リバウの若鷲(ストライクウィッチーズ×大空のサムライ)   作:小山の少将

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第六話 私を知らず

 目覚めは最悪だった。

「う、うーん……」

 一子は重たい頭を苦労しながら起こした。頭の奥がガンガンする。久しく経験していなかった完全な二日酔いである。

 憂鬱な気分で辺りを見回す。

 窓の外はまだ薄暗く、明け切るにはもう少し時間が掛かりそうだ。どれだけ飲んだのか、部屋の中は何本ものボトルが転がり惨憺たる有様だった。

 そこでふと気付く。

 一子はこの部屋に見覚えがなかった。

 一子に本来割り振られた部屋にもそれほど馴染みあるわけではないが、家族と隊の集合写真は飾ってある。それが見あたらない。

「私は……」

 一子は靄が掛かったようにハッキリとしない頭で記憶をたぐり寄せる。

 昨日の晩はリバウ市長の歓待があって、そこでツァンバッハ中尉に会って、ビールの話で盛り上がって、それで……それで……

「う~ん」

 その時、一子のすぐ脇で穏やかな寝息が聞こえた。

「は……へ?」

 寝息の主を見て、一子は目を剥いた。

 そこには昨日知り合ったばかりのカールスラントのウィッチ、ヴァルブルガ・ツァンバッハ中尉が眠っていたのだ。

 しかも真っ白な肌を惜しげもなく晒して。

 一子が起きたことでシーツがはだけられ、いろいろなものが丸見えである。

 その豊かな膨らみに羨望を覚えるより早く、一子は声にならない悲鳴をあげて後退った。

 しかしそこは本来一人用の小さなベットの上。一子はベットの端から転がり落ち、それでも転がるように壁まで後退した。

「ツァ、ツァンバッハ中尉……!?」

 よほど寝付きが良いのか、あれだけ物音を立てても彼女は起きなかった。或いは、彼女も酔いつぶれているのかもしれない。

 一子は眠り続けるツァンバッハ中尉に安心し、胸に手を当てて――――気がついてしまった。

 下を向く。

 声にならない悲鳴再び。

「わたっ……私……ほんとうに……いや……そんな……でも……ふたり……はだか……」

 一子は混乱しながらも頭をフル回転させた。酔いなどとうの昔に吹っ飛んでいた。猛烈な勢いで記憶の糸をたぐり寄せる。

 ツァンバッハ中尉の部屋でビールを飲みながら談笑して、話が思いの外弾んで自分のウイスキーも持ち出して、先に酔いつぶれて……

『あれぇ? 潰れちゃったわね……』

 昨日の記憶が蘇る。

『こんなところで寝ては風邪をひいてしまうわ』

 ツァンバッハ中尉に抱き上げられ、ベットに運ばれて……。鼻歌交じりに身包み剥かれて、それで……。

『綺麗……。こんな肌理の細かい肌、初めて』

 臍の上から撫で上げられる冷たい感触。それとは別に背筋を這い上がってくるような感覚を最後に、一子の記憶は途切れている。

「な、なんてことだ……」

 絶望に染まった顔で一子は呟いた。

「そんな、私の初めては……。…………と思っていたのに……。――――は……!?」

 そこで一子は何やら閃いて、眠りこけるツァンバッハ中尉に背を向けながらゴソゴソと手を動かす。

 そして長い長い安堵の溜息を吐いた。

「よ、よかったぁ」

 ちょっぴり目の端に涙も浮かぶ。酔った勢いで事に及ぶなど、華も恥じらう乙女としては断じて認めるわけにはいかなかった。

 とりあえず純潔を確認できた一子は、脱ぎ散らかされたアンダー・ウェアを着込んでようやく人心地ついた。

 それから、いつまでも丸見えでは忍びないと、一子はツァンバッハ中尉にシーツをかけ直した。ツァンバッハ中尉の寝顔は穏やかで、まだまだ起きる兆しがない。

「それにしても、これが文化の違いか……」

 一子は感慨深く呟いた。

 寝るときに裸になるなど、一子にしてみれば無防備すぎて落ち着かない。ましてや自分以外の人間がいるとなると尚更だ。

 そして何より、恥ずかしい。裸を見られると言うよりも、貧相な身体を見られるのが。

 一子は全く成長の兆しを見せない胸と腰を思って暗澹たる気分になる。人様に見せられたものじゃない。

 それに比べて彼女は――――

「わ、私は何を見ているんだ……!」

 ついまじまじと見つめてしまった事に居たたまれなくなって、一子は首を振って雑念を振り払った。

「そろそろ戻らねば」

 窓の外は夜が明けている。間もなく起床のラッパが鳴るだろう。点呼までに部屋に戻らねば拙いことになる。

 一子は落ちていた上着を抱えて部屋から顔出した。

 右見て、左見て。もう一度右を見る。

 誰の目も無いことを入念に確認して、一子は人目を忍ぶようにツァンバッハ中尉の部屋を後にした。

 

