リバウの若鷲(ストライクウィッチーズ×大空のサムライ)   作:小山の少将

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第三話 台南空の出陣

 時は1938年。

 海軍兵学校を卒業した新任中尉として精鋭・台南航空隊に配属になった笹松一子は、先任航空歩兵・坂本美緒一飛曹の指導の下、めきめきと腕を上げていた。

 そしてついには単独の初戦果をあげ、名実共にウィッチの仲間入りを果たしたのである。

 この戦果を皮切りに一子はさらなる戦果を重ね、エースに名を連ねるまでに成長を遂げたのだった。

 一子着任から約一年の時が過ぎ、ネウロイの攻勢が本格化したころ、台南航空隊に新たな辞令が下された。

 

『第三話』

 

―― 台南空の出陣 ――

 

「上層部より新たな指令が下された」

 突然の呼集で航空隊のウィッチ全員が集められた会議室に、部隊長・斉藤正久大佐の声が重々しく響いた。

「去る9月1日より敵ネウロイが突如としてオストマルクに侵攻し、人類連合軍の勇戦虚しく同国が陥落したことは、すでに諸君らも聞き及んでいると思う。そして現在、ネウロイの魔手は友邦カールスラント帝国にまで及ぼうとしている!」

 斉藤大佐は大部屋に詰められたあどけない少女たちの顔を見渡した。

「これを受けて、我が扶桑皇国はカールスラント支援のため機械化航空歩兵隊を含めた大規模な遣欧軍を送ることを決定した!!」

 ウィッチたちの間に見えない衝撃が駆け抜けた。

 欧州戦線の劣勢は新聞でも大きく報じられていた。ついに来るときが来たのである。

「我々台南航空隊はこの遣欧軍の主力として北欧はリバウに進出し、カールスラントの主戦線を側面より支援する!」

 戦雲は留まることなく扶桑皇国を呑み込もうとしていた。

 

