もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら 作:人工衛星
――ポタリ、と
新雪のような白い背中に落ちた雫は、肌を汚すことなく水面に波紋を広げる様に白い背を波打たせ、その中心に血を落した細い指が添えられるとカチリ、と閉められていた錠が開かれた感覚を背と指の両者に知らせる。
指はそのまま白い背をスルスルとなぞる様に指先を走らせていき、たまにソレが
途中、流れる様に滑らかに動いていた指先が戸惑いを表すように止まり、再び動き出すのを幾度か繰り返した後、コトリ、と錠が締められる感覚と共に指の動きは完全に止められた。
「終ったわよ」
「ありがとうございます、フレイヤ様」
指を動かしていた銀の髪が美しい女性が、彼女に背を曝け出していた少年に声を掛けると、少年も女性に感謝の声を返す。
少年の背を抑える様に、女性が手を置いていた為だ。
女性は僅かとも手に力を入れてなどいなかったが、少年が自らに触れている手を払いのける様な形になるのを嫌ったからだった。
少年が困惑を伝える様に
「うひっ……フ、フレイヤ様?」
「フフッ」
手の動きに敏感な反応を返す少年に女性は小さく笑みを漏らし、少年の背の隅々までを、確認するかのように撫で上げていく。
「随分と、
「うぅっ、そう言ってもらえるのは、嬉しいですけどっ……ちょ、ちょっと、くすぐったいですっフレイヤ様ぁ!?」
身もだえる少年――ベルの様子に、女性――フレイヤが楽しそうにクスクスと笑う。
大きな寝台の上でのやり取りは、まるで男女の
フレイヤが動かす手は、指先のみだった先程までと文字通り手数を増してベルを
やがて手はベルの背中から逸れて、側面へと這い寄る。
次の瞬間、締め切られた扉を越えて、廊下まで届くほどの悲鳴が響き上がった。
しばらくして、寝台の上にはピクピクと痙攣をおこしたベルと、満足げに額を腕で
「う、うぅ……ひどいですよ」
「ごめんなさい、つい楽しくって。許してね?」
痙攣が収まると同じくして、シクシクと泣きだしたベルをあやすように、フレイヤはベルに膝枕をしながら彼の純白の髪を優しく撫でる。
「ここ二週間、オッタルと一緒に鍛錬をしていたと聞いてるわ。あの子にいじめられてなかった? 『耐久』の熟練度の伸びがすごい事になってるわよ?」
「いじめなんて、そんな。オッタルさんは僕を強くしてくれたんです!」
「そうなの。ベルがそう言うなら心配はいらないわね。それで、今日はダンジョンに向かうのかしら?」
「はい。昨日オッタルさんから急に「成った」って言われて、鍛錬を切り上げられちゃって。最近忙しそうだったリリも丁度時間があるって言ってくれたので、久しぶりに二人で探索しようかなって思っています」
「そう、オッタルに鍛えて貰って強くなれたからって、油断しちゃだめよ? ダンジョンでは何があるか分からないんだから」
「はい、ありがとうございますフレイヤ様! ……って、うわっもうこんな時間!? リリと約束してたのに、ごめんなさいフレイヤ様、僕もう行きます!」
膝枕されたままのベルが視界に入った時計の針が示す角度に血相を変えて跳ね起きると、慌ただしく衣服を着こんで扉へ直行する。
「あら、【ステイタス】はどうするの?」
「帰ってから教えてください! 行ってきまーす!」
更新した【ステイタス】の内容を聞かないのかと尋ねるフレイヤに言葉少なく返すと、ベルは慌てた表情で部屋を後にした。
残されたフレイヤは、遠ざかる足音に笑みを漏らすと、一転して表情を殺す。
そうでもしなければ、どうにかなってしまいそうな程だった。フレイヤは寝台の横、小さな机から一枚の羊皮紙を指先で小さく摘まみ上げるとゆっくりと持ち上げる。劇物のような扱いをされるその正体は、ベルの【ステイタス】。その写し。
それに記された内容は、フレイヤをして驚嘆させるに十分すぎるものだった。
ベル・クラネル
LV:1
力:S992 耐久:SS1081 器用:S984 敏捷:SS1005 魔力:A803
《魔法》
【サンダーボルト】
・速攻魔法
《スキル》
【
・早熟する。
・
・
嗚呼、と声が漏れる。
下腹部からの震えが全身に広がる。
無を示していた表情筋が、どろりと溶け落ちる。
それら全てが、フレイヤの感じる喜悦を
「フッ、フフフ、あはははははははっ!」
――嗚呼、ベル、ベル、私のベル! あの子はどれほど私を惹きつければ気が済むのか!