『第六話』

 

―― 私を知らず ――

 

 坂本美緒一飛曹の朝は早い。

 軍において一日の始まりを伝えるラッパの音より早く、まだ空も明け切らない内から起きだして自己鍛錬に励む。

 台湾にいた頃にはそのような事はしていなかったのだが、欧州への航海の途中で一子から剣を習って以来、人目のない朝早くに鍛練を積んで“師匠”である一子を驚かせるために日々欠かすことが無くなった。

 一ヶ月に渡る航海がようやく終わって欧州にたどり着き、即日に大規模な戦闘を行ったとしてもそれは変らない。

 北欧の身を切るような朝の寒さの中で、美緒は正座をして瞑想に耽る。

 しかしそれは厳密な意味での瞑想ではない。宗教家でも求道家でもない美緒は、己の精神をより高い次元に導こうなどとはしていないのだ。

 ただひたすら敵を打倒するために、あらゆる想定で戦術を構築しては破壊する作業を繰り返していた。

 そうして微動だにしないまま幾らかの時間を過ごし、美緒はゆっくりと目を開ける。空は夜の闇色を完全に失っていた。

 美緒は脇に置いていた木刀を手にとって立ち上がった。

 手を鞘に見立てて木刀引き抜き、正眼に構える。

「一」

 右足を進めるのと同時に木刀を振り上げ、すり足で踏み込み振り下ろす。木刀の切っ先が空気を切り裂き振わせる。

「二」

 今度は逆に右足を戻すのと同時に木刀を振り上げ、左足を引き寄せると共に振り下ろす。

「一」

 再び踏み込み、次の号令で元に戻る。

 たったこれだけの単純な動作を、美緒はただ愚直に繰り返した。何十回、何百回、何千回。剣を習った日より絶えることなく続けていた。

 今や美緒の手は肉刺だらけの斑模様に成り果てていた。

 だが美緒はそれを恥ずかしいとは思わないし、醜いとも思わない。むしろそれは自分の努力の証明のようで誇らしい気持ちだった。

 心ゆくまで木刀を振った美緒は、近くに置いておいた手拭いで汗を拭いた。

 そろそろ起床のラッパが鳴る時間だ。汗を流す時間はあるだろうか。

「む?」

 その時、美緒は物陰に隠れるようにこそこそと蠢く人影を見つけた。

 誰かと目を凝らせば、それは一子だった。

 普段は威風堂々としている一子が、小動物のように辺りを気にしながら物陰から物陰に移動する様は何だか滑稽だった。

 美緒の心の中で悪戯心がむくむくと首を擡げる。

「……わた……、で……はだか……いや……文化……」

 美緒はこっそり一子の背後に回り込むと、ブツブツと何やる呟いている彼女の耳元にそっと囁きかけた。

「こんな時間に何をなさっているのですか?」

「ひゃ!」

 案の定、一子は跳び上がって驚き、尻餅までついてしまった。

「さ、坂本!? 坂本兵曹! い、いや、ち、違うんだ! 私は何もやましいことはしていない!!」

「は?」

 何やら盛大に自爆している一子を見て、美緒の目が点になった。

「何かやましいことがあるのですか?」

「い、いや何もない。何もないぞ! わははは!」

 冷や汗をダラダラ流しながら視線を泳がせる一子。あまりの挙動不審ぶりに、これでは自ら黒であると言っているようなものだ。

 美緒の目が半眼になる。

「何を隠しているのですか?」

「な、何も隠してないと言うておろうが! 私には何ら後ろ暗いことはないぞ! ――――ホントだぞ?」

「最後が疑問形になっている時点で黒です」

「なぬぅ!?」

 一子は愕然とした顔になった。

 やれやれと美緒は溜息をつく。一子は嘘をつくのが壊滅的にへたくそだった。

 一子の自爆ぶりがあまりに不憫なので、美緒はこれ以上の追求を止めることにした。

 だが、そこに火に油を注ぐ存在が現れた。

 

