リバウの若鷲(ストライクウィッチーズ×大空のサムライ)   作:小山の少将

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第十三話 ごめんね

 時は1940年8月。

 連日に渡るモスクワ空中戦で台南航空隊の損耗率は加速度的に上昇していた。

 片道560浬。扶桑で例えるなら、東京-屋久島間の距離に等しい。

 その人類史上にも類を見ない長距離空襲作戦は、多大なる負担をウィッチたちに強いていたのだ。

 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉は、そんな大消耗戦の中で、最愛の師匠にして最も頼りになる右腕であった坂本美緒一飛曹と怪我で離別し、見るも憚られるほど意気消沈していた。

 

『第十三話』

 

―― ごめんね ――

 

 美緒を波止場から見送った一子たちは、押し黙って基地へ帰った。

 兵舎の前で醇子と別れ、士官宿舎のところでヴァルガが殊更明るく言った。

「なぁんか、すごく辛気くさくなっちゃったわね。どう、折角だから一本イイの空けない?」

 お茶目にクイッとグラスを傾ける真似までする。

「あぁ……」

 だが、一子の返事はどこか上の空だ。

 前を行く足取りもフラフラで危なっかしい。

 その様子に只ならぬものを感じて、ヴァルガは一子の肩を掴んで強引に振り向かせた。

 そして息を呑んだ。

「あなた、なんて顔をしているの!?」

 俯いた一子の顔は、普段の快活で血色の良い顔色が嘘のように、顔面蒼白で、半病人のようにめっきり老け込んで見えた。

「そんな顔をしていたら、ミオは心配になって帰って来たくなっちゃうじゃない!」

 ヴァルガは一子を勇気づけるように叱ろうとしたが、一子はゆるゆると首を振った。

「違う、違うんだ、ヴァルガ」

「何が違うの?」

「昨日、国の母から手紙が来たのだ……」

 一子は、呻くように、絞り出すように言った。

 

「義兄上が戦死した」

 

「え?」

 ヴァルガは惚けた声を出してしまった。

「軍機のために場所も日時も定かではないが、敵の侵攻で……基地が全滅したらしい。守備隊を含め、基地の全員が最後の一兵まで必死に抵抗して、見事な玉砕をしたそうだ」

 感情を顕さないような、静かで平淡なしゃべり方だったが、ヴァルガにはそれがかえって痛々しく見えた。

 ヴァルガは一子を強く抱いて、耳元で囁きかけた。

「カズコ、私の胸くらい、いつでも貸すわ」

「ヴァルガ……」

 強ばっていた一子の腕が、ヴァルガの背に回された。

「すまない。少しの間、何も聞かなかったことにしてくれ」

 それから、一子は声を上げて泣いた。全てを吐き出すように、全てを洗い流すように。泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣き続けた。

 ヴァルガはただ、幼子にするように一子の背中をさすり続けた。

 

 

 

 朝焼けの微睡みの中で、ヴァルガは一子の小さな背中を見つめた。

 一子はヴァルガの部屋の机で、小さな灯をつけて黙々と何かを書いていた。静かな、カリカリという万年筆の音だけが部屋に響く。

「何を書いているの?」

 ヴァルガはシーツを抑えながら上体を起こした。

 振り返った一子の顔は、ヴァルガの自意識過剰でなければ昨日よりいくぶんマシになっていた。

 眠り眼を擦るヴァルガを見て、一子は微笑んだ。

「両親への手紙だ。特に母上には苦労ばかりかけたからな。その上、軍隊にも入って。これくらいしなければ親不孝者だよ」

 言いながらサラサラと万年筆を走らせて、一子は手を止めた。

 便箋を丁寧に折りたたみ、封筒の中へ入れる。

 立ち上がった一子はヴァルガに聞いた。

「何か飲むか? と言っても、お茶か水かしかないがな」

「そこでキスの一つでもすれば、女はコロッとときめいちゃうのに……」

 枕に口元を埋めながらヴァルガが言うと、一子はニヤリと笑った。

「扶桑の撫子は、慎み深さが売りなのだ」

「あなたの姿とはほど遠いわね」

 一子は肩を竦める。

「昔、飽きるほどやったからな。今は、こっちの方が楽だ」

「あら、あなたにもしおらしい時なんてあったの?」

「これでも昔は華族ばりの礼儀作法を叩き込まれたんだぞ。それに、この戦争が終わったら、私は見合いでもしてどこかの家に嫁ぐだろうからな。今の私こそ、もしかしたら貴重かもしれんぞ?」

