もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら 作:人工衛星
……どうしてこうなった。
メインストリートに面する
入り口で迎えられた店員に案内されるまま店の二階に上がり、大通りを一望できるテーブルの一席にリリルカ・アーデは腰を下ろした。
そして、腰を下ろしてからずっと、顔を上げることが出来ずにいる。
見晴らしのいい大通りに目を向けるでなく、既に向かい側の席に座っていた先客と顔を合わせるでもなく。
ただ己の膝、その一点だけを見つめ続けていた。
現在の心境を例えるならば、判決を待ち続ける囚人のそれだ。
向かいの客が立てる物音一つに肩を震わせ、無言の時間に恐怖を募らせる。
来なきゃよかった。そんな感情が過去の自分が下した選択を責め立てるが、後の祭りとはこのことだ。
リリルカ・アーデ――リリが現在、盛大に後悔している事には、立派な理由がある。
案内されたテーブルに、先客がいたからだ。
そしてその先客が、とんでもない大物だったから。
それが誰なのかを事前に知っておきながら、ロクに心構えするでもなく、のこのことその前に姿を出したせいだった。
背中を冷たい汗が流れ落ちる。
対面に座る相手が口を開く気配に、思わず肩が跳ねた。
「初めましてね」
……それはそうだろう。
貴方のような人物が自分を知っている方がおかしい。
ここで「久しぶり」などと言われた日には、自分は驚きのあまり心臓が止まってしまうに違いない。
「改めて紹介する必要は無いだろうけど」
まったくもってその通りだ。
同じ言葉をそこらの人間が吐いたなら、そいつはとんだ自意識過剰の馬鹿だが、目の前の相手が言うならば、それは正確な自己認識に他ならない。
このオラリオで、いや、この世界で貴方の名前を知らない奴は余程の田舎者か、俗世に興味のない偏屈者ぐらいだ。
「私の名は、フレイヤよ」
――ああ、ほんとうに。
「よろしくね、サポーターさん?」
どうして、こうなった……!
* * * *
「え……なんで……?」
朝起きて直ぐに、リリは愕然とした。
目覚めたばかりの意識がはっきりするよりも先に、その事実に気が付いたからだ。
そして同時に、全身を震わす恐怖に襲われる。
先日の冒険者の男に襲われた時とも違う、理解不能の――無意識が理解を拒む程の恐怖。
頭の中が真っ白になって、血の気が引いていく。
この世の全てが突然自分に牙を剝いたかのように思えてしまう。昨日の晩、床に就いた前と後では、何もかもが変わり果てていた。
……いや、変わったのは世界じゃない。
変わったのは、自分の方だ。
朝起きてみれば、自分の体が酷く脆弱なものになっていたのだ。
いや、この場合『なった』のではなく『戻った』と言うのが正しいのか。
【ステイタス】の、消失。
幼い頃。
そこにあった『恩恵』が、確かに背負っていた【ソーマ】との
コンコン、と。
不意に扉を叩かれる音に、リリの肩が盛大に跳ねた。
「リリ、いるー?」
「……ベ、ベル……様?」
扉越しに、リリの耳に届いた声は、いかにも純朴そうな少年のものだった。
リリが名前を呼んだのを許可と受け取ったのか、開かれた扉の奥から少年が姿を現した。
「リリ、体の調子は――って、どうしたの、リリ!?」
「べ、ベルさまぁ……」
少年が室内に入ってくると同時、リリの体が震えるのを止めた。
冷たい氷の塊が全身を覆っているようだったのに、少年を目にした瞬間に、凍える様な恐怖が、震えがほどける様に消えていったのだ。
なんだか最近、泣いてばかりだな。と頭の片隅で考えつつも、駆け寄ってきた少年の温かさにリリは心の底から安堵した。
時間をさかのぼり――二日前。
数人の冒険者達に謀られ危機に陥ったリリを、ベルが助け出した後の事。
