もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら 作:人工衛星
頭に浮かぶのは、ハーフエルフの女性の真剣そうな表情。
「いい、ベル君? ベル君の所属する【フレイヤ・ファミリア】は、オラリオに数あるファミリアの中でも、最上位に位置するすっごい所なの。……あまりこういう事は言いたくないんだけど、光あれば影、って言葉にもあるように、それを妬む人たちも存在するんだよ。実際に有名派閥の未熟な構成員が闇討ちされるとか、過去に何度かあったみたいなの。だから、ある程度強くなれるまで【フレイヤ・ファミリア】の構成員である事は、隠しておいた方がいいと思うんだ」
冒険者になってすぐの頃、担当アドバイザーであるエイナさんから受けた忠告。
この半月、誰かと長く話す事があまりなかったから、すっかり忘れてしまっていた。
そうだよね。団長がオッタルさんなら、僕が【フレイヤ・ファミリア】の構成員って事は誰にでも分かるってもんだ。うかつだった。
「……あの、シルさん。どうかこのことは内密に」
「あっ、なるほど。すみません。どうやら不躾だったみたいで」
「い、いえ、僕が不注意だったのが悪いんです」
どうやら僕の考えをすぐに察してくれたようだった。
やはり彼女は頭がいいんだろう。世渡りの要領がいいっていうか、そんな感じ。
その後すぐにシルさんは給仕の仕事に戻り、一人になった僕はメニューを手に取った。
普段は日持ちする硬くて黒いパンや、ジャガ丸くんでお腹を満たしているため、一度にかかる食費は五〇ヴァリス程だけど、メニューに書かれた料理はどれもその倍以上の値段が付いている。一番安い飲み物でそれなのだ。
食べ物に至っては、ただのパスタが三〇〇ヴァリスだ。おいおい。
女将のミアさんが意気込んで作りに行った料理は、一体おいくらヴァリスなのだろうか。ダンジョンで稼いでおいて本当に良かった。
安堵と落胆の混じった息をついて、メニューを元の場所に戻す。これ以上読んでいたら、店を出た後の財布の末路に気持ちが沈みそうになるし、何よりお腹が空いてしまう。
料理は注文するまでもなく、ミアさんが今作りに行ってしまったし、手持無沙汰になった僕はボウッとお店の様子を眺めていた。
テーブルでは厳つい顔の冒険者達が、その
そんな客達の合間を縫う様に、給仕服を着こんだウエイトレス達が店の中を慌ただしく行き来する。
ウエイトレスはみんな綺麗な容姿の女の子ばかりで、ヒューマンや猫耳を生やしたキャットピープルがはきはきとした声でお客さん達に対応している。
意外な事に、プライドが高くて他種族と接することが少ないと有名なエルフまで、ウエイトレスの中に紛れているのが見えた。
そんな見目の良い店員さんに、鼻の下を伸ばす男達も一杯いる。というかほとんどだ。彼女たちの働く姿を肴にお酒を呑む人もいるみたい。
……あっ、お尻に触ろうとした男の人が、ヒューマンの店員に殴られてる。
綺麗な花にはトゲがあるって、本当だったんだ。コワイ。
「御待ちどうっ!」
明るくて楽し気な店の雰囲気を味わっていると、女将のミアさんが両手に一つずつ大きな皿を乗せてドンッと、僕の目の前に持ってきた。
「冒険者ってのは、体が商売道具だからね。腹一杯食って力をつけなっ!」
「デ、デカ……」
運ばれてきたのは僕の顔ほどある分厚いステーキ肉と、魚介と野菜がゴロゴロ入ったスープ。
すごく美味しそうなんだけど、明らかに量がおかしかった。
これ、パーティー用のメニューなのでは??
「い、いただきます……」
凶悪な圧力をもった大皿に気圧されながらも、料理に手を伸ばせば、その味に目を見開いた。
(う、うまっ!? 飲み込んだらすぐに次が欲しくなる! 絶対無理だと思ったけど、全部イケちゃうかもっ)
柔らかいステーキ肉は噛み締めるごとに肉汁が口の中で溢れ、揉み込まれた香辛料が肉の味を引き締める。
スープは魚介と野菜の出汁が溶け込んでて、一口
夢中になって料理を掻き込んでいると、突如、予約を入れていたであろう十数人規模の団体が入店して、空いていたテーブル席の一角に案内されていた。
ガヤガヤからザワザワへ、その一団が入ってきた途端、周囲の客が上げる喧騒がその色を変える。
『おい、アレ……』
『おっ、えらい別嬪ぞろいだな。目の保養が増えるぜ』
『馬鹿、違う。あのエンブレムを見ろ』
『げっ【ロキ・ファミリア】かよ……』
それまで大きな笑い声を上げていた客たちが、顔を寄せ合って密談するようにひそひそ声を交わす中、聞き漏れてきた内容から拾い上げたその単語に、ザワリと感情をくすぐられた。
それまで料理に注いでいた視線を、その一団の方へ向ければ、それはすぐに目についた。
金糸の如き輝きを帯びた長い髪と、どこか憂いを感じさせる金色の瞳。
精霊や妖精を思わせる美しい顔に、静かな表情で落ち着き払った美少女。
アイズ・ヴァレンシュタインが、そこに居た。
「驚きました? 【ロキ・ファミリア】さんはうちのお得意さんなんですよ。彼らの主神であるロキ様が、ミアお母さんの料理をいたく気に居られてしまって」
「シルさん。ええ、すごくびっくりしました」
僕がヴァレンシュタインさんを見て固まっている所に、再びシルさんが近づき話しかけてきた。
悪戯が成功したような表情を浮かべるシルさんに、咄嗟に取り繕った笑みを返すのが精々だった。
まあ、察しの良い彼女には、すぐに僕の内心を見透かされてしまったけど。
「あっ、そうですよね。そちらのファミリアの冒険者さんにしてみたら、あまり面白くないですよね」
