もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら 作:人工衛星
石に囲まれた湿った薄暗い空間に、カツ、カツと硬質な音が反響する。
「……ぅ、ぐぁ……」
天井には空間の広さに見合わない、小さな魔石灯が吊り下げられ、仄かな光が床で倒れ伏せた、幾つかの人影を照らしている。
それらを意にも介さず、ローブでその姿を覆い隠す何者かが、靴音を鳴らして闊歩する。
その音をかき消すように、四方から獣が唸るような声が上がる。
本来広いはずの空間は、今はいくつもの鉄の檻によって、狭められていた。
檻の中には、鎖に繋がれたモンスターが、自身に近づいてくる何者かに歯を剥きだして威嚇する。
その様子は警告するようにも、虚勢を張っているようにも見えた。
モンスターを閉じ込める檻の前で脚が止められ、ローブの人物が何かを呟くと、ローブの中から現れた腕が等間隔に並ぶ鉄格子の間に入れられる。
カチリ、と金属が擦れる小さな音と、ギィと軋む音の後。
『闘技場』の『地下』に、怪物の咆哮が
* * * *
「ふぅーっ、お祭り、楽しいですね。ベルさんっ」
「……それは、良かったですね」
満面の笑みを浮かべるシルさんに対して、隣にいる僕は苦笑いが絶えなかった。
あれから、いくつものお店で食べ物を購入したり、珍しい品を並べる露天を冷かしたりと、大いにはしゃぐシルさんに振り回されっぱなしだった僕は、今や下手くそな笑みを張り付けるだけで精いっぱいだ。
弾むような足取りでストリートを進むシルさんには悪いけど、正直もうヘトヘトだ。
「私、こんなに楽しいお祭り初めてかもしれません」
だけど、今もこうして隣で笑う彼女の手前、そんな事を言い出せそうにもなく、繋がれたままの手を引っ張られる様にして、彼女の後を着いていく。
「そろそろいい時間でしょうし、闘技場の方に行ってみますか?」
「いいですね。そうしましょう」
『神の恩恵』のおかげで、体力は一般人のシルさんよりあるはずなのに。まだまだ元気そうな彼女と変わって、一旦腰を落ち着けたい思いでいっぱいだった僕は、その提案に飛びついた。
屋台から屋台へ、吸い寄せられるように移動していた僕たちの現在地は、闘技場を中心として西側に伸びるストリート。
少し離れたここからでも、闘技場で行われているだろう『
脚を進めるごとにそれらは大きくなっていき――僕は、その場で立ち止まった。
「ベルさん?」
シルさんへの返答も忘れ、僕は周囲を見回す。
……今、確かに。
明るく賑やかな祭りのざわめきとは違う、背筋を冷たくするような――悲鳴が、聞こえた。
次の瞬間、切迫した誰かの叫びが響き渡る。
「モ、モンスターだぁぁあああああっ!?」
凍り付いた様に、楽し気な喧騒に満ちていた大通りから、音が消えた。
そして、僕は見た。
僕等が進む先、闘技場方面の通りの奥から、一匹のモンスターがこちらに向かってきているのを。
* * * *
「な、なんで街中にモンスターが!?」
その姿が目に入った瞬間から、静まり返っていた大通りは一転、騒然となった。
周囲からは悲鳴混じりの叫びがいくつも上がり、多くの人が慌てふためきながら逃げ出す。
残されたのは、突然の事態に動けず棒立ちになる、僕のような人たち。逃げ出さない僕の隣に立つシルさんも、顔を真っ青にしている。
『ルググゥ……!』
地面を揺らしながら猛進してきたモンスターは、僕たちのすぐ近くで足を止めると、その場で鼻を動かす仕草を繰り返す。
天高くに昇った日の光が、モンスターの毛並みに反射して、白く大きな獣を白日の下に照らし出した。
シルバーバック。
エイナさんから教えて貰ったモンスターの知識の中から、目の前のモンスターの特徴と、それが一致する。
尻尾と見間違うほど長い銀色の髪を持つ、大猿のモンスター。
ダンジョンの十一階層を生息域とする、今の僕の到達階層である六階層よりも、遥か下層の住人。
そいつの圧倒的な存在感は、あの日の
そんなモンスターの首には金属製の
おそらく『
何かを探すように、しきりに臭いを嗅いでいたシルバーバックは、理性の欠片もない瞳をぎょろりと、僕たちの方へと向けた。
そして、ニィイと口端を吊り上げたのが、見えた。
冷たい汗が背中に浮かび、背筋を伝って流れ落ちていく。
繋がったままのシルさんの手を、強く握り締めた。
「シルさん、こっちに!」
「ベ、ベルさんっ? ――キャァッ!?」
頭の裏側で打ち鳴らされる警鐘に従い、
無理矢理に手を引いたシルさんが、襲い掛かってきたモンスターに悲鳴を上げ、一拍遅れて石畳が砕ける音が大通りに響いた。
『ゥウッ……!』
突撃を躱されたシルバーバックはこちらに向き直り、再度、僕たちに襲い掛かる。
(何でこっちに!?)
