雪乃「真正の馬鹿」 作:ばなな
1
顔を利かせていた少女を貶めてからというもの、クラスの雰囲気は幾分か重くなっていた。普段、クラスを俯瞰して見ているせいか、誰よりもその変化に敏感になってしまっているらしい。
だからと言って、私からなにかをするつもりはなかった。私は間違ったことはしていないし、後悔もしていない。
強いて言うなら、どこか胸の奥につかえる感覚が気にかかるくらいだろうか。けど、そんなものは時間とともにどうせ消え失せてしまうものだ。そんなものに着眼する気など私にはさらさら無かった。
給食の時間はいつも気怠く感じる。机を引き合わせ、いつも五人編成の班で顔を付き合わせて食べなければいけないからだ。特に仲良くもない彼ら彼女らの顔を見ながら食べるご飯を、私は美味しいと感じたことがない。今日に限っていえば、クラスの雰囲気と重なってさらに鬱陶しく思える。
それは他の子達も一緒らしく、私の顔をチラチラと眺めながら気まずそうに食べている。そこまで気にするのであれば、何か声を掛けて欲しいのだけど、きっとこの子たちにはそんな勇気もないのだろう。この班は、みんながみんな私に遠慮して何も会話をしようとしないため、まるでお通夜をしているようだった。
私は白ごはんを小さく口にしながら、廊下の方を眺める。辛気臭そうな人の顔を見て食べるより、真っ白な壁を見て食べる方がまだ美味しいと思ったからだ。
「あー、クールビューティーがみそピー残してる」
「っ!?」
いつの間にか、彼が私の隣に立っていたらしく唐突に声をかけてくる。
朝の時も思ったことだが、彼の神出鬼没さは少し心臓に悪い。
「……残していないわ。後で食べるのよ」
「嘘だ。みそピーは白米と食べるものだぞ。ご飯もうそろそろなくなるじゃんか」
「早計ね。誰もが白米と食べるとは限らないわ。みそピーは単体で食べるのが一番よ」
確かにみそピーと言っているだけあって、白米との相性は掛け値なしに良いと言えるだろう。それこそ、猫に猫じゃらし、日向に猫という具合には効果抜群と言えるかもしれない。
しかし、みそピーはそれだけではない。彼女には彼女本来の旨味がきちんとある。白米を引き立たせるだけの脇役に従事するほど、彼女は安い女ではないのだ。
「って、私は何を考えているのかしら」
「ん? みそピーの美味しい食べ方についてだろ」
「驚いた。あなたに正論を言われると腹が立つのね」
「え!? それどういう事!?」
彼は大袈裟に驚いた風を装って立ち上がるが、どうもこうもない。
自分よりも頭の弱い誰かに、正論を言われたら気に食わないのはこの世の真理だろう。特に私と彼とでは、だいぶ頭の良さに開きがあるためそれが顕著である。
ついでに言えば、頭の良し悪しがはっきり分かれている同士の会話だと、必然的に頭の良い方が会話を合わせなくてはいけないので苦労する傾向にある。当然、現状であれば私が彼の会話に合わせている形となる。
なので、できれば早々にこの会話を終わらしてもらいたいと思っていたりするのは、仕方のないことだろう。
「それよりあなたの席はあっちでしょ。なんでわざわざ私の方へ来たの」
私は会話を終わらせるために、それとなく席へ戻るように促すことにした。
給食の時間では食べ歩きは禁止されているため、きっと彼は給食を食べ終えてから暇を潰しにやってきたのだろうが、そんなことは私に関係ない。これ以上、私の気苦労を増やさないでほしい。
「え、クールビューティーと話がしたかったから来た」
彼は臆面もなくそう言う。
「……気持ち悪いわ。遠慮します」
「なぬ、これがテレビで言っていた砂糖対応か!?」
「それを言うなら塩対応よ。全然甘くないでしょ」
全く、塩と砂糖をどう間違えば、誤用できるのか不思議で堪らない。少し言葉の意味を考えれば、すぐに誤ちに気付きそうなのに、彼はなんでもそのまま思い込んでしまう気質があるのだろうか。
「確かに。じゃあ、そういうことでクールビューティー昼休み運動場集合な」
なんの脈絡もなく告げられた言葉に、私は持っていたお箸を落としそうになった___。
「……ごめんなさい。どういう事かしら。あなたの頭がぶっ飛びすぎて話が見えてこなかったわ」
「え? ドッチボールするんだろ?」
ドッチボール……?
