大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島――   作:家計ぽんこつ

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今回で完結です。
お付き合いいただきありがとうございました。


エピローグ
ガールマテリアル


 

 

 

 この世界のどこかには、エロマンガ島という島があるらしい。

 

 確か最初は『トリビアの泉』――いや、小学生の時、友達から聞いたんだと思う。インターネットで調べていくとエロマンガとは現地語で「人間です」という意味らしく、オーストラリアにも同じようにエロマンガ盆地という名前の地名があるそうだ。

 

「人間です……ね」

 

 ふとそんな昔のことを思い出しながら、私は上半身が丸々あるリアルドールタイプのオ〇ホを床の上でああじゃない、こうじゃないと動かす。悲しいほど洗濯板な自分の胸は参考にならないので、おっぱいだけはいつもこうやって資料を参考にしている。「21ゼロえもん殿下のおっぱいって不自然だよな」、「巨乳好きのくせに固そう」、「おっぱい童貞」と叩かれている所以(ゆえん)である。

 確定申告の時、こういうアダルトグッズを経費として落とせるのがこの業界のいいところ(?)ではあるが、そろそろ新しい方法を模索する時が来ているのかもしれない。

 

 私は仕事用の椅子に座ると、デスクを大きく陣取るデジタル作画用の液晶タブレット、それに……横に置いたデスクトップパソコンへちらりと目をやる。今はあまり見たくないその画面には、数時間前に来た『ネーム、いかがですか?』との進捗確認メール。付き合いのある出版社の編集さんからだ。

 

「……わーかってますよ~、おっぱい、おっぱい」

 

 即席で作ったクソみたいな歌を一人の部屋で口ずさみながら、後ろ手を組んで椅子の背にもたれかかり天井を見上げるが――いくらうなっても、いいアイディアは出てこなかった。

 

 連載企画というわけでもないので普段なら「もう少し待っていただけないでしょうか」などと言うところだが、相談するにしても雛型くらいは出しておきたい。この時期はコミケで忙しかった同業者(ある程度業界で名が通っている人の場合、商業より同人の方が稼ぎがいいのだ)が多いので、あちらとしても原稿を落とすのではないかとひやひやしてるのだろう。

 

 と、その時、ふいにベッドの上に置いていたスマホが鳴ったような気がし、ビクリと振り返る。だが、自分の勘違いだったようで、当のスマホくんは何も言わずに大人しくベットに横たわっていた。

 

「ファントムバイブレーション……ってやつか」

 

 たぶん編集からの連絡を気にしすぎたせいだろう。私はほっと胸をなでおろしつつも――ファントムバイブレーションって……なんかエロいなと思い、取っ掛かりを掴んだ気分になる。

 

 乗るしかねぇ! このビックウェーブに!

 

 私は勢いのままデスクの空いている箇所にネーム用紙を広げ、えんぴつ片手に浮かんでくるアイディアを箇条書きにしていく。

 

 スマホを拾った関西弁の女子〇生が、その持ち主だった幽霊に四六時中スマホのバイブレーションを押し付けられる……うん、よし。このネタで今回は乗り切ろう。たぶん描き始めればなんとかなる。タイトルは……『スマホを拾っただけやのに~!』とかでいいだろう。

 

 ひらめきに身を任せ逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、と頭の中で反芻し、腕組をしながら、真っ白な紙面をにらみつける。

 

「私が信じる……私を信じろぉぉぉぉぉぉーーーーー!!!!!」

 

 いざ! 定規を携え、えんぴつで線を引いていく!

 だが、その数秒後――手に迷いが生まれ、ピタリと動きが止まった。

 

「……」

 

 はい、無理。

 ダメだ。描けない描けない描けない描けない描けない。

 

 

 

「あ~~~!! わたしゃあ、もう破滅じゃあ~~~!!!」

 

 

 

 そのまま椅子から立ち上がり、ベッドにダイブ。自分への嫌悪感で「あ~」と体を右往左往転がし――最後には、もうこのまま眠ってしまおう。うん。きっと明日の私がなんとかしてくれるだろうと、ひどく甘い見通しの自己肯定を繰り出し、枕元に置いてあるスマホを手持ち無沙汰に見る。通知には今月分の携帯料金のお知らせが来ていて、現実逃避先で思わぬ現実を突きつけられてしまう。

 

