リバウの若鷲(ストライクウィッチーズ×大空のサムライ) 作:小山の少将
時は1940年8月。
カールスラント国防軍よりオラーシャの都市モスクワにネウロイの大機甲軍団が集結中であるとの情報が扶桑皇国遣欧軍にもたらされた。
遣欧軍司令部はただちにカールスラント国防軍との共同作戦を立案し、扶狩合同のモスクワ爆撃作戦が発動された。
扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉と台南航空隊は、その全力を以て攻撃隊護衛の任を与えられ、勇躍リバウ基地を出発。
しかし待受ける敵は余りにも強大で、攻撃隊はその任務を全うするも戦果はほとんど得られず、命からがら基地へ帰還することになった。
この日のことを、後年の戦史家はこう表現する。
龍の顎が開いた、と。
数多の魔女の命を呑み込み、後にウィッチの墓場と呼ばれるようになる龍の顎が、今まさに開かれたのである。
『第十二話』
―― 君に誓う ――
基地に帰還した攻撃隊の士官はすぐさま指揮所に向かった。
顔を合わせた士官たちは、お互いの顔を見て、やつれた酷い顔だと思った。
長距離の爆撃に合わせて、何度も襲ってくる敵機に誰もが神経をすり減らしていた。
斉藤大佐は士官たちの消耗具合に衝撃を受けていた。
「損害は、どれくらいだ」
「途中で編隊がバラバラになり、行方不明の者が何人かいます。判明しているのは爆撃機が1機食われ、乗っていたウィッチは魔力場でなんとか助かりましたが、それ以外は瘴気にやられて全滅しました」
飛行隊長の中島少佐が報告する。
「攻撃は、まるで効果がありません。敵の数が多すぎ、たった6機程度の爆撃では敵に損害を与えられませんでした」
「どれほど、だったのだ」
「確認できただけでジグラットが数十から数百。空中にはディオミディアが数千と列をなし、未確認の超巨大飛行兵器も多数存在していました。小型兵器については、もう確認ができる状態にありません。大地が黒く染め上げられ、どれだけの敵が犇めいていたのか想像もできません」
「そんなにか……」
斉藤大佐は呻き、小園中佐は絶句する。
予想された戦力とは、桁どころか次元が違った。
この敵が本格侵攻を始めれば、欧州から人類は駆逐されてしまうだろう。
指揮所の中に、重たすぎる沈黙が漂った。
「報告! 遅れていた機が帰ってきました」
指揮所の外で双眼鏡を構えていた見張員が叫んだ。
俯いていた士官たちは顔を上げ、指揮所から飛び出した。
空を仰げば、東の空にポツポツと機影が見えた。
やがてその機影は人の形になって滑走路に滑り込んだ。中にはひどく撃たれている者、怪我を負っている者もいる。
一子は帰還した機数を数えながら、美緒の姿を探した。
3機足りない。
そして、
「坂本兵曹がいない……」
イヤな予感がした。
帰還したウィッチたちは身を引きずるようにして指揮所の前にやってきた。
その中に美緒の列機を務めていたウィッチふたりもいた。
指揮所まで来たその彼女たちは、一子の姿を見て泣き崩れた。
「すみませんでした、笹松中尉。私たちが不甲斐ないばかりに、坂本分隊士は……坂本分隊士は……」
「坂本がどうかしたのか! 言え、何があった!?」
一子は激情のまま彼女の襟首を掴むと、顔を突きつけんばかりに持ち上げた。
興奮のあまり使い魔の耳と尻尾がでている。
小柄な一子に持ち上げられ、鬼のような形相で睨み付けられて、列機のウィッチたちは震え上がった。
「落ち着け笹松中尉!」
「彼女たちにあたっても何にもならんぞ!」
やっと我に返った士官たちが、一子を羽交い締めにして引き離した。
「離せ! 後生だから離してくれ!」
一子はなおも暴れるが、ますます強く押さえつけられた。
「何があったのだ、詳しく説明しなさい」
「は、はい……」
斉藤大佐にやさしく言われて、彼女たちは美緒に助けられてから小型爆撃機に撃たれるまでの一部始終を話した。