無数のモンスターの骸がリリの手によって灰の山に姿を変えられる中、二人の冒険者のなれの果てだけがそのままになっていた。
その冒険者の片割れは敵であったし、怒りを持って攻撃もしたが、何も死ぬことは望んでいなかったと、ベルは冒険者の亡骸を痛まし気に見つめた。
せめても、と地上に連れていこうとするのを、リリは首を横に振って止めた。
亡骸に刻まれた傷がモンスターのそれではなく、人の手によるものだと明白だったからだ。
いつモンスターに襲われるか分からないダンジョンの中を、文字通り大人二人分の重荷を担いで地上に戻っても、待っているのは遺体に刻まれた傷の追求と、殺人の疑惑だけだ。少年に何の得はない。
――この心優しい恩人に、いらぬ疑いを向けられたくない。
亡骸はリリ達が手を加えずとも、ダンジョンを徘徊するモンスター達が片付けてくれるだろう。
今は、時間が経つにつれ濃くなっていく血の臭いで、モンスターが集まる前にと、リリは渋るベルをなんとか説得して、モンスターの魔石と素材だけをもってその場を後にした。
そして現在。
リリ達がいるのは【フレイヤ・ファミリア】のホームにほど近い場所にある高級宿。
普段ならば絶対に利用しないどころか、近付きもしない、リリには縁遠い存在だ。
しかし、いつまたカヌゥ達が手を出してくるか分からないから、と心配したベルが強引にこの宿にリリを押し込んだのだ。
いかにも上等そうな調度品に気後れしていたリリも、疲弊していたのだろう。
治療したとはいえ負傷した際の疲労は残ったままであり、流石高級な宿だけあって、沈み込むほど柔らかい寝台に寝転んだ瞬間、意識が遠退き深く眠り込んでしまった。
そして、目を覚ますと共に、ソーマから授かった『恩恵』が消えていることに気付いたのだ。
「……じゃあ、今のリリには、その……本当に?」
「はい。現在、リリには何の力もありません。《スキル》も……【ステイタス】も封印されているようです。今のリリは……ただのパルゥムでしか、ありません」
沈み込むリリに少年――ベルが少し悩む素振りの後「実は」と口を開く。
「あのね、リリ。ここに来る途中色々な人が騒いでいたのを耳にしたんだけどさ……昨日の晩、光の柱が商業区の方で上がったらしいんだ」
「それって、もしかして……」
「うん。ソーマ様、だと思う」
光の柱。それは下界に降りた神が元いた天界へと還った証。
もし、件の光柱の主がソーマだったならば、この下界には既に、ソーマはいない事になる。
「そうですか。ソーマ様は、やはり……」
……十数年間。何もしてくれなかった。
苦しい時、辛い時。助けてくれる事も、声を掛けられたことも……名前を呼ばれたことすら、なかった。
「ソーマ、さま……」
名前を呼んでもその
自分の趣味ばかりで、眷属を気に掛ける素振りもない。そんな相手だから、こっちだって特別向ける様な情も持ち合わせていない。
そう、思っていたのに。
……今、
そこにあるのが当たり前すぎて、気付く事すらなかった眷属としての『繋がり』は、主神の存在と共に背中から消失してしまった。
その気持ちの原因が、『恩恵』を失った事実だけではなく、それ以外の理由も大いに含まれているのが、嫌になるほどわかってしまう。
好きか嫌いかで言えば、確実に嫌いに分類できる相手だろう。
見て見ぬフリどころか、見る事もされなかったのだから。
そんなヒトに、どうして好感情を持てると言うのか。
それでも。
それでもあのヒトは
いい記憶なんて、一つもないのに。
幼い頃、ダンジョンで野垂れ死んだ産みの親に加え、もう一つの親子の縁も、失ってしまった。
その事実がどうしようもなく、納得いかない程に――『悲しくて』仕方がない。
「……」
「リリ、その……大丈夫?」
うつむいたリリにベルは声を掛けるが、今のリリにはそれに応えられる余裕がなかった。
