もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら   作:人工衛星

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白兎は走り出す 8

「ここで、良かったですか?」

「はい、ありがとうございます。シルさん」

 

 シルさんに教えてもらったのは、ここを離れるための抜け道。

 彼女の案内に従って、緩やかな下り坂を下りた先には、狭く暗い地下道が伸びていた。

 真っ暗な道の先には白い光が見える。あそこを出れば一つ隣の区画に出れるらしい。

 

 入り口の前でシルさんと繋いでいた手をほどき、彼女の背を押して地下道に続くトンネルに進ませる。

 

「ベルさん?」

 

 彼女の足がトンネルに入り切った直後、僕は入り口の横に備え付けられていた、封鎖用の鉄格子を横に滑らした。

 錆の浮いた鉄の柵が、重く軋む音を上げながら、間を開けずトンネルの入り口を閉め切った。

 

 シルさんと、僕の間を、遮る様に。

 

「ベルさんっ何を!?」

「シルさんは、このまま先に進んでください。僕は――ここで時間を稼ぎます」

 

 

 そう。

 単純な事だ。

 彼女を助ける為に、彼女を守る必要は一切ない。

 

 シルさんが助かってくれれば、それでいい。

 弱い僕が、この人を助けることのできる確かな方法。

 『(おとり)』。

 

 僕の真意が正しく伝わったのだろう。シルさんは愕然としてその場に立ち尽くした。

 

「そんなこと――そんな事できませんっ! ベルさんを置いて、私だけ逃げるなんて」

「違います、シルさん。シルさんにはここを出た後、すぐに助けを呼んで欲しいんです」

「それは……でも」

「……大丈夫です。僕、これでも結構強いんですから」

 

 そう言って、作った笑みを顔に張り付ける。

 引き攣っていない事を内心で祈りながら、彼女を少しでも安心させるように。自分の恐怖を誤魔化すために。

 

 それでも、シルさんは頷いてくれなかった。

 その細い腕ではどうあがいても、こじ開けられっこない鉄格子にしがみつき、薄鈍色の髪を振り回すように頭を横に振り続ける。

 その姿に、こちらの身を案じてくれている想いが感じ取れて、嬉しくて――悲しかった。

 こんな手段しかとれない、こんな手段しかとらせられない自身の非力さに、胸が苦しかった。

 

「駄目です、ベルさん……ダメ……」

 

 

『――ガルルァァアアアアアァァッッ!!』

 

 

 再度響き渡るシルバーバックの咆声。

 何度も聞いた事で、その声の主との距離が大体予測することが出来る様になっていた。

 

 脳内で導き出した彼我の距離――もう、すぐそこまで迫って来ている。

 

「行ってください。貴方が助けを呼んできてくれないと、共倒れになってしまいます」

「でも、でも……」

 

「――行けっっっ!!!」

 

 尚も動こうとしない彼女に、僕は怒鳴った。

 苦悶の表情を浮かべるシルさんは、ほとんど懇願じみた僕の叫びにようやくこちらに背を向け、奥の光に向かって駆けて行った。

 

 やがて足音は遠ざかり、代わりに獣の遠吠えがゆっくりと近づいてくる。

 独り、封鎖された地下道の前に残った僕は、その事に安堵して、恐怖した。

 

 怖かった。

 一人になることがこんなにも心細いなんて。

 折れた剣を握る手が、震えるのが分かった。

 武者震いとは違う、本能的な震えが止まらなかった。

 

「……ごめんなさい、シルさん」

 

 鉄格子を握り締めながら、僕は顔を(うつむ)ける。

 半ばでへし折れた剣と、僕の技量では、あのモンスターに勝つことはおろか、戦いにすらならない。

 シルさんには、助けを呼ぶようにと言ったけれど。そんなものは、彼女をここから逃がすための名目でしかない。

 今の僕では、あのモンスターを相手をしたとて、助けが来るまで持つ自信はなかった。

 

 

 きっと。

 僕は、アイツにやられる。

 

 目の前が真っ暗になりそうな絶望的状況。

 一度目はオッタルさんに。

 二度目はアイズ・ヴァレンシュタインさんに、助けてもらえたけれど。

 三度目の今は、助けがくることなんてないだろう。

 

