リバウの若鷲(ストライクウィッチーズ×大空のサムライ) 作:小山の少将
時は1938年。
第一次大戦以来沈黙を守っていたネウロイが再び活動を開始し、扶桑海海上で偶発的に発生した機械化航空歩兵ウィッチと怪異の戦闘――扶桑海事変の翌年の事である。
本土で機械化航空歩兵教程を修了したばかりの笹松一子中尉他三名は、戦雲の気配忍び寄る台湾は台南航空隊への配属を命じられた。
だが扶桑海事変以来頻発するネウロイの襲来を潜り抜けて来たベテラン・ウィッチばかりで構成された台南航空隊の練度と、学生の青さが抜けきらない半人前以下の一子たちのそれとは、天と地ほどの差があった。
本来ならば時間を掛けてゆっくりと練度をあげるべきなのであるが、風雲急を告げる情勢は彼女たちの慣熟を待ちはしない。
半人前以下の未熟なウィッチを戦場の空に上げることに憂慮した台南航空隊副長の小園安名中佐は、ベテラン・ウィッチたちに彼女たちの練度を至急に引き上げることを要望したのである。
笹松中尉は海兵時代の軍鶏の呼び名に恥じない苛烈な気迫で訓練に挑みめきめきと腕を上げ、僅かに二ヶ月半が過ぎる頃には、先任航空歩兵の坂本美緒一飛曹をして平時の半年から一年分に相当する進歩を遂げたと言わしめた。
『第二話』
―― ありがとう ――
「坂本兵曹、坂本兵曹はいるか!?」
冬の寒い日、美緒が下士官用の大部屋でゆっくりとしていたところに、喜色満面の笹松中尉がやってきた。
美緒は何事かと飛び起きた。
「何事ですか、中尉」
「聞け、坂本兵曹。ついに私の初陣が決まったのだ!」
「本当ですか!」
美緒は驚いて目を丸くした。
台南航空隊は皇国海軍が誇るウィッチ部隊であり、粒ぞろいの優秀なウィッチが揃っている。
いくら笹松中尉が急成長しているとは言え、彼女より優秀なウィッチは掃いて捨てるほどいた。
なので美緒は、笹松中尉の初陣はもっと後になると踏んでいたのだ。
「大陸の陸軍を支援するためにネウロイを強襲するそうだ。ついに私の出番がやってきたのだ!」
「おめでとうございます」
「うむうむ」
笹松中尉は満足そうに頷くと、余りの嬉しさに大笑いをしながら大部屋を飛び出していった。ドタドタと荒い足音が遠ざかっていく。
部屋に残された美緒は唖然とその後ろ姿を見送った。
「まるで嵐ね」
「あぁ」
親友の竹井醇子の言葉に美緒は頷いた。
「……」
「……」
暫くして、醇子は読みかけの本に目を落とす。
「――――『おぉマドレーヌ、君はなんて美しい……』『いいえ、湧き立つ泉のように清らかなシュザンヌ様に比べれば……』――――」
「醇子、貴様いったい何を読んでいる?」
「『フランスの美少女 ~禁断の愛~』」
「文章を音読する癖をどうにかしろ。あと恋愛小説を朗読するな」
親友の変な癖に、美緒はピシャリと言った。
次の日、機械化航空歩兵用格納庫の中は20に及ぶ魔法陣の輝きに埋め尽くされていた。それは壮観な眺めだった。
これだけのウィッチを揃えられる国など世界にそうあるものではない。
出撃に備え飛行脚の暖機を行っているウィッチたちの傍ら、笹松中尉を見送るべく美緒と醇子も格納庫に来ていた。
初陣の直前とあって、さしもの軍鶏中尉も緊張していると見え、端正な顔を緊張と期待に引きつらせていた。
落ち着かないのか、腰から提げた軍刀の鯉口を切ったり戻したりしている。
美緒が笹松中尉の横に立って、ようやく彼女は美緒に気がついた。
「坂本兵曹か」
「笹松中尉、緊張する必要はありません。ネウロイなど、この私や隊の先任航空歩兵たちに比べたら鴨も同じ。蠅が留まって見えるでしょう」
