雪乃「真正の馬鹿」   作:ばなな

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 次の日、私は犯人に対する意表返しも含め、隠されていた靴のまま登校した。

 生憎と靴の在りどころは直ぐに分かった。体育館の下駄箱。その上段の端にポツリと入れられているのを見つけた。靴に異常はなく、何かを詰められていたり、傷を付けられているということはなかった。

 しかし、誰がそこに入れたのかまでははっきりとしない。同じクラスの女子が入れたと思っているが、それも結局、私の予想でしかないからだ。状況証拠もなければ、物的証拠も今のところはない。

 ただ一つだけ分かっている事があった。それは、私が先生に密告したとしても言い訳ができるよう、小賢しい場所に置かれていたということだ。

 他人が聞けば、だからなんだと思われるかもしれない。実際、体育館に置かれていただけで分かることなんてないだろうと思われても仕方ない。しかし私からすればこれも重要な事柄だ。相手は私のことを憎からず思っておきながら、保身を考えられる慎重な人物。今頃、私のことを見つめ、内心ほくそ笑んでいるような、醜悪な性格の持ち主こそが犯人だということだ。

 この手のタイプは、直接文句を言ってやればピタリと犯行をやめる。これまでだって、三人ほどその手で潰してきた。感情で動いてしまう人と違い、扱いやすくて楽な人種である。

 さて、一体どいつが犯人だろうか。

 

 ガラガラと開閉音を鳴らし、教室へと入る。私が入ったことで目を向けたのは男女含め計13名だった。現在、クラスにいる人数が総勢16名なので、8割近い児童がこちらを見たという事になる。大衆の目を奪うというのも、存外悪いものではないと感じた。

 そんな優越感に浸りながら、私は顔を向けてくれた人たちに挨拶することなく自分の席へと座る。最初のうちは挨拶してくれる子もいたが、次第にそんな子も減っていった。

 どうやら噂というか、人の評判というものは直ぐに広まってしまうらしい。「雪ノ下雪乃はいけ好かない奴」というイメージが早くもクラスで浸透していた。

 今では私の居場所などこのクラスには無い。もしかすれば、この学年自体に私の居場所はないのかもしれなかった。

 

 いつの間にか止まっていた手を動かす。クラスでの立ち位置など今さら考えても仕方がないというのに、何故か変に杞憂してしまった。

 机に置いたランドセルの蓋を開け、教科書を机の中へと仕舞っていく。最近持ち帰るようになったリコーダーも、忘れずに入れてやる。空っぽになったランドセルを後ろのロッカーに入れれば、私は手持ち無沙汰となる。そんな時は、決まって暇つぶしに持ってきた文庫本を読み耽るのが日課であった。

 ぺらり。持ってきていた本をめくる。中には規則正しい文字列が丁寧に並べられていた。

 最近、私が読んでいるのは宮沢賢治の本が多い。特におすすめは「風の又三郎」。小学三年生の時に読んだため、今でも感慨深く、時折読み返している。今日もその本を持ってきていた。

 

「なーに読んでるんだー?」

 

 突然、前方から陽気な声が聞こえた。

 私は声のした方へとすっと顔を向けてみる。

 そこには、案の定とも言うべきか、屈託のない笑顔を浮かべる住吉太郎がいた。

 

「クールビューティーは本が好きなんだな」

 

 彼は私が読んでいた本を覗き込んでくる。宮沢賢治の文体はかの有名な「舞姫」などと違って、比較的に読みやすい部類(年代が違うので当然だが)である。いくらか頭の残念な彼でも読み解くことは可能なのだろう。

 

「別にあなたには関係ないわ。それより何か用?」

 

 私は素っ気なく尋ねた。当然、本を読み進めることを止めたりなんてしない。目線はあくまで紙の上に並べられた活字を追っている。

 

「昨日どうなったか聞こう思って。俺は途中で帰ったけどさー」

 

 少し訛りの混じった口調で、彼は面白くもなさそうに呟いた。

 まあ、クラスメイトとして認知もしていなかった私のために、彼があの場で長い間、留まること自体があり得ない話だ。私の姿が見えなくなってから帰ったというのは、至極当然の行動だと言えるだろう。

 

「私の探し物は見つかったわ」

 

 愛想なく私は答えてあげた。

 正直、彼と話を続ける気が私にはない。彼の用件が済み次第、速やかに自分の席へと戻って欲しいと思った。

 