「ついに来たな」

 轟々と鳴り響く寿四一型魔導エンジンの轟音と魔法陣の輝きを受けながら、笹松中尉は腕組みして東の空を見つめていた。

「欧州は魔女の本場だったな、坂本兵曹」

「カールスラントのウィッチはたいへん優秀だと聞いています」

「そうだ。かの第一次大戦の撃墜王“レッドバロン”リヒトホーフェンもカールスラントのウィッチだった。彼女の娘たちが住まう国、か……」

 笹松中尉は獰猛に笑った。

「面白そうだな」

「全くです」

 美緒もまったくその通りだと思っていた。まだ見ぬ欧州の戦友を思うと、笹松中尉ならずとも心躍る。

「いくぞ、坂本兵曹、竹井兵曹。遅れるな!」

 続々と舞い上がる台南航空隊のウィッチたちに続いて、晴れて分隊士となった笹松中尉率いる小隊も跳び上がった。

 翼を連ねる彼女らが目指すのは海上にある遣欧艦隊の空母部隊だった。

 台湾の山々を越え、野を越え、町を越え、海岸を越え、海を越えた先に彼女らはいた。

 海に浮かんだ小島のように巨大な航空母艦が四隻。完璧な輪陣形の中心でウィッチたちを待受けていた。

 笹松中尉はその中でも一際大きな空母に向って降下を開始した。

 甲板に大きく描かれた『ア』の文字。遣欧艦隊航空艦隊旗艦の赤城だった。

 笹松小隊は完璧なアプローチの後、三機次々と着艦して見せた。甲板上に張られたロープを巧く掴み制動をかける。

 すぐさま甲板員が駆け寄ってきて笹松中尉を抱き上げた。空母に着艦したウィッチはそうして駐機場まで運ばれるのだ。

 続いて美緒と醇子も同じように運ばれる。

 笹松中尉は、彼女を運ぶ甲板員の顔がだらしなく緩んでいることを気にも留めず、この扶桑皇国最大級の空母に興味津々だった。

「以前、利根に乗っていたときに赤城を見たことがあったが、やはりこの飛行甲板に降りる感覚は素晴らしいな!」

「ありがとうございます!」

 乗艦を褒められた甲板員は我が事のように喜んだ。

 駐機場は先に降り立ったウィッチたちが列を成していた。笹松小隊もその列に加わり、格納庫に降りる順番を待つ。

 手持ちぶさたになった笹松中尉はキョロキョロと辺りを見回していた。

「坂井兵曹」

「なんですか?」

「私は今ほど海軍に入って良かったと思ったことはない」

「は?」

「あれを見ろ」

 意味が分からなくて疑問顔だった美緒は、笹松中尉が指した方向を見て得心いった。

 そこには空母と共に護衛艦の輪陣形に守られる輸送船の姿があった。その甲板には、半裸になった陸軍のウィッチたちがへばっていたのだ。

 扶桑本土より遙かに南に位置する台湾沖は、有り体に言ってものすごく蒸し暑かった。

 それにも関わらず、あのような小さな輸送船に詰め込まれては、中は蒸し風呂状態だろう。

「それに、よく見ればあそこで伸びているのは扶桑海の隼ではないか」

 しかもその中には扶桑海事変の英雄である加藤武子少尉の姿もあった。扶桑海の隼の異名をとる歴戦の勇士も、暑さには勝てなかった。

 その姿はどうしようもなく哀愁を漂わせる。

「こうなっては、扶桑海事変の英雄も形無しか……」

「全くです」

 美緒も思わず同意してしまった。

 

 

 

 それから数日、艦隊は最初の寄港地であるシンガポールに立ち寄り、一路インド洋を抜けて大西洋を目指す。

 目的地、欧州へたどり着くのは、なんと一ヶ月も後というたいへんな船旅だ。

 それだけ過酷であり、乗員の健康には気が配られていた。特に、大事な戦力であるウィッチには格別の配慮が成されていた。

 だが、そんなウィッチならではの苦悶が、軍隊生活最大の楽しみの後に待ち構えている。

「よーし。皆に行き渡ったか?」

 笹井中尉が片手に小瓶を提げ、元気よく言った。

 夕食を終えたウィッチたちの手に乗せられた三つの白い錠剤。

 これを受け取ったウィッチは一様に顔を歪めて忌々しげにこの小さな錠剤を睨みつけた。

 それはマラリアの予防薬であるキニーネという薬だった。

 では何故ウィッチたちはそのありがたい薬を苦々しげに見つめるのか?

 何を隠そう、この錠剤はとても苦かった。

 下手なのみ方をすれば、余りの苦さに夜も眠れぬ思いをする恐ろしさだ。

 何者も恐れぬ古強者も苦手とする小さな小さな強敵だった。

 マラリアは恐ろしい熱病であり、それを予防するキニーネは貴重薬だ。艦の全員に配るほど大量にある物ではなかった。

 なのでウィッチに優先的に回されているのだが、華も恥じらう乙女には苦すぎた。

 よってこれを受け取ったウィッチは、みんな飲むフリをしてこっそり捨てていたのだ。

 しかし、それを見咎めた者がいた。

 他の誰であろう、それは笹松中尉その人だった。

 その日から、キニーネは決まって夕食後に笹松中尉から配られ、彼女の目の前で飲み干すように言い渡されてしまった。

 反対しようにも彼女の中尉という階級と、その背後に見え隠れする隊長陣の姿に断念せざるを得なかった。

「苦いからと言って捨てるんではないぞ! 私がこの目で見張っているからな!」

「ひどい!」

「おーぼーだ!」

 ウィッチたちが口々に文句を垂れた。

 古参ウィッチの手管を以てしても、この若いエース・ウィッチの目を盗むのは至難の業だった。

「わっはっはっはっ! 何だ、こんなものが苦くて飲みにくい? 私なんか噛んで飲んでいるぞ!」

「嘘だ!」

「そんなこと言うなら、今飲んでみてくださいよ!」

 誰かが調子に乗ってそんなことを言った。

 言った本人も本気にはしていなかっただろう。いくら何でも無茶苦茶だった。

 だが、それを聞いた笹松中尉は至極まじめな顔で手の小瓶を開けると、キニーネを口に放り込んでガリガリと噛み砕いてしまった。

 ウィッチたちは唖然とした顔で笹松中尉の顔を見た。

 あんなに噛み砕いてしまっては、口中にキニーネの味が広がってさながら苦み地獄のようになってしまう。

 多くのウィッチが笹松中尉の舌の性能を疑った。

 固まって動けないウィッチたちの前で、笹松中尉は水を呷ってついに薬を飲み干してしまった。

「どうだ!?」

 満足気に言い放つ笹松中尉を前にして、もはや誰も飲み渋るようなマネはできなかった。

 

 

 

「坂本兵曹、ちょっと」

 苦い薬を飲み終えたウィッチたちが何杯も水をお代わりする中、美緒は食堂の出入り口の所から半身を乗り出した笹松中尉に手招きされた。

 美緒は口の中に残る苦みに辟易しながら笹松中尉に近づいた。

「何か?」

「もうちょっとこっちへ来い」

 笹松中尉が美緒の腕を引っ張って通路の物陰に引き込んだ。

 そこはパイプとパイプの狭い隙間で、今までになく二人の身体は密着した。

(な、ななな……!)