 年を重ねたせいだろうか。最近、ふとこういうふうに現実にまとわりつかれる時が、増えた気がする。

 

 エロ漫画だけでなく――出版業界全体が、一部を除いて毎年厳しくなっているし、エロ漫画家にとっては重要な収入源である同人即売会も少しずつコロナ規制から復活してきてたり、ネット上に場所を移しているが、今後どうなるか未知数だ。同業者には引退したり、音沙汰がなくなる人だって、珍しくない。もっと気楽に考えてもいいのかもしれないけど、なんとなくそんなマイナス方向なことばかり考えてしまう。

 

 そして、そうやって誰が聞くわけでもないため息を一人の部屋に溶かす時――決まって脳裏をよぎる響きがあった。

 

――僕は……君の漫画が、好きだ

 

 いつかの夏。私が一番辛い時、そばにいてくれたあの子が、かけてくれた言葉。

 本当にシンプルで、なんの装飾も建前もなく――私を肯定し、この世界につなぎ止めてくれたあの言葉。今はもう、少しだけかすみがかったあの暖かさに、一度だけ触れたかった。

 

 私は押入れ兼務のクローゼット奥にしまい込んだ封筒を――その中のA4用紙の束を引っ張り出す。それは小学六年生の時――生まれて初めて人に見せた漫画だ。破れた跡が残るツギハギには、年月を重ねて劣化した黄色いセロハンテープが鈍く光っていた。

 

 漫画を描くことは、タイムシンに似てる。

 

 時折、そんなふうに思うことがある。昔描いた漫画を見返せば、過去の自分が考えていたことに出会うことができるし、ネームを描いている時はまだ見ぬ世界(みらい)に行っている気分になる。

 そんなふうに――普段は忘れているのに。今の私を形作ったであろうあのできごとを、今でも時折思い出すことがある。

 

 小学六年生のあの夏の後も、私は漫画を描き続けた。

 母はあからさまに嫌な顔をしたが、一緒に母の実家で暮らしていた祖父母は理解を示してくれて、私をかばってくれたことが唯一の救いだった。

 

 その後、母から言われたあの三つ編みセーラーの私立中学に合格し、最初は嫌々通学していたけれど――余計な気を使わないで済む女子校は案外居心地が良く、高等部の時に入った漫画研究会では、今でも連絡を取り合う友達もできた。

 

 週刊少年誌や月間誌の賞に応募して、小さな賞に引っ掛かかり、読み切りが一度載った。アシスタントも経験しながら、何度も企画を担当編集に出して連載を目指していたけど、そこから連載会議を通ることは――一度もなかった。

 

 そこから当時お世話になっていた先生の連載が終わり、仕事が途切れていたタイミングで知人に共同ブースに空きができたからと同人即売会に誘われた。そこで今の出版社の担当に声をかけられて、とある雑誌を中心に成人向け漫画を描いている。

 

 そんなふうに――多くの人がそうであるように――私もまた、特別な天才ではなかった。自分の全てを投げ打つ才能もなく、ただなんとかこの場所にしがみついて、何度も他人とうまく付き合うことを放棄しそうになりつつも、徐々に自分と世界の折り合いをつける方法を身に着け、自分を納得させることができるようになった。

 

 だけど、そうやって周りの世界と同化するほどに、自分の中の何かが犯されている気分になった。

 今はそれなりに大人になって、エロ漫画家だって個人事業主で、いろんな手段でコミュニケーションが必要とされることがわかる。絶対に間違えないなんてことはないけれど、人の気持ちを想像して正しい振る舞いをすることだって常にしている。

 

 だけど、時々――この先もずっと漫画を描き続けることに、漠然とした不安が押し寄せる夜がある。

 

 周囲が会社でキャリアを積んだり、結婚をして家庭を築く中で、私の人生は自分の描き出す世界に固執し、留まり続けている。世間一般的にはあまり公にできる分野でもないし、創作について相談できる同業の知り合いも多くはない。そういうふうに孤独な時間の積み重ねの中で、なぜ自分はエロ漫画を描いているのかわからなくなる時がある。

 

 自分が好きなことで、他人様から金をもらっているのだ。

 

 サラリーマンや公務員の中には、漫画家の端くれである自分より大変な思いをしている人たちもいるだろう。そんな人たちが自分たちのお金と時間で読んでくれたり、実際に「使ってくれる」ことはありがたいし、自分でもかわいいキャラデザインのヒロインを生み出せたり、実用性の高いエロさを引き出せたときは嬉しくなる。

