきれず、トイレに駆け込んでゲロった。

 

 誰よりも漫画が好きなはずだった。誰よりも漫画を描くのが好きなはずだった。

 だけど、今、眼前の便器の中にあるのは、汚物と化した夢の残骸だけだ。

 

 肩書だけは、あの頃の目標をかなえた。漫画家志望の中には、連載までたどり着けない人たちだって大勢いる。よくやったじゃないか。もういい。もう……十分だ。もう漫画などに関わりたくない。

 

 俺は口からゲロを垂らしたまま、震える手で携帯を手に取った。

 

 先生に断りのメールを入れると、そのままこちらで知り合った人たちとは一切の連絡を絶った。部屋を解約し、大量の資料とこれまで自分がアシとして関わってきたコミックス、受賞した読切作品が載っているものと連載開始記念に取っておいた週の雑誌。それらの一切合切を処分して、スーツケース一つに収まるほどに身辺整理をした。

 

 それが俺の漫画人生の果てに得た全てだ。

 そうして、翌月には東京から故郷へ戻った。

 

 


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