もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら 作:人工衛星
――ギシギシ、ギィイ……。
腐りかけの床板と、立て付けの悪い薄い扉が軋みを上げる。
僅かに開けた隙間から素早く入り、音を抑えながら扉を閉めて、そこでようやく息を吐いた。
「……は、ははは――今回もやってやりました。ざまあみろ、冒険者」
そこは薄暗く、狭い小部屋。
埃臭い部屋の中にあるのは、木の板に毛布を敷いただけの簡素な寝具のみ。
懐から今日の『戦利品』を取り出し、真っ先に所定の場所に隠した後、それまで纏っていたローブを脱ぎ捨てた。
床に薄く積もった埃がローブを落とした風圧で宙に舞い、ダンジョンで被っていたのだろうモンスターの残滓――塵灰と混じり合い、壁の穴から差し込む光に当たってキラキラと照らされる。
それを気に留めることもなくフラフラと部屋の中を進む。そのまま胸に湧き上がる仄暗い喜びと重い疲労感に身を任せ、清潔とは言い難い
「今回は、詰めが甘かったですね……反省、しないと……」
標的の冒険者に『変装』がばれて、それからは必至の逃亡劇を繰り広げた。
なんとかドサクサにまぎれて逃げることができたが、
――
家族に虐げられてきた、みすぼらしい少女のお話。
ある日悪戯好きの精霊に魔法をかけられ、絶世の美女に変身した少女は淡い夢を見る為に王宮に向かい、王子に見初められてしまう。
精霊の魔法が解けて逃げ出した少女を、王子が方々に手を伸ばして見つけ出す。
魔法が解けた少女を王子が迎えに行き、彼女は幸せになるのだ。
……どこで読んだのだっただろうか。内容もロクに覚えていない、ありふれたハッピーエンドの
それを不意に思い出したのは、怒り狂った冒険者から逃げ出す直前の出来事がきっかけか。
こんな見ず知らずの、薄汚い
彼のこちらに向けた背中が、言葉が、倒れる自分に差し出された彼の手が、妙に頭について離れない。
自分がこれまで行ってきたことを知った時、彼は同じように手を差し伸べてくれるのだろうか?
「……馬鹿馬鹿しい」
自分の思考を鼻で嗤い、一蹴する。
冒険者になった人間なんて、一皮剥けばみんな屑に決まっている。
一人しかいない部屋の中、乾く心を冒険者への憎しみで上書きしながら、埃っぽいシーツを頭から被る。
――次の獲物はもう決めた。今は体を休めて、それから『仕事』に取り掛かろう。
叶いもしない夢を見るのは、疲れているせいに違いないのだから。
今はただ、一時の
いつか、この手に希望を掴む日を来ると信じて。
いつか、『
* * * *
冒険者の青年が走り去って行った路地の裏で、僕はこめかみから顎に伝う汗を拭った。
「大丈夫でしたか?」
紙袋を抱えたままのエルフの少女は、そう言ってゆっくりと歩み寄ってくる。
手にしていたはずの小太刀は既になく、見間違いだったのかと思ってしまう。
その動き一つで彼女が実力者である事が分かる。僕なんかじゃ相手にもならない程の。
「あっ、はい……え、えっと、『豊穣の女主人』の店員さん、ですよね?」
エルフの少女が着ている、若草色の給仕服を見てそう尋ねれば、彼女は首肯を返した。
「ああ、これは失礼を。私の名はリューといいます」
「リューさんですね。僕はベル・クラネルです」
「存じています、クラネルさん。貴方の事はシルからよく聞いていますので」
……シルさん、一体僕の何を話しているんだろう。変な事じゃ無きゃいいけど。
「と、とにかく……ありがとうございました。助けて頂いて」
「いえ、こちらこそ差し出がましい真似を。貴方ならあの程度、差して労することもなく退けられたでしょう」
「いや、まあ……あはは」
彼女の歯に衣着せぬ物言いに苦笑いが浮かぶ。
だけど、確かに彼女の言う通りだった。
先程の青年と対峙する光景を思い返す。
隙だらけの構え。不用心な上段構えでガラ空きになった脇。
どこからどう打ち込んでも、攻撃が通るイメージしか湧かなかった。
『
と言っても、流石にそれを正直に口に出すことは出来なくて。僕は頬を掻いて視線を横に逸らす。
「……その、リューさんはどうしてここに?」
「夜の営業に向けて買い出しをしていました。昼間とは異なり冒険者が店に押し寄せますから、準備をしておかないと大変な事になるので。その途中で貴方を見かけてしまい、つい」
なるほどと納得する。あれから何回かお店にお邪魔した時――毎回シルさんが注文を取りに来てくれた――いつも盛況だったことを思えば、生半可な準備だと食料もお酒もすぐに底をついてしまうのだろう。
それにしても、つい、か。僕とはあまり面識は無い筈なのに……正義感が強い人なのかな。
「貴方はここで何を?」
「あっ、そうだ。あの子……あれ?」
周囲を見渡して背後に居たパルゥムの女の子の姿を探せば、先程までいた筈だったのに、彼女は
「誰かいたのですか?」
「その筈なんですけど……」
「……察するに、貴方はその人物を助けるために、あの冒険者の男と対峙していたようですね」
「え、ええ、まあ」
「なるほど。クラネルさん、やはり貴方は善良で、信頼のおけるヒューマンのようだ」
そして、リューさんは突然僕に頭を下げた。それはもう、深々と。
「遅まきながら、貴方に感謝を。私のかけがえのない同僚を、シルを守って頂けたこと、真に有難く思います」
「ふぁっ!? いやいや、止めて下さいリューさんっ! 守っただなんて、そんな……あの時は逃げるのに精いっぱいで、最後の方ではシルさんを突き離す形になっちゃったし……貴女にお礼を言われるような事、僕はしてません。……出来てません」
いきなりの事で慌てた僕は、頭に浮かんだ言葉そのままに口を動かした。
自身の至らなさばかりが浮き彫りになった、あの日の出来事にお礼を言われるのが、どうにも申し訳なくて。弁明する途中で目を下に向けてしまった僕を、いつの間にか頭を上げていたリューさんが静かに見つめる。
「クラネルさん……謙虚なのは美徳ではありますが、時には侮辱になりえる事もあると、覚えておいて下さい。少なくとも、あの時あの場に居合わすこともできなかった私よりも、貴方の方が優れている」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「ならば、胸を張りなさい。貴方のおかげでシルが無事だったのは揺るがない事実だ」
リューさんは空色をしたアーモンド形の瞳で、まっすぐに僕を見つめて叱り、そして励ましてくれた。
その後すぐに、彼女は端正な顔を僅かに歪めると、申し訳なさそうに頭を低くする。
「……すみません、自身の不甲斐なさから、貴方を叱責する様な真似をしてしまった」
「い、いえ、その……ありがとうございます」
今の今まで残っていた
きっと、この人にとってシルさんは大切な人なんだろう。
あの日、シルさんに大きな怪我を負わせずに済ませた事は、この人にとっても大きな事で。それに貢献できた僕がいつまでも悔やんでいることは、リューさんに対しても失礼だ。
もう僕はあの日の事で自分を卑下にしない。
あの日の苦い思いを糧にして、同じ事を繰り返さないように強くなる。
……また一つ、強くなりたい理由が増えた。
「それでは、私はこれで」
「はい。本当に、ありがとうございました。助けてくれたことも、それ以外でも……また今度、近いうちにお店に行きますね」
「……ええ、シルにも伝えておきます。きっと喜ぶでしょう」
やがて僕とリューさんはお互いにお辞儀を交わし合い、その場で別れた。