大長編 STAND BY ME ゼロえもん ――僕の新世紀・新エロマンガ島―― 作:ぽんこっこ
「惜しいな。正確には……インターネットだ」
「インターネットって、あの?」
なんだか得心がいかずぼんやりとした僕の答えに、「彼女」はちょっと肩透かしをくらったらしい。
「うーむ」とどう説明するか悩んでいるようだった。
パソコン。それにインターネット。
僕には、なんだかそのどちらも「彼女」の話とは結び付かなかった。学校の総合学習の時間で習ったから使ったことはあるけど、携帯電話と違い、家にインターネットが繋がったパソコンがある家庭というのは、地方都市ではけっこう珍しかったからだ。サラリーマンのお父さんなんかは会社で当たり前のように使っていたし、デジモンやロックマンエグゼで出てくるように、これから先それが急速に発展すると言われていることは知っていた。
でも、僕の両親はどちからというと流行りとかあんまり気にしないタイプの古い人で、家にはパソコンもなかったし、当然インターネットなんか繋がってなかったのだ。だから、仕事や勉強で使うはずのそういうのが、なんで娯楽とかコンテンツに繋がるのか理解できなかった。
「うーん、それはだな……これからインターネットが発達して、できることが増えるようになっていくと、みんなパソコンやロックマンに出てくるような携帯端末を使って、テレビ以外にも色んな暇の潰し方をするようになるんだよ。そうすると、みんなが娯楽にかける時間は細分化ってやつをして、月曜日の夜9時にOLが街から消える、なんてこともなくなっちゃうわけだ」
「へえ……」
「だから、この先求められるのは、インスタント食品みたいな手軽に暇つぶしできて、作る側も独創性とかよりお約束的で効率重視な……そういう一発屋的な作品が求められるようになるかもしれないって、私は思うんだ」
「うーん、僕には……いまいち実感湧かないな。ごめん」
「謝ることじゃないよ。もちろん私だってそうは思ってるけど、別にそういう作品が特別大好きってわけでも嫌いなわけでもない。でも、これからの時代で漫画家になるってのいうなら、そういうことも頭の隅で考えとかなきゃいけないわけだ」
「漫画家に……」
僕は、さらりと出たその言葉に思わず目を見開く。
だが、「彼女」は僕のその小さな変化には気づかず熱弁をふるい続ける。
「それに一発屋芸人になるのだって大変なんだぞ? 楽してるように思えるかもしれないけど、一目見た時のインパクトや覚えやすいフレーズだったりクセになるリズムとか……そういうのをちゃんと考え抜いての結果だろうしね。どんなにお笑いに真剣に取り組んでても、一発屋にもなれずに芸人をやめていく人だって、たくさんいるだろうしな」
確かにそういう人たちって、テレビに出なくなった後も地方とかの巡業やイベントに結構出てて、細く長く稼いでいるという話は聞いたことがある。そういうのも、たぶん「彼女」が言っているような努力や研究の賜物なのだろう。
「どうした?」
「あっ、いや」
……とまあ、『学校へ行こう!』張りの熱い青少年の主張を繰り広げてもらったところ悪いのだが、正直なところ僕はその内容よりも先ほどの「彼女」の言葉――そう、「漫画家になる」というあの言葉だけが、頭の中で繰り返されていた。
「君は……漫画家になりたいと思ってるんだ」
「? そりゃそうだろ。というか、君もだろ?」
「いや、僕は……まだそこまで考えてないというか……ただ、好きで描いてるだけだし」
さも当然と言わんばかりの「彼女」に思わず尻込みしてしまい、ごにょごにょと尻切れトンボの返事をする。
小学六年生にもなると、嫌でも「将来」なんて言葉をちょっぴり意識するし、小さい頃誰もが夢見るスポーツ選手とかパイロットとか――そういう職業がすごく限られた人間しかなれない現実も理解している。たぶん、漫画家というのも、その類のひとつだ。
そして、残念ながら、世の中を斜に構えた態度で見ている僕は、自分にそんな夢見る子供染みた将来を語るのなんて似合わないし、たぶんなれるほどの人間じゃないという自覚もある。
だけど、その時――それは僕の勘違いかもしれないけど――ほんの少しだけ悲しそうな顔をした「彼女」を見ると、なんだか罪悪感が込み上げて。僕は勇気を振り絞ってみた。
「僕も……目指していいのかな?」
そう言った瞬間、ミジンコみたいな僕のなけなしの決意に、「彼女」の表情がパァと明るくなる。
「……うん! 当たり前だろ! 漫画が好きなら、誰にだって目指す権利はあるさ!」
「彼女」は弾んだ声で力強く頷くと、「そうだ!」と急に机に向かってパソコンをいじり始める。どうやら何かを思いついたらしい。パソコンの電源を入れるとブォオーと真夏のエアコンみたいな稼働音が中から響き、真っ黒な画面を背景に赤、青、緑、黄色のロゴマークと『Windows XP』という表示が浮かび上がる。
「パ……父親のお下がりだから、あんまり性能良くないんだよ、こいつ。立ち上がり遅いし」
「ふぅん」
正直、まったくパソコンのことなどわからない僕は、お父さんのことパパって呼んでだなと思いながら適当に相槌を打ち、後ろから画面を覗き込む。なんだかゲーセンでお金がなくなって、他人のプレイを後ろから観察している気分だった。
しばらくすると画面が切り替わり、ディスプレイを二分するような緑の草原と青空の写真が映し出された。その後、いくつかの表示が現れては消えた後、左上にある『e』のアイコンをクリックし、真っ白な背景に赤字で『Yahoo! JAPAN』の文字が出てくる。
「あっ、これは知ってる。ヤフーだよね」
「だいたいのブラウザで検索エンジンに設定されてるし、学校の授業でもこれだよな」
ブラウザ? 検索エンジン?