 

 それでも、〆切に間に合わせるために手癖で焼き直しのような原稿を作った時は、なぜもっとちゃんと描いてあげられなかったんだろうと、マンガやキャラに申し訳なくなって、やっぱり自己嫌悪に陥ってしまう。

 そうしていくうちに――次第に十代の頃に自分を突き動かしていた「何かになりたい」という衝動は色あせていき、今やめてしまえば……もしかしたら、人生の軌道修正をできるのはないかという思いにかられる機会が増えていった。

 

 あの時、あんなに早く行きたかった未来にいるのに。

 

 自分の中に描きたいものがなくなったら。いつか来るかもしれないその時のことをふと考えて、恐怖でネームを切る手が止まる時がある。

 

 そんな思いを払拭したくて――つい先日出した『四時限ソケット』は原点回帰で自分の好きなジャンル――巨乳ものをテーマにした(描いてきたものは8割以上巨乳ものだが)。同好の士からは概ね評判で、自分でも単行本作業をしながらいい感じに仕上がったなと思ったけど……最後の『ジュブナイル』という作品は、かなり自分本位なオナニー作品になってしまって、ちょっと後悔していたのだ。

 

 私はそれが気になり、なんとなく――私の作品も取り扱ってもらっている有名な販売サイトに行き、『四時限ソケット』のページへと行く。レビュー欄にはいくつか好意的な感想が書かれていて嬉しくなりながらも、「ん……?」と目を見開く。

 

 隠れていた最後の――つい数日前に投稿された『ななしのエロ犬』というユーザーのレビューが……ひらすらに長いのだ。それはかなりの長文でスマホをスクロールしてもしても、まだ終わらない。

 

「長すぎるだろ……」

 

 なかなかの大長編に込められた熱量に。なぜかこちらが照れ臭くなって、笑ってしまう。

 その文章を読んでいると、なぜか私は初めて漫画を見せた――あの時の感情を、あの男の子のことを思い浮かべていた。

 

 小学校六年生の時、私の漫画を、絵を、褒めてくれた友達がいた。

 全然運動も勉強もできなくて、かっこ悪くて、スケベで、ちょっと間抜けで。

 でも、自分のために誰かを傷つけることは絶対にしない――優しくて、強い男の子だった。

 

 だから、私はあの子と一緒におっぱいや漫画の話をしている時が一番楽しくて、本当の自分でいられた。たぶん彼がいなかったら、子供だった私はどこかで自分を保っていた糸がぷつりと切れて、周囲の環境に押しつぶされていたと思う。

 

 彼のことは、同じ時間を過ごす相棒として信頼していたし、同じ夢を持つ仲間が近くにいてくれたことが支えになった。

 思い出すのは、いつも「やれやれ」といって困ったように笑う顔や並んで帰る時に合わせてくれた歩調、私の漫画を真剣に読んでくれる時の眼差し。

 

 それは――たぶん、初めての思いだった。

 

 恋なんて呼ぶにはあまりにも幼くて、漠然とした気持ちで。当時は自分でもわからなかったけど。後から振り返った時、思い出の中の私は、いつも友情とない交ぜになったほんのりと温かい感情を抱いていた。だから、両親の離婚と引っ越しが決まった後、エロ漫画を買いに行った夜のことを思い出すと、今でも鮮烈な痛みが胸に走る時がある。

 

 あの時の私は馬鹿で、他にどうしようもなくて。それでも、何か世界を変える手段が欲しくて、なんとか離れ離れになるあの子の心に自分を繋ぎとめようと必死だった。彼が勇気ある優しい拒絶をしてくれたから、お互いを傷つけずに未来に進めたけど。あんなことをしてしまったことだけが、唯一の心残りだった。

 

 なんでだろう……この長文レビュー画面をスクロールしていくと、懐かしくて、温かい気持ちが、次々にわき上がってくる。

 

 なぜ私はエロ漫画の感想を読んで、泣きそうになっているんだろう。

 

 今までも感想を頂いて嬉しいことはあったし、辛い時にずいぶんと励まされた。その逆の誹謗中傷はもちろん、時にはエロ漫画なんて一ページも読んだことがなさそうな人が、SNS上で一方的な批判や自己主張を押し付けてくることもあった。

