大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
事件が起こったのは、その日最後の授業。六時間目の算数開始直後だった。
僕らのクラスはシーンと静まり返っていた。教卓の椅子では、副担任で若手女性教師の高木先生が何も言わずに腕を組んで黙り込んでいる。黒板の上にかけられた時計の針だけが音を発し、時折他のクラスの笑い声がどこか遠くで響いた。
事の発端は、僕らの教室前の廊下でお菓子の包み紙が見つかったことだった。
授業の始めに高木先生が「誰ですか? これは?」とそのカラフルなプラスチック包装をひらひらと掲げ、名乗り出るまで授業はやりませんと言い始めたのだ。
もう僕らも最終学年だ。小学校生活もそれなりに長い。
ここからどうなって、どういう結果になるのかだいたいの予測はつく。ついでに、うちのクラスに真犯人がいようがいまいが、彼(もしくは彼女は)決して名乗りではないということも。
僕はぼーっと音のない教室を眺め、退屈なので人間観察に興じることにした。前に座っている
そして、右隣――「彼女」は、ただ僕が笑われていた時と同じように感情が見えない真顔で前を見据えていた。
近くにいる奴らの人間観察も一通り終えると、本格的にやることがなくなった。実感としてはけっこう時間を潰せたなと思っていたのに、時計の針を見るとまだ十分しかたっていなかった。これが相対性理論ってやつかいと思いながら静まり返った教室で、僕は周囲に聞こえない程度に「やれやれ」とため息をついた。
人生でもトップテンには入る無駄な時間を過ごしているなと思いつつ、頭の中は今日の放課後図書室で借りる本と次に描こうとしている漫画の構想でいっぱいだった。
「もういい! 授業しない!」
ガラガラぴしゃ。
高木先生はそのまま勢いよく立ち上がり、スライド式ドアを開け放ち職員室へと帰って行く。
再び水を打ったように静かになった教室。しかし、沈黙はほんのわずかな時間で。みんな高木先生の足音が聞こえなくなった瞬間、「ヒステリーだよな、あれ」、「彼氏と別れたんじゃね?」と好き放題言い始めた。
まあ、でも、そういう不満に関しては僕も同感だった。こういうことは転校前の学校でも何度かあったし、たぶん全国共通で指導方法のテンプレートというかマニュアルみたいなものがあるのだろう。
それはわかっていたけど、関係ない自分まで巻き込まれる意味がわからなかったし、一方的な立場からとにかく生徒に謝罪させようという魂胆が見えてイケ好かなかった。
そんなこんなでギャーギャー騒いでいると、女子の学級委員長である
なんというか、茶番である。君は教師に裏金でももらってんのか? マッチポンプか? と言いたくなるが、そんなことを言えば泣き出して「ちょっと! 女子泣かせるとかありえない」、「日野、サイテー!」、「死ね」と罵倒されるのは目に見えている。
……別に実体験とかじゃない。いや、ホントに。世の中そういうもんなのだ。マジで。
かくして僕らは、クラス全員連れ立って職員室に謝りに行くことになった。自分が関係ない説教タイムこそ迷惑なものはないが、僕は「やれやれ」と小声で言いつつクラスの最後尾についていく。
その時、ふと教室を振り返り、あることに気づいた。
みんながぞろぞろと廊下に出ていく中で、ただ一人――「彼女」だけは席を立っていないことに。だけど、わざわざ声をかける気にもなれなかったし、僕はそのまま金魚のフンみたいに行列へと追随した。
「冷房は何度になるまで禁止」とか「えんぴつの振動が脳にいい影響与えるからシャーペンは禁止」とか「まだ習っていない漢字を使ってはいけない」とか――学校という場所には、科学的になんの根拠もなさそうなルールがいくつもある。
そして、『職員室』というプレートが設置されたこのドアの向こうに入る時にも、それはあった。
