もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら   作:人工衛星

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贄の兎 15

 

 ミノタウロス。

 その見た目を簡潔に表現するならば、2M(メドル)を超える巨大な牛面人躯(ぎゅうめんじんく)

 側頭部から伸びる二本の角は太く長く、金属質な光沢がその硬度を(しめ)している。先に伸びるほどに鋭利さを増し、先端に至っては下手な槍よりもよっぽど鋭い。

 醜悪な牛頭の眼光は血に飢えた様に紅く染まり、人の頭を丸呑みできそうな程大きな口から放たれる雄叫びは、物理的な圧を(ともな)って強制停止(リストレイト)をこちらに()いてくる。

 牛頭の下、嫌悪感を抱くほど人に酷似した筋骨隆々の肉体は見せかけではなく、僕の身の丈程ある大斧を片手で軽々と振り回すほどの怪力を備えている。

 正に全身凶器。

 その体から繰り出される攻撃を、一つでもまともに受ければただじゃすまない。

 絶え間なく襲い掛かってくる死の恐怖に精神が削られていく。

 折れそうになる心と膝を、生存本能だけを支えにこちらを捉えようと迫る死の魔手から逃げ続ける。

 

 今も、高々(たかだか)と掲げられる両刃斧《ラビュリス》に、反応しっぱなしの危機感知能力がことさら強く反応を示す。

 思考を挟む間もなく、脊髄反射だけで地を蹴り叩き、弾かれる様に横に飛ぶ。

 瞬間、落とされた断頭刃が横に飛んだ僕の頭部、真横スレスレを通り過ぎ、風圧で髪が数本千切れ飛ぶ。

 振り下ろされた斧が地面に叩きつけられ――ずに、鋭角に跳ね上がった鋼鉄の刃がまるで猟犬の如く逃げる僕を追いかける。

 地に足が着くと同時。思いっ切り体を横に倒す。躊躇(ちゅうちょ)なんて彼方に放り投げて地面に全身を叩きつけて、やっと猟犬の牙の追跡を()くに成功する。

 

 ――……息が、苦しいッ。

 

 (したた)かに打ち付けた体の痛みは無視して、急いで体を起こしたところで、迷宮の燐光が突然(かげ)った。顔を上げた先、僕の顔程ある(ひづめ)が視界を覆い尽くしていた。急速に面積を広げる影と蹄。咄嗟に地面を蹴って後ろに飛ぶ。

 ミノタウロスの踏み付け(ストンピング)がそのまま地面に叩き落される。轟音と共に砕かれ割られた地面が大きく揺れる。地面に足が付く瞬間、振動に襲われた僕は着地をしくじった。()()()を踏んで体勢が崩れる。

 

 

 ――……息が出来ないっ、()く暇がない!

 

 

 顔をこれ以上ないってくらい(にが)ませる僕を、ミノタウロスの眼光が貫く。

 ミノタウロスが踏みしめた足に全体重を乗せ、その体が傾いた。

 突進(ショルダータックル)が、来る!

 脳に浮かんだ予測を理解しきる前に、硬い地面に向かって(みずか)ら飛び込んで進行方向から逃れる。

 巨大な肉体列車がすぐ間近を通り過ぎる。直撃を(まぬが)れてもミノタウロスの巨体が生み出す風圧に宙に浮いた体が流された。支えのない中空で肉体の制御を奪われ体は横っ腹から落ちる。

 

「がはっ!」

 

 ――……無事な部分を探すのが難しいくらい、全身が痛くて仕方がない。

 

 身に纏っていた軽鎧(ライトアーマー)は、これまでに受けたミノタウロスの攻撃で壊れ、全て剥がれ落ちている。

 残っているのは女神様から(いただ)いた《愛の剣(マリアムドシーズ)》と、エイナさんから貰った『緑玉の盾(エメラルド・バックラー)』だけ。

 鎧下の黒いインナーはボロボロで、体は擦り傷だらけの打撲だらけ。

 絶え間ない致死の連続に心身ともに満身創痍。

 

 

 なのに、どうして。

 

 

『ヴォオオオオオォオオオオオオオオォォッッ!!』

 

 ミノタウロス雄叫びがダンジョンを()るがす。

 もう何回も聞いているはずなのに、薄れる事のない恐怖が僕の心臓を跳ねさせ、足を(すく)ませる。

 高まり続ける恐怖感は測り知れず、針はとうに振り切れた。

 

 だから、なのか。

 超過した恐怖に感情が麻痺したのか、それとも慣れが出てきたのか。

 僕の頭には久しく息絶えていた冷静さと思考力が、僅かばかり息を吹き返してきていた。

 真新(まっさら)だった思考が(にぶ)く動き出し、今の自分がおかれた状況を客観的に受け止める。

 それが僕に疑念を抱かせた。

 

 

 ……どうして、僕はまだ生きているんだ?