「カズコ中尉!」

 

 美緒の後ろからの呼びかけに、一子の顔が瞬時に真っ青になった。

「ツァ、ツァンバッハ中尉……」

 何事かと振り返れば、そこには美緒の知らないカールスラントのウィッチが立っていた。

 階級章は中尉。美緒は反射的に敬礼した。

 そのウィッチもカールスラント式の敬礼を返してきた。

 それから視線を一子に送る。

「カズコ中尉、忘れ物よ」

 突き出された右手に握られていたのは、一子が常に佩びていた軍刀だった。

「す、すまん、ツァンバッハ中尉」

「あら?」

 ツァンバッハ中尉は首を傾げて右手を引っ込めてしまった。

 刀を受け取ろうとした一子の手が空しく宙を掻く。

「私のことはヴァルガと呼んで下さるんじゃなかったかしら?」

「な、なぬ!」

「呼んでくれないと、この剣は返せないわねぇ?」

 挑発的な視線を送るツァンバッハ中尉と狼狽する一子。

 美緒の胸中で、なにやらもやもやと暗雲が立ちこめた。

「ツァ、ツァンバッハ中尉、私はそういうことについて公私をしっかりと分けるべきだと考えるが……?」

「今はまだ起床ラッパ前で私的な時間よ」

「む、むぅ」

 なけなしの抵抗も封殺されてしまい、一子は言葉もない。

 一子は諦めた様子でガックリと肩を落とした。

「そう虐めないでくれ、あー、ヴァルガ……中尉……」

 躊躇いがちに名前を呼ぶ。如何なる理由からか、彼女の白い頬は紅色に色づいていた。

 美緒は胸のもやもやがさらに大きくなるのを自覚した。

「カズコ中尉、あなたは本当に愉快な人ね」

 ツァンバッハ中尉は笑って軍刀を手渡した。

「今朝も、服も着ないで一喜一憂して、笑いを堪えるのに苦労したわ」

「なッ……」

 一子の顔が一瞬にして真っ赤に染まった。

「な……うぁ……ま、まさか、見ていたのか。……狸寝入りしていたと?」

「朝日の中で見るあなたの寝顔は格別綺麗だったわねぇ」

 もはや一子の口から漏れるのは意味を成さない呻き声だけだ。

 一方、蚊帳の外に置かれた美緒の機嫌は加速度的に傾斜を増していた。それに比例するように柳眉も逆立っていく。

 しかし上官同士の会話に一下士官に過ぎない美緒が割り込めるはずがない。

 なので美緒は冷静(のつもり)に一子と話すウィッチを観察した。

 西欧人らしく美緒よりも頭半分高い身長、それに見合うメリハリの利いた体つき。鈍い金色の髪を後ろでまとめ、一分の隙もなく濃紺の制服を着込んでいる。

 そして首下に光る騎士鉄十字章と斜めに被った制帽が、彼女にただ者ならぬ風格を与えていた。

 間違いなく腕利きのウィッチ。年齢的に見ても今が脂の乗りきった頃だろう。

 ツァンバッハ中尉は美緒の視線を感じて愉快そうに笑った。

「じゃあ、そろそろ邪魔者は退散するわね。そこで怖い顔をしている娘もいるし。また飲みましょうね、カズコ中尉」

「うむ。からかわないならご一緒させてもらおう」

「それは無理ね」

「なぬ!?」

 しれっと言い残してツァンバッハ中尉は去っていった。

 美緒はその背中が見えなくなるまで射殺さんばかりの視線を送り続けていた。視線に殺気すら込められていたのに、視線の主はそのことにまるで気がついていなかった。

 残されたふたりの間に何とも言えない空気が漂っていた。正確には、一方の人物から垂れ流される真っ黒な空気が原因だった。

 しかも当の本人にはまるで自覚がないので、なおのことタチが悪い。

「あぁ、あの……坂本兵曹?」

 沈黙に耐えかねて、一子が躊躇いがちに口を開いた。

 だが、

「点呼の時間なのでお先に失礼します」

 美緒は続く言葉を待たず、ピシャリと言って歩き去ってしまった。

 後には項垂れた一子だけが残された。

 

 

 