ぎらついた眼光を向けながら、迷いなくこちらに直進してくるモンスターの姿に瞠目しながら、僕は手を引くシルさんを、振り回すように右手の方向へ追いやった。
敵の進行ルートから外れる位置に、彼女を移動させると同時。腰に帯びていた直剣を鞘から引き抜いた。
来るなら来いと、迎え撃つ構えをとろうとする僕には目もくれず、シルバーバックは進行方向を変えた。
「え……?」
転身したシルバーバックに驚倒する。
(こいつ、僕を見ていない。狙いは――シルさんっ!?)
脚が勝手に動いた。敵の走行を遮る為に。
進路に割入り、正面に立ち塞がる僕に、シルバーバックは一瞥もせずに、その太い右腕を薙いだ。
何かが軋み、割れる音。――次いで、途方もない衝撃が僕を襲った。
「ぐうぅぅっ!?」
無造作に振るわれた丸太のような腕。
ギリギリ目で追える速度で迫りくる、横薙ぎにされる拳が通るであろうルートに、手に持った直剣を添える様に差し入れた。
目論見では、それで敵の攻撃の軌道を逸らせる、はずだったのに。僕は吹き飛ばされ、石畳の上を転がっていた。
とっさに体勢を直し、勢いを殺した僕が目にしたのは、半ばから折れた――直剣の成れの果てだった。
全身を襲う鈍い痛みも忘れ去り、僕は呼吸を止めた。
半月。言葉にすればひどく短い時間。
しかし、ダンジョンで生死を賭けた戦いを過ごす中、確かな信頼を寄せるには十分すぎる時間だ。
尊敬する人に選んでもらって、整備にも手をかけてきたこともあって、愛着を抱くようになっていた。
そんな、苦楽を共にした僕の相棒が、見るも無残な姿になってしまっていた。
『ブフゥー……ッ!』
呆然としかける僕の耳が、モンスターの唸り声を拾い上げる。
顔を向ければ、迫るシルバーバックを前にして、立ちすくむ彼女の姿が見えた。
「――ぐっ、あぁぁああああっ!!」
一瞬で赤熱した意識が体を動かした。
石畳を殴って体を起こし、足で蹴りつけて駆け出す。
モンスターの手枷に繋がった鎖に飛びかかる様に掴んで、力一杯引っ張った。
『ガッ!』
ビィン、と鎖が伸び切って、モンスターの歩みが止まる。
自身の邪魔をする僕に、シルバーバックは煩わしいとばかりに腕を引く。
凄まじい膂力に、体が持っていかれそうになるのを必死にこらえ、全力で鎖を引き続ける僕は――前触れなく、鎖から手を離した。
『ギアッ!?』
僕の抵抗に痺れを切らし、思い切り引こうとしたのだろう。そのタイミングが丁度合わさり、片方の力が無くなった反動で、シルバーバックの体は大きく傾き、反り返る。
その隙にモンスターの脇を一気に駆け抜け、シルさんの手を取った。
「こっちに!」
僕はシルさんの手を引きながら、路地裏へと続く道に駆け出した。
使える小道具があったら、使ってみたくなる不思議。必要もないのにね。
邪魔だよという意見があれば修正します。
なければ今後もぼちぼち使うかも。