 死にたくない。英雄にもなれずに、こんなところで終わりたくなんてない。

 でも、頭のどこかで諦めてしまっている。

 

「……ごめんなさい、女神様……ッ」

 

 涙腺が緩みそうになる目を強く閉じ、血を吐く様な声音でここにはいない女神様に謝った。

 どこのファミリアからも門前払いされた、こんな僕を拾い上げてくれた女神様に。

 帰る家も、迎えてくれる家族ももういない、ひとりぼっちの僕を迎えてくれた女神様に。

 綺麗で、優しくて、おかあさんみたいな温もりをくれた女神様に、何一つ恩を返せず死んでしまう事が心苦しくて――申し訳なかった。

 最期を目前として項垂れる僕の頭に、優しく撫でてくれた女神様の手の感触が蘇る。

 

 

「何を謝っているの? ベル」

 

 

 瞬間、時が止まった。

 重苦しい絶望の中、耳に飛び込んできたその声が、僕の心臓を鷲掴みにする。

 顔を振り上げ、後ろを向けば。

 

 視界に映るそのヒトの姿に、息が詰まった。

 

「……な、何でっ、どうしてここにいるんですか――フレイヤ様っ!?」

「貴方がここにいるから、かしら」

 

 僕の後ろに立っていたのは、紺色のローブに身を包んだ、女神様だった。

 ついさっき、思い浮かべていた記憶のままに、柔らかな微笑みを向けるフレイヤ様に、僕は動揺を抑えきれなかった。

 

「ここにはもうすぐモンスターがやってきますっ! すぐに避難してください!」

「どうして?」

「どうしてって……貴方の身にもし万が一が起きたら、どうするんですかっ!?」

「だって、アナタがいるでしょう?」

 

 僕の言葉に、心底わからないという様な素振りをする女神様に、危惧している内容を叫べば、その言葉が返ってくる。

 それは、僕が自分を守ってくれるという、一切疑う色のない、純粋なまでの信頼が込められた言葉。

 

 それが嬉しくて、本当に嬉しくて――泣きたいくらい悲しかった。

 

「……無理です。僕の攻撃は、あいつに届きません。僕じゃ……あいつを、倒せません」

 

 折れた剣の柄を、握り潰すくらいに力を込める。

 震えた声でそう言う自分が、情けなかった。

 ダンジョンの中と酒場で、獣人の青年から受けた痛罵の数々。

 あの日、散乱するミノタウロスだった物に塗れる自分。

 それらの記憶が鮮明に蘇り、身の程というものを思い知らせる。

 

 僕じゃあ、あのシルバーバックは倒せない。

 僕は、僕が信じられない。

 手の中にある愛剣が折れた時と同じくして、僕の心も折られてしまっていた。

 

 

「攻撃が、届くようになれば?」

「――え?」

「ダメージを与えることが出来れば、貴方はあのモンスターを倒せるかしら?」

 

 女神様はそう言って、それまで背負っていた白い包みを僕に差し出した。

 包みの中にあったものは、鞘に収まった薄鈍色の直剣。

 呆然とする僕は、ゆっくりとその剣を受け取り、鞘から引き抜いた。

 露わになったそれを日の光にかざせば、全貌が視界に映る。

 

 総金属製の、機能性を極限まで追求した真っ直ぐな両刃の(つるぎ)

 刃の中央には、鍔から剣先まで伸びる様に精微な刻印が施されている。

 

 次第に、あたかも僕の鼓動に呼応するように、その《女神様の剣》は淡い光を帯び始め、薄鈍の色は彩度を増し、その体を銀へと染め上げる。

 

「これ、は……」

「最近、貴方が頑張っているのを見てきたわ。だから、応援してあげたくなったの。その武器、貰ってくれるわね?」

「でも……こんな凄いもの」

 