 なんてこと無い風に一子は言った。

 ヴァルガは目を丸くした。

「もしかして、あなたって相当なお嬢様?」

「その呼び方は好きじゃない。まぁ、私の家系にはウィッチが多かったからな」

 魔法の力に恵まれ容姿端麗な者が多いウィッチは、権力者に好まれ、多くの王侯貴族、軍人、英雄、政治家の妻として迎えられた。

 これは古今東西の歴史で変わることのない人類普遍の法則だった。

 無論、カールスラントも例外ではなく、ヴァルガもその一言で納得した。

「でもまぁ、あなたの口から未来の話が出て来て安心したわ。昨日なんて、今にも死にそうな顔をしていたから」

「おいおい、そんなひどい顔をしていたか?」

「あなたは鏡を見るべきだったわ。ほんと、死人が墓の下から出てきたようだったから」

 軽口を交わし合い、ふたりは顔を見合わせて笑った。

 

 

 

 一度は盛り返した一子であったが、連日の長距離攻撃と昼夜を問わない敵爆撃は、確実に彼女の精神を蝕んだ。

 それはリバウ基地全体にも言えることで、基地はどこか活気を失いつつあった。

 だが少女たちは、持ち前の負けん気を以て連日の激戦を戦い抜いていた。

 

 短い夏が終わり、そろそろ秋と冬の気配が忍び寄る8月25日。

 一子はふらりとヴァルガの前に現れた。

 昨日、一昨日と二日連続で出撃するも天候不良で引き返し、疲労をおして出撃した今日はモスクワ上空で大空中戦を繰り広げ、つい今さっき帰還したばかりだった。

 見るも無惨にやつれた一子の様子に、ヴァルガは押し黙った。

 彼女の疲労は極限状態だろう。

 一子の顔には疲労がありありと浮かび上がり、頬は痩けて黒々とした隈ができ、目は落ち窪んで見えた。

 しかし、眼光だけは爛々と妖しげな光を放っていた。

「ヴァルガ、煙草を一本くれないか?」

「カズコ!?」

 ヴァルガは目を剥いた。

 一子の煙草嫌いはヴァルガもよく知っていた。

「どうしたというの? あなたは煙草が大嫌いだったでしょう」

「たしかにそうだ。キスの時も煙草の味がしたら興ざめだ。でも今は、そういう気分なんだ。無性にムシャクシャしていて、落ち着かない気分なんだ」

 一子の言葉には、隠しようもない苛立ちが滲み出ていた。

 ヴァルガは黙ってシガレット・ケースを取り出すと、一子に一本渡した。彼女が銜えたそれにオイル・ライターで火を着ける。

 途端に濃密な紫煙が一子の喉を焼き、一子は堪らずに咽せた。

「ほら見なさい。慣れないことはするもんじゃないわ」

「ひどいものだ。おまえ達はよくこんなものが吸えるな」

「それは慣れよ」

「違いない」

 当たり前の答えに一子は苦笑する。

 一子は咽せながらも煙草を銜え続けた。

 最後の方でようやく慣れ、一子の喫煙体験は終了した。

 揉み消した自らの吸い殻を一子は複雑そうな顔で見つめた。

「で、どうしたの?」

 一子の頭が冷えたと見て、ヴァルガは聞いた。

「特に理由はない。今朝、こんなものが届いただけだ」

 一子が取り出したのは長細い布の袋だった。

 ヴァルガは一子に視線で確認してから、袋の紐を弛めた。

「これは……」

 出てきたのは一振りの刀だった。

 一子が持つ軍刀拵えとは違う。正真正銘の扶桑刀。

 鍔に施された花の細工が印象的な業物だった。

 一子は自嘲的に笑った。

「本当は坂本にやろうと思って造らせたんだがな。少し遅すぎたようだよ」

「残念ね。ミオの誕生日には間に合ったのに、当の本人がいないなんて。この子は暫く主との対面はお預けね」

「……ぁ」

 ヴァルガは何の含みもなく自然と口にした言葉を聞いて、一子は何故かひどく驚いた顔をした。

 何か、大切なことを忘れていたような顔だった。

「どうしたの?」

「いや、そうだな。その通りだ。坂本が帰ってくるまで、この刀には待っていてもらおう。そうしよう」

 一子は何度も頷いて、大切に刀を袋にしまった。

 その姿が、ヴァルガの目に印象深く焼き付いたのだった。

 

