一から無限に広がる物語(かのうせい) ヒト、それをオクトパストーリーと呼ぶ 作:オクトパストーリー主催者
いつもそばに (作:hasegawa)
鳥の鳴き声の聞こえる、穏やかな朝。
それはいつもの朝のようでいて、どこか違った朝だった。
この家の主、雪代宜弘(ゆきしろよしひろ)が、いつものように軽く欠伸をしながらキッチンに向かうと、其処には先客がいたのだ。
「……? な、何で儀子が……ここに?」
とある事情で同居中の幼馴染――水無瀬儀子(みなせ のりこ)がそこに立っていた。
背中まで伸びた、セミロングの髪。
仔犬か栗鼠のような印象を想わせる、くりっとした榛色の目。
小さく整った、卵型の顔。
鼻筋が通ってお雛様のような、小さな口。
そしてなにより、目を引き付ける雨宿りができそうなほど、せり出した胸――――
そんな彼女はいま三角巾を付け、忙しなくキッチンを動き回っている。
割烹着姿で煮物の味見をしたかと思えば、まな板の上で何かを刻んだり、冷蔵庫から何かを出して盛りつけたり。
(貴方作る人、私食べる人。
……なんていつも言っていた儀子が、料理だなんて。……夢かな?)
しばらくの間、宜弘がその姿に見惚れていると、やがて儀子がふぅと一息吐き、三角巾を外して軽く頭を振る。
解いた長い髪が一瞬散るように踊り、サラッと肩へ流れた。
そして儀子は何かを考える様に、口元に指をあてながら、周囲を見回し始める。
ふと振り向けば、そこにいる宜弘と視線が合わさった。
「あら宜弘様、お早うございます」
「えっ、宜弘……様? それにその言葉遣いは……え?」
「もう宜弘様……。朝はお早う、昼はこんにちは、夜は今晩は……ですよ?
人が生活するには、挨拶が肝要でしてよ」
そして窘めるようでいて、けぶる様な笑みを浮かべ……、
「お早うございます、宜弘様――――」
鈴を転がすような声を、宜弘にかけたのだった。
「あ、おはよう。……って、何で儀子が台所に……?」
「もうすぐ朝食ができますから、お座りになってお待ちくださいね」
「え? ……あ、あぁ」
目の前の出来事に戸惑っている宜弘をよそに、儀子は手際よく朝食の用意をしている。
――――――――――――――――――――――――――――――――
(なんで儀子がここにいる……?
そんなハズないだろう。だって……)
促されるままに、いつものテーブルへ。
だが未だ宏明は混乱から抜け出せぬまま、ただキッチンに立つ儀子を見つめるばかり。
「料理をするのは、本当に久しぶり……。
こうして包丁を握り、手を動かしているだけで、嬉しく思います」
その表情は、こちらからは窺えない。だが儀子がしみじみと感じ入るように、そう呟いているのが分かる。
「もう少しだけお待ちくださいね? すぐ出来上がりますから」
だがその声を聞いても、宏明の心が静まる事は無い。
(動けるハズが無いんだ。
……ここでこんな風に、のほほんと料理なんぞ出来るワケが無い)
思わず周囲を見回し、どこかに手ごろな道具は無いかを探す。
引き出しにあるハサミ、戸棚に仕舞ってある包丁、そしてどこかにあったハズの縄を思い浮かべた。
(こいつは
手足を縛られ、口を塞がれ、いっさい身動きを出来なくしていたハズだ)
この数日、宏明は儀子を自宅に監禁し、そして暴行の限りを尽くしていた。
手足を縛ってはいるが、本来ならばそんな物がなくとも、儀子は動く事が出来ないハズだった。
何故なら――――とうの昔に手足などへし折っている。
ついでに声など出せないよう、喉も潰してやったハズだ。助けを呼ばせない為に。
(どうやって出た? どうやってここに?
そもそもなぜコイツは立っている? 声など出せる?)
2週間ほど前、宏明は長年恋焦がれていた自身の幼馴染が、知らない誰かと婚約していたという事を知った。
それからの数日間、宏明は入念に計画を練り、道具や取り揃え、環境を整え、この自宅に儀子を監禁する為の準備を整えた。
もう二度と、自分以外の誰かなどを見ないように。見られないように。
幼馴染である自分の想いを裏切った、儀子を罰する為に。
(治った? 足りなかったのか? もっと完膚なきまでにへし折るべきだったか?
……そんなワケが無い。たしかに俺は、儀子の骨が砕ける音を聞いたじゃないか。
どれだけ泣き叫ぼうと、金槌で殴り続けたじゃないか)
親に関してのちょっとした頼み事だと騙し、なんとか彼女をこの家に連れ込んだ日から、宏明は毎日のように暴行を加えた。
だから彼女の今の状態をよく知っているし、あんなにも身体の隅々まで観察してきたのだから、思い違いなどするワケが無い。
そもそも、自分がどれだけ彼女の事を想い、四六時中彼女の事を考えていると?