 神様達の使う『神聖文字(ヒエログリフ)』のような刻印が、仄かな青白い光を放ち、夜空を照らす月の光にも似た蒼銀の輝きが剣に宿る。

 武器としての造形美はさることながら、神が作り上げた様な神秘的な光景に、息を呑んだ。

 芸術品の如きその剣に、果たして自分が受け取っていいものなのかと、狼狽える。

 そんな僕の頭を、フレイヤ様の指が優しく撫でた。

 

「貴方が自分を信じられなくても、私は貴方を信じているわ」

「――……っ!!」

 

 目頭が、熱い。

 でも、それ以上に。胸の奥が燃える様な熱を、灯し始めていた。

 

「その剣で、私を守ってね。ベル」

 

 笑いかける女神様に、僕は目元を腕で拭って、「はいっ!」と涙声混じりに頷いた。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 太陽が中天へと差し掛かる。

 あれから、周りが開けた場所に移動した僕たちは、近づく雄叫びと獰猛な気配に備えていた。

 

 やがて、曲がり角の向こうから姿を現したシルバーバックに、鼓動が跳ねる。

 だけど、恐怖で動揺することはなかった。

 

 僕の背後に立つ女神様に、僕を信じてくれる大切な人に、格好の悪い姿は見せられないから。

 この人を、守りたい。その一心が、僕に力をくれていた。

 

『グゥウ? ――ガァアアァアアアアアアッ!!』

 

 こちらに目を向けたシルバーバックが、僕を――その後ろに立つ女神様の姿を見て、喜色の籠もった雄叫びを上げる。

 そして、僕たちへと突っ込んでくる速度を一層速め、地面を揺らしながら近づいてくる。

 

 巨猿のモンスター『シルバーバック』。今の僕の【ステイタス】では、まともに攻撃を食らえば終わってしまうほどの怪物。

 勝機は程遠い。本当に自分があのモンスターを打倒できるのか、自分自身、半信半疑だ。

 だが、みじめで情けない自分は信じられなくても。

 女神様の言葉を裏切ることは、僕には出来なかった。したくなかった。

 

「――ッッ!」

 

 胸を燃やす炎を動力に、脚を振り下ろして全身を前へと撃ち出す。

 ぐんぐんと迫るシルバーバックとの距離に比例して、鼓動が強く、速くなっていく。

 

『ガァッ!』

 

 駆け寄ってくる僕を見ていないように、視線を女神様に固定しているシルバーバックが、邪魔だと言わんばかりに腕を振るう。

 無造作に振るわれた丸太のような腕。

 ギリギリ目で追える速度で迫りくる、横薙ぎにされる拳が通るであろうルートに、手に持った蒼銀の直剣を、添える様に差し入れた。

 

 接触した岩のような拳は、剣の側面を滑る様に通過して、僕の頭上を通り過ぎていく。

 振り抜かれ、がら空きになった脇。

 そこに、剣の切っ先を突き立てた。

 

『――グォオオオッ!?』

 

 痛撃に驚く怪物の叫び。

 ダメージを与えた事で、初めて僕を直視したシルバーバックは、もう片方の腕で、僕を掴もうと掌を突き出した。

 

「シッ!」

 

 それを後ろに飛びながら躱して、行きがけの駄賃代わりに掌を斬りつけた。

 傷口から赤い飛沫を上げながら、痛みに硬直するモンスター。その間に十分な距離を離して、短く息を吐いた。

 

 

 ――戦えている。

 

 僕は【ステイタス】で敵わない相手を前にして、対等以上に戦う事が、出来ていた。

 こいつは、確かに僕よりも速いし、力も強い。

 でも、ファミリアの先輩達ほどじゃない。

 模擬戦で散々地面を転がされ続けた僕には、目で追える程度のコイツの攻撃を(さば)くことは、そう難しいものではなかった。

 

 何より。

 そう、何よりも、今の僕にはこの剣がある。

 柄を強く握り締めれば、吸い付く様な感触が返ってくる。

 手の中にある蒼銀の剣が、高鳴る鼓動と連動しているように、月光の如き輝きを強くする。

 もう既に、これまで共に戦ってきた愛剣と同じくらい、蒼銀の剣は僕の手に馴染み始めていた。

 

『グルァアアアアアアアアアアアッ!』

「はぁああああああああああああっ!」

 

 