 * * *

 

 翌日も、モスクワ爆撃は行われた。

 この爆撃作戦が余りに馬鹿げた机上の空論であることは、斉藤大佐以下リバウ基地の誰の目にも明らかだったが、上級司令部から出された指令に異を唱えることは許されない。

 ヴァルガの乗るHe111を守るように、一子の率いる中隊9人は飛行していた。

 ウィッチたちは誰もが疲労をしていたが、それを口に出す者はいなかったし、護衛隊の編隊は一糸の乱れもなかった。

 それが、爆撃隊に安心感を与えるための、少女たちの小さくて健気な矜持だった。

 敵の勢力圏に突入して早数時間。その間、護衛隊は目を皿のようにして、いつ襲い来るとも知れないネウロイに目を光らせていた。

 長く続く緊張は集中力を鈍らせ、時に警戒の網に決定的な欠落を生み出す結果となる。

 気がついたときには全てが遅かった。

 

 突如飛来した光弾に、瞬く間にふたりのウィッチが絡め取られ、血飛沫を残して墜落した。

 

 上空から、戦闘機型と思われる10機の小型飛行兵器が突進してきていた。

 まったく完全に、完璧に、一子たちの中隊は敵に不意を突かれた形になった。

 美緒がいれば、あるいは防げたかもしれない奇襲。彼女が抜けた警戒の穴は、補うには余りに大きすぎた。

「敵機!」

 一子は叫んでバンクを振り、突撃してくる敵に正面から挑んだ。

 同時に、他方向からも敵機が迫っていた。彼女の列機は、その対応に追われた。

 別々の方向から攻め立てられて、編隊も小隊も維持する余裕はなかった。

 幾筋の火線が交錯し、ウィッチとネウロイが入り乱れる。

 敵がラロス改でないことは、最初の一撃から既に分かっていた。

“それ”はラロス改よりも一回りも二回りも小さく、それでいて加速も旋回性能も比べ物にならないくらい上だった。

 二発のエンジンを後ろに装備し、自在に機銃を操る二本の腕を持った“それ”を見て、一子たちは例外なく筆舌に尽くしがたい混乱に叩き込まれた。

 それは余りに似ていたのだ。

 自分たちの姿に。

 

「嘘! ウィッチが、どうして!?」

 

 そう、ウィッチの姿に。

 命からがら最初の一撃を回避した一子たちは、渦巻く混乱の中で、考え得る最悪の形で単機空中戦を余儀なくされたのだ。

 

 

 

 一子は敵の猛追を必死に潜り抜け、持ち前の卓越した空戦技能で逆襲に転じていた。

 しかし、一子の心は平静でいられなかった。

 敵の姿に混乱したのではなく、その姿を真似たネウロイに激しい憎悪を滾らせ、それ以上に、今までにない強敵に苛烈なまでの闘争心を燃やしていた。

 闘志の塊となった一子は、挑みかかってくるウィッチ型ネウロイを次々と切り伏せ、これ以上ない鮮烈な笑みを浮かべていた。

「どうしたネウロイ! これしきか貴様等は!?」

 また一機、攻撃隊に取付こうとしたネウロイの胸に刀を突き刺し、切り払った。

 胸部を半分えぐり取られたネウロイは、コアを粉々に砕かれて白い破片になった。

 破片の一部が、日頃の戦闘で魔法力と共に弱まっていたシールドを突き抜けて、一子の頬を浅く裂いた。白い肌に一筋の血が流れ出す。

 だが一子は動揺しない。

 垂れてくる血を一子は手の甲で拭い取った。

『カズコ、あなた!?』

 その光景を見たヴァルガが叫ぶが、一子は意に介さなかった。

「攻撃隊はそのまま針路を維持しろ!」

 一子は無線機に怒鳴りつけて敵に向って突進した。

 人で在らざるネウロイ。異形の存在であるネウロイ。

 心を持たず、意志を持たず。人類に敵対しているかどうかも定かではない存在。

 そんな存在が――――

 

