大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
その後、気恥ずかしい沈黙が一分くらい続いた。さっきの続きを語りたかったけど、何から話していいかわからず時計の針が進む音だけが響く。
「あのさ」
そうして、再び話を切り出したのはやはり「彼女」の方だった。
「改めて頼みたいんだが、君の……あのノートを見せてくれないか?」
僕は、その申し出に「えっ?」と声を上げる。たぶんいきなり全く知らない外国語で話しかけられたみたいな顔をしていたと思う。
だけど、少し間を開けて、その意味を自分の中で咀嚼して――なんとなく、これまでの「彼女」の言動。その理由がわかった気がした。
もしかしたら……この子も、同じことを思ったんじゃないだろうか。
僕が「彼女」を同類と思ったように、「彼女」も僕のマンガノートを見た時に感じたんじゃないだろうか。
それは僕の自惚れかもしれない。正直、プロどころか「彼女」の漫画と比べれば、僕のマンガノートなんて漫画モドキの落書きと同じだ。
でも、まっすぐにこちらを見つけてくる「彼女」の視線からは逃れられそうにもなくて。
どんなに不格好で、ヘタクソでも……僕はこの子の気持ちに応えるべきだと思った。ためらいがちに「わかった」と頷き、ランドセルからマンガノートを取り出す。
「……お、お願いします」
学校での揉み合いで少しよれた自由帳を手渡し、改めて見てもらう。なんとなく通知表を親に渡している時と同じ気分になって変なことを口走ってしまったけど、「彼女」は気にしていないようですぐにマンガノートをめくり始めた。
僕は、最初のうちはその真剣な眼差しをじっと見ていたけど、だんだん居た堪れなくなって、先ほどの「彼女」と同じように顔を伏せてしまった。
なるほど。確かにこれは……恥ずかしい。たぶん自分の中身をさらけ出している分、全裸を見られた方がマシなんじゃないかって気がしてくる。
またしても、沈黙が僕らの間に降りてきた。この自由帳はほぼ最後の方まで使い切っているけど、中身は長編漫画というわけではなく短編の集まりになっている。ひとつひとつを読むのにたいして時間はかからないはずだけど、「彼女」はどうやら全部読む気らしい。
ページを手繰る手が止まる気配はなく、外ではすっかり日が落ち、カラスの鳴く声がどこか遠い世界から響く歌声のように聞こえる。そんな静寂の中で、パタンと紙の束が閉じられる音が僕の耳に届いた。
「どう……でしたか?」
さっきからなんで敬語なのか自分でもわかないけど、緊張していることだけは確かだ。これまで生きてきた短い人生の中で、今、最高潮に心臓が躍動している。
だけど、痛いくらいの鼓動は次の瞬間、自分でも表現しがたい奇妙な感覚に変わった。
彼女に読んでもらった時。読み終わった彼女が顔を上げた時。
そして――そこに満面の笑みがあった時。
僕の中で、何かが変わった。僕一人が存在していた自由帳に散りばめた世界が集約し、はっきりと形を成し、僕と彼女の間に現れた。僕の漫画は、彼女に読まれることで、今初めてこの世に生まれたように思えた。
「おもしろい!」
「彼女」の第一声は、僕と同じくすごく単純かつ素直なものだ。
だけど、そこから続くのは、先ほどの僕の感想とはまるで違った。「どこがおもしかった」という詳細なポイントや話の構成、コマ割りにおける視線誘導の重要性とか……そのどれもが、僕の小学生並みの感想と違い……なんというか好意的だけど、すごく冷静で、論理的な分析だったのだ。
やっぱり、こいつはただ者じゃない。喜びもつかの間、僕はさながら初めて強敵と戦う主人公の面持ちで「彼女」の話を聞いていた。
