リバウの若鷲(ストライクウィッチーズ×大空のサムライ) 作:小山の少将
時は1940年8月26日。
扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉率いる台南航空隊第二中隊は、述べ数百機に渡るネウロイとの空戦の末、部隊の三分の一を喪失して敗退した。
中隊長の一子は数十機の敵を相手に回し勇戦するも、連日の出撃の疲労が祟り、ついにモスクワの空に散華した。
享年14歳。若すぎるエースの死に、基地中が悲嘆に暮れた。
そしてその日は、奇しくも彼女の最愛の師匠である坂本美緒の誕生日であった。
それから三ヶ月後、台南航空隊は潰滅した。
* * *
燃えるような夕陽が西の空に沈んでいく。
それを背に、斉藤大佐は指揮所の前で東の空を眺め続けていた。攻撃隊の帰投時間はとうに過ぎ、ほとんどの機は命からがら帰還を果たしていた。
彼は、未だ戻らぬ3人のウィッチを待ち続けていた。
「司令、お体に障りますので室内にお入り下さい」
「うむ」
見かねた士官が進言したが、斉藤大佐はあいまいな返事を返すばかりでその場を動こうとはしなかった。
しかし無情にも日は傾き続け、リバウに夜の帳が訪れた。
それでもなお斉藤大佐は待っていたが、暫くしてゆっくりと腰を上げた。
「惜しい人を、死なせてしもうた……」
誰に言う出もなくポツリと呟き、斉藤大佐はもう一度東の空を仰ぎ見ると、とぼとぼと指揮所の中へ入っていた。
その後には、啜り泣く声が残された。
斉藤大佐と一緒に一子の帰還を待ち望んでいた醇子が、袖に顔を埋めて泣いていた。
* * *
ヴァルガは重い足取りで士官食堂に入った。
一子の姿を最後に見たのは彼女だった。混戦の中で彼女の姿を見失い、それきりだ。
ヴァルガは胸に大きな穴が開いたような空虚感に襲われながら椅子に座った。
目の前で配膳が行われ、扶桑の士官の席には箸箱が並べられていく。
「お箸……」
個人専用の食器という文化に馴染みの薄いヴァルガが不思議がり、一子たちとの話題の種にしたのはもう一年近く前の話だ。
思えばあっと言う間だった。
台南航空隊という新しい仲間を得て駆け抜けた戦場。
多くの仲間が脱落し、それでも必死に生き続けた。
そしてその箸箱が永遠の空席となった一子の席に置かれようとしたとき、士官たちの誰もが泣きそうな顔になった。
ヴァルガの胸にも、熱いものがこみ上げてきた。
「そこのあなた」
ヴァルガは思わず立ち上がった。
配膳をしていた従兵は驚いた顔で振り返った。
それを見てヴァルガは悟った。彼は、一子のことを知らないのだ。彼女がもう帰ってこないことを、知らないのだ。
ヴァルガは溢れそうになる涙を必死に堪えながら言った。
「カズコは――――ササマツ中尉は、食事は食べないと言っていたわ」
「そ、そうなんですか?」
粗相を咎められたように慌てた従兵が箸箱を下げようとするが、ヴァルガはその前に箸箱を取り上げた。
「これは……私がもらっておくわ」
「え?」
従兵は戸惑ったようにヴァルガを見つめ、それから食堂の端に立っていた従兵長に助けを求める視線を送った。
しかし、全てを知っている従兵長は黙って天井を見上げたままだった。
『第十四話』
―― 君は帰らぬ ――
1941年2月。
ブリタニアはまだまだ冷え込みが激しく雪が舞っていた。
入院中に飛曹長に昇進し、下士官の最高級に上り詰めた美緒は、しかし療養先の病院で、何をするでもなく曇り空を見上げて無為な時間を過ごしていた。
(リバウの冬は、また寒いだろうか?)
