もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら 作:人工衛星
「ここで、良かったですか?」
「はい、ありがとうございます。シルさん」
シルさんに教えてもらったのは、ここを離れるための抜け道。
彼女の案内に従って、緩やかな下り坂を下りた先には、狭く暗い地下道が伸びていた。
真っ暗な道の先には白い光が見える。あそこを出れば一つ隣の区画に出れるらしい。
入り口の前でシルさんと繋いでいた手をほどき、彼女の背を押して地下道に続くトンネルに進ませる。
「ベルさん?」
彼女の足がトンネルに入り切った直後、僕は入り口の横に備え付けられていた、封鎖用の鉄格子を横に滑らした。
錆の浮いた鉄の柵が、重く軋む音を上げながら、間を開けずトンネルの入り口を閉め切った。
シルさんと、僕の間を、遮る様に。
「ベルさんっ何を!?」
「シルさんは、このまま先に進んでください。僕は――ここで時間を稼ぎます」
そう。
単純な事だ。
彼女を助ける為に、彼女を守る必要は一切ない。
シルさんが助かってくれれば、それでいい。
弱い僕が、この人を助けることのできる確かな方法。
『
僕の真意が正しく伝わったのだろう。シルさんは愕然としてその場に立ち尽くした。
「そんなこと――そんな事できませんっ! ベルさんを置いて、私だけ逃げるなんて」
「違います、シルさん。シルさんにはここを出た後、すぐに助けを呼んで欲しいんです」
「それは……でも」
「……大丈夫です。僕、これでも結構強いんですから」
そう言って、作った笑みを顔に張り付ける。
引き攣っていない事を内心で祈りながら、彼女を少しでも安心させるように。自分の恐怖を誤魔化すために。
それでも、シルさんは頷いてくれなかった。
その細い腕ではどうあがいても、こじ開けられっこない鉄格子にしがみつき、薄鈍色の髪を振り回すように頭を横に振り続ける。
その姿に、こちらの身を案じてくれている想いが感じ取れて、嬉しくて――悲しかった。
こんな手段しかとれない、こんな手段しかとらせられない自身の非力さに、胸が苦しかった。
「駄目です、ベルさん……ダメ……」
『――ガルルァァアアアアアァァッッ!!』
再度響き渡るシルバーバックの咆声。
何度も聞いた事で、その声の主との距離が大体予測することが出来る様になっていた。
脳内で導き出した彼我の距離――もう、すぐそこまで迫って来ている。
「行ってください。貴方が助けを呼んできてくれないと、共倒れになってしまいます」
「でも、でも……」
「――行けっっっ!!!」
尚も動こうとしない彼女に、僕は怒鳴った。
苦悶の表情を浮かべるシルさんは、ほとんど懇願じみた僕の叫びにようやくこちらに背を向け、奥の光に向かって駆けて行った。
やがて足音は遠ざかり、代わりに獣の遠吠えがゆっくりと近づいてくる。
独り、封鎖された地下道の前に残った僕は、その事に安堵して、恐怖した。
怖かった。
一人になることがこんなにも心細いなんて。
折れた剣を握る手が、震えるのが分かった。
武者震いとは違う、本能的な震えが止まらなかった。
「……ごめんなさい、シルさん」
鉄格子を握り締めながら、僕は顔を
半ばでへし折れた剣と、僕の技量では、あのモンスターに勝つことはおろか、戦いにすらならない。
シルさんには、助けを呼ぶようにと言ったけれど。そんなものは、彼女をここから逃がすための名目でしかない。
今の僕では、あのモンスターを相手をしたとて、助けが来るまで持つ自信はなかった。
きっと。
僕は、アイツにやられる。
目の前が真っ暗になりそうな絶望的状況。
一度目はオッタルさんに。
二度目はアイズ・ヴァレンシュタインさんに、助けてもらえたけれど。
三度目の今は、助けがくることなんてないだろう。
死にたくない。英雄にもなれずに、こんなところで終わりたくなんてない。
でも、頭のどこかで諦めてしまっている。
「……ごめんなさい、女神様……ッ」
涙腺が緩みそうになる目を強く閉じ、血を吐く様な声音でここにはいない女神様に謝った。
どこのファミリアからも門前払いされた、こんな僕を拾い上げてくれた女神様に。
帰る家も、迎えてくれる家族ももういない、ひとりぼっちの僕を迎えてくれた女神様に。
綺麗で、優しくて、おかあさんみたいな温もりをくれた女神様に、何一つ恩を返せず死んでしまう事が心苦しくて――申し訳なかった。
最期を目前として項垂れる僕の頭に、優しく撫でてくれた女神様の手の感触が蘇る。
「何を謝っているの? ベル」
