大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
僕が住んでいるこの街は、何もない空っぽの街だと思う。
別に生活に不便する超ド田舎ってわけじゃない。人口は15万人ぐらいだから地方都市としてはそこそこ大きいし、近くの音成(おとなり)市のベッドタウンだから住むところは新興住宅地からタワーマンションまである。JRの急行だって停まるし、車がないと不便ではあるけれど、徒歩で行けるだいたいの生活圏にコンビニ、スーパー、ファミレス、家電量販店があって、少し離れた郊外にはジャスコだってある。
だけど、これといった名所とかそういうものは何もない。学校のすぐ裏に地元の人も名前をよく覚えていない山があるくらいだ。
そこそこなんでもあるけど、何もない街。それが僕がここに抱いている印象だった。
「だいたい千条のやつ。子どもは何も考えられないし、自分が絶対正義だと思ってるんだよ。だから、正論をぶつけられたら、何も言い返さないで暴力や恫喝に走るしかないんだ」
初夏の水田が青々と茂る登下校路。僕らはガタガタのあぜ道を並んで歩き、警戒心が解けないこちらとは反対に、「彼女」はペラペラと教師への不満を暴露している。暮れなずむ夕日に照らされた横顔を、僕は戸惑いと共にチラチラと伺っていた。
「彼女」は、去年――小学五年生の春、僕と同時期に引っ越してきた転校生だった。
ただ、共通点はそれだけだ。学校生活において、この子と僕はほぼ接点がない。
まず、最初の自己紹介から違った。僕がどもらないように必死でしどろもどろだったのに対し、「彼女」はスラスラと、それでいて嫌味じゃない雰囲気で自己紹介を終えた。
いざ学校生活が始まると、「彼女」は勉強も運動も優秀だった。だけど、単なる頭でっかちの優等生というわけでもなく、最近流行りの話題にも詳しく、クラスのどのグループとも話を合わせられるタイプだ。
それに加え、この年頃特有の異性を排除して同性だけでつるむような幼稚さもなく、かといって女子に「男子にこびてる」と敵対視されるほどベタつくわけでもなく。誰に対しても相手に合わせた絶妙な距離感で接していて、なおかつそれを遠慮と感じさせない明るさもある。いわば「クラス全員お友達」みたいなやつだ。
まあ、要するに、教室の端っこで自由帳にこそこそと自作漫画を描いているような僕とは、対極にいる存在だったのだ。
ただ僕は……彼女のことが少し苦手だった。なんだかそうやってこちらに合わせた爽やかなコミュニケーションを取られると、なぜかひどく見下されているような気分になったからかもしれない。自分でも卑屈だとは思うけど、僕はそういう人間なのだから仕方ない。
「だいたい田中のやつも――」
だけど、だからこそ、今横にいる「彼女」に違和感を覚えずにはいられなかった。
そして、あの職員室で見た時の姿にも。先生やクラスのみんなも思っただろうけど、あんな行動を取るなんて、今までの彼女のイメージからはちょっとズレていたからだ。
僕は適当にあいづちを打ちながら、「彼女」の話に耳を傾ける。「彼女」はなぜか教室にいる時よりずいぶんと砕けた口調だった。
もともと「もう~、プンプン!」みたいにぶりっ子な女の喋り方をするやつじゃなかったけど、サバサバを通り越してなんだか男と喋っている気分だ。容姿や服装の印象もあるのだろうけど、どこか芝居がかった話し方で――それこそ漫画のキャラクターみたいだった。
それでも、僕は不思議とそれが鼻につかなかった。それどころか教室で「クラス全員お友達」みたいな振る舞いをしている時よりどこか自然で、似合っているようにすら思えた。
「君も、田中にはイラついてただろう?」
しばらくして、そんなことを尋ねられた。
「席が隣だからな。大人しそうなくせに目つきは反抗心に満ち溢れてたぜ?」
僕はそれを聞いて、今日社会の授業でやった教科書の音読。その一幕を思い出す。
そういえば――こいつは、僕が例によってどもった時も、笑わずにいてくれた。今までの話を聞くにそれは僕への気遣いというよりも教師への反抗心みたいなものだったのだろうけど、なんとなく……本当になんとなく、僕は自分の悩みを打ち明けてみた。