フレイヤは狂乱する内心を留めきれなかった。
それも仕方のないことであろう。これまで数多の眷属を見てきた自身をして、否、他の神々、それこそ
理論上の『
それら二つを同時に自身に捧げてくれるなんて、
まぁ、その結果をもたらした要因が自分ではない事は、少し、ホンの少しだけ気に食わないが些末な事だ。
今やそれも気にならない。なぜなら今からもっと、今以上に面白いものが見られることが分かっているのだから。
「ああ、楽しみだわ。こんな気持ちは本当に久しぶり」
「さぁ、見せて頂戴。貴方の輝きを」
フレイヤは呟きを漏らすと同時に虚空に手をかざした。
* * * *
「……?」
「どうしたんですか、ベル様?」
「なんか、さっきからずっと誰かに見られているような気がして……」
「いやですね、ベル様。今ここにはリリとベル様しかいませんよ? 気の所為じゃないですか?」
「そう、だよね」
リリと一緒にホームからダンジョンに向かった先で、僕は九階層に続く階段を下りている途中、ふと周囲を見回した。
リリは気のせいだと言うし、実際近くには僕たち以外誰もいないのだけれど、何故か、誰かから見られ続けている気配が、漠然とした不安みたいなのが体全体にまとわりついているように感じて落ち着かない。
「もしかして、緊張されているのですか? まあ、それも仕方ないかもしれませんね。ベル様にとっては、これが初めての10階層なのですから」
「そう、なのかな? うん、そうかも……」
リリが言った通り、僕達のこれからの予定は10階層への進出。お呼びその突破を目指して朝早くからホームを出発していた。
ダンジョン10階層。Lv1の冒険者が探索を許されている『上層』の中でも最下層――その入り口。
欲に目が眩んだ者達の目を覚まさせ、現実の厳しさを叩き込むダンジョン入門、1~5階層。
『ウォーシャドウ』、『キラーアント』などの高い戦闘力や特性を持ったモンスターが現れ、それまでのモンスターに慣れ切った新米冒険者達の油断を一突きする6~9階層。
そして、10階層。そこから先はモンスターだけでなく、ダンジョン自体の性質が変わってくる。
深い霧や落とし穴。落石を始めとして地形条件が
実は、僕はもう9階層まで探索階層を広げているのだ。
オッタルさんとの鍛錬に入るよりちょっと前にリリと一緒に探索を進め、その頃には既にAやBの段階まで突入させつつあった【ステイタス】能力値に加え、原野で培った『技と駆け引き』があれば、10階層までなら進めると僕も、リリも確信していた。
それでも、僕がこれまで10階層に足を踏み入れようとしなかったのは。
出るのだ、10階層には。
『大型級』のモンスターが。あの、ミノタウロスのような大きな体格を持つ怪物が、10階層から遭遇する事になるから。
「大丈夫です、ベル様! ベル様の『実力』はとうに10階層を踏破して余りあるものをお持ちなのですから!」
「……うん、ありがとう、リリ」
リリの言う通り、ギルドの示すダンジョン攻略の能力参考から言えば、これまでの僕の【ステイタス】は12階層までの規定をクリアしている事になっている。
その上、ここしばらくオッタルさんから直々に手ほどきを受けてきたのだ。勿論油断や慢心は厳禁だけれど、これで『上層』全域を到達できなければ顔向けができない。
「ちょっと弱気になっちゃてたみたい。でももう大丈夫。行こう、10階層に」
「はいっ! ……あ、でもその前に。ベル様、リリの上げた『お守り』は持っていてくれていますか」
「……うん、勿論」
リリから尋ねられた質問に、僕はレッグホルスターを軽く叩いて答えを返した。
そこには先日リリから貰った『お守り』が収められている。
「でも、本当に良かったの? アレはリリの大事なものなんじゃ」
「いいんです。リリは戦闘ではベル様のお役に立てませんから。ベル様の冒険の一助になれればリリも嬉しいのです。貰ってあげてください」
「うん。分かったよ、ありがとうリリ。大切にするよ」
「はい!」
笑顔のリリから向けられる温かい気持ちが嬉しくて、同時にちょっと気恥ずかしい。
二人して笑いあって階段を下り終え、9階層に足を踏み入れる。
目的の階層まであと一つ。僕は気を引き締めて先に進みだし、すぐに違和感に気が付いた。
「ちょっと、おかしくない……?」
「おかしい、ですか?」
「うん、モンスターの数が少なすぎる」
今も感じるこの違和感を、先の視線の様に気のせいだと断じてしまうには、あまりにもダンジョンが
9階層に降り立ってから進み続け、モンスターとの戦闘が無いまま階層の深部まで到達してしまった。
余りの
心臓が、嫌に喚きたてている。
背筋に、冷たい汗が伝う。
……この感覚を、僕は覚えている。
忘れたくても忘れられない、あの記憶。
そう。
『――さぁ、見せてみなさい?』
突然頭に直接響いてきた、聞き覚えのある蠱惑的な声に目を見張った。
次の瞬間。
『――――ヴ――――ォ…………』
階層を木霊する雄叫びの欠片が、僕の脳を揺さぶった。
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