ドッチボール……。
ドッチボール、ね。
何度もそうやって「ドッチボール」という単語を反芻する。本当に考えるべきなのは、突然の「昼休み運動場集合」なのはずなのに、私はそれが頭に入ってこないほど困惑していた。
誰かに誘われたことが初めてだからというわけではない。私だって生きている人間だ。学校性格を送っていれば、流石に一度や二度なにかイベントに誘われたことがある。
それこそ、私は友達でもない知らない男の子の誕生日パーティーへ誘われたこともあった。後々になって気づいたが、あれは私に恋愛的好意を寄せていたのが原因らしい。
閑話休題。
ともかく、目の前にいる彼から突然、さも当たり前のように言われたそれを私は看過することはできなかった。
「私がドッチボールをする前提なのは何故かしら」
「それは俺とお前が___」
そこまで彼が声を出した時だった。
突然、配膳されるところに立っていた教師が、一つの箱の中を覗き込みながら声をあげた。
「おーい、残ったみそピーいるやついるかー。多いようならジャンケン大会だぞー」
妙に間延びした声。
そう言えば、今日は一人だけクラスメイトが休んでいたため、その分が余ったのだろう。もしくは、誰か嫌いな子がこっそりと置いたのかもしれない。このクラスの担任は、好き嫌いをすることに関しては無関心な方なため(残したりするのは厳しいため、箸をつける前に量などを調節する)、こう言ったイベントがよくある。
「じゃんけん大会!?やるやるー!」
目の前にいた彼が、唐突にそうやって大声を出しながら先生のところへと駆け寄る。
先ほどの返答をまだ言い切ってないのにすぐにそちらへ行くなんて、もしかしたら彼の体は他人よりも脳味噌と密接なのかもしれないと感じた。
「よーし、住吉。お前しかいらないらしいから、お前にやるぞー」
勢いよく飛び出した彼と違い、担任のやる気のない言葉だけが響く。
じゃんけん大会が出来ないと悟った彼は、みそぴーの前に傅くと、ひとりでに慟哭しはじめた。
その光景は虚しいと言うよりも、どちらかといえば滑稽や喜劇のようなもので、クラスのあちこちでクスっという笑い声が聞こえてきた。私はそんなクラスを内心遠目で眺めながら、黙々とご飯を口へ運ぶ。やるせない気持ちというのは、こういう時に使うのだろう。
「た、大変だね。雪ノ下さん」
そんな声がかけられた。
ふと、隣を向けばそこには丸眼鏡をかけた少年が一人、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
私はそんな様子をおかしく思いながらも、先ほどの言葉の真意を尋ねるため小首を傾げた。
「なぜ?」
「いやだって。太郎くんって結構破天荒だからさ。雪ノ下さん気に入られて苦労しそうだなって」
丸眼鏡の男の子が言う。
気に入られている、と言う単語には私的に少し引っ掛かりを覚えるものの、確かに話しかけられるようになったのは確かだ。
でも、あの話しかけられ方からして、彼が好意的に私へ話かけているとは思えない。昨日、黙って帰ったことをそれとなしに恨んでいるような気さえした。完全なる被害妄想かもしれないが、もし私が彼の立場であれば、私は騙した人間を許さないだろう。そういう点で言えば、彼の行動は正当なのかもしれないと思えた。
「気に入られているのかしら。私から見れば馬鹿にされてると思うのだけど」
私がそう言うと、丸眼鏡の男の子は困ったように目を伏せる。
「うーん。多分太郎くんは、雪ノ下さんのこと友達だと思ってるんじゃないかな」
「……それはないわ。私たち話したの昨日が初めてだもの」
「そうなんだ。でもすごく仲が良さそうだよ」
「仲は良くないわ。私、頭の弱い人って好きじゃないの」
どれもこれも、嘘偽りのない本心だ。
私は彼のことをあまり好いていない。どちらかと言えば苦手にしている。
誰かにあれだけ話しかけられるのも慣れていないし、何より彼の向ける感情が好意なのか、悪意なのか、それともそれ以外の何かなのか分からない。彼の頭が空っぽな分、考えていることが見えてこないのは私にとって十分恐怖だった。
「じゃ、じゃあさ……。雪ノ下さん、よかったら僕と……」
丸眼鏡の男の子が手をモジモジさせながら、ぶつくさと呟いた。
残念ながら、それは私の耳に音として入ってきてはいるものの、声としては入ってこないため、何を言っているのか分からない。
私はなんて言っているのか確認するため、問いかけようとした時、後ろから肩をポンと叩かれた。
「クールビューティー、ジャンケンせーへん?」
その声は先ほどまでみそピーの前で嘆いていた彼のものであった。
「負けたらなんでも言う事を聞くと言うのなら、やってあげても良いわ」
私はそう勝ち誇ったような表情を故意的に作りながら、振り向き様そう告げる。
