魔法少女まどか☆マギカ外伝 ~エピソード・オブ・マミ~ 友情のティロ・フィナーレ   作:soranora

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宝石箱

これが最後になると思うから―――

 

電話の主は、そう言葉を残して電話を切った。マミはその言葉が意味する事を理解し、厳粛にそれを受け取った。

 

いつかこんな日が来てしまうのではないか、片隅に置かれていた、目を背け続けていた、未完成の未来予想図。頭の隅っこにホコリをかぶって丸められた予想図。いつでも裁断機にかける準備はできていた。早く捨ててしまいたかった。しかしその予想図が一向に裁断機にかけられることはなかった。替わりにマミが描いた渾身の予想図は次々と裁断機に送り込まれた。どんなに一生懸命描いても、どんなに心血を注いでも、運命の裁断機は無慈悲に切り刻んでいった。気が付けば、この丸められた予想図だけが手元に残された。運命は、ホコリを掃い、丸められたこの未完成の予想図を広げて、続きを描けとマミに告げた。けれどもマミはこの予想図を描くことを頑なに拒む。

 

なぜなら、この予想図には香織の姿は描かれていないから………

 

その電話の主はマミに告げた。

 

震える手で、涙に濡れた未来予想図を描く覚悟を決めろと………

 

電話の主は、香織の母親だった。

 

 

                   ◆ ◆ ◆

 

 

 マミは香織の母親に、見滝原のスケートリンク場に呼び出されていた。香織を蝕む病魔はその命に手をかけていた。香織に残された時間が少ない事を悟った医師は、やむを得ず外出許可を出した。大切な人達と最後に過ごす時間として。香織の母親はマミに言った―――

 

「私達にはもう、あの子に何もしてあげられない。巴さん、最後に香織と会ってほしいの。あの子もそれを望んでいる………」

 

屋内施設のスケートリンク場。それほど大きなリンクではないが、普段は一般の娯楽目的の使用者や、各競技のスクールに使用されているケースが多い。大きな大会で使用されるような規模はなく、リンクの外側には客席のようなものは無い。この日は休館日だったが、事情をのみこんでいた管理人は快くマミを場内に通してくれた。

 

マミはリンクと遮られた壁の外側から、スポットライトに照らされた、誰もいないスケートリンク場をしみじみと眺めていた。いつもならスケートを楽しむ人々の声で賑わいを見せる場内は、水を打ったように静まり返っている。マミはそこに香織の滑る姿を想像した。躍動する演技に舞い上げられる細かな砕氷が、銀色の光によってダイヤモンドダストを作りだす。氷の女王に愛された申し子は、内包された輝きを放ちながら見る者全てを魅了していく―――

 

「マミ」

 

マミを後ろから呼ぶ声。その声はマミの傷ついた心を優しく撫でた。湧きあがる高揚と安逸に胸をいっぱいにさせたマミは振り返った。

 

「香織!」

 

そこには香織の姿があった。母親が押す車いすに座り、ニット帽をかぶっていたが、悪戯っぽく笑ういつもの香織の姿がそこにあった。その笑顔は、澄んだ水の流れや、優しい木の葉のそよぎが人の心を癒すように、マミの精神を癒し鎮めてくれた。不意に込み上げてくる感情にマミは表情を崩しはじめる。それを香織は明るい声で釘を刺した。

 

「ダメ!」

 

香織の言葉の意味を瞬時に理解したマミは、泣き出しそうな感情を必死に抑えた。香織は少し膨れた表情で言った。

 

「もう、すぐマミは泣くんだから、マミの泣き虫」

 

香織は悪戯っぽい笑顔でマミを覗きこむように見た。マミはこぼれ落ちそうになった涙を拭いながら、「ごめん、ごめん、これでいい?」と笑顔で返す。

 

「それでヨシ!」っと偉そうに香織が言った。

 

二人は顔を見合わせると、おかしくて笑い合った。

そんな二人の様子を見ていた香織の母親は、安心したように香織の耳元に一言囁くと席を外した―――

 

 

 

 

マミと香織はリンク場を眺めるような形で横に並んでいる。お互い何かに耽るような沈黙を置いていた。車いすに座った香織が静かに口を開いた。

 

「あの二人は大丈夫よ」

 

唐突に投げかけられた香織の言葉に、マミはリンク場に向かれていた視線を香織に向けた。香織は力強い眼差しでマミを見据えて言う。

 