 

 

 僕の目はこちらに突っ込んできたミノタウロスを、その攻撃の威力を正確に認識できている。

 見れば見る程、その脅威が理解できる。

 寒気すら覚える風切り音をかき鳴らしながら振るわれる両刃斧、岩を砕く硬い拳、砲弾そのもの、いやそれ以上の威力の突進……どれも下級冒険者の身で食らえば一溜(ひとた)まりもない。それなのに。

 そんな凶悪な攻撃の数々が、次から次へと繰り出され、それどころか何度も食らっているのに。

 

 どうして未だに五体満足のままなのか。

 どうして僕は、曲がりなりにもこの化け物と渡り合えているのか。

 考えてみればおかしい話だ。ダンジョンに潜る様になって一月(ひとつき)ちょっとの冒険者が、ミノタウロスと遭遇(エンカウント)してからここまで、しぶとく生き繋げられる道理はない。

 なのに、どうして。

 

 

「――――ぁ」

 

 

 視界一杯に、両手に持った両刃斧を振り上げるミノタウロスの巨体が――不意に、錆色の武人の姿と重なった。

 振り下ろされる大鉄塊(斧/剣)

 直撃(イコール)即死。そんな攻撃を前にして。

 

 

 僕は初めて、()()()()()()()踏み出した。

 

 

 狙いは、持ち手に近い刃の側面。

 渾身の力で叩きつけられた《愛の剣(マリアムドシーズ)》が、両刃斧の軌道をずらし、刃が僕の体から(わず)かに()れていき、開けた隙間に体をねじ入れる。

 

(……ぁぁ)

 

 側面を叩かれて力の向き(ベクトル)をずらされた斧の刃は、そのまま地面へと吸い込まれていく。

 振り下ろされた腕、がら空きの胴体。隙だらけだ。

 僕はさらに一歩、二歩と踏み込んで、駆け抜けざまに剣を振る。

 硬い感触。剣先にかかる抵抗を、それでも振り抜いた。

 

「ブモォォッッ!?」

 

 剣から漏れた燐光が描く軌跡(きせき)と共に、パッと赤い飛沫が宙空を(いろど)った。

 

 薄皮一枚。

 たったそれだけだとしても、飛び散った赤が確かに僕の攻撃が通った事を証明していた。

 突然の痛みに慌てたミノタウロスが拳で振り払う。

 しかし、僕の姿は当にそこから距離を離していた。

 

『フゥーッ、フゥーッ……ヴゥヴォォォオオオオオオオオオオオオオオオォォォッ!!』

 

 もう、幾度目かも分からないミノタウロスの雄叫び。

 身を震わすその恐ろしさは変わらない。

 斧を高く振り上げたミノタウロスが突っ込んでくる。

 二M(メドル)半を超える巨体が迫る。モンスターの驚異的な身体能力の面目躍如(めんもくやくじょ)。速くて大きくて、何よりも恐ろしい。

 

 それでも。

 

 

「うわあぁぁああああああぁぁぁああああああああぁっっ!!!」

 

 ミノタウロスの雄叫びに被せる様に、自分を奮い立たせる為に叫びを上げる。

 いつのまにか、震えが止まっていた足を踏み締めて。

 迫りくるミノタウロス。それ目掛けて前へ出る。

 これまでの攻防で、僕の『敏捷』がこいつと競り合えているのに気付いていた。

 だから攻撃を(かわ)せていたし、ギリギリでも防ぐことに成功していた。

 力も、重さも今の僕じゃ全然敵わない。でも、速度なら。『敏捷(はやさ)』ならコイツと渡り合える――!

 

 

 駆け出す。

 急速に近づく相対距離。

 牛の表情なんて分からないけれど、ミノタウロスが突然自分に駆け寄ってきた僕に驚いたのが、不思議と分かった。

 慌てて振り下ろされる斧、地面を蹴り懐へと飛び込んだ僕の背後を通り過ぎていく。

 ミノタウロスの胴体目掛けて、ほとんどぶつかりに行くように振るう袈裟斬り。

 僕の『敏捷(はやさ)』と、ミノタウロスの速度を合わせた攻撃。その威力の()が導き出す答え。

 

 血飛沫(ちしぶき)

 

 

『ブォッ、ブモオォォオオオオッ!?』

 

 鋼を彷彿(ほうふつ)とさせる硬い肉体に、赤い斜線が一筋(ひとすじ)引かれる。

 『ミノタウロスの体皮』は、革鎧(レザーアーマー)の素材として重宝されるほど耐久力の高い天然の装甲。それを今、貫通した。

 皮一枚なんかじゃない。その下の肉をも断ち切る有効打。

 僕がミノタウロスに与えた確かな(ダメージ)だ。

 

 戦える。戦えている。僕が、ミノタウロスに。

 

 

(――……あぁ、嗚呼(ああ)ッ!)