「そうだな……!」
美緒の言葉に、笹松中尉の顔が目に見えて明るくなった。やはり彼女を教え導いてきた美緒の言葉は効果覿面である。
それを確認して、美緒は用意していたものを差し出した。
「ん? なんだ、それは」
「マフラーです。戦闘機乗りが一人前になると巻くことが許される神聖なものです」
美緒が差し出したのは、長い長い純白のマフラーだった。
ウィッチは魔力フィールドによって外気の影響を受けないため防寒対策は不要なので廃れた文化だが、験担ぎにと美緒が持ち出したのだ。
美緒の気遣いに笹松中尉は大いに感激したようで、礼を言ってマフラーを首に巻いた。
「どうだ?」
「たいへん似合ってます」
「そ、そうか?」
美緒が褒めると、笹松中尉は頬を染めてはにかんだ。
そうすると彼女が常に纏う鋭さが消えて、年相応の少女のように見えた。美緒が初めて見る、笹松中尉の少女らしい一面だった。
そこに集合の号令が掛かり、出撃の時刻になったことを告げた。
美緒と醇子は敬礼を笹松中尉に送り、彼女も答礼で応えた。
「では、征ってくる」
「お気を付けて」
やがて総勢で二十機にもなるウィッチの大部隊が格納庫から飛行場へ出て大空へと舞い上がっていった。
笹松中尉たちを見えなくなるまで見送ってから、美緒たちは無線機の置いてある指揮所に顔を出した。
美緒たちが出撃するまでにはまだもう少し時間があるので、その間に笹松中尉の様子を探ろうと思ったのだ。
指揮所に足を踏み入れると、何やら慌ただしげな様子で無線のやりとりが行われていた。
美緒は状況を知るために通りがかった司令部要員を捕まえた。
「何があったんだ?」
「故障機が出たんだが、そいつがどうしても帰投したがらなくて困ってるんだ」
「むぅ」
台南航空隊に配備されているA5M4九六式四号艦上戦闘脚は、名機と名高い九六式艦上戦闘脚を宮藤理論に基づき再設計した最新型で、今年に入ってから生産が始まったばかりである。
初飛行から四年、実戦配備から二年が経つ九六艦戦は初期不良が克服された優秀な飛行脚だが、それでも故障と無縁とは言い切れない。
「どんな故障だ?」
「魔導エンジンが息をつくらしい」
「そうか」
魔導エンジンが息をつくとは、何らかの不良によりエンジンの回転が安定しない状態のことだ。出力は上がらず、最悪の場合は突然停止することもあり得る。
帰還命令は妥当と言えた。
その時、無線でやりとりする小園中佐と件のウィッチの会話が聞こえてきた。
「馬鹿者! 笹松中尉、すぐさま帰還しろ!」
『嫌だ! 私は死んでも出撃する!!』
美緒は額に手を当てて天を仰いだ。
困り果てた様子の小園中佐の目に美緒がとまった。手招きして呼び寄せられる。
「坂本一飛曹。貴様から言ってやってくれ。わしじゃどうにもならん」
「はぁ」
美緒は無線機のマイクをとった。
「笹松中尉……」
『むむ……そ、その声は坂本兵曹だな。い、いくら貴様の言葉でも、こればかりはきけんぞ!?』
「笹松中尉……」
『む、むぅ……』
見る間に笹松中尉の威勢が萎んでいく。
「出撃の機会はまだごまんとあります。どうか今日のところは辛抱してください」
『……………………あい分かった』
長い沈黙の後で、無線が切れた。
司令部中から集中する感謝と感心の視線が、なんだかやるせない美緒だった。
美緒が司令部から出て待っていると、空の向こうから笹松中尉が帰ってきた。消沈した様子で、俯きながら格納庫に入っていく。
美緒と醇子は再び格納庫に足を向けた。
『このド戯けが!』