 振り下ろされる拳。

 横から叩いて軌道をずらす。

 

 横薙ぎにされる腕。

 体勢を低くしてやり過ごし、懐へ飛び込み傷を刻む。

 

 頭上からの踏み付け。

 弾き飛ぶ()()()を背中に受けながら、通りぬけ様に足を斬りつけた。

 

 

 【力】はあちらの方が上。

 【耐久】は比べるのもおこがましい。

 でも、【敏捷】は。

 【敏捷(はやさ)】だけなら、僕だって負けていない。

 一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を繰り返し、図体のデカい相手を小回りな動きで翻弄していく。

 結果として。僕は無傷のまま、対するシルバーバックは傷を重ねていった。

 

『ギャゥウウウッ!』

 

 振るう度、剣から漏れ出した蒼銀の燐光が、宙に軌跡を描き出す。

 シルバーバックの躰を三日月の剣閃が通り抜け、一拍遅れて鮮血が舞う。

 白い剛毛に覆われていたシルバーバックは、時間を追う度にその毛皮を赤く染めていく。

 戦闘が始まってからずっと、代わることなく僕が優勢なまま事が進んでいる。

 戦いの緊張に高揚する意識の中で、僕はその事実に戦慄を覚えていた。

 

 ――強すぎる。

 僕の手の中で、猛威を振るい続けるこの剣が。

 いくらなんでも、この怪物を相手に好調が過ぎている。

 

 

「その剣は、貴方と共に成長する武器」

 

 背筋に冷えたものを感じていた僕に、女神様の声が掛けられる。

 

 

「貴方が強くなるほど、その剣も強くなる」

 

「貴方が高みに至るほど、その剣もまた、高みへ至る」

 

「その剣の力は、貴方の力」

 

「受け入れなさい、貴方の剣を」

 

「受け入れなさい、貴方の力を」

 

 

「――自信を持ちなさい。貴方は私の眷属(モノ)なのだから」

 

 

 その声に、その言葉に背中を押される様にして、僕はモンスターに向かって、走り出す。

 シルバーバックの主力武器である両腕は、幾度も斬りつけられたことで真っ赤に染まっていた。

 最早ロクに腕を上げられないだろうシルバーバックの懐を目掛けて、突撃する。

 極限まで緩やかになった世界の中、胸を打つ鼓動が、燃えるような背中の熱が、そして何よりも、何処までも猛る想いが、僕の背を押す。

 

 地面を蹴り抜く。

 全身が一本の槍となって、シルバーバックへと突き進む。

 それまでの行動から一転して、乾坤一擲(けんこんいってき)の突貫をする敵に意表を突かれたのか、モンスターはただ硬直して、飛び込んでくる僕を待つ。

 周囲から音は消え、凝縮された時間の中。腕を僅かに痙攣させたモンスターの表情が、焦燥と恐怖に染まるのが、分かった。

 

 

「――ぁああああああああああああああああああッッ!!

 

 

 

 渾身の『突撃槍(ペネトレイション)』。

 突き出した剣の切っ先が、モンスターの硬い肉を貫いた。

 蒼銀の剣が首輪を砕きながら、その奥の喉笛を食い破る。驚愕に限界まで両目を剥いたシルバーバックを、衝突した勢いそのまま地面へと押し倒す。

 

 地鳴りを伴って仰向けになったモンスターは、胸の上に僕をのせたまま、幾度かの痙攣をした後――大量の血を吐いたのを最期に息絶えた。

 

 

 

 ――……勝てた。

 

 

 僕は、僕よりも大きくて強い怪物に、勝利をおさめることが、出来た。

 逃げるだけじゃなく、立ち向かい、打倒することが出来たんだ。

 

 その事実に胸を熱くしながら、ゆっくりと立ち上がり、モンスターの首に突き刺さったままの剣を引き抜いて――天を衝かんばかりに突き上げる。

 

 掲げられた蒼銀の剣が、お互いの勝利を讃えるように、月光に似た光を一際強く瞬かせた。

 

 

 

 

『『――――――ッッッ!!!』』

 

 

 

 そして僕達は、歓喜の声に包まれた。

 

 

 

 

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