「人類を騙るなッ!」

 

 吼える。

 右手の刀でネウロイを両断し、弾切れの機銃を投げ捨てた左手に魔力を纏わせネウロイの頭を握りつぶした。

 シールドで防げない破片が体中を浅く切り裂き突き刺さり、身体を鮮血で染め上げるが一子は止まらない。

 阿修羅の如く、夜叉の如く、護国の鬼となりてネウロイを屠り続ける。

 

 ネウロイが怖れた。

 一子を怖れた。

 一歩後退し、二歩後退し。一子に背を見せ、逃げまどう。

 一子はその背に刃を突き立て、コアを蹴り砕き、破壊を振りまいた。

 

「くだらん。実にくだらん! 似ているのは姿ばかりか……!!」

 一子は吐き捨て、血糊を落とすように刀を払った。

 その時、一子の前にひとつの人影が進み出た。

“それ”を見て、一子は僅かに目を剥いた。

 それから湧き上がる怒気を表すように柳眉が逆立っていく。

「貴様ぁ……。どこまで私たちを愚弄すれば気が済むのだ!?」

 そのネウロイの顔に、一子は見覚えがあった。

 忘れようもない。

 それは共に戦場をかけた戦友の顔だったからだ。

「木吉まで騙るとは……!!」

 木吉良美三飛曹。一ヶ月以上も前、行方不明になった戦友。

 必死の捜索も虚しく、基地周辺でありながら死体の回収すらできなかった。

 その周りに現れたネウロイにも見覚えのある顔が並ぶ。今尚生きている者、怪我で後送された者、戦死した者。

 その全てが一子の神経を逆なでする。

 一子の中で何かが切れた。

「貴様等だけは生きて帰さん! ここで全て叩き切る!!」

 一子は15対1という絶望的な戦いに自ら身を投じた。冷静さに欠いた彼女は、その無謀さすら意に介さなかった。

 

 

 

 いつしか、戦場には一子と敵しか残されていなかった。

 味方は離脱出来たのか。何人の仲間が生き残ったのか。

 何も分からなかった。

 一子は堪えようのない怒りを敵にぶつけ続けていた。

 見覚えのある顔だろうが一子は一切の容赦をしなかった。むしろ、いつにも増した憎しみを込めて切り裂いた。

 敵は姿と同じように空戦技能も模倣しているようであったが、一子はまったく問題にしなかった。

 敵が模倣したのは極一部の空戦技能だけで、そればかり馬鹿の一つ覚えのように繰り返すか、幾度も訓練で見た通りの動きしかしなかったからだ。

 一子は簡単に敵の先を読み、撃墜することができた。

 加えて、敵は数の利を生かすような編隊空戦の妙技をまるで理解せず、愚かに一対一を挑むか、複数で向ってきてもバラバラに攻撃してくるだけ。

 終いにはお互いでお互いの射線を塞ぐ始末だ。

 生きた者を模倣した敵はそれなりに強敵だったが、日々の訓練と実戦で鍛え上げられた一子の空戦技能は、それ如きで揺るぐほど柔ではなかった。

「貴様が最後だ」

 一子は最後に残った木吉に似せたネウロイに刃を向けた。

 ネウロイに一子の言葉が理解出来たとは思えないが、敵は一直線に一子に迫ってくる。

 一子も真正面から迎え撃った。

 反航戦。

 通常の二倍以上の速度で接近する両者。

 木吉のネウロイは機銃を構えて銃撃してくるが、一子はステップを踏むように身体を左右に振って射弾を回避した。

 そしてすれ違い様、首を撫で切るように刀を振った。

「なに?」

 しかし、ネウロイは寸前で一子の刀を避けた。

 明らかに、今までのネウロイとは動きの生彩が違った。

 一子は驚く間もなく旋回を開始し、両者は円を描きながらグルグルと回り続けた。

「ぐぅ……」

 今まで体験したことのないGが一子の身体を圧迫する。

 重力に従い頭から血の気が引いていき、視界が徐々に狭まっていく。

 だが一子は黒く染まりゆく視界に敵の姿を捉え続けた。その姿を睨みつけ、闘志を燃やし、持ち前の負けん気で身体を支えた。

 一子が知る由もないが、奇しくもあの日の美緒が敵に打ち勝ったときと同じ構図。

 美緒によって鍛え上げられ、実戦によって磨かれた一子が、負けようはずがなかった。

 