「いえ、そういうわけではないんですが……ちょっと、個人的な事情がありまして」
眉をひそめて申し訳なさそうな表情を浮かべるシルさんに弁解して、視線を料理に戻す。
【ロキ・ファミリア】のいるテーブル席と、僕のいるカウンター席は、丁度対角線上だ。
余程のことがないと気付かれる事は無いだろう。
今はこの美味しい料理に舌鼓を打つことだけに集中していればいい。
「うわあ、凄い量ですね。ミアお母さん随分張り切ったみたい」
「いやそんな他人事な。こうなった原因の一つには、シルさんも入っているんですからね?」
「それはもう。頑張って根回しした甲斐がありました」
「おい」
少しは悪びれろよ。
……なんて、話しかけてきた彼女の物言いに半目を向けてしまうけど、それが彼女の気遣いからでた言葉だと分かるから、それ以上何も言えない。
事実、沈み込みかけた気分は先程のやり取りで、大分持ち直したのだから。
それから彼女はおもむろにエプロンを外し、壁に寄せてあった丸椅子の一つを持って来ると、僕の隣に陣取った。
「あれ、お仕事はいいんですか?」
「ちょっと休憩です。自分が紹介したご新規さんと触れ合う時間を取っても、不思議ではないですし」
「いやでも、さっき団体さんが入ってきたんだから、忙しくなるんじゃ」
「たまたまです。ちょっと休憩に入ったのと、お客さんが来たのが重なっただけなんです」
「偶然ですか?」
「ええ、偶然です」
本当に強かだな。この人。
しばらくそうやって料理と彼女との会話に興じていると、聞き覚えのある男の人の声が耳に届いた。
「そうだ、アイズ! お前、あの話を聞かせてやれよ!」
「あの話……?」
「あれだって、帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス! 最後の一匹、お前が五階層で始末しただろ!? そんで、ほれ、あんときいたトマト野郎の!」
その言葉を聞いて、僕の心臓がドクンと、大きく脈打った。
冷水を被ったように、一瞬で頭から血の気が下がり、周りの音が遠退いた。
「ミノタウロスって、十七階層で襲い掛かってきて返り討ちにしたら、すぐに集団で逃げ出していった?」
「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上がっていきやがってよ、俺達が泡食って追いかけていったやつ! こっちは帰りの途中で疲れていたってのによ~」
男の人が話す度に、ズクンズクンと鼓動が鳴り響く。
料理を口に運ぶ手は完全に止まり、僕の様子に気付いて声を掛けてくれるシルさんにも、何の反応も返せないまま。僕はただ固まって、彼らの会話を聞くことしかできなくなっていた。
「それでよ、いたんだよ。いかにも駆け出しって言う様なひょろくせえ
――その冒険者が……僕、だ。
「抱腹もんだったぜ、なっさけねえ悲鳴上げながら、兎みたいに壁際に追い込まれちまってよぉ! そこでようやく剣を持ってることを思い出したみたいだったが、駆け出しが持ってる武器がミノに刺さるわけねぇっての!」
全身が発火したかのようだった。
熱くない箇所が見つけられないくらい、体の奥底から燃え盛る。
「ふむぅ? それで、その冒険者はどうしたん? 助かったん?」
「アイズが間一髪ってところでミノを細切れにしてやったんだよ、なっ?」
「……」
全身の震えが止められない。歯を噛み締めながら
男の人の言葉はまだ続いている。
「それでそいつ、あのくっせー牛の血を全身に浴びて……真っ赤なトマトになっちまったんだよ! くくくっ、ひーっ、腹痛えぇ……!」
「うわぁ……」
「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……っ!」
「……そんなこと、ないです」
獣人の青年は目元に涙を溜めながら笑いをこらえ、他のメンバーは失笑し、周りで話を聞いている部外者たちも、釣られて出る笑みを必死にかみ殺している。
この場に居る人達皆が、僕の事を嗤っている。
「しかしまぁ、久々にあんな情けねぇヤツを目にしちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに、泣くわ泣くわ」
「……あらぁ~」
「ほんとざまあねぇよな。ったく、泣き喚くくらいだったら最初から冒険者になんかなるんじゃねぇっての。なあ、アイズ?」
「……」
頭の片隅で、何かがヒビ割れていく音がする。
「ダンジョンに何を夢見てんのかは知らねぇけどよ、ああいう奴が居るから冒険者の品位ってやつ? それが下がっちまうんだよな。勘弁してほしいぜ」
ああ、止めて。もうこれ以上聞かせないで。
息が苦しい。
心臓の音がこんなにもうるさいのに、彼の声はやけに鮮明になって聞こえてしまう。
ピシリ、ピシリと、音が鳴り続ける。
「アイズはどう思うよ? お前が助けなきゃ、今頃牛のクソになってたトマト野郎の事。自分の目の前でアホ面浮かべて突っ立ってただけの、情けねえ野郎をよ」
「……あの状況じゃあ、しょうがなかったと思います」
「何だよ、いい子ちゃんぶっちまって。正直になれよ。なんなら俺が代弁してやろうか?」
ピシリ、ピシリという音は収まることなく、それどころか間隔を短くしていく。
「――雑魚が調子に乗ってんじゃねぇよ」
どこかから、何かが割れる乾いた音が聞こえたのと同時。僕は椅子を飛ばして、立ち上がった。
わずかに残った理性で、財布ごと料理の代金をカウンターに置いて、そのまま僕は外へ駆け出した。
「ベルさんっ!?」
殺到する視線も、呼び止める声も置き去りにして、逃げる様に店を出る。
僕は、夜の街を駆け抜いていった。