もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら   作:人工衛星

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贄の兎 3

 

 原野の草花を波立たせながら吹いた風が、青々しい爽やかな香りを乗せて僕の髪を揺らして、そのまま通り抜けていく。

 雲一つない青空と天頂に昇りつめる太陽の下、僕は剣の柄を握り締める。

 心臓は早鐘を打ち、一筋の汗がこめかみを伝う。

 

 『戦いの野(フォールクヴァング)』で今も繰り広げられる闘争の騒めきは耳に遠く、僕の意識の一切合切(いっさいがっさい)は目の前で立つ男性に注がれていた。

 身長2M(メドル)超え。筋骨隆々の体躯。

 170C(セルチ)にも満たぬ僕なんかよりも遥かに大きく、高く。

 その存在感と迫力は、ただ立っているだけでも気圧される。

 

 ……なんで、こうなったんだろう。

 ダリスさんとご飯を食べている最中に現れたオッタルさんは、言葉少なく「食べ終わったら原野に来い」とだけ告げた。

 それきり背を向けて去ってしまったオッタルさんに、僕は急いでご飯をお腹に詰め込んで向かったんだけれど。

 なぜか、原野の一角で待っていたオッタルさんと闘う事になってしまった。

 思い返してもこの現状が良く分からない。

 

「準備は、できたか」

「あ、は、はいっ!」

 

 耳の奥に響く低い声が、遠のきかけた意識を引き戻す。

 緊張感から散漫(さんまん)しかけた意識を頭を振るって切り替えて、再度、眼前に対峙(たいじ)するオッタルさんに集中する。

 

「では、始めろ」

「え、えっと、始めるって、僕は何を……」

「知れた事。お前の手にあるものは何のための物だ」

「何のって――」

 

 瞬間、空気が一転して変わった。

 

 オッタルさんはその場で直立したまま、身動き一つしていない。

 にも関わらず、僕の全身の肌は粟立(あわだ)ち、咄嗟(とっさ)に臨戦態勢をとってしまう。

 

「それでいい」

「……っ、ぅ!?」

「強さを、(ちから)を欲するのならば、それは()くなき闘争の果てでしか得ることはできん」

 

 今から行おうとしている『戦い』の中で、自ら学べと、そうオッタルさんは言っている気がした。

 お互いの動きを読み合って、武器と武器を打ち合い、肉を刻み、血を流し。それら全てを糧にしろと。

 ――()れがそうしたように。お前もそうしろ、と口よりも雄弁に目が語っている。

 

 そして僕は、僕は。

 

「ひっ……ぅ、うぁぁ――」

 

 顔を青くして、喉を引き攣らせた。

 

 怖い、怖い、目の前のこのヒトが怖くて堪らない。

 今すぐにでも手の中の剣を放り出して、背中を向けて逃げ出してしまいたい。

 

 オッタルさんはさっきから微塵も動いていない。不動のまま、ただ僕を見据えているだけ。

 なのに、僕はそんな立っているだけのオッタルさんが纏う気迫に、威風に呑まれてしまっていた。

 強すぎる威圧感に、僕はオッタルさんの背後に巨大な岩壁が(そび)()っているのを幻視してしまった。それほどの、存在感。

 じりり、と無意識に(かかと)が後ろへ下がる。

 

 

 勝てない。

 これは無理だ。

 僕なんかが敵うはずがない。

 逃げたい。一刻も早く、一寸でも遠くにこの場から逃げてしまいたい。

 

 ()()

 

 

「――、ぁ、ぁぁ、ぁぁあああああああああああああああッッ!」

 

 脳裏によぎった、いつかの記憶。

 涙を浮かべて逃走する自分。背後から迫る猛牛の遠吠え。遠ざかる金色の髪と、残される惨めな自分。

 自分よりも大きくて、恐ろしい相手を前に、手も足も出せなかったあの時のようにはもう、なりたくなかった。

 助けを待つばかりで、挑もうともしなかった弱い自分のままで、いたくなかった。

 

 《愛の剣(マリアムドシーズ)》の柄を握る拳に思いっきり力を込める。

 地面を踏みしめ、引き締めた全身を(つが)えたられた矢の様に撃ち出す。

 

 想起したあの時の悔しさと、恥ずかしさを全部剣に乗せて――臆病な自分ごと貫く様に――切っ先を突き出した。

 

 

 瞬間、視界一杯に広がる青い空と、(くら)みそうな程の太陽。

 

 

「最低限の基礎は、なったようだな」

 

 

 呟かれた言葉を認識すること間もなく、背中を(したた)かに打ちつけた。

 何度も地面を跳ねた後、ゴロゴロと転がって、ようやく勢いが止まる。

 

「かっ――ぁ、づぅうううっ……!?」

 

 困惑。詰まる息、こみ上げる吐き気。そして(おと)れる、尋常じゃないお腹の激痛。

 

(蹴られた? お腹を!?)

 

 一体何が起きたのか。

 オッタルさんへと剣を突き出した直後、あるいは同時に、無防備になった腹部を認識できない速さで蹴り飛ばされたんだ。

 

 

 強いのは知っていた。入団してからずっと、エイナさんや女神様、シルさん達にねだって逸話(いつわ)武勇伝(ぶゆうでん)なんかを聞かせて貰っていたから。

 彼女たちから伝え聞いた話や、実際に目にしていた本人の立ち振る舞いから、その強さはある程度(うかが)い知れていた。知って、いたけど――

 

(人から聞いた話と、実際に身をもって経験するのとでじゃ、全然違う……っ!?)