 敵が旋回の輪を離れた。

 

 訪れた必勝の瞬間。

「貴様の負けだぁ!」

 一子はありったけの魔力を魔導エンジンに叩き込んだ。排気管から処理しきれなかった魔力炎が吹き出て、栄一二型魔導エンジンが唸りを上げた。

 一子の零戦は忠実に彼女の軽い身体を前方に弾き飛ばし、刀の届く間合いに敵を引き込んだ。

 必殺の銀弧が走る。

「む……!?」

 その時、敵は一子が目を見張るような反応を見せ、辛うじて刃を急所から外した。

 しかしその代償に敵は左腕と速度を失った。

 失速した敵は制御を失ってゆっくりと墜ちていく。

 一子は追撃するために縦旋回しようとし、

 

――――そして顔を濡らした液体に気がついた。

 

 視界が赤い。

「え……?」

 一子はむりやり身体を捻って敵を視界に捉えた。

 敵の左肩から何かが溢れている。

 真っ赤な、真っ赤な何かだ。

 ネウロイにはあり得ないはずのそれ。

 一子の視線は肩の断面から覗く白い骨と赤い筋肉を捉えていた。

 その全て一子に訴えかける。

「う、そ……」

 それが、生身の人間に他ならない、と。

 戦友の木吉に他ならない、と。

 一子の頭が真っ白に染まった。

 

 呆然となった一子は、旋回途中の無防備な背を敵に晒し続けていた。

 

 自由落下しながら、木吉を模したネウロイは――――いや、洗脳された木吉その人は、銃口を一子に向けた。

 コマ送りのようにゆっくりとした視界の中、銃口が閃き、必殺の凶弾が放たれる。

 凶弾は弱り切った一子のシールドをいとも容易く撃ち抜き、一子の身体に食らいついた。

 

「み――」

 一子は口を開く。

 

 だが、それが意味を持つ前に、一子の身体は毎分520発の20㎜炸裂弾の猛射によって四散した。

 

 

 

 モスクワの空に、真っ赤な華が咲いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拝啓

 七月ノ御手紙三通有難ク拝受 皆様御元気デ何ヨリト存ジ上ゲマス

 私モ其後益々元気旺盛 日々来襲スルねうろい共相手ニ活躍シテオリマスカラ御安心下サイ

 

 トコロデ 坂本美緒トイウ一飛曹アリ

 撃墜数百二十機以上 特ニ神ノ如キ眼ヲ持チ 小生ノ戦果ノ大半ハ 彼女ノ素早キ発見ニカカッテイルモノデシテ マタ 私モ随分危険ナトコロヲ 彼女ニ再三救ワレタモノデス

 人物 技倆トモ 抜群デ 海軍機械化航空歩兵隊ノ至宝トモイウベキ人物ダロウト思ッテイマス

 ソンナ彼女ヲ先日負傷サセテシマイ 私ハ残念デナリマセン

 

(中略)

 

 ソウシテイル内二 私ノ撃墜モ今百二十七機

 私ハ扶桑ノりひとほーへんニナリタイト密カニ願ッテオリマシタガ 既ニ彼女ヲ追イ抜イテシマイマシタ

 シカシ マダマダ彼女ニ追イツイタ気持チニナリマセンノデ 今後 私ハ益々精進シテ サラニ記録ヲ伸バスツモリデオリマス

 私ノ悪運ニ関シテハ絶対デ 数百回カノ空戦デ被弾ハタッタ二回トイウノヲ見テモ 私ニハ敵弾ハ近ヅカナイモノト信ジテイマス

 

 コチラハ涼シイデスガ 扶桑ノ夏ハ マタ暑イモノト存ジ上ゲマスノデ 御自愛下サイマセ

 

敬具

 

 昭和一七年八月一四日

 笹松三子 

 

 笹松 賢二様 久栄様

 

 

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