 

 

 胸の内で叫ぶ。

 敵の攻撃を()らしながら攻め込む技も、自分に膂力で(まさ)る相手の力を利用する技も、『戦いの原野(フォールクヴァング)』で(つちか)ったエッゾさんやダリスさん、原野で戦ったファミリアの先達(せんだつ)との経験が全て。

 今、僕をコイツと闘える領域まで引っ張り上げてくれていた。

 そして、何よりも。

 

 

 巨体のミノタウロスが伸ばした右腕に持つ両刃斧が、遠心力を(まと)って横薙ぎにされる。

 

 鋼鉄の鎧すら紙同然に引き裂く威力の斧刃が、剥き出しの首目掛けて迫りくる。

 首と胴が泣き別れるよりも僅かに早く、大質量の斧が通る軌道上に、柄と剣先を支え持った蒼銀の直剣を、斜めに挿し入れるように()えた。

 

 剣と斧、鋼同士が触れ合う絶叫。散る火花。剣と接触した斧の刃は剣の刃を叩き割る事なく、金切り音を上げて剣の側面を滑っていく。

 斧の刃は首から僕の頭上へと刃先を外されて、そのまま通り過ぎて行く。

 振り抜かれ、無防備になった右の脇。

 そこに、剣の切っ先を突き立てた。

 

『――ブモォオオオッ!?』

 

 再度、痛撃に驚く怪物の叫び。

 腕の付け根、そこに在る神経に丁度剣先が(さわ)ったのか、ミノタウロスの手は握る力を失い、強制的に開かれた手の内から斧の柄が(こぼ)()ちた。

 地面に突き立てられる斧。間断なく半円を描きながらこちらに迫るもう一方の拳。

 一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)。拳が体に触れるよりも早く、ミノタウロスの手が届く範囲から脱出する。

 

「ありがとうございます、女神様!」

 

 距離を取った僕は、ミノタウロスから目を離さないまま、剣の(つば)を額に押し当てた。

 僕にはこの剣がある。この剣があったんだ。

 女神様から(いただ)いた《愛の剣(マリアムドシーズ)》が。

 

 

 ミノタウロスが振るう巨大な斧の攻撃を(しの)ぎ、尋常の武器では文字通り刃が立たない、鋼鉄の肉を断つ――女神様の(つるぎ)

 

 『僕の力になるように』と、女神様の愛が込められた、僕だけの(たからもの)

 剣の柄を感謝を込めて握れば、鋼と神字(ヒエログリフ)(きらめ)きが合わさった蒼銀の燐光が、脈動を打つ様に一際大きく(またた)いた。

 まるでそれが「ようやく気付いたか」と言っているようで。

 僕の顔を照らす淡く優しい光に小さく笑みが(ほころ)ぶ。

 どうして忘れてしまっていたんだろう。これまでずっと、誰よりも近くで僕と共に戦ってくれていたのに。

 

 頼もしい相棒へ向けて、僕は口に出すことなく(つぶや)く。

 ……ごめん。ありがとう。もうちょっとだけ、一緒に戦ってくれる?

 コイツに、勝つまで。

 

 

 

 僕はずっと、負けていた。

 戦うより以前に、心がミノタウロスに屈服(くっぷく)していた。

 

 でも、ようやく思い出すことが出来た。

 ダンジョンで、原野で積み上げてきた経験を。

 女神様から受けた恩を、たくさんの愛情を。

 それらが僕の中で確かな血肉となって、今の僕を生かしてくれている。

 ミノタウロスに惨敗を(きっ)した『あの日』から、僕はちゃんと強くなれていた。

 そして、何よりも。

 僕は思い出していた。

 僕がこれまで師事を受けたのが誰なのか。

 ミノタウロスの見上げる程の巨躯も、そこから生み出される怪力も。

 

(コイツよりも強くて、どこまでも大きな相手と、何度も挑んできじゃないか!)

 

 目の前のミノタウロス程度。あのヒトに比べれば、ただ派手なだけの張りぼても同然。

 その程度では、僕の憧憬(オッタルさん)には遠く及ばない。

 

 

 

 ――――ここからだ。

 

 

 心を奮い立たせろ。

 足に力を入れて、敵を(にら)みつけろ。

 敵は強大。その脅威は依然、変わりない。

 気弱な自分を張り倒して、虚勢と共に胸を張れ。

 腹の底から雄叫びを上げろ。前に踏み出せ。

 力量(レベル)差は身に付けた『技と駆け引き』で埋め立てろ!