こんな事をしてまで手に入れようとする位に、心から彼女を愛しているのだ。
そんな自分がミスを犯すはずは無く、この練りに練った計画が完璧で無いはずもない。
だから、この現状はありえないハズなのだ――――
「さぁ出来ましたよ宏明さま。
テーブルの上を片付けてくださいますか?」
「あ……あぁすまない。少し待ってくれ」
言われるがままに、新聞や小物などをテーブルからどけて、料理を置く為のスペースを作る。
思わず声が裏返りそうになるが、なんとか堪えて平静を装う。何気ない口調を意識して。
だが宏明の目が、彼女から離される事は無い。その目は狡猾に、そして猛禽類のように儀子を捉え続ける。
隙を見せたなら、いつでも儀子を拘束できるように。
また部屋に押し込み、彼女と共に生きられるように。
二人きりで、愛のある人生を、おくるためにも。
「さぁ召し上がれ。お口に合うと良いのですが」
対面の席に着き、儀子は薄い微笑みを浮かべて宏明を見ている。
料理を食べて貰える幸せを感じるかのように。そして食べてくれる人の笑顔を、思い浮かべているかのように。
「……」
箸を手に取り、手を合わせる。そして目の前の温かな湯気を放つ料理と対面する。
未だ頭は混乱し、呆けてはいるものの、これ以上注意などされぬよう「いただきます」の言葉だけは、しっかりと口にする。
もうこれ以上、儀子の言葉を聞く事が怖かったのかもしれない。少しでも口を開かせないようにと。
「思えば……こうして料理を作ってもらう事は、初めてでしょう?
いつもは宏明さまが、儀子の食事を用意しているのだから。
たまにはこういうのも、良ぅございますでしょう?」
そうだ。生まれてこのかた、母親以外に料理を作って貰った事など無い。
学生時代のバレンタインでさえ、儀子は想い人に贈るばかりで、自分にチョコなど作りはしなかった。
彼女の手料理どころか、ちょっとした贈り物や、好意的な言葉でさえ……自分は何一つ受け取った事は無い。
幼少期の出会い以来、自分はいつも遠くから儀子を見守るばかり。
多少の会話や、ちょっとした頼み事をされる関係ではあるものの……自身は彼女に何かをしてもらった思い出など、ひとつもありはしないのだ。
そしていつもの如く、自分が儀子の食事を用意する為に早起きしてみれば……、そこには何故か儀子の姿があるときた。
仕事の時間の関係で、まだろくに日が昇らぬ内から台所へと来てみれば、確かに押し入れに放り込んでいたハズの儀子が、そこにいたのだ。
「私も久しぶりに腕を振るう事が出来、うれしゅう御座いました。
ささ、宏明さま? どうぞ冷めない内に」
どうやら考え事をするうちに、箸が止まっていたらしい。
それを儀子に咎められ、宏明は慌てて手を動かす。
内心の動揺が儀子に伝わってしまったかと、心の中で舌打ちをしながら。
もし一瞬でもコイツが目を離したら、その瞬間に組み伏せてやる。そして二度と抜け出したりしないよう、しっかり身体で分からせてやらなければ。
そう心に決めて、宏明は黙々と箸を動かしていく。
「お味は如何ですか? 嫌いな物は御座いませんでしたでしょうか?
断りも無く作ってしまったもので、少々心配です」
味など分かるか。今はそれどころじゃ無いんだ。
そう内心で毒づきながら、料理を咀嚼する事で誤魔化し、黙って頷きを返す。
「たんと召し上がれ。堪能して下さいましね?
このような機会は、二度とありませんでしょうから」
それはそうだろう。お前はこの後ひたすら殴りつけられ、また部屋に戻されるんだから。
宏明はそう思う。……だが一瞬、ふと違和感を覚えた。
「此度の食事が、最初で最後。もうこのような事は御座いませんゆえ」
だがなぜ儀子が、そんな事を言う?
もう二度と料理を作る事はないと、なぜそのように考える? なぜ今それを言う?
宏明は思わず手を止めて、儀子の目を見つめる。
「今後は黙って、ただ宏明さまを見守る事と致します。
無粋な事はせず――――貴方が憔悴してゆく様を、ただ眺める事と致します」
ニコリと、儀子が笑みを浮かべる。
その顔を見た途端、宏明の身体が凍り付く。
「食べ終わったら、ぜひ押し入れの中を御覧なさい。
そこに
思わず立ち上がる。テーブルの料理が散乱する。
儀子はただ笑みを浮かべ、こちらを見つめている。
『気が付きませんでしたのね、あの子がもう死んでいる事に。
まるで三日月のように、大きく耳元まで口が裂けていく。
儀子が今、こちらを見て楽しそうに笑っている――――射貫くような瞳で。
「――――お前ッ……! だっ! だッ……?!?!」
身体が動かない。まるで金縛りのように、ピクリとも動かせなくなる。
儀子だと、そう思っていた者から……目を離せなくなる。
『 嬲るのは 楽しゅう御座いましたか?
抵抗出来ぬ者をいたぶるのは――――心地よぅ御座いましたか? 』
女がスッと立ち上がり、ゆっくりとこちらに向かってくる。
浮き上がるように、まるでテーブルなど無いかのように!
――――ゆっくり近づいてくる! すく眼前まで!!
『 次は 貴方の番で 御座いますね ?
これからずっと 見守っておりますゆえ 娘のかわりに 』
――――彼女が笑っている。
――――――とてもとても、嬉しそうに笑う。
『 娘を殺してくれて ありがとう
いつも わたくしが 傍におりますね 』
朝日が昇る。部屋に眩い光が差し込んでくる。
その途端、目の前の女は煙のように消える。
そして、まるで何事も無かったかのように、静寂が戻った。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「今日は皆さんと楽しく過ごすことができました。今年も一年がんばっていきましょう!
それでは一旦、ここで締めさせていただきます。
只今より、皆様の益々のご活躍とご健康を願いまして、【関東一本締め】を行います。
――――皆様、どうぞご起立ください」
宜弘のその声に、会場内がざわつきながらも準備が整う。
宜弘の前には、儀子がにこやかに佇んでいる。
「それでは、パン! と一回だけ手を叩く、関東一本締めで締めさせていただきます。
皆様、お手を拝借。……いよ~っ!」
パンッ
「皆様、本年もよろしくお願いいたします」