もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら   作:人工衛星

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白兎は走り出す 1

 ――微睡(まどろ)みに抱かれていた。

 

 甘い芳香が鼻孔をくすぐり、温かな湯水に浸かるような心地よさに包まれる。

 肌を通じて感じる全ての気配が穏やかだった。

 

 ……気持ちのいい眠気に、全身が支配されている。

 叶うならずっと、このままでいたい。

 

(……?)

 

 そっと、髪を撫でられた。額に触れる指の感触がくすぐったい。

 優しい指使いだった。安心する。

 どこかで似たような経験をした覚えに、閉じていた(まぶた)をゆっくりと持ち上げた。

 

「……、フ、レイヤ……様?」

 

 霞む視界に入った銀色の光に、女神様の名前を呟いた。

 

「あら、起きたの? 残念。もう少し堪能していたかったのだけれど」

「どう、して?」

 

 次第にはっきりしていく輪郭の線。

 最初に像を結んだのは日の光に(きら)めく銀の髪で、次は整った美しい顔立ち。

 最後は髪の色と同じ、銀の瞳。

 

 依然、ぼやけたままの思考に、僕は、僕を見下ろしているこの(ヒト)の美しい顔に、ただ魅入っていた。

 頭の後ろが、柔らかくて、温かい。

 何をされているのかは、すぐに見当が付いた。多分、きっと、膝枕。

 

 女神様の、フレイヤ様の指が、また僕の髪を()いた。

 

「どうしてとは、何に対しての事かしら? 膝枕(コレ)の事を言っているのなら、頑張っている自分の眷属に、優しくするのはおかしなことではないでしょう?」

 

 慈しむような、優しい指使いが、体が溶かされそうになるくらい心地いい。

 ともすれば、このまま芯まで溶け切ってしまいたいほどに。

 でも、その衝動に身を任せることは、他ならぬ僕自身が許さなかった。

 

「……僕は、頑張ってなんかいません。これっぽっちも、頑張ってなかったんです」

「……」

 

 のろのろと、上半身を起こす。

 頭の後ろから遠退くぬくもりに、文字通り後ろ髪を引かれそうになったけど、起きる。

 視界から女神様が消え、代わりに昇り始めた朝日に朝露が反射した、美しい原野が目に入る。

 お金持ちの人が飾るような絵画の一枚と比べても、なんら遜色のない光景から視線を切り、それよりももっと美しい女神様に振り返る。

 

「……フレイヤ様」

「ええ、聞いているわ」

 

 目を細めながら僕を見つめている女神様に、僕もまた、見つめ返す。

 

「……僕、強くなりたいです」

「……フフッ」

 

 僕の願いを、僕の宣誓を、真正面から受け止めてくれた女神様は、綻ぶように笑った。

 

 子の成長を喜ぶ母の様に。優美な令嬢の様に。無邪気な少女の様に。

 そして――背筋が震えるほどに、どこまでも(あで)やかな、笑みを浮かべた。

 

 

「いいわ、ベル。強くなりなさい……あなたのその願い、私が全て肯定してあげる」

「……はい。ありがとうございます、フレイヤ様」

 

 

 女神様は、最後に僕の頬をスルリと一撫ですると、折りたたんでいた膝を伸ばして立ち上がった。……ってぇ――

 

「フ、フレイヤ様っ!? その、膝……濡れ、っていうか泥でグチャグチャ……ッ!?」

 

 立ち上がった女神様の膝から下は、水気を帯びた泥で茶色く汚れ切っていた。

 

 ……そうだよねぇっ!? だってここ外だもんっ! そんなところで膝枕なんかしてたらそうなるよねっ!?

 って言うかそもそも、女神様はいつから僕に膝枕を……?