なんてことは無い。ただのコケ脅しだ。
「じゃあ、負けたらこのみそピーをやる」
彼はそう言って、手に持っていたみそピーを渡してきた。彼にとって、この品はどれだけの価値があると言うのだろう。
「死ねば良いのに」
「なんでぇ!?」
「私に利益が無さすぎるもの」
私がそう一蹴すると、彼は何か閃いたのかあの古臭い反応をした。
「なら、クールビューティーが勝てば、今日のドッチ対決にハンデをやろう」
「参加する前提で話が進められているのは怒って良いのかしら」
「負けるのが怖いのか?」
安い挑発。それこそ、三文の得もしなさそうなハッタリだ。
だがしかし。その言葉は私にとって聞き捨てならない。他のどんなセリフを無視しても構わないが、彼に何かで負けるなんてことは、私にとって許されない問題だ。
私は薄っすらと口角を上げながら彼を見据える。彼の前で初めて笑ったかもしれない。まあ、純粋な笑みなどではなく、人を馬鹿にするような嘲笑みたいなものだけど。
「そうね。これ以上構われるのも面倒だわ。潰してあげる」
私がそう宣言した1分後。私の目の前で転がる燃え尽きた彼を、クラスメイト達は哀れんだ目で眺めていた。
2
私は約束を破ることが嫌いだ。なぜなら、そう取り決めていることを簡単に蔑ろにする人は信用できないからである。
もし仮に、私が何かしらの約束を相手としていて、それを相手が一方的に破ってきた場合、私はその人に対する信用度を著しく下げることになるだろう。下手をすれば、これから一生その人と約束をしようと思わないかもしれない。
そうなれば社会というものは非常に生きにくくなってしまう。社会とは人間の営みを縮図として表したようなものだ。それこそ、非可視化した繋がりで人と人とはつながっている。
その一つが信頼だ。目に見えない貸し借り。目に見えない担保。言い方は多種多様なれど、その本質はたった一つしかない。
相手を無条件で信じれるか信じれないか。それだけである。
信頼がなければ、これから先、相手と約束する際に必ず目に見える保証を提示しなければならない。
例えば、いつも遅刻する者がいたとする。その人はもう信頼できないため、次回遅れた時に何かしらの罰則を与える約束をするとか、出かける前に連絡を必ず入れさせるなんかが当てはまるだろうか。
人間誰しも自分が損した気分を味わいたく無い生き物だ。誰よりも得をし、誰よりも幸福になりたい獣とも言える。しかしそれだけでは生きていけないため、人はどこかで損をするよう計算し生きている。
逆説的に言えば、生きるためにはどこかで損をしなければいけない。
だから私は今回約束を破るつもりでいる。どうせどこかで損をしなければいけないのなら、今ここで約束を破って帳尻を合わせようと思ったからだ。
半ば強引な思考をしながら、私は教室で空を眺めていた。
生憎と、私をドッチボールに誘った彼は給食当番のため、食器を片付けに出かけてしまったのだ。おかげで喧しく運動場に引っ張られることもなかった。
窓枠からこっそり運動場を見下ろせば、いろんな子供たちが多種多様な遊びを展開している。鬼ごっこ、ブランコ、一輪車、ジャングルジム。じっくりと観察すれば、これほど遊びで満ち足りた空間はないのだと思えた。反面、私は一度も、あんな風に誰かと遊んだことは無いと痛感させられた。
教室をぐるりと見渡せば、ちらほらと中で過ごしている子たちが目に入る。一部では絵を描いて遊んでいたり、何人かでトランプをして盛り上がったりしているのが伺えた。
どこを見ても誰かと誰かが遊んでいる。小学生というのは退屈を嫌うため、それが顕著にでる。私のような異端者は、クラスに一人や二人いれば良い方なのかもしれない。
気を紛らわせるために、朝読んでいた「風の又三郎」を取り出した。なんてことは無い。いつも通りの昼休みを過ごそうと思えたからだ。
しかし、その本を開いて読んでみても、やはり面白さが微塵もわかない。今まで数回読み返してきた本が、今日になってからというもの、酷くツマラナイ駄作に思えてしまう。
朝から感じる胸のつかえが、妙に大きな違和感として自己主張した。
私は仕方なく立ち上がり外に出ることにした。別にドッチボールをしに行く気はないが、それでもなんとなしに外に出たくなった。
運動場に行って、ブランコにでも乗りながら日向に当たろう。そんな呑気な考えが頭の中を支配する。教室の中に閉じこもっていても陰気な雰囲気にあてられてしまうのが関の山だ。
教室を出て下駄箱につけば、普段通り上履きを脱いで靴と交換しようと扉を開ける。私の下駄箱の位置は一番下にあるため、しゃがまないといけないのが面倒だ。
私は上段に上履きを突っ込み、下段にあるはずの靴を取ろうと手を入れた。しかしそこにはあるはずのものがない。何度、下駄箱のなかへ手を入れてみても、空を切るだけで物体が入っている感触はなかった。