「は」で始まる言葉――特に返事の「はい」は何もしなければ、いつもつっかえてしまうこと。小さい「ゅ」や「ょ」がつく言葉は、時間をかけなければうまく話せないこと。
「彼女」はさっきとはうって変わって、僕の話を黙って聞いてくれた。だから、話し終えた後、僕は少しだけ後悔した。こんなしょうもない癖や活舌のことを言われても返答に困るだけだろう。
「ごめん。やっぱり――」
「そりゃあ、吃音ってやつだな」
だけど、彼女の反応は、僕の予想していたどんなものとも違う。
示されたのは、僕が全く知らない未知の単語だった。
「きつおん……?」
「そう。れっきとした障害だ。ネットで見たことがある」
僕は口を半開きにした。何かを言おうとしたけど、言葉が出なかった。
自分が癖だと思っていたあれが、障害としてカテゴライズされていたという事実はもちろんだけど。それをわかっていながら本人に正面切って言う彼女に対しても、驚きを隠せずにいられなかったからだ。
学校では「ガ〇ジ、キ〇ガイなど差別的な言葉を使っちゃいけません」とか「私はそういう人たちを障がい者という言葉を使わずにハードルがある人と呼びたいと思います」(僕はそれはそれでどうなの? と思ったりもしたが)とかなんとか教えられていて、障害を持っている人に対して「あなたは障害者です」なんてことを言うのは、マズいことだと思っていたからだ。
「そりゃあ、教師たちが言ってることも正しい面もあるさ。だけど、綺麗ごとで取り繕ったところで、本質が見えなくなるだけだよ。ちゃんと事実は事実として向き合って、そこから、じゃあどうするかっていうのを考えないと意味ないと私は思うぜ」
「彼女」はあっけらかんとそう言い切ると、「まあ、君が……当事者がどう思うかにもよるけど」と少し申し訳なさそうに付け加えた。
でも、僕は……「障害」と言われたのに、不思議とあまり嫌な気持ちはしなかった。むしろ変に気を使われたりするより楽で、もっと「彼女」の意見を聞きたいと思い「はい」の前には必ず「あっ」をつけるようにしていることも告げてみた。
「それは君が自分で考えて、論理的に出した対策じゃないか。なら、君は別に間違ってない。何も考えてない田中の言うことなんて聞く必要ないだろ」
それに対する回答も単純明快で。やっぱり「彼女」は頭がいいんだな、なんて頭の悪い感想を抱いた。
「おっ、そろそろだぞ」
そう言うと、「彼女」は駆け出し、僕の少し前を歩く。
終わりかけた春の夕日が周囲の建物を照らし、道路は影の黒とそれ以外の色に隔てられていた。赤いランドセルを背負った「彼女」の後ろ姿が電柱の影にまぎれ、少し暗い色に染まる。
それを見て、ふと不思議な子だと思った。
今までは人と常に最適な距離を保っているようなやつだと思っていたけど、今日みたいに土足で人の触れてほしくない部分に踏み込んできたり、突拍子もない言動を取ることもある。
まるで……そう。星みたいだ。ドラえもんで大正時代にやってきたハレー彗星の話を読んだ記憶があるけれど、彼女は周回軌道を描き、離れては近づいてくる彗星のような子だと思った。
「目的地に到着だ」と淡々と告げると、「彼女」は思わず立ち止まる僕に「何やってんの? 早く来いよ」と続けて催促する。
そこは街の中心部寄りに立地している比較的新しめのタワーマンションだった。超大金持ちってわけじゃないけど、たぶんちゃんとした会社に勤めているサラリーマンとか公務員の人が買う感じの小奇麗なタイプだ。
「あの、ここって……」
「ん? わたしんち」
手慣れた感じで玄関扉のオートロックを操作し、「彼女」はなんの感慨もなさそうに言い放つ。
「へぇ……」
などと平静を装っていたけれど、僕は内心戸惑っていた。
だって、女子の家である。低学年の頃ならまだしも……なんというか、この年になると、一対一で女子の家に行くなど少なからず抵抗があったし、ちょっとだけドキドキしていた。
「……お土産とか買ったほうがよかった?」
「……何を言ってるんだ? 君は」
そんなこともあり、思わずわけのわからないことを言ってしまった。そんな僕の戯言は軽くいなして、「彼女」は僕をエレベーターに招き入れる。そのまま六階へ上がると、きちんと掃除されてある内廊下を歩き、隅から三番目のドアの前で「彼女」は足を止めた。どうやらここらしい。