「私たち、坂本分隊士からどんどん引き離されて――――。気がついたときには分隊士が撃たれて墜ちていきました。私たちも必死に追いかけたのですが、ついに見失ってしまって……」
「坂本一飛曹は怪我をしていそうだったか」
「酷い怪我をしているはずです。たくさん血を流していました」
「なんということだ……」
斉藤大佐は呆然と呟いた。
一子は押さえつけていた手を振り払うと、指揮所の外へ出て東の空を睨みつけた。
「坂本……」
それから一時間以上、一子は微動だにせず東の空を見つめ続けていた。
始めはウィッチの全員が美緒や他の行方不明者の帰還を待っていたが、ひとり、またひとりと諦めて部屋に入っていってしまった。
残ったのは、一子と醇子、そしてヴァルガだけだった。
もう誰もが美緒の生存を絶望視していた。
零戦の長大な航続距離でも、もう尽きていておかしくない時間だった。
「カズコ……」
ヴァルガが背後からそっと呼びかけた。
「部屋に入りましょう。もうミオは……」
「ヴァルガ。すまない、どうしても諦めきれんのだ。坂本は必ず帰ってくる、そう思えてならないのだ」
一子は手が白くなるほど拳を握りしめた。
「坂本兵曹は簡単にはくたばらん。高熱で倒れたときも、生き埋めになったときだってケロっとしていたのだ。たかだか帰還が一時間や二時間遅れただけで、やつが死んだなどと信じはせんぞ。魔法力が尽きれば歩いてでも帰ってくるはずだ」
強い調子で一子は言う。
だがそれは自分に言い聞かせているようで、ヴァルガには尚のこと痛々しく見えた。
「カズコ……」
一子の気が済むまで付き合おう。
ヴァルガはそう考えて瞑目した。
さらに30分近く、一子たちは東の空を見つめ続けた。
太陽は、西の空に沈もうとしている。
「あ……」
その時、醇子が声を上げた。
「零戦だ! 誰かが帰ってきた!!」
東の空に、ポツリと小さな黒い点が現れた。
その点は、危なっかしいフラフラとした飛行で基地に近づいていた。
醇子の言葉を聞きつけて、指揮所、格納庫、兵舎の関係なく、また階級の隔てなく、みんな飛行場に飛び出してきた。
一子は祈るような気持ちで双眼鏡を覗き込んだ。
一子の目に、長い黒髪を振り乱した少女の姿が映った。
紛れもない、それは美緒だった。
白い水兵服は血で真っ赤に染まり、左手がだらんと力無く垂れ下がっていたが、それは間違いなく美緒だったのだ。
「坂本だ! 坂本が帰ってきたぞ!!」
一子は叫んで滑走路に飛び出した。
フラフラしながら美緒が滑走路に滑り込んでくる。見るからに危うげで、肝の冷える着陸だった。
美緒の零戦は、一子の目の前で止まった。
美緒が意図したのではなく、魔法力が尽きて勝手に止まったのだ。
魔力場を失ってバランスを崩した美緒を、一子が抱き留めた。
何という奇跡的なタイミング。あと少しでも早ければ、美緒は墜落して地面に叩きつけられていただろう。
「よくぞ、よくぞ帰ってきたな、坂本」
見れば見るほど、美緒の怪我はひどい有様だった。
右のコメカミが抉られていて、止めどなく血が溢れていた。美緒の様子で、左半身に麻痺が出ているのが分かった。
一子は美緒を抱いて叫んだ。
「早く車を! 医務室に連れて行くぞ!!」
「ま、待って下さい。報告します。指揮所に連れて行って下さい」
「何をバカなことを言うか 貴様、自分がどれだけの怪我をしているのか分かっているのか」
一子は怒鳴りつけたが、美緒は頑として譲らなかった。
早々に一子は折れ、時間が惜しいと美緒を指揮所まで引きずっていった。
斉藤大佐たちの前にまで連れてこられた美緒は、朦朧とした様子で、ところどころ言葉を詰まらせながら戦闘の経過を報告した。
「分かった、分かった、もうよろしい。早く医務室に行け」
中島少佐が叫ぶように言った。
「――――報告おわり!」
美緒は最後の気力を振り絞って報告を終え、崩れるように力を抜いた。