格納庫の薄い外板越しに、凄まじい怒声と物音が聞こえてきた。美緒と醇子は顔を見合わせると急いで格納庫に飛び込んだ。
果たして、そこには倒れ込む整備兵と今まさに刀を抜かんとする笹松中尉の姿があった。
美緒と醇子は笹松中尉に飛びかかって、必死に押さえつけた。
「笹松中尉!」
「笹松中尉、お止め下さい!!」
「離せ! 離せ、坂本兵曹!!」
「離しません! 整備兵に当たり散らして何になりましょうか!!」
「別の機材を用意しろ! 今すぐ追いかけて出撃する!!」
「副長から出撃禁止命令が出ております。再出撃は無理です!!」
出撃禁止と聞いて、笹松中尉の力が弱まった。
美緒たちも腕の力を緩めると、笹松中尉は腕を振り払い、格納庫の隅の古びた椅子に座り込んでぐったり項垂れてしまった。
あれだけ喜び勇んで出撃したのに。美緒には掛ける言葉が見つからなかった。
その内に、美緒と醇子も出撃の時刻を迎えてしまった。
その日の出撃で、美緒と醇子は超大型ネウロイ・ディオミディアの共同撃墜に成功した。
欧州戦線でカールスラント軍が苦戦に苦戦を重ねた超重爆で、扶桑皇国はおろか、世界で初めての撃墜例だった。
生憎とネウロイの戦闘機に相当するラロス型には出会えなかったが……。
美緒が基地に帰還すると、基地は笹松中尉が参加するはずだった攻撃隊の上げた戦果にわきかえっていた。
何でもネウロイのラロス型と中爆ケファラス型合わせて30機以上に遭遇し、たちまちその全てを撃墜したというのだ。
ディオミディアを撃墜した美緒も引き込まれて揉みくちゃにされ、基地は活気に満ちていた。
そんな大戦果に歓声を上げながら武勇伝を語る攻撃隊の輪の外に、寂しげに聞き耳を立てている笹松中尉の姿があった。
輪から離れた美緒は、笹松中尉の背後からそっと近づいた。
「笹松中尉」
「ひゃっ……」
笹松中尉は跳び上がり、驚いた顔で振り返った。
「な、なんだ坂本兵曹か。驚かすな……」
「笹松中尉、よろしいですか?」
「うむ」
美緒の方へ向き直り、笹松中尉は神妙な顔になる。
美緒は咳払いをしてから話し始めた。
「笹松中尉、戦いはこれからです。がっかりすることはありません。初陣の空中戦は、ウィッチにとって得難いではあるけれども、一番危ないときでもあるのです。もしも今日の空戦にあなたが参加していたら、ひょっとするとやられていたかもしれない。そう考えて、今日のことは諦めることですね」
「うむ、私もそう思っている。それでもやっぱり悔しいよ……」
笹松中尉は切なそうな顔で沸き立つ攻撃隊の方を眺めるのだった。
失意の笹松中尉であったが、再戦の機会はなかなか訪れなかった。
地上軍支援のために出撃を繰り返すも、肝心の戦闘機型飛行兵器に出会わず、初戦果は長いことお預けとなったのだ。
しかし、武運の女神は笹松中尉を見放しはしなかった。
明くる1939年2月。大陸に進出した攻撃隊から敵機発見の報が届いた。その攻撃隊に笹松中尉も参加していたのだ。
美緒はそれを司令部の無線越しに聞いていた。ネウロイに攻撃を加えた攻撃隊は直ぐさま格闘戦へと持ち込み、がっちり組み合っての乱戦に突入した。
交錯する無線の中から笹松中尉の声を探し出そうと美緒は耳を傾けた。
裂帛の気合いが聞こえたのはその時だ。
『……当たれ』
別段大きな声だったわけではない。むしろ静かな、落ち着き払った声だった。だがその声は、他の全てを圧して美緒の耳に飛び込んできた。
美緒はそれが笹松中尉の声だとすぐに分かった。美緒は息を詰めて続く言葉を待つ。
『やった!』