 

 見るからに高級そうな純白のドレスが台無しだ。汚れを落とそうにも、完全に染みついてるようで、全て落としきるのは不可能だろう。

 弁償しようにも、あれ一着を僕の稼ぎでまかなうには、一体何十年分必要になるのだろうか。

 

 頭の中が申し訳なさでいっぱいになって、それまで考えてた事が全部押し出されて行ってしまった。

 

「すみませんすみませんっ、ほんっとーに、すみませんんんーっ!?」

「ふふふっ、別に、気にしなくていいのに」

「気にしますよっ!? 僕なんかのせいで、貴方のお召し物を汚してしまうなんてっ!」

 

 それからしばらく、ワタワタと慌てる僕を、女神様は面白そうに眺め続けていた。

 

 結局、女神様のお付きの方達が館の方から迎えに来て、女神様の姿を見るや、慌てて館へ連れて行ったのだけれど。

 お付きの方の一人の、灰色の髪で顔半分を隠した女の人の僕を見る形相(ぎょうそう)が、滅茶苦茶恐ろしくて泣きそうになった。

 

 しばらく肩身の狭い思いをすることが、決定した瞬間だった。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 あれから一旦自室に戻り、汗や泥に汚れた体を清めた後。僕は装備を整えダンジョンへ向かった。

 昨日の先輩との闘い――と呼べるものではなかったけれど――で負った傷は、既に治療されていて、なんら支障もなく体は動く。

 己を高め合う先輩たちの合間を縫う様に、『戦いの野(フォールクヴァング)』を駆け抜いて、ホームを飛び出す。

 さして疲れることもなく門を通り、白亜の塔に向かってストリートを駆ける。

 

 もう、距離を取ってコソコソする様な考えは、僕の中から無くなっていた。

 

 

 朝の空気を、目一杯に肺に取り込んで、全身に新鮮な空気を送る。

 迷宮の上に築かれた摩天楼が、地下に口を開けて僕を待っている。

 

 胸の奥に灯った強さへの渇望は、消えることなく僕の体を熱くし続けていた。

 

 

 

 

 

 

「――ギギャァッ!」

「シッ」

 

 振り下ろされる爪を、サイドステップで横に躱し、コンパクトに振るった剣で、ゴブリンの胴を薙ぐ。

 深手を負った腹から臓物を(こぼ)して、倒れ伏せるゴブリンから視線を切り、次の標的に狙いを定める。

 

「ゲロォッ!」

 

 バシュッと、空気を擦るような音と同時に射出されるソレを、背中を後ろに反らして回避。

 顔面スレスレを通り過ぎた一条の赤い矢が、巻き戻る様にして元の場所に引き戻されていく。

 体勢を戻し、こちらに照準を向ける巨大な単眼と、大きな砲口を注視する。

 下口にある袋が大きく膨らみ始め、閉じていた口が開かれた瞬間、斜め前方へと飛び込んだ。

 

「ゲコッ!?」

 

 射出された長い舌が、何もない空間を貫く。

 慌てて伸ばした舌を戻そうとするモンスターだが、振り抜かれた僕の直剣が、その体を食い破る方が早かった。

 

 残心。

 後方を振り返れば、『フロッグ・シューター』と呼ばれる巨大化した蛙のモンスターが、切り裂かれた部位から赤黒い体液をぶちまけて事切れていた。

 その更に後ろでは、点々と倒れ伏すモンスターの骸が転がっている。

 

「…………ふぅ」

 

 剣を一振りして、滴り落ちるモンスターの残滓(ざんし)を振るい落とし、一息。

 肺に空気を取り込めば、血の鉄臭さと、(はらわた)の生臭さが鼻につく。もうすっかり嗅ぎ慣れてしまった、戦場のにおい。

 

 ここは六階層。

 

 

 ダンジョンに飛び込んだ僕は、ひたすらモンスターを追い求め続け、奥へ奥へと迷宮を突き進んでいった。

 手ごわく感じ始めるまで進んでみようと決めて、いつの間にか到達階層を増やすことになっていた。

 

 ――まだ、いける。その余裕がある。

 

 手傷はほぼなく、接近を許してしまったモンスターの攻撃も、身に付けていた装備が肉まで届くのを遮っていた。

 倒したモンスターから魔石を採取し終え、先を進む。

 

 歩みを重ねてしばらく。僕は部屋状の広い空間に辿り着いた。

 ルームと呼ばれる広間は正方形を形作っており、視界を隔てるものは何もない。

 視線を広間の奥へと投げれば、更に先へと続く通路が見える。

 