到着すると、彼女はズボンのジッパー付きのポケットから鍵を取り出し、差し込む。たぶんご両親は仕事か何かでいないのだろう。
「遠慮しなくていいぜ」
「お、おじゃまします……」
先に入る「彼女」の後に続き、僕は猛獣の檻に入るようにおそるおそる玄関に足を踏み入れる。
家の中はやはり誰もいないらしく、薄暗かった。「彼女」がリビングまで進み、壁際のスイッチを入れて明かりをつける。すると、マンションの外装に似つかわしいこれまた小奇麗な部屋がパッと現れた。じいちゃんの家を二世帯住宅にリフォームした僕の家とはまるで違い、なんだか外国の家みたいだ。
「こっち、私の部屋」
呆気に取られていると、突き当りの部屋へと案内された。
「お、おじゃまします……」
僕は数十秒前と全く同じセリフを吐きながら、敷居をまたぐ。そして、あんまりきょろきょろするのもどうかと思いつつも、思わず部屋を見渡した。
第一印象は、なんだか女の子らしくない、という一点に尽きた。姉ちゃんがいるので別に女子の部屋にファンシーな幻想を抱いているわけじゃなかったけど、まさかぬいぐるみやクッションの類がひとつもないとは予想外だった。本棚があって、勉強机があって、ベットと備え付きのクローゼットがある。僕の部屋とたいして変わらない感じだ。
ただ二つほど気になったのは、机の上に子どもが持つには珍しいノートパソコンが置いてあること。そして、本棚のラインナップの割合が圧倒的に少年漫画で占められていることだ。少女漫画雑誌やファッション誌といった女の子らしいやつもあるにはあるが、それらは有名どころがニ、三冊程度といった感じだった。
「まあ、立ってないで座れよ」
「……うん」
僕はそう言われ、素直に絨毯の上に座る……なんとなく正座で。
「なんで正座なんだ?」
「いや、その……」
女子の部屋に一人で来ている状況で頭がいっぱいになり忘れてたけど、僕はおっぱいを触ってしまったという事実をダシにこれから金銭の要求をされるのだ。
こういう場面は、ニュース番組でやっていたなんかの特集で見たことがある。「警察にチクられたくなったら」と脅され、最初はお小遣いから払える範囲で済んでいたものが徐々にエスカレート。パチンコ、親のキャッシュカード、サラ金、自己破産、そして――しまいには、地下帝国での強制労働に従事させられるのだ。
「……き……ぅ……きょ、強制労働は勘弁してもらえないかな?」
「はぁ?」
しかし、精一杯の悲壮さを携えた僕の懇願に「彼女」はポカンとしていた。「意味が分からんな」と言うので、僕が先ほど脳内でシミュレーションしていた人生終了ルートを説明すると、ぶっと吹き出した。
「そうかそうか! そういうことか! なるほど! 誤解させちゃったな!」
困惑する僕を脇目に豪快に笑い立てられ、今度はこちらが呆気にとられる番だった。
「悪かったな。あの状態だと、君、そのまま逃げ出しそうだったから。金をむしり取る気なんてさらさらないから安心したまえ」
「じゃ、じゃあ、なんであんな……ぅ……き……脅したんだよ?」
「うーん、そうだな……うーん」
「脅迫」が言えず、「脅した」に言い換えたが、「彼女」は気にしていなさそうだ。何度もうなり、勉強机の椅子に座ったり、立ったりを繰り返す。何かに悩んでいるようで、それが終わったと思ったら今度は僕の前を行ったり来たりし始めた。
……帰っていいかな、僕。
「……うん。やってみせ、言って聞かせて、させて見せなきゃなんとやら、というやつだな」
そうして、たっぷり三分ほど時間を使い、ようやく自分の中で結論に達したらしい。足がしびれて正座を崩し始めた僕に背を向け、鍵が付いた机の引き出しから何かを取り出し始める。
「……これ」
今までの様子が嘘のような――そこら辺の雑音にかき消されそうな小さな声だった。
その声と共に差し出されたのは、一冊のノートとA4封筒だった。なんだろう? 厳重に保管してたし、まさかデスノートっていうんじゃあるまいな。
「あの――」
「見ればわかる」
やはり……デスノートか?