「なんか最近機嫌が悪いわね、美緒」

「そんな事はない」

 親友の醇子の言葉を、美緒は即座に否定した。

「私の機嫌などどうでもいい。そんな下らないことを言っている暇があったら箸を動かせ、醇子。皇国軍人たる者、常に早飯早便早風呂だ」

「年頃の女の子の言葉じゃないわね」

 ポツリと醇子が呟くと、美緒は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「年頃の女の子など……私は女である以前に皇国のウィッチなのだ。そんなことに現を抜かしている暇などない!」

 そう言って、美緒はお椀の米を掻き込んだ。

 醇子は深い溜息をつく。

「……この頑固者」

「何か言ったか?」

「な・に・も!」

 一字ずつ区切るように言って、醇子は食事を再開した。

 その間にも美緒は食事をとり終えて、さっさと席を立ってしまった。その後ろ姿には、高ぶった感情のせいで現れた使い魔の尻尾が不機嫌そうに揺れていた。

「自覚が無いのは罪よね……」

 大股で歩き去っていく美緒と、下士官食堂の入口で見え隠れする灰色の尻尾を見て、醇子はしみじみと呟くのであった。

 

 * * *

 

 定期の哨戒任務を終え、笹松小隊はゆっくりとした速度でリバウの飛行場に進入した。

 一子は左後ろ――――二番機の位置にいる美緒を盗み見た。美緒は感情の読みとれない厳しい顔をして前だけを見つめている。

 美緒の機嫌が損なわれてから、はやくも一週間近くが過ぎようとしていた。

 一子はもちろん、醇子も手伝って彼女の機嫌を直そうとしたが、未だに成果は出ていなかった。

 それでも三人の息はぴったりと合い、同時に滑走路に接地した。

 格納庫で戦闘脚を脱ぎ、すぐに指揮所に向って、そこで事務的な報告事項を済ませる。

「坂本兵曹」

 報告の後、一子は美緒を呼び止めた。

 美緒は無表情のまま振り返った。

「何か?」

「すこし暇はあるか?」

「申し訳ありません。これから書類を書かなくてはならないので」

「そうか……。呼び止めてすまなかった」

「失礼」

 職務を理由にされては、私事では呼び止めることができない。

 一子は去っていく美緒の後ろ姿を見つめることしかできなかった。

「坂本一飛曹はずっとあんな様子なのか?」

 ふたりの様子を見ていた副長の小園中佐が言った。

 一子は力無く頷いた。

「はい……。原因を問おうにも、本人は機嫌は悪くないの一点張りで。私にも何が何やら……」

「ふむ」

 顎に手を当てて、小園中佐は微かに笑う。

 一子はムッとした顔になった。

「何がおかしいのですか?」

「いや、これはすまん。ただ若いなと思ったのだ。普段は大人びているからつい忘れそうになるが、貴様らはまだ二十歳にもならない年齢だったな」

「……」

 たしかに一子は13歳、美緒は15歳に過ぎない。

 だがそれが今の状況にどのような影響があるというのか。一子には理解できなかった。

 一子が説明不足で不満そうに見上げていると、小園中佐は一転して真剣な顔つきになった。

「本当ならここで若者らしく大いに悩めよと言ってやりたいところだが、何の因果かここは戦場で貴様らはウィッチだ。そんな悠長なことはしていられん。改善の兆しがないようなら、それなりの手段を講じなくてはならなくなるだろう」

「それは……」

 一子は青くなった。

「そのようなことにならないように頼むぞ」

「りょ、了解!」

 一子は背筋を伸ばして敬礼した。

 

 * * *

 

「む……」

 所定の報告を終え、兵舎に戻ろうとしていた美緒の視線の先に、今一番会いたくなかった人物がいた。

 その人物は通路の壁にもたれて腕組みをしている。

 美緒は関わらないように敬礼をして前を通り過ぎようとした。

「坂本一飛曹、ね?」

「……ッ。はい」

 予感はあったが、案の定、美緒はその人物に呼び止められた。

 美緒は舌打ちしそうになるのを堪えながら向き直った。

「扶桑皇国海軍一等飛行兵曹、坂本美緒であります」

「カールスラント帝国空軍、ヴァルブルガ・ツァンバッハ中尉よ」

 事務的な敬礼と答礼。

「ここは人目につくわ。着いてきなさい」

 美緒は否とは言わなかった。

 