「和美ちゃんと委員長は絶対に大丈夫。そうよね?マミ」

 

香織はマミに確かめるように訊いた。二人が無事に回復する保障など、どこにもない。けれども、香織の力強い眼差しには確信のようなものが込められていた。まるでこの先の未来を見て来た、決まっている事実を確かめ合っているような。マミはその時確信した。根拠なんて特に無い、けれどもそう思わずにはいられなかった。二人は無事に戻ってくると。

 

「ええ、もちろんよ。あの二人は絶対に戻って来るわ!」

 

マミの確信の言葉を受け取った香織は、安心したように鋭い眼差しを幾分緩めて微かな笑みを浮かべた。そして再びリンク場に目をやる。

 

「ねえマミ」香織が声をかけた。

 

「何?」

 

「わたしね、一つわかったことがあるの」

 

「わかったこと?」マミは香織の言葉を反復した。

 

香織は肯くと言った。

 

「私達はね、いつでも奇跡を起こせるんだよ」

 

マミは香織の言葉の意味を読み取れない。そのまま次の言葉を待った。

 

「この世界にはたくさん宝石箱が眠っているの。だけど、誰もそのことに気づいていない」

 

「宝石箱?」

 

「ええ、宝石箱は私たちのここにある」香織は自分の胸にそっと手をあてた。

 

「ここに?」マミは香織に倣う様に胸に手をあてて確認する。

 

香織は「ええ」と肯くと、続けた。

 

「私達は奇跡を起こせる宝石箱をみんな持っているのに、自らそのフタを閉じてしまっているの。そのフタを開けるだけで奇跡を起こすことができるのに」

 

マミが訊いた。

「どうしてフタは閉じられているの?」

 

香織は静かに答えた。

「それはきっと、自分を愛することができないからよ。自分を愛せないということは、自分を偽って生きているのと一緒なのよマミ。真に自分らしく生きることができれば、そこに確かな幸福と満足があるに違いないのに、多くの人が自分を偽って生きている。人にどう見られるか、どう評価されるか、そればっかりに囚われ過ぎて、自分自身を見失っているのよ。人にどう見えるかじゃなくて、自分がどうあるべきかを考えなくてはいけないのにね」

 

マミは自分を愛することなど考えたこともなかった。どちらかといえば自虐的で犠牲的な傾向が自身に具わっているように思える。魔法少女として己を犠牲にしても他者を救う事がマミにとっての美徳な精神の一部として存在しているのは事実だった。香織は何か重要な事を伝えようとしている。マミはその一字一句を逃すまいと、食い入るように言葉を待った。

 

香織は続ける。

「私はこの病気と闘っていてそれがわかった。どんなに苦しくたって、どんな姿になったって、自分を見失わずに生きて行けば輝いて行ける。そうすると周りの物事が輝いて見えるようになるのよ。それが物凄く尊いものに思えるし、大事に思えるの。私は凄く幸せだな、嬉しいなって。私を大事に思ってくれる人がこんなにもたくさんいる。そう思うと嬉しくてたまらなくなるの。この世界は美しいんだ、たくさんの宝石箱が散りばめる奇跡の世界なんだって思えるのよ」

 

香織は確信を込めた力強い言葉で言った。

 

「奇跡は起こる、自分と向き合って生き抜けば必ず。環境や境遇が人間を不幸にするんじゃないんだよマミ。本当に不幸なことは、自分の心に負けて、自らを蔑ろにしてしまうことなのよ」

 

香織の言葉には確信の光があった。身を持って体験した真実の光だ。マミは体の中心から溢れ出す高揚感のようなエネルギーを感じた。香織の内包された輝きに、呼応されるように輝く力。その力は元より具わるエネルギーより遥かに大きいものとして、マミは捉えた。

 

「ごめんね、また一人でしゃべってる………でも、どうしてもマミにこの話をしておきたかったの」香織はマミを真っ直ぐ見上げた。

 

「ええ、あなたの話、私の胸に響いたわ。ありがとう」マミはニッコリ笑った。

 

その表情を見て香織は安心したようにニッコリ笑うと、マミにお願いする。

「ねえ、私をスケートリンクに連れて行ってくれない?」

 

「?」

 

「わたしもう一人じゃ歩く事ができないの。お願い」

 

不意に出た香織の言葉にマミは胸をしめつけられたが、表情を表に出さないように応じた。

 

「おやすい御用よ」

 