続いたのは歓声だった。笹松中尉は首尾良く初戦果をあげたようだ。美緒は胸をなで下ろした。
それからすぐに部隊集合の合図が掛かり、その日の空戦は終了した。
帰投の途中、笹松中尉は無線機が入っていることも忘れ「やった♪ やった♪」と喜びの凱歌を歌っていた。その無邪気な喜び様に、司令部の中は微笑まし気な生暖かい笑いに包まれたのである。
基地に帰還した笹松中尉は、喜び冷めやらぬ様子で戦果を報告した。
「笹松一子中尉、本日の空戦にて――――」
「――――一機撃墜だな?」
「あれ?」
本来報告を受けるべき斉藤大佐に言葉の先をとられ、笹松中尉は不思議そうな顔をした。
「貴様、無線機を切るのも忘れて、やったやったと歌っていたではないか」
斉藤大佐の種明かしに、その場にいた全員が声を上げて笑った。からかわれた笹松中尉は顔を赤くして照れ笑いを浮かべた。
出撃後の諸々の事務が終わってから、笹松中尉はすぐに格納庫にいた美緒の元へと飛んできた。
「聞け、坂本兵曹! ついにだな、私は――――」
「――――一機撃墜ですね」
またもや言葉の先を越されて、笹松中尉はポカンとした顔になる。
「ま、まさか……。貴様も聞いていたのか、坂本兵曹」
「勿論です」
こみ上げてくる笑いをかみ殺しながら至極まじめな顔で美緒が言うと、笹松中尉は「一生の不覚……」と言って大いに顔を赤面させた。
美緒がとうとう堪えきれずに吹き出すと、笹松中尉は恨まし気に睨みつけてきた。
しかし赤面させながら睨まれてもただ微笑ましいだけで、美緒の笑いの発作にさらなる薪をくべる結果になった。
一通り心ゆくまで笑った美緒は、俄に背筋を伸ばした。笹松中尉も合わせるように背筋を正す。
「本日は初撃墜おめでとうございます」
「うむ」
笹松中尉は鷹揚に頷き返した。
「あぁ、その、なんだ……」
それからどういう訳かしどろもどろになると、また赤面してボソボソと二、三言付け加えた。
「――――……貴様のお陰だ。ありがとう」
だがその言葉は美緒の耳にはうまく届かなかった。
「は? もう一度お願いできますか」
「う……。いや、何でもない。さらばだ!」
言葉に詰まった笹松中尉は、真っ赤な顔のまま逃げるように格納庫を飛び出していってしまった。
美緒は不思議そうな顔でその後ろ姿を見送るのであった。
「あれ? おかしいな」
美緒が格納庫を出て兵舎に戻ろうとしたとき、首を傾げている整備兵が目に留まった。それは笹松中尉の戦闘脚を担当している整備兵だった。
「どうしたんだ?」
「坂本兵曹」
整備の手を止め、立ち上がって敬礼しようとする整備兵を手で制し、美緒は説明を求めた。
「それで、どうしたんだ?」
「それが、機銃弾がほとんど減ってないのですよ」
整備兵は言った。
整備兵の前に広げられた機銃弾を見てみると、確かにあまり減っているように見えなかった。せいぜい30発程か。
「28発減ってます」
「ほぉ」
それを聞いて、美緒は感心したように頷いた。
僅か28発での初戦果。その意味を美緒はよく理解できた。
笹松中尉は美緒の教えをよく守り、ネウロイの背後に肉薄し、無駄弾を撃つことなくネウロイを撃墜したということだ。
新人のウィッチには逸る気持ちや恐怖心を抑えられずに数百m先から撃ってしまう者もいるというのに、笹松中尉は驚くべき冷静沈着さと集中力で心を制し、続いてネウロイを制したのだ。驚くべき事である。
この28という数字には、そんな素晴らしい意味が込められていた。
(やはり、ただ者ではなかった……!)
美緒は笹松中尉に見た金剛石の輝きが偽物ではなかったことを改めて確信したのであった。