 美緒が連れてこられたのは飛行場からほど近い波止場だった。

 周りに人気はなく、ここならば人目につかない。

「何でしょう?」

「せっかちはいけないわ」

 ツァンバッハ中尉は懐から銀製のシガレット・ケースを取り出すと一本銜え、美緒にも向けて勧めた。

「いえ、私は専らこれですので」

 美緒は皇国軍の支給品である安煙草を取り出した。

 本来なら上官に勧められた物を断るのは失礼だが、美緒はそこまで気を遣う気にはなれなかった。

 何より、目の前の人物から何かを与えられたくはなかった。

 火もそれぞれが自分で着けた。

 紫煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。薄い煙が燻り、潮風に消えていく。

 美緒が煙草に手を出したのは欧州に来てからだが、最初は咳き込んでいたそれも、この一週間で慣れてしまった。今ではムシャクシャするたびに無性に吸いたくなる。

「ひどい煙草ね。そんなものは吸ってはいけないわ」

「余計なお世話です」

 美緒はツァンバッハ中尉を睨みつけた。

 ツァンバッハ中尉はただ肩を竦めた。

 それきりふたりは無言になり、波の音にだけ耳を傾けた。

 

「私とカズコは何もないわ」

 

 先に口を開いたのはツァンバッハ中尉だった。

「私とカズコ中尉はただの気の合う飲み友達。あなたが思っているような、それ以上はないのよ」

「……」

 美緒は応えない。それでもツァンバッハ中尉は喋り続ける。

「あの日だって私が勝手にからかっただけ。たしかに酔っぱらってカズコを剥いちゃったけど、それは後で謝ってるわ」

「……」

「だから、あなたがカズコを怒るのは筋違いだわ」

 言いたいことを言い終えて、ツァンバッハ中尉が美緒を見ると、彼女は不可解と怒りを合わせたような複雑な顔をしていた。

 それはツァンバッハ中尉がちょっと想定していなかった表情だった。

「そんなこと、分かっています」

 溜めていたものを吐き出すように、美緒が口を開いた。

「そんなことは分かっているし、関係ないのです。なぜならば、笹松分隊士とあなたが親しかろうと、仮にそれ以上だろうと、分隊士の部下である私には関与するべきことではないからです。ですので、皆が言うように私が怒っているだとか、不機嫌だとかいうのは間違っているのです」

 今度はツァンバッハ中尉が耳を傾ける番だった。

「たしかに近頃の私は情緒が安定しませんが、そこに分隊士は関係ありません。あろう筈がありません。そもそも、分隊士とあなたが親しくして、なぜ部下の私が不機嫌にならなければならないのですか? 友軍との連携を確保する上でも、それは望ましいことです。私が反対する理由はありません」