「どの短編にも共通する要素は、落語調のシュールギャグにちょっとしたSF要素……君は……たぶんだけど、ドラえもんが好きなんだな」
そして、その講評中、ポロリと出てきた問いにドキリとする。
「な、なんでわかったんだよ?」
「一目見ればわかるよ。めちゃくちゃ影響受けてるから」
僕は、唖然とした。正直に言うと、図星だった。
ドラえもんは前から好きな漫画トップスリーに入っていたけど、あの伝記漫画を読んでから、藤子先生は僕がこの宇宙で最も敬愛する漫画家になっていた。
学校の教師たちのことは嫌々「先生」って呼んでるけど、藤子先生だけは自然と自分で「先生」とつけるようになった。手塚治虫なんかはどちらかという歴史上の偉人って感じだからフルネームで呼び捨てだけど、ともかく古今東西僕がこの世界で唯一「先生」と呼びたいのは藤子先生ひとりだけだ。それくらい尊敬していた。
「君、慶應大学みたいなこというんだね」
そのいきさつを語ると、「彼女」はそう言って笑った。なんのことかよくわからないが、その笑顔が――少なくとも、僕を嘲笑しているものではないことに内心ホッとした。
だって、小学六年生の男子がドラえもんを好きっていうのは、なんだかおっくれってるぅーーーーーーっ! って感じで、あまり同級生には知られたくなかったからだ。
「別にいいじゃん。私も好きだぜ、ドラえもん」
でも、そういうふうに「何がおかしいの?」という感じで肯定されると、なんだか好きなことを好きと言えない自分の方が恥ずかしいような気もしてきた。
そうだな。もしクラスのやつらにドラえもんを――いや、作品に対する批評はまだしも、もし藤子先生を馬鹿にするようなやつがいたら、1週間は僕の家を出入り禁止にしてやる。まあ、家に呼ぶような友達なんていないんだけど。
「なんでドラえもんが好きなんだい?」
「なんでって言われても……」
国民的コンテンツなのだ。嫌いなやつの方が少ないし、いつの間にか好きになっていたとしか言いようがない。
でも――
――ドラえもんの映画、また送ったぞ!
でも、強いて言うなら……たぶん、じいちゃんの影響だろう。
去年の暮れに亡くなったじいちゃんは、ネッシーとか宇宙人とか世界中の神話や伝説とか。そういうオカルトちっくな話や都市伝説、SFが大好きな人だった。
小さい頃は帰省で会う度に色々なおもしろい話をしてくれた。去年お母さんの地元であるこの街に引っ越して一緒に住むようになってからも、それは変わらなかった。
親やばあちゃんからは「変なことを教えるのはやめてください」と苦言を呈されていたし、それだけだとやばい話が好きなでんじゃらすじーさんみたいに聞こえるけど、変な新興宗教みたいに本気で信じているというよりも「あったらいいよなぁ」という感じで。
不思議なことや楽しいこと、おもしろいこと。
どんなに年を取っても、そういうものにワクワクする気持ちを忘れなくていいんだと言ってくれたのは、家族の中ではじいちゃんだけだった。
「……好きだったんだな。おじいさんのこと」
「……うん」
まだ僕が小さい頃。そんなじいちゃんが送ってきてくれのが、映画ドラえもんのビデオだった。
まだこの街に来る前――確か幼稚園か小学校低学年だったと思う。僕は当時父親の仕事の都合でここから遠く離れた県にいて、例によって友達作りに失敗した。
たぶんそんな僕の話を両親から聞いたのだろう。ある日、誕生日でもないのに突然電話と共にじいちゃんから荷物が届いた。
――この漫画面白いからな! お前も観てじいちゃんに感想聞かせぇ!