 突然の事態に美緒は緊張した。鼻をくすぐるえも言われぬ芳香が緊張に拍車を掛ける。

 間近に迫った笹松中尉の黒い瞳が美緒を見上げていた。

 完全な不意打ちだった。その濡れた瞳に、美緒の胸が大きく跳ねた。

(な、なな、わ、わた、私はノーマル……!)

 美緒の頬にひんやりとした笹松中尉の手が添えられた。

「どうした? 顔が赤いぞ。熱があるのか?」

「い、いえ」

 確かに朝から熱っぽかった気がするが、これは全く違う。

 美緒がカクカクと首を振ると、笹松中尉は妖艶に微笑んだ。

「ならば良い」

 笹松中尉の手が頬から滑り落ち、顎を細い指で挟んで引き寄せられた。

「坂本兵曹、貴様は背が高いな。屈んで目を閉じろ」

 混乱の極地にいる美緒は、言われるまま素直に屈んで目を閉じてしまった。こうすると、美緒の顔は笹松中尉の顔とちょうど同じ高さになった。

 目を閉じたので、自分の心音がいやによく聞こえた。普段より遙かに大きく、遙かに早かった。

 顔が火を噴きそうなほど熱い。

「ふむ、ちょうどいい。動くなよ、坂本兵曹」

 そう言いながら接近してくる笹松中尉の気配。僅かに顔に掛かる吐息。それが甘く感じるとは一体どういうわけか。

 身体が熱く、浮遊感でくらくらする。

(も、もうダメだ……!)

 何がダメなのか美緒にも分からなかった。

 

 その時、美緒の唇に柔らかなものが押しつけられた。

 そして前歯の隙間を割って口の中に広がる甘い味。

 

「……!!」

 もはや声にもならない叫び。それは果たして悲鳴か歓声か。

 一つ確かなのは、美緒の中で何かが拓けたことだった。

 

 

 

「おかしい」

 ペラペラと本を捲る音がした。

「本によればここで真っ赤になって怒り出すはずなのだが……」

(ん?)

 美緒は疑問を感じた。

 笹松中尉が喋っている。つまり口が自由である。ならば今押しつけられている柔らかな感触は何だ?

 美緒は恐る恐る目を開けた。

 そこには、何やら本に目を落とす笹松中尉がいた。

「お、ようやく帰ってきたか」

 美緒が目を開けたのに気がついて、笹松中尉はしたり顔で意地の悪い笑みを浮かべる。

 二人の顔は数㎝も離れていなかったが、美緒の動悸は治っていた。

 なぜなら、二人の顔の間には割り込むように笹松中尉の二本指があったからだ。それが、美緒の唇に押しつけられていた。これが正体だった。

 口の中に広がる甘い味の正体も分かった。

 異物を噛み砕く。先のキニーネとは正反対の、柔らかな甘みで口がいっぱいになった。

「金平糖……」

 目を落とす。

「何を読んでおられるんですか?」

「『女性のためのウィッチ撃墜法 ~搦手編~』。他にも攻勢編、守勢編とある」

「ちなみに誰からお借りに?」

「竹井兵曹だが、なにか?」

 美緒の中で、全てがストンと落ち着いた。

 それから沸々と何か熱いものが湧き上がってくる。

 そらがやがて限界を超え、

「じゅううぅんこぉぉぉ……!」

 吼えた。

「ま、待て! 坂本兵曹、こんな狭いところで暴れるな! ひゃッ、変なところに……んッ……あたって……あッ!」

 怒りに狂った美緒は悶える笹松中尉に気付かない。

 しかも怒りの対象が、何故か目の前の少女ではなくこの場にいない親友に向いていることにも気付かない。

「と、止まれぇ坂本兵曹!」

 笹松中尉の悲鳴が虚しく響いた。

 

 

 