「おぉー、それは良かったー! また何かいつでも手伝うぞ!」

 

 彼はそう言って立ち上がると、何か思い出したかのように「あっ」と声を上げる。

 

「そういえば、警察には捕まらなかった?」

 

 流石の私もその言葉を聞いて手を止める。ゆっくりと彼の方へ目線を投げてみれば、彼は目の前の席に無断で座り込み、鉛筆をくるくると器用に回していた。

 

「警察?」

 

 気になった単語を問いかける。

 警察とはどういうことなのか。もしかして、彼が何かをやらかしたのか。頭の中で沢山の情報が溢れては消えていく。

 

「あぁー、夜まで学校に残って声援送ってたら、なんか知らないけど捕まってしまってー」

 

 恥ずかしそうに笑いながら吐く彼の言葉に頭を抱えそうになるも、その衝動は寸前で抑えられた。

 馬鹿とは思っていたが、ここまでの馬鹿とは……。

 形容しがたい感情が私の胸中に渦巻く。普通、あの場面で私が姿を消したのなら、さっさと帰ればいいのではないだろうか。私もそうなる事を予想して、昨日は適当にあしらったのだし。

 それなのに、わざわざ私が姿を現すまで顕著に声援を続けていたのには驚かされる。いや、驚かされるというよりも、少しホラーを見た気分だ。ストーカー被害にあった女性の気持ちに近いのかもしれない。

 

「あなた何でそんなことをしたのよ……」

 

 本を閉じ、目を伏せて彼にそう問いかけてみた。警察沙汰になってまで彼が続けた意味を、私は知りたかった体。

 私への遠回しの嫌がらせか? それとも良心の呵責を感じさせたいのか? もしくはそのどちらもか?

 しかし数秒待っても、返ってくるのは静寂だけ。彼の言葉は一向に返ってこず、そればかりか誰もいないかのように辺りが冷え込んでいる。

 恐る恐る前を向けば、先ほどまでそこにいた彼の姿はなく、代わりに誰も座っていない椅子だけがポツリと置かれていた。

 

「おー!これシャーペンじゃん!カッコいいなぁ!」

 

 いつの間にか、違うところの男子の席へと移動していた彼を見つける。どうやら友達が持つシャープペンシルに興味津々らしい。小学校は基本的にシャープペンシルの使用は禁止なため、物珍しかったのだろう。男というものは基本的に単純で、目新しいものに弱いとどこかの本で読んだことがある。

 だが、人の話を最後まで聞かずに席を離れるとは、なんとも不躾だ。ここは一つ文句を言おう。

 

「あなた。人の話は最後まで聞きな___」

 

「うわー! 細ぇー! カッケェー!」

 

 私の注意はまるで空中分解したかのように、彼のところに届く事はなかった。

 

「へへー、良いだろ。これ兄ちゃんからもらったんだ」

「良いな、良いなー。俺にも後で使わしておくれよー!」

「いいぜ。太郎になら貸してやる!」

 

 そう言って、彼と男友達はお互いの拳をあてがって微笑み合う。友情を感じたことのない私にとって、彼らの会話を理解することはできそうになかった。きっとそれは何年経っても、何十年経っても変わることのない現実だろう。友情という名の根底を知らないがための非共感が、そこにはある。

 

「……」

 

 彼への注意を諦めてゆっくりと椅子に座り直す。正面には相変わらず、誰も座っていない席が目に入った。私はどうやら、彼らと同じ光景を目にすることができないらしい。

 だからと言って私は彼らに切望の眼差しを向けることはしない。別に私は孤独というものを惨めに感じないし、友情を自ら欲したりはしないからだ。

 わかっている。それは小学生として、子供として間違った感情なのだと。姉のように社会性が高くなければ生きづらいのだと。私は人間の悪性を知り、群れる代償を教わった。それらに順応すれば生きていけることも悟っている。

 もし仮に、さっき私が彼の不躾さに目を伏せ、彼の友達のところへ駆け込めば何かが変わったのだろうか。

 答えは「Yes」であ、きっと「No」でもある。

 現状の何かは変わるだろうが。それは雪ノ下雪乃という人間を変えるということに他ならない。

 それだけは嫌だ。負けたくない。自分を偽って生きていくのだけはしたくない。

 正しく優秀な人間の方が惨めな立場にならなければいけない理由なんてないはずだ。例え、女子達から疎まれどれだけ靴を隠されようとも、これから先、私の理解者が現れないとしても、私はそれを是とし生き続ける。