と僕の頭の上には疑問符がついていたが、「彼女」の言う通り、この画面は「インターネットを使ってみよう」と趣旨の授業で使っていたから知っていた。
確かこの白い枠に文字を入力すると調べた単語の情報が出てくるのだ。ヤフーは確かダイエーから福岡のプロ野球チームを買ったソフトバンクという会社がドームに名前をつけていたので、僕みたいなインターネットを普段使っていない層にも割と知名度が高かった。
「あれ?」
だけど、その時、僕の脳裏にはある疑問が浮かんだ。
「どうかしたか?」
「いや、なんか学校のパソコンと違って……ピポパピー……っ……ヒ、ヒョロロロピーガガガ、ザアァァァーーー、みたいな音、流れないなと思って」
「ああ、それか」
なんだかアホみたいな擬音、しかもわざわざ「ょ」がつく音を選び詰まってしまった僕の問いにも、「彼女」は画面を操作しつつニコリと笑う。
「うちはADSLだから。君が言っているそれはダイヤルアップ接続の時に流れる音なんだよ」
「ダイヤル、アップ、接続……?」
「電話回線と同じ周波数を使ってデータ信号を送受信する方式のこと」
「電話と同じなのに……こういう画像とかが出てくるの?」
全くわけがわからないといった僕の問いに「彼女」は「君、なかなか難しいこと聞くね」と首をひねる。
「うーん、正直偉そうにしゃべってたけど、私もよくわからん。気になって調べたことはあるんだけど……ごめんな」
「いや、そんな」
たぶん説明されても理解できない自信があると告げると、「彼女」はなんだかおかしそうに頬を緩ませた。
「さてと……これだよ。私が見せたかったのは」
砂時計に変わっていたマウスカーソルが元に戻ると同時に彼女が僕の方を振り返る。近づいた顔の距離は吐息が聞こえるほど近くて、僕は少しドキリとした。
だけど、得意げなその笑みの先に広がる光景――15インチディスプレイの向こう側にあるモノクロの世界に、僕は目を奪われた。
「これって……漫画?」
「ご明察の通りだ」
それを聞いた瞬間、いや……電子の海に浮かぶ白と黒で構築された世界を見た瞬間、今までにない衝撃が僕を貫いた。
漫画とは、僕の中では紙に印刷された物体であり、媒体だった。
だけど、今、僕の目の前にあるのは、紛れもなく漫画だ。読み方は紙と違うけど、「彼女」に貸してもらったマウスでページをスクロールすれば次のページに行けるし、「最新話」と表示されているリンクを開けば次の話へと行ける。しかも、お金をかけず、無料で。こんなにたくさんの漫画が公開されている。
僕はただ息をするのも忘れて、「彼女」が開いてくれたいくつかのタブを行き来した。驚きと興奮に浸り、頭の奥で自分の中の「漫画」という定義が大きく崩れていく音が響いた。
「もちろん、商品として流通しているものじゃないけどな。アマチュアの人たちやプロを目指している人たちが描いてるんだよ」
「へぇ……」
「彼女」が紹介してくれたいくつかのアマチュア漫画家(中にはプロの人もいたが)がやっているホームページには、オリジナルのものから既存のキャラクターを使ったいわゆる二次創作と呼ばれるものまで……これまで見たことのない様々な漫画が載っていた。
その多くは――僕が言うのもおこがましいけど――絵はつたなくて、荒々しいし、ストーリもよくわからないところがあった。
だけど、そのどれもが、プロの作品にはない……何か惹きつけられる不思議な引力を持っていた。好きなものや嫌いなもの、綺麗なところも汚いところも。まるで、自分自信をそのままぶつけたように。商業作品とは違う――どこまでも個人的で自由な世界が、そこにはあった。
「彼女」がおすすめしてくれたいくつかの漫画を、僕は画面越しに読んでみる。
真っ白なドームに閉じ込められた人たちの話や死んでしまった主人公が記憶そのままに赤ん坊へと生まれ変わるもの。あと、ちょっと変な人たちが集まるファミレスの四コマ、人がカガステルという病気で巨大な虫になってしまう世界を描いたものなんかは、なんでこれが無料で読めるんだろうってくらい面白かった。
「そっか」
その時、僕はごく当たり前のことに気づいた。
