大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島――   作:ぽんこっこ

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第32話:サマータイムマシンブルース

 

 

 中学に入ると、小学校とは全く異なる環境が始まり、僕らは目まぐるしい変化に襲われた。

 

 教室という小さな空間に押し込められるのは相変わらずだったが、如実に僕らは周囲との違いと自らの立ち位置を理解するようになって。日々を過ごすうちに、それは小学校の時よりもより細分化されたグループや強固なスクールカーストとなっていった。

 

 僕は、その後の学生生活でも基本的なナードの立ち位置は変わらなかったけど、中学に入ってからは部活に塾と至極真っ当な学生生活を送り、多くはないけれど休日や部活の時間を共に過ごす友達もできた。

 そして――そうやって、忙しない普通の低空飛行を続ける毎日の中で、次第にマンガノートからは遠ざかっていった。

 

 あの夏以降、僕は漫画を描くことはなかった。描けなくなった。

 店長さんの話を聞いたから。一緒に漫画を描いていた彼女と会えなくなったから。言い訳を探せば何かしらこじつけられるものはあるのだろうけど、正直なところ何かこれといった理由があったわけじゃない。

 

 ただなんとなく、自分が特別な才能を持っている人間ではなくて、自分より才能を持っている人でさえ敗れていくのを知ったからだ。たぶんあの夏休みのできごとがあろうがあるまいが、いずれそうなっていたと思う。

 

 どこにでもある、くだらない――誰もが一度は子供の頃に体験するありふれた挫折だった。

 

 その後、漫画に携わる出版や小売流通、印刷、広告、映像制作といった業界の会社に就くわけでもなく。ただ、普通の工業機械メーカーによくいる普通のサラリーマンで、工場によくある生産管理の仕事をこなしていた。

 

 十年近く働いたその会社を――クビになったのが、つい二か月前のことだ。

 

 正確には自主的な希望退職ではあった。海外工場への投資失敗で前々から業績が芳しくなかったうちの会社は、コロナウイルス騒動に端を発する不況で財務に深刻なダメージを負った。株主と銀行から提案されたのは大規模な構造改革とリストラで、利益率の低い事業部を対象として営業部と管理部門、現場作業者を含めた製造部門で希望退職者を募ることになった。高年齢層だけではなく若手から中堅社員も対象にする徹底的なもので、僕がいた100人ほど勤めていた工場も閉鎖が決まっていた。

 

 ただ――希望退職とは表向きの文言で。退職金が出るとはいえ、その希望退職に応募しなければ無理やりな配置転換、遠隔地への転勤、異業種企業への出向、最後には追い出し部屋と……実質的には退職勧告となんら変わりないものだった。

 

 僕らに残されている業務は怒り狂う現場作業者に頭を下げ続け、撤退に伴う顧客からの在庫引き当て要求分の製品をなんとか作ってもらった後、速やかに退職してもらうことだった。

 

 同情してくれる作業者の人たちもいたけど、そもそもここに残っていても未来はないのだ。生産管理部門の同僚たちも含め大変はやってられないと辞めていき、撤退計画はスムーズに進まず、その調整に伴う残業時間だけがかさんでいった。会社の懐事情もあり、その残業時間ももみ消された。労働組合はなんの役にも立たなかった。

 

 そんな事情もあり、僕の退職時期は工場の閉鎖とほぼ同時だった。その時点まで残ったのは仕事に対する責任とか会社に対する恩義とかそういう類の感情じゃなくて……ただなんとなく流れでそうしただけだ。最後の身辺整理を終えてまだ会社に残る人たちに挨拶回りを行い、工場の敷地内にあるスタッフ事務所を出た時、ふと闇夜に沈む工場を振り返った。

 

 

 そうだ。もう、ここに来ることはないのか。

 そんな当たり前のことを、その時になって初めて思った。

 

 

 正直なところ、別にこの仕事が好きなわけでもなかった。キャリアの目標があるわけでもなかった。どんなに綺麗ごとで取り繕っても、所詮サラリーマンの仕事など生きる糧にするものだと思っていたし、作っている製品に思い入れがあるわけでもない。つまるところ勤務態度自体に問題はないけど、やる気はない社員だったと思う。

 

 だけど、10年近く通ったその場所には、もう機械が稼働する音が響くことも、油と汗の匂いが風に流されることも、深夜まで残業する灯りがともることもない。

 社会に送り出すための物が作られることはなく、ただとある会社の工場があったという過去だけが残り、やがてそれも消えていく。

 

 そう思うと、なんだかとてもむなしく、やるせなく感じた。僕がやってきたこれまでの時間はなんだったんだ。深く深く息を吐き、墓標のような工場を見ながらそんなことを思った。子供の時、「やれやれ」と言いながらついていた浅いため息とは違う――本当に救いのない吐息だった。

 

 その時、なぜか僕の脳裏をよぎったのは、入社から今日まで過ごした記憶ではなく、小学六年生の夏休みに出会ったあの店長とエロ漫画を買えなかった帰り道。そして、月夜に浮かぶエロえもんの涙だった。

 

 会社をクビになったことは――親には余計な心配をかけたくないので告げなかったが、勘が鋭く昔から隠し事を言い当てられる姉にだけは一応報告しといた。昔は仲が悪かったが(今でも別によくはないが)、大人になって距離が開くようになると、いつの間にか僕は大切なことはだいたい姉に相談するようになった。お互いの距離感というのがわかって、それでいて家族の中で最も年が近いからかもしれない。