急いで身を屈めて下駄箱を見てみれば、そこには昨日と同じ光景が、靴だけがポッカリと消え失せてしまった光景が広がっていた。
またやられた。
そう思わずにはいられなかった。朝から感じる胸のつかりか大きくなる。
私は急いで上履きを履いて、自身の靴を探すために教室へと戻ろうとする。けど、階段に足をかけた時、自分の行動が本当に正しいのか思い返した。
昨日やったと思われる犯人の少女は、確かに教室で友達とトランプをしていたはずだ。給食当番でもない彼女は、私と同じくずっと教室に篭っている。なぜなら今日は移動教室も何もないからだ。
それに朝の腹いせでこんなことするのなら、もっと手段を変えて報復をしてくるはずだ。あの子は自分の保身を考えられる聡い子なのだから。それなのに、わざわざ自分が犯人であると思われる犯行を、再度行うようには思えなかった。
ならば、犯人はあの子ではないのかもしれない。
そこまで思い立った時、何人かの児童が下駄箱のあたりでうろうろしているのが見えた。年齢は私より一個したか、二つしたくらいの低学年寄りに見える。
よくよく見てみれば、至る所の下駄箱を開けては中を覗いている。
私はまさかと思い、その児童たちに話しかけた。
「あなた達、こんなところで何をしているの」
年下に掛ける声にしては、少々冷たいトーンであるが致し方ない。私の言葉に驚いたのか、何人かの児童はピクリと肩を跳ねさせて、後ずさっている。
「す、すみません! この子の靴を探していたから……、許してください」
児童の一人に今にも泣きそうな声でそう言われるものだから、私は肺の底からホッと息を吐いた。
別に泣かせるつもりは無かったのだけど。
「別に怒ってないわ。少し聞きたかっただけよ。私も靴が無いの」
「お姉さんも?」
「ええ。一体どこの誰がやったのかしら。皆目見当もつかないわ。費用対効果が釣り合っていないわよ」
私はそこまで言って、ふと考える。どうせだし、この子達にも自分の靴探しを手伝ってもらおうと。
「あなた達。私もそちら側の靴を探してあげるから、私の靴も探してくれないかしら?」
その提案に、少し驚嘆したのか児童たちは口々に「どうする?」と相談を始めた。けれど、数十秒もしないうちに答えが出たのか、そのグループのリーダーと思わしき少年が私に向かい合う。
「お姉さんの靴探すよ! 僕のは俊足の赤い靴で、隣に雷のマークがある! 中には名前が書いてあるはずだよ」
「ええ、分かったわ。私は真っ白な靴にadidasとピンク色で表記しているものよ。名前はタンの裏に書いてあるわ。見つけたら、ここに入れておいて」
「うん。僕の場所はあそこだから、お姉さんも見つけたら入れてね!」
少年がそう言って指し示したのは、二年生の下駄箱の一番下。私はそれを確認して、最後にお互いの名前を名札で確認してから、二手に分かれて靴を探すことになった。
きっとあの子達に私の靴は見つけられないだろうが、それでも下駄箱周辺を代わりに探してくれるだけで大分ありがたい。あの子達を利用しているだけのようで、気分はあまり良く無いが、こちらもきっちりと下駄箱周辺以外を探してあげるのだから、許してほしいと思った。
さて、大見得を切って出てきたのはいいが、どこからどこを探したものか。昼休みが終わるまであと30分も無い。物理的に全ての場所を探し回っている余裕は皆無である。どこかを重点的に探すしか無いだろう。
まずは手始めにトイレに置かれているゴミ箱から探そうと思い、そこへ向かう。ここから一番近いのは一階の東側にあるトイレだろうか。
スタスタと歩けば、「来賓用便所」と書かれたトイレが目に入る。私はそこになんの躊躇いもなく入ると、ゴミ箱の蓋をとってその中を覗いた。
幸い、ゴミ箱の中にはあまりゴミが入っておらず、少しのトイレットペーバーの芯と、ティッシュが数個入っている程度。どこからどう見ても、靴が入っているようには見えない。
「ハズレか」私はそう言いながら、隣の男子トイレも見るために廊下へと出る。
すると、廊下の窓枠から向こうに見える正門とは真反対に位置する裏門が見えた。
裏門には遊ぶための遊具がないせいか、昼休みでも子供は滅多な事がない限り近づかない。木々が生い茂っているせいで、日の光があまり入らず、陰鬱な雰囲気を醸し出しているのも原因の一つではある。大抵は、あちら方面に家がある子が登下校の際に利用するくらいだ。
案の定、今日も今日とてそこには誰もいなかった。そう誰もいないはずなのだ。
けれど私はある影を見た。それはのっぺりとした影。木々の奥へと入り込むように、日陰へと隠れ込むように移動した影を見た。
その瞬間、私は裏門のある方へと上履きのまま飛び出していた。