瞬間、時が止まった。
重苦しい絶望の中、耳に飛び込んできたその声が、僕の心臓を鷲掴みにする。
顔を振り上げ、後ろを向けば。
視界に映るそのヒトの姿に、息が詰まった。
「……な、何でっ、どうしてここにいるんですか――フレイヤ様っ!?」
「貴方がここにいるから、かしら」
僕の後ろに立っていたのは、紺色のローブに身を包んだ、女神様だった。
ついさっき、思い浮かべていた記憶のままに、柔らかな微笑みを向けるフレイヤ様に、僕は動揺を抑えきれなかった。
「ここにはもうすぐモンスターがやってきますっ! すぐに避難してください!」
「どうして?」
「どうしてって……貴方の身にもし万が一が起きたら、どうするんですかっ!?」
「だって、アナタがいるでしょう?」
僕の言葉に、心底わからないという様な素振りをする女神様に、危惧している内容を叫べば、その言葉が返ってくる。
それは、僕が自分を守ってくれるという、一切疑う色のない、純粋なまでの信頼が込められた言葉。
それが嬉しくて、本当に嬉しくて――泣きたいくらい悲しかった。
「……無理です。僕の攻撃は、あいつに届きません。僕じゃ……あいつを、倒せません」
折れた剣の柄を、握り潰すくらいに力を込める。
震えた声でそう言う自分が、情けなかった。
ダンジョンの中と酒場で、獣人の青年から受けた痛罵の数々。
あの日、散乱するミノタウロスだった物に塗れる自分。
それらの記憶が鮮明に蘇り、身の程というものを思い知らせる。
僕じゃあ、あのシルバーバックは倒せない。
僕は、僕が信じられない。
手の中にある愛剣が折れた時と同じくして、僕の心も折られてしまっていた。
「攻撃が、届くようになれば?」
「――え?」
「ダメージを与えることが出来れば、貴方はあのモンスターを倒せるかしら?」
女神様はそう言って、それまで背負っていた白い包みを僕に差し出した。
包みの中にあったものは、鞘に収まった薄鈍色の直剣。
呆然とする僕は、ゆっくりとその剣を受け取り、鞘から引き抜いた。
露わになったそれを日の光にかざせば、全貌が視界に映る。
総金属製の、機能性を極限まで追求した真っ直ぐな両刃の
刃の中央には、鍔から剣先まで伸びる様に精微な刻印が施されている。
次第に、あたかも僕の鼓動に呼応するように、その《女神様の剣》は淡い光を帯び始め、薄鈍の色は彩度を増し、その体を銀へと染め上げる。
「これ、は……」
「最近、貴方が頑張っているのを見てきたわ。だから、応援してあげたくなったの。その武器、貰ってくれるわね?」
「でも……こんな凄いもの」
神様達の使う『
武器としての造形美はさることながら、神が作り上げた様な神秘的な光景に、息を呑んだ。
芸術品の如きその剣に、果たして自分が受け取っていいものなのかと、狼狽える。
そんな僕の頭を、フレイヤ様の指が優しく撫でた。
「貴方が自分を信じられなくても、私は貴方を信じているわ」
「――……っ!!」
目頭が、熱い。
でも、それ以上に。胸の奥が燃える様な熱を、灯し始めていた。
「その剣で、私を守ってね。ベル」
笑いかける女神様に、僕は目元を腕で拭って、「はいっ!」と涙声混じりに頷いた。
* * * *
太陽が中天へと差し掛かる。
あれから、周りが開けた場所に移動した僕たちは、近づく雄叫びと獰猛な気配に備えていた。
やがて、曲がり角の向こうから姿を現したシルバーバックに、鼓動が跳ねる。
だけど、恐怖で動揺することはなかった。
僕の背後に立つ女神様に、僕を信じてくれる大切な人に、格好の悪い姿は見せられないから。
この人を、守りたい。その一心が、僕に力をくれていた。
『グゥウ? ――ガァアアァアアアアアアッ!!』
こちらに目を向けたシルバーバックが、僕を――その後ろに立つ女神様の姿を見て、喜色の籠もった雄叫びを上げる。
そして、僕たちへと突っ込んでくる速度を一層速め、地面を揺らしながら近づいてくる。
巨猿のモンスター『シルバーバック』。今の僕の【ステイタス】では、まともに攻撃を食らえば終わってしまうほどの怪物。
勝機は程遠い。本当に自分があのモンスターを打倒できるのか、自分自身、半信半疑だ。
だが、みじめで情けない自分は信じられなくても。
女神様の言葉を裏切ることは、僕には出来なかった。したくなかった。
「――ッッ!」
胸を燃やす炎を動力に、脚を振り下ろして全身を前へと撃ち出す。
ぐんぐんと迫るシルバーバックとの距離に比例して、鼓動が強く、速くなっていく。
『ガァッ!』
駆け寄ってくる僕を見ていないように、視線を女神様に固定しているシルバーバックが、邪魔だと言わんばかりに腕を振るう。