 

 

「立て」

「……っ!」

 

 頭上から降ってくる声に従って、地面に手をついて緩慢(かんまん)な動きで立ち上がる。

 再び、衝撃。

 吹き飛ばされて転がる体。飛びかける意識。

 

「遅い。即座に動けぬのならば、無様を晒すだけだ」

「ぐっ、ぅうううっ!?」

 

 投げかけられる叱責(しっせき)の声に、折れそうになる心を無理矢理(ふる)い立たせた。

 痛みに鈍る体に(むち)を入れ、勢いよく体を起こし、構えをとる。

 

 呼吸が乱れている。全身を襲う鈍痛と、()(ごて)を当てられたような熱い腹部に今にも膝が折れそうだ。泣きたい。

 

 湿り気を帯びた目を吊り上げ、目の前の()を強くにらむ。

 喉の奥からせり上がってきたものを勢いのまま吐き捨てると、原野が僅かに赤く染まる。内臓を痛めたのか、唾に血が混じっていた。

 

「そうだ、来い」

 

 重く、響くような静かな声に背を押され、地面を蹴り飛ばした。

 倒れ込む寸前の前傾姿勢で突っ込んで踏み込み、背後に回した剣に遠心力を乗せて振り抜く。

 勿論、こんな単純な攻撃が当たるはずはない。だから次を考えて動く。

 避けられたらそのまま体術を織り交ぜた連撃に繋げる。剣を弾かれたならその反動を使って敵の勢力圏から離脱する。

 数通りの動きを瞬時に想定(シュミレート)して、それをなぞる様に体を操作する。

 

 相手は完全な格上。だから考え続ける。相手の動きを予測して行動しろ!

 

 

 この『戦いの野(フォールクヴァング)』で、ファミリアの先達との闘争で盗み得てきたものを、これまで積み上げてきたもの全てを使うつもりで振るった初撃は、オッタルさんの指二本に止められた。

 

 両手で握った剣は、たった二本の指に対して、更に押し込むことも、引くことですら(かな)わない、僅かたりとも動かせなかった。

 

 

「……ふむ」

 

 確かに、さっきの一撃は全体重を掛けたものじゃなかった。次の動作に繋げる為に、ある程度は余力を残した攻撃だった。

 それでも、生半可な威力じゃ通用しないからと、全霊を賭けたものだった、なのに。

 回避でも防御でもない――振り抜く途中の剣の腹を、上下に指で挟んで掴まれた。

 

(そんな)

 

 強いと知っていた。(かな)わないと分かっていた。遠く離れていると、思っていた……けれど。

 

(ここまで、だなんて)

 

 攻撃が効かない、なんて次元の話じゃない。

 一線を(かく)したその実力差に強く知らしめられた、自身の矮小(よわ)さ。

 

 遠い。

 遠すぎる。

 僕とこの人との距離は、一体どこまで離れているんだろう。

 

 

 ……追いつけるのだろうか、憧憬(このヒト)に。

 

 

余所見(よそみ)をするな。気を抜けば、死ぬぞ」

 

 

 呆然としている僕に、投げられた声。

 掴まれていた剣先は、いつの間にか解放されていて。ゆっくりとオッタルさんの両手が上げられていく。

 はっ、と意識を引き戻した時には、オッタルさんは腕を振り下ろしていた。

 

 

 ゾッ、と全身の鳥肌が立った。濃密な死の感覚。

 

 

 オッタルさんの手には、いつの間に抜いていたのか直剣が握られていた。

 その鈍色(にびいろ)の刃が、僕へと落とされる。

 

「【サンダーボルト】!!」

 

 砲声。(とどろ)く雷鳴。

 

 突き出した手の平から残り火のような細い放電が散らされた後。サッと僕の顔から血の気が降りた。

 気付けば僕は、魔法をオッタルさんに放ってしまっていた。

 モンスターならばともかく、人間に、それも同じ派閥(ファミリア)相手に威嚇でも何でもない本気の『魔法』を直撃させるなんて。

 『戦いの野(フォールクヴァング)』で本気で戦い合っている中でも一度もなかったのに。

 

 雷の矢が炸裂し、電熱が生み出した煙が視界を遮る。

 

 魔法を放つと同時、余波に巻き込まれないようにと反射的に後ろに飛び退いていた僕は、そこでようやく自分のしでかしてしまった事を認識した。

 これまでモンスターを一撃で仕留めてきた僕の『魔法(きりふだ)』。それの超至近距離からの直撃だ。いくら上級冒険者でも、タダで済むはずがない。

 

 オッタルさんは大丈夫なんだろうか……なんて心配はとんだ杞憂(きゆう)だった。

 

「速い、な。いい魔法だ」

「……ぇ?」

「だが、()()

 

 原野を吹き抜ける風が、煙幕を(さら)ってかき消した。

 晴れた視界の先には、全くの無傷で立ち続ける偉丈夫の姿。

 

「その『魔法』は牽制(けんせい)の為の道具としては特上だ。どんどん使っていけ」

「……え、えぇっ?」

「続けるぞ」

 

 こちらの戸惑いなんて意に介しもせず、オッタルさんは一歩、踏み込んだ。

 

「――――ッ!?」

 

 一歩。たった一歩の踏み込み。それだけで僕たちの間に存在していた間合いが完全に潰された。

 

 とっさに下げていた剣を持ち上げて盾にする――が、遅かった。

 

 噴出する血潮。

 肩口から入り、腰までたすき掛けに通過していった刃は、僕の肉体に深い跡を刻み込む。

 

「ぇ?」

 

 ゆっくりと体が後ろに引かれていく。遠ざかっていくオッタルさんの姿が、そのまま憧憬との距離を示しているようで。 

 全身の感覚が遠ざかり、暗闇に沈んでいく意識の中で――僕は果てない頂きの高さを垣間(かいま)見た。

 

 

 

 




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