舞い散る雪を見るにつけ、美緒は肌を切る寒さだったリバウを思い出す。リバウの戦場と、そこで戦っているであろう戦友たちを。
醇子は風邪を引いていないだろうか? 彼女は昔は体が弱かったというので心配だ。
ヴァルガ中尉は元気だろうか? 鈍重なHe111に乗る彼女が一番危険だ。
分隊長は大丈夫だろうか? また酒を飲み過ぎて腹の調子を壊していないだろうか。
美緒はとりとめもなく、そんなことをつらつらと考える。
『おい、坂本。髪が乱れているぞ、すこし疲れているんじゃないか?』
『分隊長こそ疲れているんじゃないですか? ウイスキーは強いから飲み過ぎると毒ですよ!』
無精をして雑に纏めた美緒の髪を見て一子がからかい、美緒は飲み過ぎてときどき胃を悪くする一子を引き合いに出して言い返す。
こんな軽口のやりあいも、もう半年も前の話だ。
そう、美緒が戦列を離れて半年余り。
美緒は最前線の様子がまるで伺い知ることが出来ず、すでに諦めの境地に入ろうとしていた。
後方に下がった一下士官に、戦場の詳細な情報が伝わってこようはずがない。あるとすれば戦地に残した戦友からの手紙だが、それもない。
便りがないのは大事がない報せと言うが、それはそれで不安になるものだ。
この半年、美緒がリバウを思わなかった日は一日たりとも無かった。
雪を見てはリバウを思い、本を見ては醇子を思い、煙草を見てはヴァルガを思い、酒を見ては一子を思う。
(この空を、分隊長も見上げているのだろうか)
空を見上げて、美緒は前に一子と交わした会話を思い出した。
『この海は、扶桑の海にも繋がっている。それは不思議なことだと思いませんか?』
かつて波止場で夜空を見上げていたときに、ふと美緒が言った言葉だった。
何てことはない有り触れた会話だったが、満天の星空を見上げる一子の横顔と共に、深く美緒の記憶に焼き付いていた。
「分隊長……」
美緒はそっと呟いて窓枠に触れた。
そこでふと我に返って、美緒は自分の姿を顧みて激しく身悶えした。
遠くにいる戦友を思って名前を呟くなど、乙女にも程がある。
これではまるで、遠く異国に行ってしまった恋人を想う乙女のようではないか。
「坂本さーん、お手紙ですよぉ! ――――て、大丈夫ですか!? 先生! 202の坂本飛曹長が!!」
病室に入ってきた看護婦がベットの上で藻掻く美緒を見つけて血相を変え、飛び出していこうとする看護婦を美緒が必死に止める。
戦場から遠く離れたブリタニアは、信じられないほど平和だった。
「まったく、ひどい目にあった」
ようやく落ち着いた看護婦から手紙を受け取って、美緒は溜息をついた。
毎度同じような問答を繰り返し、一連の騒動がもはや病院の名物として扱われていることを美緒は知らない。
ともあれ美緒は気を取り直し、手紙を裏返して差出人を確認する。
「醇子からか……」
そこには美緒の親友の名前が記されていた。
それから手紙が出された日時を確かめるために消印を見る。
そこで美緒は驚愕に固まった。
「ブリタニアだと!?」
消印には、ブリタニアの一地方の名前が記されていた。
それが示すことは唯一つ。
リバウにいると思っていた台南航空隊が、ブリタニアにいるということだった。
不吉な予感を抱き、美緒は急いで封筒を開け、噛みつくような勢いで手紙を読んだ。
「ば、馬鹿な……!」
そこに記されていた衝撃の内容に、美緒の顔面が蒼白になる。
美緒はコートをひっ掴むと、看護婦の制止を無視して雪の外へと飛び出した。
――――八月二十六日
ソノ日ハ 私ガ二番機デアッタニモ関ワラズ 混戦カラ笹松中尉ヲ見失イ 遂ニ大事ナ中隊長ヲ未帰還ニシテシマイマシタ
カエスガエスモ口惜シク 無念デ 慚愧ノ念ニ絶エマセン
マタ高塚飛曹長モ 太田一飛曹モ 羽藤三飛曹モ 次々ニ未帰還トナッテシマイマシタ――――
美緒は電車を乗り継ぎ、手紙に記されていた地名にたどり着いた。
そこには扶桑皇国軍が駐屯する飛行場があり、そこから手紙は出されていた。
美緒は直ぐさま基地に乗り込もうとして、衛兵に止められた。
「お止まり下さい! 許可証と官姓名をお願いします!」
「台南空の坂本美緒飛曹長だ! 至急、斉藤司令にお会いしたい!」
「斉藤司令は転属になりました。お引き取り下さい!」
「では、誰でも良い! とりあえず私を中に入れてくれ!」
「許可がありませんと……、今確認をとりますので――――」
「美緒!」
美緒と衛兵が問答をしていると、基地の中から聞き覚えのある声が聞こえた。
衛兵が弾かれたように敬礼し、美緒はホッとした表情を浮かべる。
醇子が息を切らせながら走ってきたのだ。
美緒の声を聞いて駆け付けてきた醇子は、その勢いのまま美緒に抱きついた。
「お、おい、醇子……!」
「ごめん! ごめんね、美緒! 私、私……!!」
醇子は人目も憚らず声を上げて泣いた。
泣きじゃくる醇子を美緒はどうすることもできず、しかし確かめなければならないことがあった。
美緒はなるべく優しい声音で言った。
「醇子、本当に笹松中尉は……?」
醇子の背中が大きく震えた。
それが、答えだ。
「そんな……」
頭を打たれたような衝撃を受けて、美緒は蹌踉めいて一歩下がった。
(笹松中尉が、死んだ……?)
『貴様と別れるのは、貴様よりつらいぞ』
そう言って美緒の手を強く握った一子が。
『虎は千里を行って千里を帰る。傷を治して帰ってこい。待ってるぞ』
涙を流しながら再会の誓いを立てた一子が。
彼女が死んでしまった?