そんなメッセージと共に送られてきたのは、一番初めのドラえもん映画『のび太の恐竜』だった(じいちゃんはよくアニメのことを漫画といっていた)。
当時からドラえもんのことは好きだったけど、ちょっとパッケージが古臭く感じてあまり観る気になれず……最初は渋々といった感じだった。
だけど、さすがは藤子先生の監修作。観始めると、僕はすぐに夢中になった。観終わった後、僕はすぐにじいちゃんに電話をかけて感想を伝えると、じいちゃんは嬉しそうに話し、意見が食い違った時なんかには「いや! それは違うぞ!」とまるで子どもみたいにムキになった。
それからというもの、じいちゃんは毎年何本かのドラえもん映画やテレビシリーズ、それになぜか『キテレツ大百科』のビデオまで送ってきてくれるようになった。
あの頃、僕はドラえもんを観て、じいちゃんと話すのが一番楽しかったと思う。
だから、去年じいちゃんと一緒に暮らせるようになって、すごく嬉しかった。
だから、じいちゃんがいきなり脳卒中で倒れて亡くなったと学校で聞かされた時も――今でも、僕は、どこかじいちゃんが死んでしまったという事実に、イマイチ実感が湧かなかった。
「悪かったな、変なこと聞いてしまって」
「いや、別に」
なんてエリカ様みたいな返事をしてしまったけど、やっぱり……じいちゃんのことを話すと、胸がきゅっと痛くなってしまう。初めて来た他人の家なのに。なんだかこのままだと泣いてしまいそうだったので、僕は「それより他の漫画はどうかな?」と講評の続きを「彼女」にせびった。
「君と違って絵が下手だから、見るに堪えないかもしれないけど……」
「そんなことあるもんか」
僕は思わず自分を下卑してしまったけど、「彼女」はそれをきっぱりと否定した。
「確かに……線の綺麗さとか、華のあるキャラデザとか、そういうパッと見て人を惹きつける絵を描けるっていうのは、大きな武器かもしれない。だけど、絵がヘタクソでも構図やバースの取り方、コマ配置を研究して紙面全体で人を惹きつける画面を描く人だっているし、先が気になるストーリー構成や細かい演出、あとは……天才にしか許されないけど、有無を言わさない勢いで突き進んで笑いを取るような漫画を描く人だっている」
「彼女」はそこまで言うと、僕のマンガノートを開く。
「例えば、これ。正直、笑いを堪えるのに必死だったよ。それに笑いだけじゃなくて、ちゃんと熱いし、バトルの描写も誰が何をやっているのかわかるようになってる。私は……羨ましいよ。君みたいな発想力がないから」
「彼女」からそんな好評の言葉を引き出したのは、正直おふざけで描いたもので――口からうんこを吐き出す力を持つゴリラの魔獣の子と人間のパートナーが一緒に戦う漫画だった。
「いやぁ、でも、それ……」
ついでに言うと、その魔獣の最大必殺技は「ウンチンコ・ウンゲリラウンゴリラ!!!!!」というゴリラの姿をした巨大なうんこを相手にぶつける術だった。言い逃れようもなく、バオウ・ザケルガのパクリである。
「まあ、影響を受けるのは仕方ないさ。残念ながら、ほぼすべてのジャンルとパターンは手塚先生がやってるし、唯一あまり手掛けなかったスポーツものも他の人にやり尽くされてる。私たちは後に生まれたぶん色んな作品を読めるけど、その時点で後手に回っちゃってるという面もあるな」
「彼女」もわかっているのだろう。言いよどむ僕に苦笑いを返した。
「でも……だから、そうやって偉大な先人たちが積み上げてきたものから吸収して、自分の中で新しいものに組み替えていくしかないだろう? きっとこの先、ドラえもんみたいに国民的コンテンツになるような漫画は、出てこないだろうしな」
「え? なんで?」
きっぱりと言い切る「彼女」に僕が疑問符をぶつけると、「うーん、そうだな」と少しだけ間を開ける。
「君、一発屋芸人って知ってるか?」
「……エンタとかでブレイクして……だいたい翌年くらいには、テレビに出なくなるお笑い芸人とかのことだろ?」
「そう。この先、きっと、国民みんながずっと夢中になるみたいなことが起こりにくくなって……そういう短いスパンのブームを次々作っては共有して、消費していく時代になるんだよ。たぶん漫画とかアニメみたいなコンテンツもね」
「そうかなぁ?」
今のクラスや家族を見ていると、どうにも実感が湧かない。だけど、納得がいってなさそうな僕の様子にも、逆に「彼女」は「その言葉を待ってた」とでも言いたげに笑う。
そして、そのまま机へと向かい、ごそごそと何かをいじり始めた。少しだけ気になって僕が立ち上がったのとほぼ同じタイミングで「彼女」が振り返った。
「なるさ……なんたって、こいつがあるからね」
そう断言すると、どこか仰々しい手ぶりで「こいつ」を指し示す。それは――
「……パソコン?」
そう。その先にあったのは、部屋に入った時チラリと見かけたあのノートパソコンだった。