一子と醇子は急いで美緒の両肩を担ぐと、飛ぶように医務室に駆け込み、軍医長に美緒を突き出した。
「軍医長、坂本をお願いします」
「や、ずいぶんひどくやられたな。これでよく帰ってこれたもんだ」
軍医長は驚きの言葉を残して、美緒を連れて医務室の奥に引っ込んでしまった。
一子と醇子は、扉の前で処置が終わるのを待ち続けた。
美緒の傷は深かった。
神経が幾らか傷ついていて、右目の視力と左半身に障害が出ていた。
数日寝ている内に、完全に麻痺していた左半身も徐々に自由が利くようになってきたが、大きな傷を負ったことに代わりはない。
美緒の傷は、放置すれば取り返しの付かない障害を残しかねなかった。
軍医長はすぐさま美緒をブリタニア本国の設備が整った病院に送るよう手配しようとしたが、美緒本人がそれを頑と拒否した。
美緒は仲間を置いて、この戦場を離れることを極端に嫌がったのだ。
そして療養の為に入院した市内の病院から、連日のように飛び立つモスクワ爆撃隊の轟音と空襲に来るディオミディアの不気味な飛行音を聞いて、怪我で出撃出来ない自分を不甲斐なく思い歯がみしていた。
「坂本、それじゃあ、どうにもならないじゃない。ひとまずブリタニアへ行きなさい。そして、徹底的に治してくるのよ」
見舞いに来た中島少佐らは、そう言って何度も美緒に療養を勧めた。
しかし皆に「ブリタニアに行け」と言われるたびに、美緒は「否」と言って頑なに拒絶した。
美緒は、自分がいなくなった後の台南航空隊がどうなるか不安でならなかった。
とんだ思い上がりのようであるが、美緒は自分が抜けた穴は非常に大きいと思っていた。
そこで、もしも自分がブリタニアに行った後に、隊に大きな損害が出でもしたら。あの気の良い仲間たちや、醇子やヴァルガ――――そして一子が帰ってこなかったら。
美緒はそれを思うと夜も眠れない。
事実、この数日、隊の損耗率は悪夢のように増加していた。
毎日、誰かひとりは未帰還がでたり再起不能に陥っているのだ。
だと言うのに、美緒はのうのうとベットで寝ていることしかできない。自分の無力さに、美緒は胸をかきむしりたくなるような焦燥感にかられた。
一子は毎日暇を見つけては美緒の見舞いに来ていた。
最初こそ彼女も療養を勧めていたが、美緒の意思が固いと見てそれ以上言うのを止めた。
代わりに、美緒の部屋へフラッと現れては他愛もない世間話をしたり、静かに読書をしたりして時間を潰し、また明日と言って去っていった。
一子と話している間は、不思議と美緒の心も落ち着いた。
だが、来るべき時は必ず来るのだ。
その日、美緒はついに斉藤大佐に呼び出された。
「どうだ? まだ決心はつかんのか」
「はい。私は帰りません」
「頑固だなぁ」
斉藤大佐は笑った。
それは駄々を捏ねる孫を見る好々爺のような笑みだった。
「貴様がリバウから、また台南航空隊から離れたくないという気持ちはよく分かるよ。よく分かるけども、ここは一番考えてもらいたいねぇ。貴様の傷は、軍医長の報告によれば、このままリバウにいると腐ってしまうそうじゃないか。そのまま腐っていく傷を抱えてリバウに残るか、それともブリタニアに行って傷を治してからもう一度出直してくるか……。考えるまでもないことだろう」
斉藤大佐は諭すように優しく言った。
しかしこの期に及んでも、美緒は「帰ります」と言う決心がつかなかった。
斉藤大佐はしょうがないなぁと笑って、ついに言った。
「しょうのないやつだ。よしよし、それでは命令を出す。今までのは貴様にブリタニア行きを勧めていたのだが、これからのは命令だ」
美緒は黙って聞いていた。
「貴様には、ブリタニアに行って入院を命ずる。いいか、これは貴様のためでもあり、ひいては台南空のためでもある。わかったな、よろしいな?」
命令と言われては、軍人の美緒に拒否権はない。問答無用に、ブリタニア行きの飛行機か飛行船に乗せられるだろう。今まで待っていたのは、斉藤大佐の温情だった。
