もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら 作:人工衛星
周囲の│喧騒《けんそう》がどこか遠くに聞こえていた。
立ち尽くしている体はピクリとも動こうとせず、僕はギルドに張り出されていた一枚の紙に釘付けになっていた。
既に昨日の事になる。オッタルさんに呼び出された原野で日が暮れてしまうまで、僕は何度も叩きのめされ――いや、殺され続けたのは。
斬られては
│隔絶《かくぜつ》した実力差に手も足も出ず、ただ
『どうしてこんなことを』。
ただ、その理由を聞きたかった。
憧れの人から何も語られぬまま、与えられる痛みが苦しくて、辛くて。
理由を知ることは出来ずとも、せめて誰かに話すことで少しでも楽になりたかった。
だから、相談するために女神様に会いに行こうとして……その前にヘイズさんに止められて。
女神様がいないって教えられた後、仕方なく自分の部屋に向かう途中、原野で傷つけられた僕を癒し続けたエイルさんが僕に声を掛けた。
「団長さまからの伝言です。『明日も今日の続きするから原野に来い』だそうでーす」
ソレを聞いて真っ先に浮かべたのは『明日もコレを繰り返すのか』という絶望だった。
エイルさんから告げられた、オッタルさんの言葉に僕は目の前が真っ暗になった。
そこからの記憶は、はっきりとしていない。
確かなのは、僕が現在
意識がはっきりすると同時に、自分が着の身着のまま、まだ薄暗い街中に立っている事に気付いたのだ。
そのまま僕はダンジョンに行くわけでもなく、ただ目的もなく町の中をフラフラと
そんな人々の活気すらも今の僕には苦しくて、逃げる様に歩く足を速めてしまう。
そして気づけば、僕はギルド本部のロビーで立ち尽くしていた。
辺りにはこれからダンジョンに向かうのか、ギルドの受付前で武装した冒険者達がアドバイザーの女性と相談している様子がいくつか。
そんな受付の一つに、エイナさんがいた。
エイナさんは他の受付の人と同じように冒険者の人と応対していて、ロビーにいる僕の存在にはまだ気づいてないみたいだった。
「……」
僕は、ドワーフの青年と話し合っているエイナさんから視線を切って、そのままくるりと
……僕は何がしたかったんだろう。
鍛錬の厳しさから逃げだして、ホームに戻る事も出来ずにいる自分をエイナさんに慰めてでも欲しかったのか。
きっと、原野でのオッタルさんとのことを話せば、優しいエイナさんなら怒ってくれるかもしれない。
ギルドの職員として相談には親身に乗ってくれるだろう。
一人の知人として情けない弱音も受け止めてくれるだろう。
エイナさんに担当アドバイザーになって貰ってから、まだ一か月くらいだけど、彼女にはたくさん助けてもらって来た。
冒険の相談に乗って貰ったり、装備を整えるのにも手を貸してくれたり、ダンジョンでの危険や、役に立つ知識を涙がでるくらい厳しく教えてくれたりもした。
田舎から出てきたばかりの僕にとって、そんなエイナさんはすごく大人っぽくて、頭がよくて頼りになる――とてもやさしいヒト。
だから、僕はエイナさんに気付かれる前に彼女に背を向けた。
今、声を掛けられでもしたら、心が弱り切った僕は彼女に│縋《すが》りついて泣いてしまいそうだったから。
今、縋り付いてしまったら。きっと僕はもう、僕ではいられなくなる。そんな予感があったから。
だから後ろ髪が引かれそうになりながら、足早にギルドから出ようとして、途中で普段は気に留めもしないロビー前にある掲示板。
何気なく目を向けた先に張り出されてあった一枚の紙に足が止まった。
そして、そこから動けなくなってしまった。
「アイズ・ヴァレンシュタイン……レベル6に【ランクアップ】?」
掲示板に張り付けられた紙に記されていたのはそんな内容。
他には何の情報もない、無機質な【ランクアップ】の報を呆然と見上げてしまう。
ただでさえ沈んでいた気持ちが、更に深い所まで落ち込んでいくのが止められそうになかった。
脳裏に過ぎる苦い、敗北の記憶。