「あなた……」

 ツァンバッハ中尉は呆然とした顔になった。

「あなた、自分の気持ちに気がついていないの……?」

「自分の胸中は今の通りですが?」

 美緒は心底不思議そうに言った。

 これにはツァンバッハ中尉も絶句する。こんな答えは想像だにしていなかった。

「あなた、軍にはいつからいるの?」

「1933年からです。それが何の関係があるのですか?」

 ツァンバッハ中尉は美緒の答えに驚愕すると共に彼女の歪さに納得もした。

 彼女は情緒を醸成する最も重要な時期の多くを軍隊で過ごしていたのだ。

 事前にした下調べによれば、彼女はブリタニアで世界初のストライカー・ユニットのテスト・パイロットに従事していた。

 普通のウィッチに比べても、実験部隊の彼女は同年代との接触が少なかったことは想像に難くない。

 大人の中で過ごした長い軍隊生活は彼女の情緒を歪に――あるいは純粋に――成長させてしまったのだろう。

 それ故に、美緒は胸に宿る感情に――――嫉妬と呼ばれるそれに名前を付けることができずにいるのだ。

「あなた……」

 ツァンバッハ中尉は思わず美緒の頭を抱きしめていた。

「な、ななな……!」

 狼狽した美緒が手足をジタバタさせた。

 それでもツァンバッハ中尉は抱く力を緩めず、優しく語りかけた。

「あなた……、あなたの心にあるそれは嫉妬よ」

 藻掻いていた美緒の力が抜けた。

「嫉妬……? これが?」

「そう。人はね、友人や恋人――――親しい人が他人に取られそうになったときに嫉妬するのよ」

「あ……」

 美緒の中で何かがストンとおさまった。

 不思議な気分だった。

「これが、嫉妬? これが、これが……」

 美緒は、今まで胸裏を焦していた暗雲が、たちどころに晴れ上がっているのを感じた。

 逼塞感に苛まれていた美緒の心は、長い冬の後に開け放った春の窓辺のような清々しさに満たされた。

 名前が無いが故に認識できなかったそれが、嫉妬という名前を与えられて払われたのだ。

「どう? まだもやもやしてるかしら?」

「いえ、久しく清々しい気分です」

 ツァンバッハ中尉の胸から解放されて、美緒は目を瞬いた。心なしか、世界までも明るく見えた。

 そんな美緒を見て、ツァンバッハ中尉は穏やかに微笑む。

「なら、早くカズコと仲直りしなさい。ほら彼女、あなたを心配してあんな所に」

 ツァンバッハ中尉が指さす方向を見ると、木の幹からはみ出していた灰色の尻尾が跳ねた。

 頭隠して尻隠さず。その典型を見て美緒は笑った。

「あははははッ!」

 久しぶりに声を上げて笑った。

 美緒に大笑いされて、一子が赤面しながら木の陰から出てきた。

「そんなに笑うこともなかろうに……」

「くくく、す、すみません……くく……」

 笑いを堪えきれない美緒を見て、一子は憮然とした表情になる。

 だがそれも、すぐに穏やかな笑みに変った。

「私の部下が世話になったな」

「礼には及ばないわ。もとはと言えば私が蒔いた種よ」

 ツァンバッハ中尉は手をひらひら振った。一子も鷹揚に頷き返した。貸し借りは無し。言外にふたりは同意した。

 それから、笑いすぎて荒い息をする美緒に向き直った。

「どうだ、気は済んだか?」

「はい。いろいろとご迷惑をおかけしました。どうかこれからもよろしくお願いします」

 笑いの発作もようやく収まり、美緒は頭を下げた。

「そ、そうか。うむ、分かればいいのだ、分かれば。心配したんだぞ?」

 頭まで下げられるとは思っていなかったのか、一子は気恥ずかしげに視線を逸らして頬を掻く。

 それを見ていたツァンバッハ中尉は意地悪げに笑った。

「そうよね。カズコったらミオのことが心配で心配で夜も眠れない程だったものね」

 一子は狼狽える。

「う、嘘だ! 私はしっかり毎晩寝ていたぞ!」

「本当? 毎晩毎晩深酒して、むりやり寝ていたんでしょう。その証拠に、ほら……」

 ツァンバッハ中尉が一子の目元を拭った。すると、そこにのせられていた化粧が剥がれ、黒々とした隈が現れた。

 一子は慌てて目元を隠すが、もう遅い。

 美緒は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 普段は化粧っ気のない一子だ。美緒なら気付いて然るべきだった。それも気がつかないほど目が曇っていたのだ。

「第一、化粧道具を私から借りておいてバレないわけないでしょう」

「むぅ」

 一子が萎んだ。

「それにあなた、酔う度に愚痴ってたじゃない。『最近、坂本兵曹の生活が乱れている』とか……」

「む」

「『髪に艶もないようだ。しっかりと食事を摂っているのだろうか』とか……」

「むむ」

「『顔色が悪い。貧血ではないのか』とか……」

「むむむ」

 次々と明かされる暴露話に、一子の顔がだんだんと赤くなっていく。

 一方の美緒は、一子の心配ぶりにいたく感動した様子だった。

「笹松分隊士……、部下の健康状態をそこまで細かく観察していたなんて……」

 しかも論点が少しずれている。

 美緒の勘違いした感動の視線と、ツァンバッハ中尉のニヤニヤ顔に晒されて、一子は口を“~”の形にしてもう沸騰寸前だった。

 そしてトドメの一撃はもちろんツァンバッハ中尉が差した。

「それに、私とミオがふたりきりになってからは、それはもう殺気にまみれた視線で――――」

「だっしゃああああぁぁぁぁ――――!!」

 一子、噴火。

 ツァンバッハ中尉の言葉を無理矢理遮った。

「と・に・か・く・だ!」

 一子は美緒の顔をガッチリと両手で挟み、

 

「たぁばぁこぉはぁ、身体に悪いんだぞぉぉぉぉ――――!!!!」

 

 意味不明の言葉を残して、飛んでいってしまった。

「な、何なんだ?」

「やっぱり愉快な娘ね、カズコは」

 残されたふたりは、それぞれ困惑と愉快の表情で呟いた。

 

 なお、波止場近くに植えられた木の幹が、手形が分かるほどクッキリと握りつぶされていたのは秘密である。

 後日それが発見され、脚色を交えて台南航空隊の怪談話として語り継がれることになったのもまた秘密である。

 

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