うまく表現できないけど、僕の中でコロコロやボンボン、ジャンプ、サンデー、マガジン、ガンガンなんかで描いている漫画家は、最初から漫画家なんだと思っていた。
だけど、違う。当たり前のことだけど、みんな――あの藤子先生でさえ、最初は漫画が好きなただの漫画家志望だったのだ。
そして、このディスプレイの先には、僕と同じように漫画が好きで描き続けている同類がいる。それに気づいた時、自分を閉じ込めていた小さな教室に『通りぬけフープ』で風穴が空き、一気に空気が流れ込んだように感じた。
僕は、インターネットという新しい次元に繋がるポケットに身一つで放り込まれていた。
「でも、これってどうやってパソコンの画面に載せてるんだろう?」
「ほとんどの人は紙とペン……アナログで描いた後、スキャナーを使って画像データにしてるって感じだろうな。完全にデジタルで作業できる機械もあるらしいけど、そういうのはめちゃくちゃ高いから法人とかしか手出せないだろうし」
「完全にデジタルって、画面の上で絵を描けるの?」
「うん。アニメの制作会社とかはそういうソフトと対応するパソコン? を使うんだよ。ほら、ゲームでもDSとか出てきただろう」
「ああ、そっか」
任天堂から出たタッチパネル搭載式のゲーム機を思い出し、僕は合点がいった。
「こいつとインターネットがあれば、たいていのことはできる。漫画だけじゃなくて、音楽とか、ゲームとか、小説とか、FLASH動画……一台のパソコンを使って、一人でアニメ映画を作った人もいるらしいぜ」
「アニメ映画を?」
そんなことが本当にできるのだろうか?
数時間前の僕――PCやインターネットの一端を知らなかった僕なら、正直半信半疑だった。
でも……きっと本当なのだろうと、今は思う。
使ったことはある。存在は知っている。だけど、日常生活の一部ではないネットという世界。僕が知らない間に拡張を続けているそれは、どこか白紙の上に描く漫画に似ていて。なんでもできてしまう無限の可能性を秘めているようにも感じた。
「科学の力ってすげぇ……」
「うん、実に面白い。君も……どうやらこいつらの力を理解してきたようだな」
まるでどこぞの大学教授みたいに殊更(ことさら)芝居がかった台詞で笑うと、「彼女」は画面から目を離し僕に向き直った。
「さてと。インターネットもそうだが、実は……君にもう一つ見せたいものがある」
「え?」
唐突に改まった様子の「彼女」はちょいちょいと背後の足元を指さすので、僕もつられてそちらへ顔を向ける。
そこにあったのは、先ほど見せてもらい床に置きっぱなしになっていた彼女のマンガノート。
そして……一緒に渡されたが、興奮のあまり開けるのを忘れていたA4封筒だった。
「これ?」
「その通り」
「これも漫画?」
「さて? それはどうかな」
インターネットの話をしていた先ほどにも増して楽しそうな顔だ。僕は首をかしげる。
だが、その時、得意気なその笑みを見てハッとした。
これは、あの時の笑い方に似ている。なんだか勝ち誇ったニヤケ顔――そう。「彼女」と揉み合いになって胸に触れてしまった時、脅迫された時の笑顔に。
僕は封筒を取り、ごくりと唾をのむ。
正直、中身が見たい。でも、「彼女」のあの顔は……なんだか嫌な予感しかしない。
その数秒の間、僕の中で天使と悪魔的な自分が血みどろの争いを繰り広げ、複数の自己人格が議論する脳内会議が紛糾したりとテンプレな葛藤劇が繰り広げられたが、結局、期待が不安をわずかに上回った。
おそるおそる封を開いてみる。収められているのは、数十枚の紙だった。僕はそれを引き抜いて、目を見開いた。
「え?」
そこにあったのは、絵だった。いや、別にギャグとかじゃない。驚きのあまり思わず声が出ただけだ。
なんだかついさっきも全く同じ下りをしたような気がするが、先ほどと違い、今、僕の目の前にあるのは漫画ではない。白紙の上に描かれているのは、女の人の一枚絵。ポートレートっていうやつだ。だけど、その姿を見て、僕は息が止まりそうになった。
なぜなら……そこにあったのは、何も身に着けていない――裸の女性の上半身だったからだ。