雪乃「真正の馬鹿」   作:ばなな

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 もう何回、靴を隠されたのか私は数えていなかった。小学三年生から日本に戻ってきて、早一年。女子の嫉妬をこの小さな身で受けること早一年である。

 特筆することではない。私という人間は社会一般的に見れば、その輪の中から弾かれている存在であった。

 持ちすぎるが故の孤独とでも言えばいいのだろうか。人は自分の弱さを、他人のせいにしなければ生きていけない存在なのだと、小学四年生ながらに痛感させられた。

 生憎、それを辛いと感じることは無かった。私を省きたがる集団は所詮、烏集の交でしかい。

 自身の地位をより大きくしたいがために、上にいる私を蹴落とす。自分たちが行うべき努力の方向性を履き違えてしまった彼女たちに、私は哀れみすら抱いた。

 中学にさえ進学できれば、少しはマシな人間が私の前に現れるだろうかと、淡い期待を抱かずにはいられない。ここには低能で、クズで、頭の悪い人間しかいない。小学生の愚かさを体現した連中が、まさにてんやわんやだ。私に釣り合うとまではいかなくても、少しは倫理的、道徳性に長けた人間が現れて欲しいと思う。

 

 そんなことを考えていると、どうやら校舎を一周してしまったらしい。気がつけば空は黄金色に変色していた。

 別に靴がなくても、迎えを呼べば帰られるのだが、その場合は母親に全て知られる可能性があった。

 できることなら、この現状を家族の誰にも知ってほしくはない。知られればきっと面倒になるから。まだ同年代の葉山隼人にも知られていないため、このまま平穏に小学校生活を送れれば幸いである。

 とりあえず校舎にないとなれば、残るは外か体育館といった別の建物内かに限定される。その中でも、最も可能性がありそうなのが外というのはなんとも皮肉を感じた。靴がないのに、外へ探しにいかなければならないなど、矛盾しているにもほどがある。

 それでも迎えを頼まないと決めた自分に選択肢などなかった。最悪、上履きのまま外に出れば靴下などは汚れずに済むだろう。

 

 校舎を出てみれば、春先の生暖かい風が私の頬を撫でた。温く、優しい風だ。若干ではあるものの、花の匂いも乗せている。僅かばかり荒んだ心が、癒されるような気がした。

 運動場を見渡すと、そこに子供たちの姿はない。みんなもう家に帰ってしまったのか、閑散とした光景だけが広がっていた。少しばかり心が弾んだ。基本的に一人が好きな私は、こうして誰もいない光景を見ると落ち着きを感じてしまうのだ。

 上がった気分のまま、私は靴を探すため砂場を目指す。靴がどこかに埋められていると思ったからだ。私の嫌がることをする連中の思考回路は、基本的に同じ仕組みをしている。靴を泥や砂で汚したいと考えるか、私に見つけてもらうために、わざと見つかりやすい位置に置くかである。後者の場合、私が誰かに密告しないよう、簡単に見つけられる位置に置くことがある。

 全く、毎度ご苦労なことだ。

 

 砂場まで足を運んでみれば、そこには1つの立派な盛砂があった。大きさは大体、私の身長の3分の2ほどと行ったところだろうか。

 ___なぜ盛砂がこんなところに?

 内心首をひねりながら、下顎に手を添えて考える。

 まだ砂に水分を含ませて、何かしらの建造物を造形するのなら話は分かる。砂遊びというものはそういったものだと理解しているし、まだ共感もできる。

 しかし話がどう流れれば、ただ砂を盛るだけのこれを、小学校の砂場で作られているのかが謎である。

 もしかしてこの中に靴が入れられていたりするのだろうか。今まで、このような非常に手間のかかる嫌がらせをされたことがないため少し目眩がしてしまう。

 揺れる視界の中、私は自身の手を砂に押し当てた。砂には少し湿ったような感触があり、この形で固められているのが分かった。

 結局のところ、靴がこの中にあるかないのかは、掘ってみないことには分からない。

 大きさ的に手だけで掘るのは労働力が馬鹿にならないので、運動場倉庫からショベルを取り出す。ザクッという耳触りの良い音を奏でながら、私は黙々と盛られた砂を掘り返した。

 

 盛砂の先端を削っていた時だろうか。今まで砂をかき分けていた感触と違うものを感じる。私は急いで周りの砂を全部落とし、その違和感を感じた部分を浮き彫りにさせた。砂の中から出てきたのはダンボール箱一つ。側面には竹の筒のようなものが突き刺さっており、他に突出した点は無い。

 もしかしてこの中に靴が入れられているのか。そんなことを考えてみたが、流石にそれはないだろうと一笑に付した。

 では、これはなんなのだろうか。

 恐る恐る手を伸ばす。なんだかギリシャ神話の最初の女性になったような気分だ。いけないと分かっておきながら、その好奇心に勝てない。

 観音開きするダンボールの蓋を、そっと開けてみた。

 ゆっくり、ゆっくりと開けてみた。

 