 それこそが雪ノ下雪乃にとっての正義であり、生き方に他ならないのだから。

 であれば、私のやるべきことは一つしかないと言える……。私に残された道、それはこれからも、そして今までもたった一つだけなのだ。

 誰に理解されなくても己を貫き、人の弱さを否定し続ける。

 弱さを肯定しようなんてものは嘘っぱちだ。自分を騙し続けること、現実から目を背けること、現状を怠慢に受け入れることは悪でしかないのだ。

 私を取り巻く環境は変わらない。

 私という人間も変えられない。

 ならば、どうすればこの現状を変えられるか。

 

 

 そう、変えるべきは環境でも自分でもない___。

 変えるべきなのは世界。人ごと、この間違った世界を変える___。

 まずはそれを証明してあげるわ___。

 

 

 手始めに靴を隠した犯人から正す。悪い事をする連中は、基本言わなければ直さないし、自覚しない。

 私は椅子の音をわざと鳴らしながら席を立ち上がる。

 その後、これから行うべきことのために、クラス全体を見回した。本を読んでいた間にどうやら、ほとんどのクラスメイトが登校してきたらしい。16名だったクラスメイトが、現在では30名近くになっていた。

 机の中に入れておいた筆箱を机上に置く。今日のために買ってきた誰もが目に付くくらい、新品で可愛らしい筆箱。これだけ派手なものを見せびらかしフリーで置いておくのだ、きっと靴を隠した子も我慢できずに筆箱を隠してくれると考えた。

 後はこれを置いて、私がそのまま教室を出れば準備は完了。さて、誰かさんが私の筆箱を隠す間に、さっさとトイレにでもいってしまおう。

 

 案の定と言うべきだろうか。大物を釣り上げたと喜ぶべきだろうか。数分して教室に戻ってみれば、机の上に置いたはずの新品筆箱は姿を消していた。

 正直、人目が多い教室の中で堂々と犯行に及ぶのかは賭けであったが、どうも相手は私を困らせることを大層気に入ったらしい。盗まれるまで何回も行おうとしていただけに肩透かしを食わせられた。昨日もどうせ、私が靴を探し回っているのをどこかで眺めていたのだろう。そう考えるだけで、胸糞悪くなる。

 私はこのクラスでかなり顔を利かせている少女の席へと向かう。人目のある中、犯行を成し遂げられたのであれば、このクラスで一番権力を持っている彼女以外に犯人はあり得ないと思ったからだ。理由は他にもあるけれどね。

 少女は私が近寄ってきたのに気がついたのか、先ほどまで談笑していたのを取りやめて、こちらに向かい合った。まるでピエロのような悍しい笑みを浮かべている。素直にそう思った。

 

「どうしたの雪ノ下ちゃん」

 

 悪びれる様子もなく声をかけられる。まだ彼女が犯人だと決まったわけではないが、それでも少し癪に障った。

 

「私の”もの”知らないかしら?」

「知らないよー。どうしたの、なくしちゃったの?」

 

 嘘くさい言葉を並べながら、少女は自分の友達に向かってクスクスと笑った。

 

「ええ。少し離れている間になくなっていたの。見てないかしら?」

「見てないかな。ちゃんと机の中とか、ランドセルとか確認した?」

「してないわ。でも、入っていないのは確かよ。私、記憶力はいいもの」

「いや、そんな事を言って、見てないのに確認した気になられても困るんだけど。私に聞くのはちゃんと自分で探してからにしてもらえるかな」

 

 心底人を馬鹿にするような言い草だ。頬杖をつきながら言われているせいで、憎たらしいイメージがさらに増量されている。こういう事をする連中は、なぜか決まって上から目線で発言し、態度も不遜である。お山の大将を気取っていると言えばいいのか、それとも猿の威嚇と言えばいいのか。まあ、どちらも根本は変わらないか。

 

「そう、ならあとで確認してみるわ」

 

 私は話を合わせるためにも、彼女たちには適当に返事した。

 さっきの少女の言葉から察するに、筆箱は昨日と同じく直ぐに見つかるところに置いてあるのだろう。自分たちが隠したくせに、敢えて私の記憶違いだと塗り替える。自己都合が悪いと、現実を、事象をねじ曲げようとする。全くもって汚い手と言わざるを得ない。