 暗く、狭い路地裏で出会ったあの時から、僕が目指した場所は、ここよりずっと遠く、険しい。

 脳裏に焼き付いた『憧憬(あこがれ)』の背中を追いかけて。

 遥か高みを目指して、僕は駆け上がらなきゃいけないんだ。

 辿り着かないと、いけないんだ。

 

 そのためには、()()は邪魔なんだ。

 僕の足を縛る恐怖も、背を沈めるような雪辱(せつじょく)も、今ここで。

 因縁(オマエ)ごと踏み越えて、僕はもっと先へ行く! 

 

 

「勝負だっ……!」

 

 

 ここからが、冒険者とモンスターの、命を懸けた戦い。

 僕とミノタウロスとの、勝負。

 僕の胸を焦がす『憧れ(おもい)』の為に。

 この、譲れない『願い(ユメ)』の為に。

 

 僕は『冒険(ぼうけん)』に、足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

 …………体が軽い。さっきまで感じていた痛みや疲れが今は嘘みたいに消え去っていた。

 

 頭が冴える。思考が研ぎ澄まされていた。相手の動きが、筋肉の僅かな細動まで見えていた。

 

 背中が熱い。燃える様に、想いが熱となり推進力へと変わる。

 

 視界を絶え間なく過ぎ去っていく斧の刃をくぐり、前へ。

 

 浴びせられる雄叫びを自身の咆哮で相殺して、前へ。

 

 勝利をもぎ取ろうと全身を奮い立たせて、前へ。

 

 目の前の敵が、今の自分の全てだった。

 

 戦いだけが、世界の全てだった。

 

 

 初めて思った。

 情けない妄想でもない。

 格好悪い虚栄心でもない。

 ただ夢を見ているだけの、不相応な願いでもない。

 英雄になりたいって。

 コイツを倒せる英雄になりたいって。

 恐怖に怯える自分だって、(すく)い上げて奮い立たせて見せる、強い英雄みたいな男になりたいって、初めて心から思った。

 僕は。

 

 

 英雄に、なりたい。

 

 

 

 

「うぉおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおぉぉっっっ!!!」

『ヴヴォォオオオオオオオオオオオォォォオオッッッ!!!』

 

 

 降り落ち引かれる銀線と駆け上がる蒼銀の軌跡が絡み合う。

 横薙ぎの(ひらめ)きを緑玉の(フチ)がカチ上げる。

 燐光の瞬きが猛牛に迫る。

 (ひづめ)が地を割り、蒼銀の刃は空を切る。

 頭蓋を砕く大手刀が雷の牽制(けんせい)に阻まれる。

 

 斧を、剣を、肉体を、魔法を。

 僅かでも、数瞬でも。互いが互いを上回ろうと自分の持つ手札を全て(さら)け出して、それを余すことなく駆使(くし)し合う。

 

『ヴォアアッ!』

「くぅっ!」

 

 ミノタウロスが繰り出す両刃斧はまともに受ければ即死。(かす)っただけでも致命傷は(まぬが)れない。

 そんな攻撃を地面に転がって躱す。

 すかさずミノタウロスが蹄で踏み潰そうとするのを跳ねあがって避けると同時、その巨体に剣を突きたてる。

 そうはさせじと(かざ)された両刃斧に剣を防がれる。

 振り払われる斧。弾かれる剣。

 一旦下がって体勢を立て直す。

 距離を取る僕をミノタウロスは追うことはせず、その場に留まっている。どうやら向こうも息を整えたいらしい。

 

(……やっぱり)

 

 おかしい。

 僕がミノタウロスへの過度な恐怖を振り払ったのと同じく、自身に傷をつけた僕を獲物から敵へと認識を変えたミノタウロス。

 それまでとは明らかに違う体の動きに僕は強い違和感を覚えた。

 

 対応が速すぎる。慣れ過ぎているのだ、僕の動きに。

 

 油断と慢心は欠片も残さず消え去り、自身を(おびや)かす《愛の剣(マリアムドシーズ)》への警戒は非常に強いものになっている。

 意図せず奇襲となった胴体と脇の時ほど、大きな(ダメージ)を与える隙が無い。

 こっちが必死に斧と拳を()(くぐ)って剣を振っても、体格に見合わぬ身軽さで躱されるか、こちらの剣筋をズラして見事に深手を避けてくる。

 ……動きに迷いが無さすぎる。まるでどう動けばいいのか既に知っているという様に。

 それは僕が自分よりも大きくて、ミノタウロス(こいつ)よりも強い、オッタルさん相手に鍛錬を重ねたように。

 ミノタウロスも、僕みたいに小さくて、僕よりも速い剣士と何度も闘っていたんじゃないのか。

 じゃないと説明がつかないくらい、剣士を相手する事に慣れている。

 僕を見据える瞳の奥から透ける理性の光が、そんな疑惑を抱かせた。

 