 

 

 すると、そこには___人の体があった。

 

 

 

「きゃあっ!!」

 

 思わず、腰を抜かしてしまう。薄暗いダンボールの中に、人の体が見えたら誰だってこうなるんじゃないだろうか。

 ダンボールの中に入っていた人間は、そんな私を嘲笑うかのように「あはははは」と中性的な声を上げながら、のろりと外へ出てきた。

 この子は___。

 出てきた”彼”の姿を見た私は、そう思う。少し寒さの残る春先に半袖半ズボンの服装。手には華麗な色合いのミサンガを二個装着しており、少し長めで切りそろえられた茶髪には泥が付着している。

 間違いない。私はこの少年を知っている。

 

「見つかっちまったー!」

 

 大きな声で少年が言った。呆然と座り込む私を見下ろしながら、彼は言った。

 言葉は悔しそうなのに、反面ニコニコとした笑顔は、まさに年相応の幼さを感じさせる。頬についた泥の汚れが、良い味を引き出しているのではないだろうか。

「あれ?」と何かに気がついたのか、少年は小首を唐突に捻った。

 

「あんた誰ぇ?」

 

 それはまさに、衝撃的な一言であった。私が言われると思っていなかった死角からの言葉であった。

 彼はあんなふうに言っているが、私は当然彼を知っている。いや、私の周りであれば、彼を知らないものはいないとすら思う。

 彼の名前は「住吉 太郎」。今時いないであろう、その古めかしい名前は、私の脳味噌にしっかりと収納されている。所属クラスは4年B組で、クラスでの雰囲気は活発、元気いっぱい、ザ・少年。悪く言えば、馬鹿、うるさい、天然の三拍子。クラスのムードメーカー的存在であり、その行動力の高さや人懐っこさから人に好かれる、私とは真逆のタイプだ。

 

「……そう、あなたは私を知らないのね?」

 

 なぜか、その事実は不快に感じた。別に彼に自分を知ってほしいと感じたことは一度もない。証拠に、私は4年生になってから、彼に話しかけた試しが一度もなかった。

 じゃあ、どうして不快に感じざるを得なかったのか。

 それはきっと、私は彼のことを知っているのに、彼は私のことを知らないという現実が、私という存在を惨めに、情けなく、下等にさせるからなのかもしれない。

 

「私はあなたを知っているわ」

 

 私は声を低めながら告げる。

 決して得意げに言ったりなんてしない。

 少年は私の感情が分からないのか「お? おー……」と戸惑いながらも、なぜか戦闘態勢に入るように両手を上げて身構えた。

 

「ならば俺が誰か当ててみせよ」

「住吉太郎。4年B組。よく虫を捕まえてはクラスに持ってきて、先生に怒られている」

 

 彼の御所望通り、早口でそれらを述べてやる。

 どれも間違いなどはないはずだ。私がこの目で見て、この耳で聞いた情報なのだから。

 すると、彼の顔が著しく青ざめていく。ワナワナと体を震わせ、手に持っていた竹筒を私に突き付けた。

 

「なんだとおおおおお!? さてはお前エスターだな!」

「私、ホラー映画に出演した記憶なんてないのだけど。それを言うならエスパーよ。馬鹿なの?」

 

 エスパーの単語すら間違えるとは、思っていたより彼の頭は残念なのかもしれない。

 

「ん? んー? ホラー映画? よ、よく分からんが、何故俺の名前を知っているんだ……!?」

 

 これは挑発されているのだろうか?

 それとも馬鹿にされているのだろうか?

 はたまた彼が予想以上の馬鹿なのか?

 私はどの意味を孕んでいるのか、少考する。彼の言動を見る限り、何か裏があるようには見えないが、それでもこの質問は流石に人を嘗めているとしか思えない。

 

「それは本気で言ってる?」

 

 確認のために、問いかけてみる。少年は頭に疑問符を浮かべながらも、ゆっくりと首を縦に振った。

 

「本気なのね……。呆れた。私はあなたと同じクラスなのだけど」

「何ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!?」

 

 この反応は本気の方だ。私は間髪入れず確信した。

 私のことを本当に認知していなかったらしい。これでも、良くも悪くも目立っているという自覚はあったのだが、思っていたよりも、自分の存在感は薄かったのかもしれない。男子からは高嶺の花扱いされているとすら思っていたのに。

 彼の残念さを見るたび、先ほどの不快感が薄れていく。ああ、これは馬鹿だから仕方ないかと思えてしまう。

 

「お、俺も、あ、あんたの名前知ってる、よ……」

 