「ひ、ひどい目にあった」

「それはこっちの台詞です!」

 息も絶え絶え乱れた服を掻き抱いて、目を潤ませ頬を上気させる笹松中尉は艶めかしかったが、平常心に戻った美緒はピシャリと言い返した。

 笹松中尉はつまらなそうに美緒を見る。

「さっきはあんなに可愛かったのに……」

「笹松分隊士!!」

「冗談だ」

「まったく……」

 美緒は溜息をついた。

「それで、ご用件は何ですか? 何もないなら食堂に戻りますよ」

「おぉ、そうだった」

 ようやく本来の用件を思い出したのか、笹松中尉はゴソゴソと上着のポケットを漁りだした。

「これをやる」

 取り出されたのは、紙袋に入れられた金平糖だった。美緒の口に突っ込まれたものと同じものだ。

「実は国の母から大量に送りつけられてきてな、私ひとりでは食い切れんのだ。貴様にやるから皆に分けてやれ。だがくれぐれも私からの物だと言うなよ。士官からもらったとあってはせっかくの金平糖が不味くなるからな」

 人の目を気にするように周囲を見ながら笹松中尉は紙袋を美緒の胸に押しつけた。隊の皆に食わせるのに十分な量だ。

 美緒はそれが笹松中尉なりの気遣いであることがすぐに分かった。本国からの郵便はもう一ヶ月ほど届いていなかったからだ。

 これは口直しのために皆に配ってやれという気遣いなのだ。

「分かりました」

 そうと分かれば美緒は直ぐさま食堂にとって返した。

 食堂にはまだ苦みに顔をしかめるウィッチたちが屯していた。

「皆聞け!」

 美緒の大音声に、なんだなんだとウィッチたちが顔を上げた。

「笹松分隊士より金平糖を頂いたぞ! 皆で食べるようにとのことだ!!」

「坂本兵曹ぉぉ!!」

 一瞬にして笹松中尉が飛んできた。

 笹松中尉は美緒の襟首を掴むとガクガクと前後に振った。

「貴様ぁ、くれぐれ私の名は出・す・なと言っただろ! 貴様の耳は節穴か! 詰まっているのか!」

「いえ、もちろん先ほどの悪戯の仕返しです」

「坂本兵曹ぉぉぉ!!」

 美緒は高笑いした。

 先ほどはしてやられたが、まんまと借りを返せたのだ。

『笹松中尉!』

 綺麗に揃ったウィッチたちの声がした。ふたりは動きを止めてそちらを見た。

 立ち上がったウィッチたちが、目をキラリと光らせ一斉に一礼した。

『ご馳走になります!』

「う……むむ……」

 言葉に詰まる笹松中尉。

「の、残すなよぉぉぉ――――!!!!」

 捨て台詞にもならない言葉を残し、顔を真っ赤にして食堂を飛び出していってしまった。

 食堂の中は、その寸劇を見ていたウィッチ以外の乗務員も含め温かな笑い声に包まれたのであった。

 

 

 

 誰もいなくなった食堂で、美緒は自分の分の金平糖をチビチビ食べていた。

 思うのはこの金平糖の主、笹松一子中尉のことだ。

 陸軍ほどではないとは言え、下士官・兵と士官が別の人種かと思うほど格差がある海軍にあって、笹松中尉のように兵たちへの気遣いのできる士官は驚くほど少なかった。

 まずもって、普通の士官はこのような下級兵士用の食堂に足を運ぶことなど無い。もし運んだとしても、兵たちは息の詰まるような思いをするだけで心休まらない。

 だが、笹松中尉はどうだ。

 兵たちに好かれ、士官たちからも一目置かれている。

 笹松中尉は空戦技能に優れているだけではなく、まことに素晴らしい将器すら兼ね備えていたのだ。

 いよいよもって、笹松中尉はいつしか皇国ウィッチたちの頂点に立つような逸材かもしれない。

「だが……まだ幼い」

 そう、まだまだ笹松中尉の翼は幼い。

 空に冠たる大鷲も幼い頃は脆弱な雛なのだ。大事に大事に育てなくてはいけない。この輝ける少女を失わせてはいけない。

「私も頑張らねばな」

 最後の金平糖を口に放り込み、美緒は席を立とうとした。

 

 視界が、ぐにゃりと歪んだ。

 

 いきなり世界が滲み、平衡感覚が失われた。

「なッ……」

 体中から冷や汗が吹き出し、悪寒が身体を襲う。朝からどこか本調子ではなかったが、今はその比ではない。

 美緒は堪らずテーブルに手を突こうとして失敗し、盛大な音を立てながら座席を押しのけ地面に倒れた。

「坂本兵曹? 坂本兵曹!?」

 薄れいく美緒の意識の中で、誰かが駆け寄ってきた。

「どうした坂本兵曹! 答えろ坂本兵曹! 坂本ぉ!!」

 美緒の意識はそこで途切れた。

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