 

()()()()()()()

 

 

 今はそんなことどうでもいい。

 考えることはただ一つ。どうやってコイツに勝つか。それだけだ。

 躱されるなら、それよりも速く剣を振ればいい。

 防がれるなら、それよりも速く剣を振ればいい。

 恐ろしい怪物の攻撃が、こちらの命に手を掛けようと伸ばされるなら、それより速く駆け抜けて置き去りにすればいい。

 

 ベル・クラネルには、()()しかないんだから。

 ベル・クラネルが授かった唯一の、そして最大の武器(アドバンテージ)

 『速度(はやさ)』で、コイツを上回れ!

 

 

 

 肩を(せわ)しなく上下させ、荒くなった息を必死に整える。

 視界の先に立つミノタウロスも、同じように鼻息を荒くしている。

 状況は五分と五分。……いや、こっちの方がちょっと不利か。

 身に纏っていた防具は全て剥がれ落ち、インナーは所々破れ、剥き出しの肌は青く腫れ血を流している。

 しかしミノタウロスの方も、ここまでの攻防で全身に大小の傷が刻まれ、少なくない血でその体を濡らしていた。

 

 ダメージ量は向こうの方が上。しかし彼我の間に(そび)え立つ体格差がそれを(くつがえ)す。

 ギルドが定めるカテゴライズの中で、ミノタウロスはレベル2に位置している。対する僕はレベル1の新米冒険者。圧倒的な【ステイタス】の差が、両者の間には開いていた。

 

 そんなの、最初から分かり切っていた事だ。事実を真に受けて絶望している暇なんてどこにもない。

 働きっぱなしの肺と心臓に、目一杯空気を送り込んで更なる労働を命令する。

 眼前に立つミノタウロスは、十分に一息をつけれたのか、再び斧を構え直して体勢を低くしている。

 中断されていた戦闘の開幕はもう、すぐそこ。

 

 こっちも右の手に持つ剣の柄を握り締め、踏み込んだ足に力を入れて駆け出す、直前に左手を前へ突き出した。

 

「【サンダーボルト】!」

 

 真正面からの不意打ち(フェイント)に、今にも飛び出さんとしていたミノタウロスの両目が大きく見開かれた。

 砲声と共に放たれる雷の矢がミノタウロスに突き立つ。

 速攻魔法の特性。詠唱を抜いて撃ち出された魔法の一撃はミノタウロスに回避はおろか、防御する事すら許さない。

 全てを置き去りにする光速の速射砲はしかし、その長所(メリット)故に威力が低いという短所(デメリット)を持ち合わせている。そのせいで直撃してもミノタウロスの装甲を貫けなかった。

 電撃の属性から命中時に相手を痺れさせるという隠れた特性も、その体皮が備える耐性を超える事ができず、効果を見込めない……先程までは。

 今は違う。無傷だった初撃と違い、ミノタウロスは現在、全身から流血している。

 電気を通す “液体()” を、傷口から流しているのだ。

 

『ヴ、ヴモォォオオオオッ!?』

 

 突き立てられた雷の矢が、ミノタウロスの流す血の中から入り込み、傷口から全身を侵し尽くす。血管を駆け巡って筋肉を、そして神経にまで侵略を果たすと同時にその制御を奪い取った。

 

 『麻痺』の状態異常付与。ミノタウロスは動けない。

 

 踏み出した足を、蹴り抜いた。

 《愛の剣(マリアムドシーズ)》振り上げる。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 

 

 ――思い描く、憧憬の姿。

 

 【ファミリア】に入ったばかりの頃。『最初の三日間』でこの目に焼き付いて離れなくなった一撃を。

 何度もマメを潰して掌を血だらけにして、原野で何度も血反吐を垂らした鍛錬の中、文字通り体に刻みつけた、究極にまで研ぎ澄まされた剣の(わざ)

 

 脳裏に思い浮かべたオッタルさんの動きをなぞる様に。

 何度も何度も繰り返し、体に覚え込ませたその技を。

 地を蹴り、駆け出し、振り上げて、踏み込む足に全体重を乗せて、脚の先から腕の先まで、僅かなズレも許さず渾身(こんしん)の力を剣先へと伝播(でんぱ)させる。

 雷刀(らいとう)。天から落ちる光の柱の如く。全身全霊、最大威力の唐竹割りを案山子(かかし)同然のミノタウロス目掛けて繰り出した。

 

 一刀両断。

 

 

 噴出する(くれない)が、迷宮を(あか)く染め上げた。

 

 

 

 

 

『ブォオオオオオオオォォオオオオオーーーーッ!!』

 

 

 ――ごとり。ぼとり。

 斧を持ったミノタウロスの腕が地面に音を立てて落ちる。

 僕の上段斬りはミノタウロスの腕を斬り落としたのだ。

 ギリリッと噛み締めた歯が軋む音が耳の奥に響く。

 

(――防がれた!)