 モンスターの気配のない広間の中を進み、中央付近に差し掛かったところでそれは起きた。

 

 

 ――ビキリ。

 

 

 静まり返っていた広間に、何かが割れる様な音が鳴り響いた。

 音は続き、次第に大きくなっていく。

 

 周りを見渡しても、広間のどこにも異常はない。

 しかし音は大きさを増し、鳴りやむことがない。

 

 

 ……エイナさんから受けた講習の内容を思い出す。

 

『いい、ベル君。迷宮の外のモンスターは通常、生殖によってその数を増やし、世代を重ねていくんだけど、迷宮内のモンスターは違うの。ダンジョンのモンスターはね――』

 

 ――ダンジョンの中で、産まれる。 

 

 その言葉が浮かんだ瞬間、音の異常は取り返しのつかない所まで行き着いた。

 

 ダンジョンの壁が、破れる。

 丁度僕の正面。僕が二人分、縦に並んだ辺りの位置に亀裂が走る。

 今まさに、僕の眼前で行われている通り、ダンジョンのモンスターは迷宮壁を内側から破り、一個の生命として誕生するのだ。

 成長の過程を飛ばし、すぐさま戦闘に臨める強靭な成熟体として。

 この巨大なダンジョンは、人類を脅かすモンスターの母胎に他ならない。

 

 壁の亀裂が広がり、中から怪物が姿を現す。

 最後に一際大きな破裂音を鳴らし、モンスターは地面に足を着いた。

 落下の衝撃を和らげるように体を丸めていたソイツが、ゆらりと立ち上がる。

 一目見て、抱いた印象は『影』、だった。

 

 身の丈一六〇C(セルチ)程の、二腕二足のヒト形モンスター。 

 しかしその表面には毛や体皮らしいものは一切なく、全身が黒いペンキで塗り固められたようだった。

 影がそのまま浮かび上がったような異形の怪物。

 唯一、頭部に位置する大きな鏡面が、首から伸びる十字の爪に嵌め込まれる様にして僕に向けられている。

 六階層出現モンスター『ウォーシャドウ』。

 

 それが、二体。

 壁を破り、地面に落ちてきた落下音は一つだけでなく、二つだった。

 顔を少し動かし、後方に目を向ければ、そこにはもう一体のウォーシャドウが立っていた。

 

「……っ!」

 

 ――二対一。挟み撃ちによる形勢不利。

 

 頭の奥から、青年の声が響く。

 

『――逃げていいのは、目の前のクソを殺す方法を考える時だけだ』

 

 瞬間、地面を蹴り抜く。

 前方でも、後方でもなく、真横に向かって。

 広いと言っても、四方を壁に囲われた空間。すぐに壁に突き当たる。

 発声器官を持たぬウォーシャドウは、打ち合わせたかのように揃って僕の背を追ってくる。追いつめられるのも、時間の問題だろう。

 

 だが、それでいい。

 

「はぁっ!」

 

 解体用の小刀を振りかぶり、一方のウォーシャドウに投げつける。

 技術のない、刃に当たるかも怪しい投擲。小刀は回転しながらウォーシャドウを目指す。

 当然、小刀はウォーシャドウの腕の一振りで容易く弾かれた。

 それでも、並走するもう一方のウォーシャドウに一歩、出遅れた。

 

「――っ」

 

 駆ける。直剣を両手で握り締め、突出した一体に迫る。

 

『……』

「セァッ」

 

 鋭く振った斬り下ろしが、ウォーシャドウの三本の『指』に阻まれる。

 異様に長い腕の先から伸びる、鋭利なナイフのような長い指。

 硬く鋭い鉄の刃が、モンスターの生身に弾かれた。

 これまで僕が遭遇したモンスターの中でも、ミノタウロスを除けば随一の戦闘能力を有するモンスター。それがこのウォーシャドウだ。

 