美緒は司令室を退出して、そのまま一子のところへ向った。
「坂本です。笹松分隊長いらっしゃいますか」
美緒が部屋をノックすると、少し上ずった声が返ってきた。
「……少し待て」
時間にして数秒ほど。次は落ち着いた声。
「いいぞ。開いている」
美緒は一子の部屋へ足を踏み入れた。
美緒も、一子の部屋に入ったことは数えるほどしかない。
一子の部屋は、よくまとまった簡素な部屋だった。机の手元に飾られた隊の集合写真、伏せられた写真立てには家族写真が収められていたはず。それから幾つかの小物が見えるだけだ。
机の上には書きかけの便箋が何枚か、それから書き損じたのか握りつぶされた便箋も乗っていた。
「お邪魔でしたか?」
「いいや、国の母から便りが来てな……」
一子は机に座ったまま振り返った。
「それで、どうした坂本?」
「とうとう司令から帰れと言われました」
美緒は本題を切り出したが、一子は驚かなかった。彼女も、美緒の様子からだいたいのことを予測していたのだろう。
「そうか、よかったな」
一子はニッコリ笑って頷いた。
だがその目は僅かに赤く、美緒にはとても寂しげな笑みに見えた。
その日の夜、リバウ基地のウィッチ総出でささやかながら美緒の送別会が行われた。
醇子は涙を流して別れを惜しみ、ヴァルガなどはすぐに戻ってくるように激励してくれた。一子は、ただ黙って、その姿を目に焼き付けるように美緒を見ていた。
その宴会の最中も、人間の情緒などまるで理解しないネウロイが空襲を仕掛けてきて、美緒は皆に抱えられるように防空壕へ入れられた。
美緒に限らず、ウィッチたちはどうしようもなく無力な自分たちに歯がみして、もどかしさに打ち震えた。
そして翌日、運命の日がやってきた。
その日、あの思い出深い波止場の先に、一機の九七式大艇が泊まっていた。
それが、美緒の乗る飛行機だった。
波止場には、美緒の他に見送りのために一子と醇子、ヴァルガが来てくれていた。
いよいよ、別れの時だ。
美緒は荷物の入ったズタ袋を地面に落とすと、自由な右手を使って挙手の礼をした。
「坂本美緒一等飛行兵曹、ただ今より入院命令でブリタニアに行って参ります」
「しっかり治して来なさい」
「はい」
三人が揃って敬礼を返す。
美緒は再びズタ袋を担いで飛行艇に向う短艇(ランチ)に足をかけようとした。
「坂本!」
その時、一子が美緒を呼び止めた。
振り返った美緒は息を呑む。
一子のその目には、今まで一度も美緒に見せたことがなかった涙が、いっぱいに溜まっていたのだから。
一子は美緒の手をしっかりと握った。
「貴様と別れるのは、貴様よりつらいぞ」
そう言って、一子は徐にベルトのバックルに手をかけると、ビリッと引き剥がした。
「これを貴様にわたす」
一子は引き剥がしたそれを美緒の手にしっかりと握らせた。
美緒は掌を開けて、それをまじまじと見た。咆哮する虎の見事な浮き彫りが施された、小さなバックルだった。
「これはな、私の父上がこの戦争が始まるとき、わざわざあつらえて私たち三兄妹にくれたものだ」
そんな大切な物を渡して良いのだろうか。
美緒は思わず一子の目を見た。
一子も美緒の目を見返し、美緒の内心を読みとって笑った。
「虎は千里を行って千里を帰る、という縁起だ。だから貴様も、千里のブリタニアに行って、治してからもういっぺん帰ってこい。いいか、待ってるぞ」
一子はもう一度、強く美緒の手を握った。
美緒はそのバックルを大切に内隠しにしまって、最後に挙手の礼をしてから短艇(ランチ)に乗り込んだ。
短艇(ランチ)が海面を滑り出し、桟橋から徐々に遠ざかる。
「必ず! 必ず帰って来いよ!」
一子が桟橋の突端に立って大きく手を振っていた。醇子も、ヴァルガも手を振っている。
美緒も負けじと手を振り返した。
それが、美緒と一子の今生の別れになった。