 彼は私から同じクラスと聞かされたためか、意地を張って返してきた。

 どうせ絶対に知らないくせに。

 

「あなたのようなお粗末な人間が、私の名前を覚えているとは思えないわ」

「ししし。知っとけーん!今、思い出したんやしー!」

「エセ方言にも程があるでしょ、それ。イントネーションが支離滅裂よ」

 

 私は立ち上がり、お尻についた砂をさっと払う。

 彼が私の名前を知っていようと、知らないでいようと別にもう関係ない。同じクラスというだけで、どうせここから関わることもない人間だ。卒業するまでの三年間、顔見知り程度の相手に、名前も性格も知ってもらう必要は感じなかった。

 

「じゃあ、私はこれで失礼するわ。あなたも早く帰りなさい。何をしていたかは知らないけど、もうすぐ日が暮れるから」

 

 気がつけば、空は暗くなりだしている。一等星と月を見ながら、私はそう呟いた。

 

「待てよー。クールビズ」

 

 踵を返すと、彼はそう言って引き止める。

 今回のクールビズは何と間違えているのだろう。

 

「はあ……。あなた、言葉の意味わかってないでしょ」

「え、わ、分かってるよ……。あれでしょ、あれ。クールな女性に言う言葉」

「それを言うならクールビューティーよ。クールしか合ってないわ」

 

 ガーン!!

 言葉の指摘をされたことが恥ずかしかったのか、そんな効果音と共に雷に打たれたような表情をする彼。リアクションが古臭い映画やドラマのようだ。

 

「今のはあれだ!お前を試すためのものだったんだ!」

 

 彼は自信満々に弁解を述べる。誇れるようなことなんてないのに、顔だけは誇らしげだ。

 

「言い訳は良いわ。さっさと用件を言って頂戴。私、忙しいの」

 

 私が髪をサッと払いながら見苦しい言い訳を一蹴すると、彼は私の足を指差した。

 

「クールビューティーはなんで上履きで外出てるの?」

「それは……」

 

 その指摘に私の言葉が詰まる。先ほどまでスムーズに出ていた罵詈雑言すらも出てこなかった。

 私が女子から忌み嫌われていることを、この男はまだ知らないのかもしれない。表面的な嫌がらせが一つも起きていないため、わかり辛いのだろう。女子の攻撃性は男子と違い陰湿的だ。遠回しに精神へのダメージを蓄積させていく。溜まりに溜まったダメージは、まるで空気を入れすぎた風船のように膨らみ、やがて破裂する。

 

「……あなたに関係ある?」

 

 ようやく出てきた言葉は、拒絶であった。これ以上深く追求されたくないための、逃げの一手。私の持つ心の風船を割って欲しくないための言葉。

 

「よー分からないけど、話したくないなら良いや」

 

 彼は何かを察したのか、それとも単純に飽きたのか手放しでその会話を放り投げた。

 私はそれに、どこかほっとする。

 

「……それじゃ、私は探し物があるから」

 

 私はそう言って、そこから一目散に立ち去ることを選んだ。

 

「じゃあ、俺も手伝お___」

 

 その言葉が聞こえた瞬間、私は振り返って言葉を告げる。

 

「いいえ結構よ」

「即答!?」

 

 私に断られたせいか、彼は項垂れながら呻き声をあげる。正直、これ以上彼と一緒にいたくないというのが私の本心なため、このまま素直に帰っていただきたい。そして、これからはできるだけ話しかけないでもらいたい。

 

「分かった、ならこうしよう!」

 

 彼はぽんと手を打ち合わせて、何か閃いたと言わんばかりの笑顔を浮かべた。

 

「手伝われるのが嫌なら、俺はクールビューティーのために声援を送る!そしてそれを聞いてクールビューティーが頑張る!完璧なプラン!」

 

 これは何を言ってもダメなタイプだと、私はそこで悟った。

 彼と直接話したことがなかったため、彼の人間性を私はどうやら軽視していたらしい。クラスで騒いでいるのを何度か目撃したことがあるが、なるほど、この馬鹿さ加減が彼の人気の秘密なのかもしれない。慣れ親しむにはちょうど良いと感じるのであろう、私以外の人間は。

 

「ええそうね。それなら完璧よ。ならここで声援を送ってもらえるかしら。私探してくるから」

 

 そう言って、私は花壇と体育館の方向を指差す。彼はそれに対し、笑顔で首肯するとその場で「クールビューティーがんばれー!!」と大きな声を出していた。

 さて、このまま靴を見つけ次第、帰ってしまおう。

 え? 彼のことはどうするのか?

 そんなの、私の知ったことではないわ。

 彼が豆粒ほどの大きさになったところで、私はそっと自身の掌を見る。手をギュッと握りしめていたせいか、雪ノ下雪乃の手は、そこら中が赤かった。

 

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