マミはゆっくりかがんで、車いすの香織に肩を貸すような姿勢を取った。香織はマミの肩に腕を回してもたれるように体をあずけた。マミはゆっくり姿勢をあげて、車いすから香織を立たせるような形になる。

 

「!」

 

その瞬間、マミは溢れる感情を抑える事に専念しなければならなくなった。香織の腕は氷のツララのように細く、体重は藁のように軽い。病魔は恐ろしい程に香織の体内から奪えるものを全て奪っていた。乾燥されたヘチマのように、あらゆる成分をすべて抜かれているようだった。香織の命は風前の灯だ。香織に残されているのは自我という意識だけなのかもしれない。重力を気薄にした体は、マミの胸にそんな思いを去来させ、避ける事のできない現実として突き付けた。それは涙に濡れた予想図を描いて行かなければならない事をマミに知らせた―――

 

 

 

二人は靴のままスケートリンクに足を踏み入れた。マミにもたれるように立つ香織は、少し歩いただけで呼吸を乱れさせた。マミは香織が呼吸を落ち着かせるのを張り裂けそうな胸のまま待った。香織は大きく息を吸って吐くと、静かに口を開いた。

 

「フィギアはね、一見華やかに見えるスポーツだけど、実際はどこまでも孤独なスポーツなの。この大きなリンクに立って、その一身に会場全ての視線を受ける。演技をする前は、リンクの真ん中にポツンと取り残されるように立つのよ。信じられるのは自分だけ、誰にも頼ることはできない。押しつぶされそうな緊張と重圧の中、逃げたくなるような感情を抑えて、覚悟の構えでスタートを待つの………」

 

香織は耽るようにゆっくり目を閉じると、記憶にある演技の実況を静かにはじめる。

 

「流れ出す音楽に身を委ねるように滑りだす―――

 

ゆるやかにターンとステップを乗せながら自分が作りだす世界をリンク場に染めて行く―――

 

そして最初のジャンプ。

 

ここでいきなりトリプルアクセルを飛ぶの。難易度が高いゆえに失敗する確率も高いわ。でも私は飛ぶ。着地を成功させて一揆に会場全体を私の世界に引き込むの。

 

ジャンプを成功させると会場中に大歓声が沸くわ!

 

そうして引き込んだ世界の中で軽快なステップとターンを交えながら、私にしかできないパフォーマンスを表現する―――

 

連続ジャンプで溢れ出す胸の高鳴りのまま華麗に舞う―――

 

そして切れのあるスピンでその高ぶる思いを花として咲かせて行く―――」

 

マミは香織が演技する姿を見たことはない。けれども不思議とその姿を思い描くことができる。香織の動き、鼓動、息使いまで、全てを感じることができる。まるで一つの体に二人の精神が入り込み、五感で感じた全ての情報を共有できるような不思議な感覚だ。マミはどうしてそのような感覚を持ったのかわからない。ただ、高ぶる感情が見せた幻覚のようなものなのかもしれない。しかし共鳴のような小さな振動が打ち消しがたい感覚としてマミの胸中に残していた。

 

香織の熱の籠った実況が続く。

 

「前半が終わると後半よ。私はブレードを力強くさばきながら、鳥のように羽ばたく―――

 

大技の連続よ!ダブルアクセル、トリプルトゥループ、トリプルサルト、何種類もの大技を跳ぶたびに魂は躍動する!

 

そして最後の山場を迎えるわ、大技ジャンプの三連続。踏み切る瞬間に躊躇する感情を全て吹き飛ばすの。その時心の中で叫ぶのよ、

 

私なら絶対にできる!って、

 

そして着地成功と同時に大歓声が轟くわ、この頃には会場が一つとなって私のステップに手拍子を送る。最高の気分よ、最高の演技を見せた達成感と充足感、あの銀色に輝く光の中で主役となって舞うことができる。そして演技の最後に全ての思いを込めたスピンでフィニッシュを決める………」

 

香織は記憶を辿るように目を閉じていた。きっと元気に舞っていた感覚をこの空気と混ぜながら、最後となる演技を披露している。マミはそう思った。香織は目を見開くと言った。

 

「割れんばかりの歓声が演技を終えた私に降り注ぐ………」

 

すると香織はマミの肩から離れて、何かに引き寄せられるようにフラフラとリンク場の中央へ導かれて行く。マミは心配そうに声をかける。

 

「香織………」

 

香織は振り返りニッコリ笑うと「大丈夫」と言って中央へ再び歩き出す。

 