僕は自分の名前が書かれていないことを祈りつつ、差し出されたそれらを受け取る。そして、まずノートの方をゆっくりと開いていく。開いて、一ページ目でその手を止めた。
「え?」
そこにあったのは、絵だった。いや、別にギャグとかじゃない。驚きのあまり思わず声が出ただけだ。
しかも、そこに描かれていたのは……単なる絵じゃない。コマ割りがされ、ひとつひとつにセリフが振られ、背景の中でキャラクターたちが交流し、ストーリーが進んでいく。
そう。それは――紛れもなく、漫画だった。
「これ……」
ただ、商品として売っているものではないことは確かだ。トーンも使われていないし、ペン入れもされていない。何より描かれているのは普通の大学ノートだ。いわゆるネームってやつに近いけど、その割には登場人物の細部の表情や背景までちゃんと描き込まれている。
僕は「彼女」の方を伺うように顔を上げたけど、その表情は見えなかった。僕の目の前で仁王立ちしていたはずなのに、いつの間にか下を向いて座っていたからだ。しかも、ご丁寧に正座までして。先ほどとは全く真逆の光景だった。
「彼女」が何も言わないので、僕はどうしようかと思いつつも、一枚一枚ページをめくっていく。そして、ページを進めるごとに紅潮し、膝の上の拳をぎゅっと握り締める様子を見て、確信を得た。これは……たぶん「彼女」が描いたものだと。
それに気づいた瞬間、僕の心を支配したのは驚愕に他ならなかった。ストーリー自体は……ちょっとエッチなラッキースケベが入るけど、よくある高校生の男の子と女の子のラブコメだ。
だけど――技法とかきちんと勉強していないからうまく説明できないけど、奥行きや立体感、キャラクターの表情、身体のバランス……僕が描いている漫画とは、そのどれもが違いすぎる。絵に関しては、同じレベルで語っていいもんじゃない。
最後のページまで読み終わった時、僕は魂が抜けたように放心していた。一年間ずっと見ていたアニメの最終回を見終わった時と同じ――感無量というか、なんというか、そんな感じの脱力感だった。汗ばむ手でノートを閉じ、それを「彼女」もちらりと上目遣いで確認したけど、お互いに言葉を発することはできない。
「……なんか言えよ」
羞恥に耐え切れないように。最初に言葉を発したのは、「彼女」の方だった。
真っ赤にした耳元を見て、おっぱい触られてもなんともなかったくせに漫画を読まれる方が恥ずかしいなんて、最近の若者のテーソー観念ってやつはどうなってるんだろう……などと思ったりもしたけど。そんなこと言える雰囲気ではなかった。僕は少しの間を空けたあと、ごくりと唾を飲み込む。
「……すごい」
そして、すごく単純で……すごく正直な感想を告げた。
正直、同じ年にこれだけうまいやつがいることに絶望した。打ちのめされた。それくらい衝撃的だった。
「……すごい! すごい! 本当にこれ君が描いたんだよね!?」
「う、うん」
「すごいよ! プロみたいだ! このコマなんて――」
だけど、それ以上に内心嬉しくてたまらなかった。
僕の他にも漫画を描いているやつがいること――あのちっぽけな教室という空間に僕と同類がいることが。
僕は先ほど読みながら思ったことを全部告げた。興奮していたので、途中どもってしまう場面も多かったけど、そんなこと気にしてられなかった。今、感じたことを、気づいたことを――僕がどれだけすごいと思っているかを、作ったこの子に全部ぶつけたくて、仕方なかった。
「ご、ごめん!」
少しして、勢いよく言い募る僕を「彼女」が制した。僕はそれを聞いてはっと我に返り、自分の言動を振り返る。
うわっ……僕の言動、キモすぎ……?
そう思ったが、時すでに遅し。「彼女」は僕に背を向けて、まるで生まれたての小鹿みたいに肩を震わせていた。
「もしかして、キモかった……よね? ごめ――」
「違うっ!」
上擦った僕の弁明は、部屋中に響く大声でぴしゃりと遮られた。
「……その、違う。違うんだ。その、あの、うまく……言えなくて」
「彼女」はそう言うと、右腕をぐいっと顔に押し付ける。十秒くらいたって、僕の方に向き直る。その瞳は――うっすらと水の膜が張っていたけど、顔は笑顔だった。
「……ありがとう」
率直なその一言に。今度は、なんだか僕の方が照れ臭くなり……顔を赤くして「うん」としか言えなくなってしまった。