もう、いない?
美緒は迫り上がる感情の巨大さの余り呆然とした。
頭の中で、様々な感情や情景がぐるぐる、ぐるぐると渦巻いている。
美緒は醇子を引き離すと、覚束ない足取りで基地を出て行こうとした。
「美緒!」
顔を上げた醇子が叫んで何かを美緒に押しつけた。
「これを、あなたに! 笹松中尉の遺品は、全部本土に送られちゃったけど……これだけは、ツァンバッハ中尉が……あなたにって!」
美緒は渡されたものを見た。
それは一振りの見事な刀だった。
過ぎ去りし日に、一子が美緒の為に手配してくれた、美緒の刀だった。
「くぅ……!」
美緒の目頭が急に熱くなった。
熱は直ぐさま体中を駆けめぐり、どうしようもないほど大きくなった。
美緒はそれを持て余して駆けだした。
走った。
走った。
走った。
走った。
走った。
走った。
冷気が喉を焼き、涙で視界が歪んだ。
それでも走って、
走り続けた。
そして何もない雪原に辿り着いた。
「あああぁぁぁ――――……!!!!」
美緒は膝を着き、頭を雪に擦りつけて泣声を上げた。
「……どうしてだ!?」
美緒は叫んだ。
「どうして、どうしてどうして……どうして!!」
恥じも外聞もかなぐり捨てて、大声で泣き叫んだ。
「約束したではないか!! 私を待っているとッ!! また会おうとッ!!」
喉よ潰れろ。涙よ枯れろ。
この苦しみが取り除かれるならば。
「どうして、私を置いて!!」
美緒は泣き続けた。
「一子ぉッ……!!」
美緒の慟哭は、偉大な白い大地に抱かれて、静かに消えていった。
それからどれだけの時間が経っただろうか。
涙を泣き枯らした美緒は、灰色の空を眺めながら煙草を燻らせていた。
ゆっくりと立ち上った紫煙が、溶けるように空へ消えていく。
寒さは感じなかった。
「分隊長……」
呆然としたまま、美緒は呟いた。
不思議だった。今まで何人もの戦友を失ったが、これほど、狂おしいまでの激情にかられたことはなかった。喪失感を味わったことはなかった。
まるで己の半身がごっそりと失われたような、筆舌に尽くしがたい空虚感。
美緒はただ、呆然とするしかなかった。
このまま寒さに任せるまま凍り付いてしまえたら、どんなに楽だろうか。
またこの煙のように、溶けて消えてしまえれば、どんなに身が軽いだろうか。
そうすれば、またあの少女に会えるだろうか。
それは魅力的な考えであったが、美緒の理性はそれを否定した。
美緒は半ば雪に埋もれていた刀に目を落とした。
それを拾い上げて雪を払い、鞘から抜いた。
磨き上げられた刀身が雪原の光を反射し、冴え冴えとした光を放つ。
見れば見るほど見事な業物だった。
鏡のような刀身は美緒の顔も映し出した。
「ひどい、顔だな……」
泣き腫らした目は真っ赤に充血し、髪は乱れて雪にまみれている。
一子が見たら飛んで驚いて美緒に休養を命じるような顔だ。
その姿が目に見えるようで、美緒は苦笑した。
「笹松中尉、私は……私は――――」
その時、犬の鳴声がした。
ワン、と一度だけ。
美緒は顔を上げた。
雪原を映した刀身に、一匹の犬が映っていた。
灰色の体毛の、小さくて凛々しい犬だった。
美緒はハッとして振り返ったが、そこには何もいなかった。
「あれは……」
美緒には、その鳴声が別の言葉に聞こえた。
ただ一言、美緒、と呼んだように。
美緒の気のせいかもしれない。
だが、美緒には確信めいたものがあった。
「中尉……」
美緒は目を伏せた。
「ありがとう、ございます……」
一筋の涙がこぼれ落ちた。
そして、美緒は泣くことを止めた。
前を見据え、火の着いた煙草を握りつぶし、残りの煙草ごと雪に埋めた。
これは美緒の弱さそのもの。
もはや、必要のないものだった。
刀を片手に、美緒は歩き出した。
海軍少佐 笹松一子
戦闘機隊中隊長トシテ北欧作戦ニ従事 攻撃参加三百十五回 部隊トシテ敵機百六十二機撃墜セリ
仍テ茲ニ其ノ殊勲ヲ認メ全軍ニ布告ス
昭和十八年一月一日
遣欧艦隊司令長官
山本五十六
笹松一子扶桑皇国海軍中尉は、戦死を以て少佐へ二階級特進し、一中尉には破格の功三級金鵄勲章が授与された。そして後日、その戦死は広く全軍に布告されることになる。
またその戦功はカールスラント帝国やオラーシャ帝国でも高く評価され、外国人でありながら柏葉剣付騎士鉄十字章とオラーシャ帝国英雄の称号も追贈された。