 そういう彼女たちには、自分たちから犯人であると述べてもらうしかないだろう。

 

「それより私、昨日新しい筆箱を買ったのよ」

 

 肩にかかった髪を払いながら、私は先ほどまでの話題が前座と言わんばかりに本題へ入る。

 相手は少し深刻そうな顔をしながら「へー。そうなんだー」と返してきた。

 

「でも少しハズレの筆箱だったらしくて、困ってるのよ」

「な、なんで?」

「その筆箱。塗料が雑だったみたいで、触った手にピンクの色がついちゃうのよね」

 

 ひくりと少女たちの顔が引きつるのがわかった。そして咄嗟に自分たちの手を見る。

 やはり、まだまだ思考回路は幼稚という事だろう。

 

「あら。なんであなたたちが自分の手を見てるのかしら」

 

 私はそっと少女の手をとり、まじまじと見ながら問いかける。

 少女の手からほのかに匂う香水の匂い。私の筆箱につけておいたものと一緒なため、教唆犯はともかく、実行犯は彼女で間違い無いだろう。

 

「い、いやこれは。ちょっと手が気になって」

「あら。あなたとその友達が”たまたま”同じタイミングに、”たまたま”私が話していた手が気になって、”たまたま”確認してしまったということかしら?」

「そ、そういうことよ!何か文句ある!?」

 

 少女が私の手を振り解き怒号をあげる。

 自分の都合が悪くなれば怒鳴って開き直るというのも、特徴の一つに加えておこうかしら。

 

「威張らないでもらえるかしら。正直に言うと醜いわ。自分のやった事を隠して、最終的には開き直ることしかできないの? 犬ですらもう少し真面に反省するわよ。いえ、それだと犬に失礼かしら。あなたなんかと同類にされて」

「は、はあ!? あんた何様のつもり!?」

「私は雪ノ下雪乃よ。あそこにいる馬鹿と違うのだから、嫌がらせする名前くらい知っててもらえると嬉しいのだけど」

 

 私はそう言って、目に涙を溜めて嗚咽を漏らす彼女よりも、クラスの険悪なムードにも気付かず一人廊下でモンシロチョウと格闘している彼を見た。この状況でも一人呑気にしているのは流石と言える。クラスのみんなも、気まずさからか彼の方へ視線を送り目を細めていた。

 それからは耳が痛くなるような静けさだった。実際、私の言葉でクラスの大半は耳を痛くしてしまったのもあるのだろう。私に馬鹿にされた少女も顔を俯けて、何も言ってこない。これで彼女の醜態をみんなに見せることができた。これからは、好き放題威張ったりできないだろう。

 そんな淀んだ静寂を打ち破るように、ドアを荒々しく引く無遠慮な音が響いた。

 

「ん? ほらみんな、朝の会を始めるぞ。席につけ」

 

 聞き慣れた担任の声。クラス全員が、その言葉で我に戻りさっさと己の席に戻る。黒板の上に掛けられている時計を見れば、確かに朝の会の時間になっていた。

 

「せんせー! モンシロチョウ捕まえたぞ」

「はいはい。住吉はさっさと席につこうな」

 

 彼も廊下からお目当ての蝶をゲットできたのか、はしゃぎながら教室に入る。モンシロチョウは彼の手に収まったままだが、それで良いのだろうか。

 彼が席に着くと同時に、担任は持っていた日誌を開けた。

 

「朝の連絡だが、最近学校に野良犬が入ってきているらしいのと、時間割変更があることくらいかな。でも犬は校門に先生がいるから入れないし、時間割変更はみんな今日移動ないから間違い無いだろう。それじゃあ、朝の会を始めようか。今日は誰だっけー」

 

 担任がそういうと、本日の朝の会の司会役である児童が前に出る。今日はどうやら彼と、先ほどの少女らしい。

 私は教卓の方へ一瞥すると、「どうせろくに会も進まないだろう」と思い、風の又三郎を読み直すことにした。

 しかし本を開けて数十秒。行にしてみれば、三行ほど読み進めた辺りだろうか。なぜか私はこの本が無性に面白くなく感じてしまい、そっと本を閉じるのだった。

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