今でも夢に見るダンジョンでの悪夢。恐怖との│遭遇《エンカウント》、からの逃亡――そして、鮮烈な
英雄譚の中から飛び出して来たような、目を見張るような│美貌《びぼう》と冴え渡る
泣きわめきながら逃げるしかできなかった自分とはまるで違う、オッタルさんと同じ『
そんな彼女が『レベル6』に昇格するという、世界でも数えるほどしかいない大業を成した証明が目の前に、冒険者ギルドが正式に認めた情報しか張り出されない、ギルド掲示板の真ん中に張り出されていた。
ただの紙に描かれた【剣姫】の、│何処《どこ》を見ているか定かでない似顔絵が、しかし確かに、呆けた表情で眺める僕を見下ろしていた。
その時の僕には、そう感じてしまった。
知らず握り締めていた拳に力が入る。
指の骨がミシリ、と僅かに│軋《きし》みを上げた。
迷宮の中で、まざまざと見せつけられた英雄譚の一幕と、逃げる事しかできなかった情けない自分。
そして今、ギルドのロビーの中心に掲げられている輝かしい栄光と、それを端から眺めるだけの――みじめな自分。
その対比に、胸が締め付けられるようだった。
……遠い。遠すぎる。
きっと、オッタルさんも、アイズ・ヴァレンシュタインさんも、僕みたいに辛い事や苦しい事から逃げたりなんかしないだろう。
その事実に、現実に圧し潰されそうで、僕はまた逃げ出した。
* * * *
ごつごつとした剥き出しの岩肌が、視界一杯に広がり、何処までも伸びている。
凹凸の激しい岩壁で形成された通路は、天井が高いにも関わらず閉塞感と圧迫感を感じさせる。
まるで岩盤の中にできた空洞。ダンジョンの17階層から受ける印象はそれであった。
「この階層にとどまるのは久しぶりだなぁ……」
レベル2の冒険者の適正区域となるこの階層を、軽い足取りで探索するのは一人の
壁面上部から落ちる淡い光がその
上から下まで真っ黒な装束を纏い、腰に
そんな、見る者が見れば
「やっぱり、ダンジョンはいいなぁ。暗いし、何より独りで、静かで、自由で……なんというか、救われる気分になる」
そんなダンジョンから足が遠退いて久しく。彼が再びこの地に舞い戻ってきたのは、ひとえに主命があったから。
『あの子を輝かせるのに
何よりも尊く愛おしい主神からの指名に応えるべく、お願いと共に授かった、とある少年の情報から彼は17階層に│赴《おもむ》いていた。
「多分、
岩盤に空いた横穴に差し掛かった所で、彼の紫がかった銀髪から突き出した笹葉の様な耳が、岩壁に反響する小さな音を拾う。
『ブモォォ……』
唸り声と共に横穴から身を出したのは、牛頭人体の怪物『ミノタウロス』。
彼が探していた獲物が、姿を現した。
『ヴ、ヴヴォォォォォォォォォォォッ!!』
現れたミノタウロスは自分よりも小さな
迷宮が生み出した
細身の青年の頭の上から振り下ろされた石斧は、そのまま頭蓋をカチ割り、そのまま股まで引き裂く、事は無く。
「うん……いいね。キミに決めたよ」
「ヴ、ヴゥオッ!?」
凄まじい早業で鞘から引き抜かれた
「今からキミを、フレイヤ様に満足いただける贄に足るまで鍛え上げ――」
『ヴモォォォォォォォォォッ!?』
「――って、ええっ!?」
『 ミノタウロス 』 は 逃げ出した !
その光景に
武器を失ったミノタウロスがくるりと背を向けたと思ったら、そのまま一目散に逃げ出したのだ。
ものすごい勢いで先程出てきた横穴へと戻った『ミノタウロス』の足音がどんどん遠ざかっていく。
予想外過ぎる目標の逃走に、青年はしばらく固まったまま、動けなかった。
「ど、どうしよう……い、いや、また探せばいいだけだし。いっぱいいるんだからすぐ見つかる、よね?」
誰に尋ねた訳でもない、独り言を溢した青年のこめかみに、一筋の冷たい汗が流れた。
※)ちなみにこのあとアマゾネスの集団に囲まれ嘲笑されたり、それに耐えきれず【魔法】を使ってアマゾネスを追い返す際に『ミノタウロス』を巻き込んだり、期日が迫って同僚の白妖精の青年に泣きついて、罵声を受けながら助けてもらう未来が待っていたりする。