 

 会心の一撃だった。

 これ以上ない絶好の好機。そこに自身の持てる最大の威力を叩き込む事に成功した。

 凡百(ぼんびゃく)のモンスターが相手なら、間違いなく必殺。

 

 しかし、このミノタウロスは凡百なんかじゃ、決してない。

 

 何が起きたのか、僕はそれをはっきりと見ていた。ミノタウロスが麻痺に()らわれた体を強引に動かして、剣と体の間に腕を挟み込んだのだ。

 体皮の装甲を、強靭な筋肉の束を、硬質な骨までを貫き魔石(しんぞう)まで届くかという一撃は、たった一本の腕に阻まれた。

 しかし、まだ。

 

「これでぇ――――ッッ!!」

 

 手首から先を失い、血潮を吹く腕を(かば)い、抱える様に背を丸めるミノタウロス。

 (こうべ)を垂れて、剥き出しになった首筋へ目掛けて再度。

 全力の上段斬りを繰り出した。

 駄目押し、止めの一撃。この闘争の終止符を打つ最後の攻撃だ。

 

 

 ――ピリッ

 

 瞬間、首の裏に氷の針が突き刺される感触。

 そう言えば、と思う。

 オッタルさんにエッゾさん、ダリスさん、原野で戦った人達。

 一体誰から言われたんだったっけ。

 「止めの一撃は、油断に最も近い」って言葉。

 

 相手が見せた明らかな隙が、逃せない好機に僕の目には映って。

 それまでずっと堅く遵守(じゅんしゅ)していた一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を放り投げた僕を、ミノタウロスの理性の光が貫いた。

 

 下げられていた頭が上げられる。

 振り下ろしきる以前の、力を乗せきれていない剣が、側頭部から伸びた角と交差する。

 剣が、弾かれた。

 柄を握っていた両の腕が、()()がる。

 がら空きの胴体。隙だらけだ。

 

 ミノタウロスが、右腕を振りかぶる。

 脇に突き立てられた剣によって握力を失い、斧も持てず拳も握れなくなったミノタウロスの右手。

 それに、何の意味があるって言うんだ。

 モンスターの怪力を持って振るわれる攻撃力は、僕を殺すに余りある。

 硬い筋肉で覆われた、ミノタウロスの太い腕は棍棒も同然。

 鞭の如くしなりを持って、投げ縄で獲物を巻き上げるように、半円を描く鎌腕が僕の胴に迫りくる。

 

 防げない。

 

 死ぬ。

 

 

 

 死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間が極限まで遅くなる。

 

 遅々として、しかし確実に近づいてくる死に、目の前が真っ白になって。

 僕は、気が付けば。

 

 白い空間の中に立っていた。

 周囲は濃霧に包まれたように真っ白で、なのに目の前の光景ははっきりと見えた。

 周りの白から浮かぶように、そこだけ切り取られたように素朴な家の中の風景があった。

 木の壁と床に囲まれた小さな部屋。

 煌々(こうこう)と燃える暖炉の前で寄り添う二つの人影。

 一方は小さく、もう一方はソレを包み込むように大きく。

 少年と、老人が……幼い僕と祖父の姿が僕の目の前に在った。

 幼い僕は目を輝かせて、おじいちゃんが読み聞かせる英雄譚に夢中になっている。

 そんな僕を見つめるおじいちゃんの目は何処(どこ)までも優しく、慈愛に溢れていた。

 もう二度と味わえる事のない、温かな一時。

 

 読み聞かせていた英雄譚が終わりを迎え、絵本を閉じたおじいちゃんが僕に語り掛ける。

 

「ベル。お前は英雄になりたいか?」

「うん!」

「そうか、そうか。なら、どうすれば英雄に成れると思う?」

「え? うーんと、すっごい頑張ったらなれる!」

「お、おう。そうじゃな……うむ、間違ってはないな。けどな、頑張るのも大切じゃが、もっと大事なことがある」

「大事な事って?」

「諦めないってことだ」

 

 おじいちゃんは、遠いどこかを見る目で、過去を追想するように細めた目を、誰もいない(僕のいる)場所へ向けていた。

 