 

 そうやって、次の仕事を探すでもなく、ただぼんやりと無職の日々を過ごしている間――いや、そのもっと前から、僕には常にはどうしようもない閉塞感が漂っていたと思う。

 

 

――僕は……どこにも行けない。

 

 

 小学六年生の夏休み。あの帰り道で感じた予感は、半分正解だった。

 

 当たったのは、結局何者になれずこの現実を生きているという事実。

 当たらなかったのは、僕らの日常には何も起こらないという推測。

 

 あのゼロ年代に子供だった僕らがその後に目の当たりにしたのは、平坦であるはずの日常に起こった多くのイレギュラーだった。

 

 世界を巻き込んだ金融危機から度重なる大きな災害にパンデミック――そういったものを十五年ほどの短期間に経験し、僕たちを取り巻く「いつもの世界」は案外簡単に壊れてしまうものだと自覚した。それらをごまかすように――周囲から振り落とされないため学生時代は自分を偽る努力をして、社会人になってからは馬馬車のように働く日々の中で、そんなことを考えていたという記憶すら薄れていった。

 

 だけど、それでも――時折どうしようもなく自分の中から込み上げてくるものがあって。仕事も、人間関係も、生活も、何もかも放り出したくなる衝動に駆られる時があった。

 

 何かになるどころか今日の生活を守るのに精一杯の僕は、普通以下の人間のくせになんとか普通を装って、無理して笑顔を貼り付けて、周囲にすがりついて。そうやって毎日を生きていた。

 その甲斐もあり、うだつの上がらない社会人となった今でも社外の友人と数か月置きに会う程度の人間関係、それと暮らすには困らない収入は手にすることができた。

 

 だけど……ただ、そうやって、漫然と他人となんとかうまく生きていく普通の日々は、なぜかひとりぼっちだったあの日の教室より、僕を孤独にさせた。

 

「――あのさ」

 

 どうしようもない思考の渦から僕を引き上げたのは、頭上からの声だった。ぼんやりと夢から覚めたような視線の先には、相変わらず片耳イヤホンでスマホをタップしている甥っ子がいた。

 

「……東京って、楽しい?」

 

 だが、淡々とした口調から出てきたのは、思いがけない言葉だった。

 

「なんで? 修学旅行かなんかあるの?」

「いや、なんとななく。おじさん、東京で働いているんでしょ?」

 

 確かに元弊社の本社は東京にあったけど、働いていた職場は埼玉の北寄り――ここよりも田舎にあった工場なので、正確には東京ではない。でも、まあ、この子からすれば千葉とか神奈川とか関東近辺は東京みたいなもんだろ。自分も子どもの頃そうだったし。

 

 僕が怪訝そうな顔をしていると、甥っ子はスマホから一度目を離し、こちらをちらりと見てきた。どこか投げやりな態度の中に――少し切実なものを感じ取った直後「……将来、東京の大学行こうと思って」とついに観念した様子でつぶやいた。

 

「マジ?」

「誰にも言ってないから……言いふらさないでよ」

「言わないよ」

 

 こんなにも早くからそんなことを考えているなんて驚いたが、思い返してみれば彼くらいの年の時、僕も少しは将来なんて言葉を意識し始めていたようにも思える。なんだか懐かしい感覚にふと頬を緩め、甥っ子の問いに答えることにした。

 

「東京かぁ……大学時代はそれなりに楽しかったけど、社会人になった後は家と職場の往復だったし、コロナで自粛が流行ってた時は楽しいっていうよりビクビクしてた。みんな表向きは誰でもかかる、差別は許さないっていうけど、感染したら職場でバイキンマン扱いされること必至だったからね」

 

 僕の回答が期待していたものと少し違っていたのだろう。無表情の中に少しだけ肩透かしをくらったような変化が見て取れた。

 

「まあ、なんでもあるし、いろんな人がいるよ。でも……この街とは違って、人と人との繋がりは薄いから、逆に居心地はいいかな」

「それって、居心地いいの?」

「おじさんにとってはな」

 

 時々帰りたくなるけど、やっぱり……帰ると、ここは自分の居場所ではないなと再認識させられる。

 

「嫌いなの? ここ?」

「別に嫌いってわけじゃないさ。ただ、帰ってくると――タイムマシンに乗って、未来にやってきた気分になるんだよ」

 

 意味わかんないと言いたげな甥っ子に僕は苦笑を浮かべて話し続ける。

 

「例えば、子供の頃に当たり前にあった空地がなくなってたり、ローカルCMがリニューアルされてたり、会う度にみんな年を取っていたり、亡くなってたり……帰る度に、育った街が自分の知らない世界に置き換わってるんだ。きっと、君にはまだわからないだろうけどね」

 

 タイムマシンっていうより浦島太郎のほうが近いかなと笑うと、「ふーん」と事務的な返事を寄越される。やはり、あまり伝わっていないようだった。無理もないと思うが。

 

 東京とこの街。

 

 途切れた会話の後、僕は甥っ子と交わした言葉の中にあったその2つが背中をなぞり、ゆっくりと頭の中に入り込んでいくのを感じた。心を捉われた単語が連れてきたのは、高校二年生――なんでもない冬の日の記憶だった。

 

 

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