無造作に振るわれた丸太のような腕。
ギリギリ目で追える速度で迫りくる、横薙ぎにされる拳が通るであろうルートに、手に持った蒼銀の直剣を、添える様に差し入れた。
接触した岩のような拳は、剣の側面を滑る様に通過して、僕の頭上を通り過ぎていく。
振り抜かれ、がら空きになった脇。
そこに、剣の切っ先を突き立てた。
『――グォオオオッ!?』
痛撃に驚く怪物の叫び。
ダメージを与えた事で、初めて僕を直視したシルバーバックは、もう片方の腕で、僕を掴もうと掌を突き出した。
「シッ!」
それを後ろに飛びながら躱して、行きがけの駄賃代わりに掌を斬りつけた。
傷口から赤い飛沫を上げながら、痛みに硬直するモンスター。その間に十分な距離を離して、短く息を吐いた。
――戦えている。
僕は【ステイタス】で敵わない相手を前にして、対等以上に戦う事が、出来ていた。
こいつは、確かに僕よりも速いし、力も強い。
でも、ファミリアの先輩達ほどじゃない。
模擬戦で散々地面を転がされ続けた僕には、目で追える程度のコイツの攻撃を
何より。
そう、何よりも、今の僕にはこの剣がある。
柄を強く握り締めれば、吸い付く様な感触が返ってくる。
手の中にある蒼銀の剣が、高鳴る鼓動と連動しているように、月光の如き輝きを強くする。
もう既に、これまで共に戦ってきた愛剣と同じくらい、蒼銀の剣は僕の手に馴染み始めていた。
『グルァアアアアアアアアアアアッ!』
「はぁああああああああああああっ!」
振り下ろされる拳。
横から叩いて軌道をずらす。
横薙ぎにされる腕。
体勢を低くしてやり過ごし、懐へ飛び込み傷を刻む。
頭上からの踏み付け。
弾き飛ぶ
【力】はあちらの方が上。
【耐久】は比べるのもおこがましい。
でも、【敏捷】は。
【
結果として。僕は無傷のまま、対するシルバーバックは傷を重ねていった。
『ギャゥウウウッ!』
振るう度、剣から漏れ出した蒼銀の燐光が、宙に軌跡を描き出す。
シルバーバックの躰を三日月の剣閃が通り抜け、一拍遅れて鮮血が舞う。
白い剛毛に覆われていたシルバーバックは、時間を追う度にその毛皮を赤く染めていく。
戦闘が始まってからずっと、代わることなく僕が優勢なまま事が進んでいる。
戦いの緊張に高揚する意識の中で、僕はその事実に戦慄を覚えていた。
――強すぎる。
僕の手の中で、猛威を振るい続けるこの剣が。
いくらなんでも、この怪物を相手に好調が過ぎている。
「その剣は、貴方と共に成長する武器」
背筋に冷えたものを感じていた僕に、女神様の声が掛けられる。
「貴方が強くなるほど、その剣も強くなる」
「貴方が高みに至るほど、その剣もまた、高みへ至る」
「その剣の力は、貴方の力」
「受け入れなさい、貴方の剣を」
「受け入れなさい、貴方の力を」
「――自信を持ちなさい。貴方は私の
その声に、その言葉に背中を押される様にして、僕はモンスターに向かって、走り出す。
シルバーバックの主力武器である両腕は、幾度も斬りつけられたことで真っ赤に染まっていた。
最早ロクに腕を上げられないだろうシルバーバックの懐を目掛けて、突撃する。
極限まで緩やかになった世界の中、胸を打つ鼓動が、燃えるような背中の熱が、そして何よりも、何処までも猛る想いが、僕の背を押す。
地面を蹴り抜く。
全身が一本の槍となって、シルバーバックへと突き進む。
それまでの行動から一転して、
周囲から音は消え、凝縮された時間の中。腕を僅かに痙攣させたモンスターの表情が、焦燥と恐怖に染まるのが、分かった。
「――ぁああああああああああああああああああッッ!!」
渾身の『
突き出した剣の切っ先が、モンスターの硬い肉を貫いた。
蒼銀の剣が首輪を砕きながら、その奥の喉笛を食い破る。驚愕に限界まで両目を剥いたシルバーバックを、衝突した勢いそのまま地面へと押し倒す。
地鳴りを伴って仰向けになったモンスターは、胸の上に僕をのせたまま、幾度かの痙攣をした後――大量の血を吐いたのを最期に息絶えた。
――……勝てた。
僕は、僕よりも大きくて強い怪物に、勝利をおさめることが、出来た。
逃げるだけじゃなく、立ち向かい、打倒することが出来たんだ。
その事実に胸を熱くしながら、ゆっくりと立ち上がり、モンスターの首に突き刺さったままの剣を引き抜いて――天を衝かんばかりに突き上げる。
掲げられた蒼銀の剣が、お互いの勝利を讃えるように、月光に似た光を一際強く瞬かせた。
『『――――――ッッッ!!!』』
そして僕達は、歓喜の声に包まれた。