しばらく沈黙が続いた後、不意にベルが何か思いついた表情をして、消沈するリリに再び声を掛ける。
「あのさ、リリ……リリがよければ、なんだけど。リリも僕のファミリアに入らない?」
「は?」
突然の、突拍子もない提案。
それを投げつけられたリリは、それまで纏っていた空気を吹き飛ばされた。
「いやいや、いやいやいや。それは無理な話ですよベル様。ベル様が所属しているのは、
「大丈夫っ! 今日は丁度女神様が
「えっ、ちょ、待っ」
そうと決まれば、と早速ベルは行動を起こした。
「昨日の騒動で外は混乱しているし、リリはここに居て」と言い残して宿を出て行ってしまった。さっき言った通り、本当に自身の主神であるフレイヤに頼みに行くらしい。
慌てて引き留めようにも、元から突き離されていたベルとの敏捷の差は『恩恵』を失った事で更に隔絶したものとなってしまい、リリは中途半端に手を伸ばした態勢で固まったまま、部屋に残される。
遠ざかる足音に、リリは諦めて脱力し、上げていた手を下ろした。半端に開いた口からは盛大な溜息が洩れていく。
ベルの心遣いは嬉しい。有難くて涙が出るほどだ。
だが正直な話、勘弁してほしかった。
勿論、ベルの申し出は渡りに船だ。
カヌゥ達に目を付けられている為、元いた【ファミリア】に帰れなかったが――と言っても、ここ数か月以上【ソーマ・ファミリア】のホームに戻ってない――そもそも主神を
つまりはリリは現状、何の後ろ盾もない状態だ。
他の神の眷属になるというのは、この迷宮都市で生活する上での後ろ盾を得る手段としては大いにありだ。
その際、
下界の者を慈しむ
生みの親が既に【ファミリア】に所属していた事で、寄る辺の選択肢がなかった幼い頃と違って、今はリリにも主神を選べる自由がある。
あるのだが、その自由は今、他でもないベルの手によって断たれようとしている事実に涙目になりそうだ。
「い、いや、落ち着きましょう。そうですよ。いくらなんでもリリが【フレイヤ・ファミリア】に所属出来る事なんてありえません。言い方は悪いですがベル様は入団したばかりの新入り。ファミリア内での影響力もたかが知れますし、リリのような
それが現実的だ。
嫌に妙な予感がするが、それは気のせいだろう。気のせいに違いない。
そもそもの話、自分に冒険者という職は向いていないのだ。
少年の優しさは嬉しいが、別に自分はどうしても冒険者でいたいわけではない。
いい機会だ。もうこの際、これまで手を染めてきた盗賊まがいの行いと一緒に、冒険者家業からも足を洗ってしまおう。
定職を見つけるまでは……そうだ。あのノームの老人が営んでいる店にでも転がり込もう。
幸い、店主には正体を晒していないし、優しさにつけ込む様で悪いが、宿なしで困っているパルゥムを装えば引き入れてくれるだろう。宿が無いのは本当だから尚の事。
今度ここに来る時のベルは、きっと肩を落としているだろうから、これまでの感謝と共に、もう自分に構う事はしなくていいと伝えよう。
サポーターとして、ベルとダンジョンに潜れないのは残念だが、彼にリリは釣り合わない。
初めてリリに優しくしてくれた冒険者。
お金や損得関係なく、リリだけを見てくれた男の子。
そんなベルと離れるのは寂しい。心は「嫌だ」と泣き叫んでいる。
それでも、彼は彼に相応しい相手とパーティーを組むべきだ。
きっとベルは、そう遠くない内に一流の冒険者として名を馳せるだろう。そんな彼を、リリなんかに繋ぎ止めては駄目だ。
……というか自分が【フレイヤ・ファミリア】でやっていける自信が微塵もないし。
想像出来ない。絶対にムリダ。
自分の気持ちと向き合って、折り合い付けて。ようやく整理することができたその時。
部屋の扉が音を立てて開けられた。
「リリ、リリっ! 女神様が明日リリと会って話しがしたいって! 問題が無ければリリも僕と同じファミリアになれるよ!」