「苦しいことがあっても諦めない」

「辛いことがあっても諦めない」

「もうダメだーって時でも、手当たり次第に動いて暴れて」

「それがたとえ馬鹿みたいでも、指差されてでも、絶対に諦めるな」

「お前が憧れてる英雄ってのは、そういう最高に諦めの悪い奴等だけが成れるもんだ」

「だから、ベル」

 

 

 諦めるな。

 

 

 

 その言葉を後に、白が晴れる。

 

 目の前には、ミノタウロスと、今にも迫る右腕。

 

 両腕は弾かれ降伏を示すような万歳(バンザイ)姿勢(ポーズ)

 

 ミノタウロスの攻撃を防げない。

 

 確実に、死ぬ。

 

 死んで――

「――(たま)るかぁぁあああああああっ!!」

 

 左腕を引きずり下ろす。

 無理矢理動かした腕からブチブチと何かが断裂していく音も、叫び声がかき消して、左手に装備した『緑玉の盾(エメラルド・バックラー)』を構え。突き出す。押し出せ。迫る腕を、弾いて、逸らして、死を、退けろッ!

 

 

 

「あ」

 

 

 バギリ、グシャリと割れる音、(ひしゃ)げる音。

 襲う、途方もない衝撃。

 体の中から、ポキポキと折れる音が幾重にも重なった。

 熱い、溶岩の塊が喉の奥からせり上がる。

 ごぽりと音を立てて、赤黒い塊が口から飛び出していく。

 

 宙に浮いた足。振り抜かれた腕。体が吹き飛ぶ。盾が壊れた。装備してた左手はどうなった。落ちる。まずい。着地……受け身を取らないと。

 

 墜落。

 水面を跳ねる平たい石の様に、何度も地面から跳ね上がって転がって、最後は沈んでいく。

 

 

「――――ぁっ、かっ、ごふっゲホッ!」

 

 息が詰まり咳き込む度に喉の奥から喀血(かっけつ)する。

 重すぎるダメージに、意識が遠退いていく。

 

 

 僕は、負けるのか。

 

 薄れる視界の中、僕の上に影が差した。

 歪む輪郭(りんかく)からでも、ミノタウロスが(かたわ)らに立つのが分かった。

 体は、動かない。

 (あふ)れる血に(なか)ば溺れた様に、喉の奥からは空気の漏れる音だけが聞こえる。文字通りに虫の息。

 

 今、何かされたら。今度こそ、死ぬ。 

 消えかけた蝋燭の火が、一瞬強く灯る様に、(かす)んでいた目の焦点が鮮やかに像を結ぶ。

 ミノタウロスは、倒れ伏せる僕を真っすぐに見つめていた。

 嘲笑(ちょうしょう)するでも、(あわ)れむでもなく。ただただ真っすぐに、見下ろしていた。

 まるで、強敵(とも)に向ける様に。(きた)る決別の時を(おごそ)かに迎えるように。

 ミノタウロスが、脚を振り上げた。

 僕の顔程ある大きさの蹄が向かう先は、僕の頭部。

 あれが下ろされれば、僕の頭は地面に落ちた柘榴(ザクロ)みたいになるだろう。

 

 僕は死ぬのか。こんな所で、夢に手を掛けることなく。

 何人もの冒険者と同じ様に、夢半(ゆめなか)ばで力尽きてしまう。

 嫌だ嫌だと拒んでも、時間は進む。

 不意に、これまで出会った人たちの顔が、走馬燈の様に脳裏をよぎっていく。

 育ててくれた祖父の顔。村の人達。オラリオに来てから出会ったエイナさんやシルさん。ヴァレンシュタインさんやレフィーヤさん。

 途方に暮れる僕に手を差し伸べてくれたフレイヤ様。原野で戦い合った【フレイヤ・ファミリア】の人達。僕を救ってくれた、その強さに憧れたオッタルさん。

 

『――ベル様』

 

 ……そして、いつもすぐ隣で支えてくれていた、リリの姿。

 ほんの、少し前の記憶が呼び起こされていく。

 

 

『ベル様には、これを持っていてほしんです』

『これって……悪いよ。こんなの受け取れない。それにこれはリリの大事なものなんじゃ?』

『ベル様がフレイヤ様から(たまわ)ったその剣は、それは素晴らしいものです。ですが、副装備(サブ・ウェポン)を持つことも冒険者にとっては大事な事なのです。万が一があってからでは遅いですから』

『だからって、いくら何でもコレは……』

『ベル様。リリは、ベル様を失いたくありません。使わないならそれでもいいんです。お守り替わりでもいいのでベル様に持っていて欲しいんです。死と隣り合わせのダンジョンで、ちょっとでもベル様の助けになれたのなら、それだけで……ベル様、どうかリリの我儘《わがまま》を聞いて下さいませんか?』

『……分かったよ、リリ。ありがとう』

 

 

 あぁ、本当に――ありがとう、リリッ!