 

 だけど、今、顔も素性も知らない――なんの繋がりもないけど、この世界のどこかにいる自分の作品を読んでくれた誰かが、こんなにも私が込めた気持ちを読み取ってくれた。

 その時、彼やその後仲良くなったみんな――彼らと過ごした日々が、こんなにも自分の一部だったんだと気づいて。鮮明に思い起こされたあの夏の匂いや音が涙に変わり、いい大人なのにどうしようもなく泣きたくなった。

 

 

『先生の描くエッチな女の子が好きです。先生の描く世界が好きです。

人は……おっぱい以外を好きになることはあっても、おっぱいを嫌いになることはありません。

先生には、これからもぜひ好きなものを描き続けていただきたいです』

 

 

 そのレビューの最後を締め括る言葉にハッとした。目を大きく見開き、私は思わず小学六年生の時によくしていた得意気でシニカルな笑みを浮かべる。それはいつかどこかで、私が言っていた言葉と同じだったから。

 

 

 

「さては、ななしのエロ犬……君もおっぱい星人だな?」

 

 

 

 私はスマホを置き、大きく伸びをしてから――もう一度椅子に座り、机上のネーム用紙と向き合い、えんぴつを握る。

 

 私は、漫画が好きだ。

 漫画を描くのが好きで、エロ漫画が好きで、かわいい女の子を描くのが好きで、巨乳のお姉さんのエッチな姿が好きだ。

 この気持ちがある限り、まだペンを握れる。これから先どんなにきつい現実が待っていても、たぶんどうにかなる。

 

 

 

 きっと、未来は大丈夫だ。

 

 

 

 だから、私は描き続ける。もしかしたら、あの時の青い衝動を、どこかにいる誰かが思い出してくれるかも。そんな秘かな願いをこの紙面と液晶画面の上に乗せて。

 

 私の作る世界のどこかで――また、あの時の友達と出会えるように。

 

 






参考文献

以下を参考にさせていただきました。
この場を借りて列記、及び感謝申し上げます。

『小学館版 学習まんが人物館 藤子・F・不二雄 (小学館版学習まんが人物館)』
 さいとうはるお・黒沢哲也 小学館

『藤子・F・不二雄SF短編集<PERFECT版>7 タイムカメラ』
 藤子・F・不二雄・藤本匡実 寄稿『父の持論』



引用文献

てんとう虫コミックス ドラえもん第1巻 「一生に一度は百点を…」、「ご先祖さまがんばれ」
藤子・F・不二雄 小学館

てんとう虫コミックス ドラえもん第9巻 「ジーンと感動する話」
藤子・F・不二雄 小学館

てんとう虫コミックス ドラえもん第12巻 「右か左か人生コース」
藤子・F・不二雄 小学館



書いてるときお世話になったBGMの曲リスト

『ピーターパン・シンドローム』  Sound Schedule
『ソラニン』 ASIAN KUNG-FU GENERATION
『Wild Flowers』 RAMAR
『グロウアップ』 Hysteric Blue
『WORLD END』 FLOW
『モザイクカケラ』 SunSet Swish
『God knows...』 涼宮ハルヒ(平野綾)・畑亜貴・神前暁
『スタンド・バイ・ミー』 Ben.e.King
『secret base 〜君がくれたもの〜』 ZONE
『Forever Blue』 今井ちひろ・松浦有希・高木洋
『少年期』 武田鉄矢・佐考康夫
『友達の唄』 BUMP OF CHICKEN
『ボクノート』 スキマスイッチ
『もどかしい世界の上で』 牧野由依・佐々倉有吾・島田昌典
『ガーネット』 奥華子
『想い出は遠くの日々』 天門
『歩いて帰ろう』 斉藤和義
『JUVENILEのテーマ〜瞳の中のRAINBOW〜』 山下達郎



一方的な謝意になりますが、以下の方々に格別の尊敬と特別な感謝を申し上げます。

藤子・F・不二雄先生
お世話になっているエロ漫画の先生方
スティーブン・キング先生
ゼロ年代に何かを作っていた方々。今も、作り続けている方々。

拙い素人の作品をここまで読んでくださった皆様



僕が子供だった頃――インターネットを通して面白いものを見せてくれた、遊ばせてくれたどこかの誰か様



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