「失礼します! 高木先生に用があります! 入ってもよろしいでしょうか?」
と男子の学級委員長である
まだ真犯人は見つかっていないので、とりあえず高木先生のところへ行き、みんなで形だけの謝罪を行った。すると、先ほどまで激昂していた高木先生はあっさりと「あなたたちの気持ちはわかりました。授業しましょう」と言い、教室へ戻る準備を始めた。
……ていうか、それはいいんだけど。真犯人とか、なぜお菓子を持ってきちゃいけないのかの説明とか。なんの問題も解決していない気がするのは、僕の気のせいだろうか。
まあ、でも高木先生も納得しているようだし。こういうのを様式美、というのだろう。やれやれ。美しいね、日本人の心ってやつは。
「おい、ちょっと待て」
しかし、全てが丸くおさまろうとした瞬間、横合いから野太い声がかかった。千条先生だった。
「お前ら、一人足りないんじゃないか?」
そう言われ、僕はすぐに気づいた――「彼女」だ。
やがてみんなもその不在に気づき始め、呼んで来いと言われ学級委員長の御木本と出久杉が教室へと向かう。
やがて、数分して。先ほどと全く同じ……いや、少しだけ違う。どこか呆れと不満が見え隠れする真顔で「彼女」はやって来た。
「どうしてみんな謝りに来ているのに来なかったんだ!?」
なぜか当事者の高木先生ではなく千条先生が「彼女」に向かって怒鳴り散らすが、「彼女」は何も言わなかった。千条先生は体が大きく、角刈り色黒の強面で、一見するとヤーさんみたいにも見える風貌だ。今まで「彼女」があまり怒られている場面も見たことがなかったし、恐怖のあまり口が動ないのかもしれない。
そう思い、僕は「彼女」の横顔をちらりと見た。見て、驚きのあまり目を開いた。
短く切り揃えた髪の下。その瞳は全く怯えの色はなく、むしろ自信に満ちた眼差しだったからだ。
「謝る必要がないと思ったからです」
静かな職員室にはっきりとした声が響いた。女子にしては低い「彼女」のものだ。
そう言い放った口元は笑みを携えている。そして、あろうことかそのまま教師たちをからかうように声を上げて笑い始めた。
「あー、お説教なら短くしましょうよ。つまんないですからね。あまり長くやると、千条先生の人気が落ちちゃいますよ?」
笑い声とともに吐き出された言葉に、僕ら生徒はおろか教師たちも唖然としている。だが、はっと意識を取り戻したように「い、いいや! お前には20分ほどやるぞ! 放課後居残りだ! わかったか!?」と千条先生はがなり立てる。それを聞いて「彼女」は、座っている高木先生にちらりと目を向けた。
「でも、高木先生がやってることって職場放棄じゃないですか」
そして、火に油を注いだ。
「普通の民間企業や公務員だったら懲戒処分とかですよね? なんで何もないんですか? 教師ってやっぱりちょっと一般社会とは違うんですかね? 話し合いの場とか設けないで、とりあえず生徒に謝罪させる経験を積ませるのが教育だと思ってるんですかね?」
よどみのない問いに、一瞬、職員室に沈黙が降りた。
「……お前……! いい加減にしろっ!!!」
千条先生の怒りが爆発した。顔を歪ませ、拳を振り上げた瞬間、女子の何人かが短く悲鳴を上げる。
「千条先生! それはちょっと――」
その瞬間、職員室に入ってきた担任の田中先生と教頭が慌てて叫んだ。
それを聞いて、寸前のところで「彼女」が女子だということを思い出したのだろう。男子に対する体罰は珍しくないし、たぶん僕や前に座っている幸田あたりだったら殴られていたと思う。二人になだめられつつも千条先生は「放課後そのまま帰らないように!」とまくしたてた。
その間。千条先生が拳を振り上げた時ですら。「彼女」は一切微動だにせず、ただ教師たちを――その先にある何かを、じっとにらみつけたままだった。