 

 僕は、左脚のレッグホルダーに伸ばしていた手を引き抜いた。

 さっきの一撃で壊れた盾を固定していた紐が千切れたのか、いつのまにか剥き出しになっていた左腕は骨が砕けたせいでグシャグシャだ。でも、まだ動く。

 尽きかけの精神力で限界を超えた体を無理矢理動かして、手に持った小さな紅のナイフの先端を地面に叩き付ける。

 

 生みだされる、紅い光と爆ぜる熱。

 炸裂(さくれつ)する。

 

 リリがくれたお守りは、振るうだけで魔法と同じ効果を生み出す『魔剣』。

 火の力が込められた紅のナイフは、その真価を発揮した。

 ナイフから吐き出される小さな火球は地面に触れると同時に爆発する。

 爆風に圧された背が浮き上がる。勢いに乗せて足を前へ。

 虫の息の獲物を前にして、止めを刺そうと油断していたミノタウロスに向けて、最後まで離さなかった相棒を、《愛の剣(マリアムドシーズ)》を突き出した。

 生死の分かれるこの局面。正真正銘、僕の全身全霊が掛けられた最期の刺突。

 

 狙うは相手の胸部。その一点。

 モンスターがモンスターたる所以(ゆえん)

 モンスターであるが故に抱え持つ、唯一無二にして最大の『急所』。

 『魔石』に向けて、貫けとばかりに剣の切っ先を突き立てた。

 

 死に掛けの虫が突然動き出した時のように、ミノタウロスの表情が驚愕に染まるのが分かった。

 追い詰めたはずの獲物の反撃が、自分の急所へと吸い込まれて行くのをただ眺め――分厚い胸筋を貫いた所で突き出した剣の動きが止まる。

 

 

 鋼線(こうせん)を編み込んだようなミノタウロスの胸筋に全ての威力を殺された。【力】が足りてない。(つるぎ)は『魔石』に届かなかった。

 剣を突き出したままの体勢で見上げるミノタウロスは、それでこそと笑う様に雄叫びを、僕の鼓膜に叩き込みながら、左腕を振り上げた。

 

「まだだぁぁああああああー――――――っ!!」

 

 焼け爛れ、砕けた左の手。

 握り締めた拳を剣の柄頭(ポメル)に叩き付けた。

 剣先が、わずかに沈む。

 硬い何かに、触れた気が、した。

 

 ミノタウロスが諦め悪く足搔く僕へと、振り上げた巨腕を振り下ろす。

 数瞬後には僕を肉塊に変えてしまうだろう鉄槌が、落とされる。

 それよりも速く――ありったけの力を込めて砲声する。

 

 

「【サンダーボルトォオオオオオオオオオオオー――――――ッッッ!!!】」

 

 全身からかき集められた力が、左拳に集まる。

 装填(そうてん)された紫電の光は拳の先から放たれ、剣の中を伝導する。

 ミノタウロスに突き刺された剣の先。それに触れた魔石へ――(いかづち)(ほとばし)る。

 

 砕き、なおも突き進む。先へ、先へと。

 そして貫く。蒼銀の燐光を纏った紫電が、天を駆け昇る。

 雷鳴が、(とどろ)く。

 

 

『――――――――――――――――――――――ッッ!?』

 

 

 声にならない断末摩を上げながら、ミノタウロスがその輪郭を失っていく。

 色を失い、(かたち)を失い、灰となって崩れ落ちる刹那。

 ミノタウロスが、笑った。

 自らを打倒した強敵へと、まるで称賛を送るように笑みを浮かべたのを僕は見た。

 気のせいかもしれない。目の錯覚だったのかもしれない。でも僕にはそう見えた。

 

「貴方は、確かに強かった」

 

 だから、僕も。

 塵往(ちりゆ)強敵(ライバル)へ賛辞を贈った。

 

 やがて『魔石』を失ったモンスターの末期(さいご)と同じくして。

 ミノタウロスは灰になった。

 僕は高く掲げる様に左拳を突き出した体勢のまま、宙を舞う灰が迷宮の天井から落ちる燐光に照らされるのを見送った。

 突き立てられた蒼銀の剣が支えを失い、鐘の音に似た甲高い音と共に地面に落ちた。

 

 

 戦いの終わりを告げる音を、舞い散るミノタウロスの残滓と共に浴びながら、僕はもう一度、心の中で呟いた。

 

 貴方は、確かに強かった。

 でも、この勝負は僕が勝った。

 

 

 

 

「…………僕の、勝利だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

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