導かれたリンク場の中心で銀色のスポットライトを浴びた香織が、両手を広げながら仰ぎ見るように天井を見上げた。降り注いだ光を全身で受けとめている。マミにはそう見えた。降り注ぐ細氷が銀色の光でダイヤモンドダストの世界を作りだす。輝く世界は香織が言葉にした奇跡の世界なのかもしれない。香織の姿はその世界の中心で神々しく輝やいている。マミはその姿に一人の少女の生き様を見たような気がした。

 

「!?」

 

その瞬間、不意に力が抜けたように香織がリンクに崩れた。

 

「香織!」

 

マミはおもわず叫ぶと、一目散と倒れた香織の元へ走り出す―――

 

駆け寄ったマミは倒れた香織を抱え上げた。生命力を極限までに吸い取られてしまった香織の体。内包された輝きが薄れ始めている。香織はこの世界から消えようとしている。マミは涙に声を震わせた。

 

「香織………死なないで………お願い………ずっとそばにいて………」

 

香織は澄んだ目でマミを見つめると静かに口を開いた。

 

「私ね、マミに助けられたあの日、本当は死ぬつもりだったの」

 

「え!」マミは突飛に明かされた真実に困惑した。

 

香織は静かに続ける。

「私はフィギュアスケートができなくなったこの世界に生きる意味を見失ったの。だから死のうと思った………」

 

香織は静寂な区切りを置いてから言った。

 

「でもあなたが私の前に現れた………そして生きる希望をくれた………ありがとうマミ、あなたが私を救ってくれた。あなたのおかげで私はこの世界の美しさを知ることができたの。本当にありがとう………だから………」

 

香織はそう言って優しくマミの涙が流れる頬に手を添えた。

 

「泣かないでマミ………この世界は美しいのよ………いたるところに奇跡が溢れているの。だから笑ってマミ………あなたは綺麗な宝石箱を持っている………」

 

マミは堪えていた感情を爆発させるように泣き出した。そして香織をそのまま抱きしめる。激しい悲しみに嗚咽を切りながら泣き続けた。抱き上げられた香織は泣き続けるマミの耳元で囁き続けた。

 

「ありがとうマミ………本当にありがとう………あなたのおかげよ、本当にありがとう………」

 

香織の感謝の言葉はマミの心に染み込んで、生きるための力を注ぎ続ける。そして香織は銀盤に残されたトレース(スケート靴の刃が滑った跡)を静かに指でなぞった。

 

この世界に別れを告げるように………

 

 

                   ◆ ◆ ◆

 

 

 シンと静まり返った薄暗い部屋。その部屋の中でマミは意識の無い香織の体を抱きかかえていた。山小屋のような時間を留め続けている部屋だ。耳が痛くなるような静寂。

 

「………」

 

不意にドアが軋んだ音を立ててゆっくり開く。開かれた隙間から粉雪が入り込んできた。外は雪が降っているようだ。キラキラと光る粉雪と共に、身を刺すような寒風が流れ込み、マミの体を刺した。香織の身を案じたマミはゆっくり香織を床に寝かせて、開かれたドアに向かった。マミがドアノブに手をかけた刹那、

 

「!!!」

 

猛烈な突風と猛吹雪がマミもろとも建物を吹き飛ばした―――

 

吹き飛ばされて雪に埋もれてしまったマミは、保った意識を確かめるように体を起こした。そしてすぐさま香織の姿を探した。広大な雪原の真ん中に横たわる香織の姿がある。マミは吹きつける吹雪の中を進み香織の元へ向かった―――

 

横たわった香織の体に大粒の雪が降り積もり、その体は雪に埋もれていく。マミはなんとか香織の元にたどり着き、必死に香織に積もった雪を払う。しかし、猛烈に吹き荒れる吹雪が香織を雪の中へ引き摺り込もうとする。

 

氷の女王が香織を連れ去ろうとしている!

 

危機感を覚えたマミは必死に雪をかきわけ、感覚を失っていく手で雪を掘り起こす。マミは懇願するように叫んだ。

 

「お願い!香織を連れて行かないで!お願い!」

 

感覚を失った指先からは血が滲み出した。マミはその手を休める事はなかった。無情にも雪は香織を呑み込んでいく。マミのその小さな手では香織を取り返すことはできなかった。氷の女王は香織を連れ去ってしまったのだ。この世界から永遠に………

 

 

数日後、香織は逝ってしまった―――

 

 

 

 

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