 攻撃が防がれたことは気にも留めず、モンスターから距離を取る。

 追いすがるモンスターを認めて、反転。攻撃を繰り出し、また距離を取る。

 二体が並ばないように、位置関係を調整しながら一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を繰り返す。

 

 

 脳裏に過ぎる、先程とは別の男の人の声。

 

『多対一を行う時は、相手の位置や攻勢の瞬間を乱す事を意識しろ。多対一ではなく、一対一を繰り返せ』

『相手を誘い、拍子を外せ。――戦闘の流れを、己のモノにしろ』

 

 最初の三日間に、オッタルさんから教えられた事の一つ。

 あの時は、よく分かっていなかった。でも、今なら理解(わか)る。

 

 足を止めることなく動き続け、攻める時は常に自分から。

 敵に攻撃させる隙は見せず、時には後方の敵にも斬りかかる。

 

 相手を追わせ(さそい)、意識の隙をつく。

 

 

 戦闘を、支配する。

 

 

『――……ッ!』

 

 攻撃が当たるどころか、(やいば)を振らせても貰えない事態に焦れたのか、ウォーシャドウの一体が腕を大きく振りかぶった。

 鉤爪状に折り曲げられた三枚の黒刃(ゆび)が、振り下ろされる。

 その先端が、僕の肉を食い破ろうと迫るのを、横から剣で腕を殴りつけることで、拒絶する。

 

「シッ!」

 

 刃の軌道がズレ、僕の横を通過していく。

 渾身の一撃が外されたウォーシャドウの体勢は、崩れ切っていた。

 その隙を、見逃してやる道理はなく。素早く引き戻した直剣がウォーシャドウの胴体を斬り裂く。

 崩れ落ちる音を後方に置き去りにしながら、前へ。

 

 倒れ伏せる同胞に、僕に詰め寄ろうとしていたもう一体の方が、戸惑う様に一瞬硬直した。

 鏡状の顔面に表情はないはずなのに、その様子に狼狽するのが分かって、一寸(ちょっと)面白い。

 硬直から動作が遅くなったウォーシャドウの鏡面に、その懐に飛び込むと同時に直剣を突き入れた。

 

 貫かれたモンスターの頭部が、割れながら破片を飛ばす。

 ウォーシャドウは短く痙攣し、全身から力を消失させてがくりと膝を屈する。

 剣戟の音が鳴り響いていた空間に、静寂が戻る。

 広間(ルーム)で動いているのは、僕だけになった。

 

 

「……か、勝てた……」

 

 『上層』と定められた一から十二階層の内、新米の冒険者では敵わないモンスターの筆頭。それがウォーシャドウ。

 それを相手に、それも二体同時をして、全く危なげなく勝利を収めることが出来た。

 

 僕は、強くなれている。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインや、それこそオッタルさんからして見れば、なんてことのない変化だろう。

 それでも確実に、着実に。

 その背に近づけている、確かな実感を感じることが出来た。

 

 僕はもっと、強くなれる。

 

「……っ!」

 

 握り締めた拳を見下ろしながら、感慨(かんがい)を噛み締める。

 

 

――ビキリ、ビキリ。

 

 突如、そんな僕にまだ終わってないぞとでも言うように、何かが割れる音が鳴り響いた。

 それも、四方全てから。

 

 あっという間に、壁を破って産まれ落ちるウォーシャドウ。都合、四体。先程を倍する数の『影』の怪物が、ゆっくりとこちらに迫ってくる。

 僕は声を失い呆然としていたが、更にそこへ、追い打ちをかける様に通路に繋がる二つの出入り口から、一匹、また一匹と、モンスターが広間に足を踏み入れてきた。

 静寂は去り、モンスターの唸り声が耳朶(じだ)を叩く。

 

 僕は、完全に取り囲まれてしまっていた。

 

 

(――……あぁ)

 

 

 剣を握る手が、(ふる)えるのが分かった。

 胸に灯る想い(ほのお)は依然燃え上がったまま、僕を熱くする。

 肺を目一杯膨らませるように息を吸い、それを胸の奥へと送り込む。

 

 

 戦いの幕は、獣の咆哮と共に切って落とされた。

 

 

 

 

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